第1章 さよならなんて言わない
私が子供の頃、お姉ちゃんと仲良く楽しく過ごしていました。短い夏の日も長くて厳しい冬の日も。と言ってももう20年も前のことなので美しい記憶以外はだいぶ抜け落ちてしまいましたね。
お姉ちゃんが8歳くらいのとき、次第に歩き方がよれよれになってあれ?となったときにママが病院に連れていきました。その後何年か後に寝たきりになってしまいました。当時もう治らない生まれつきの病気なんだとママがうろたえていたのを壁越しに漏れたのを聞いてしまったんです。詳しくは大人になってから知ったのですが、その時言われたのが「神経セロイドリポフスチン症」または「バッテン病」とよばれる病気だったそうです。
私は面会のたびに最後にお姉ちゃんと分かれるのが辛く、
「あたし、シャーリーと一緒にいたいの」
と私に会うたびに口癖のように言っていました。そして
「私もよ」
というのがお約束になっていました。
それを見ていたママは
「本当にお姉ちゃん子と妹っ子の仲良し姉妹なのね」
と言っていました。
ショックも冷めやらないそんなとき、とあるアドベンチャーゲームをやり始めました。プレイを始めたての頃、ルールややり方も大してわからなかったときに助けてくれたくれたギルドのリーダーのキャシーさん。ゲームの中では世話焼きで優しいお姉さんです。知り合ったときはわからなかったの彼女の本業ですが、とある方面で有名な葬儀社に勤めている腕利きのエンバーマーで、それが「若くして亡くなった少年少女とずっと美しく暮らせる”手元供養”」を売りにしていたということです。私はそうとも知らず身近で信頼できる大人だった彼女にお姉ちゃんの病気のこと、そう遠くないいつの日か別れなくてはならないことなどを相談していました。それからしばらくして、
「ご家族のみんなと一度ちゃんと話をしてみたいわ」
というメッセージが届いて、その後家に一通の手紙が届きました。
「リンジー・ポプラウスキー様へ、キャシー・パターソン……」
一応、ママ宛になっていますね。
相談と打ち合わせのためお姉ちゃんを車いすに乗せてママと彼女のところ、「パターソン・メモリアル・サービシーズ」に一緒に向かいました。約束の時間の到着後門を開けると、
「こんにちは」
キャシーさんが現れ、中に通されました。
応接室でキャシーさんが私達から話を聞いていきました。お姉ちゃんの番になって、
「エミリーさん、なにか希望はありますか?」
「あたしね、シャーリーとずっと一緒にいたいの」
「それでしたらこれを……」
「エターナル・ウエイク・プラン?」
私達はそのパンフレットを手にとって、中を読み勧めていきました。ママと私は最初は戸惑いつつもお姉ちゃんのためだったら……と次第にこれに傾いていきました。一通り話が済んだ後、私たちは応接室を出て、
「また何かあったら相談に来てくださいね」
キャシーさんに見送られてその場を後にしました。
お姉ちゃんはたまに一時帰宅しますがいつも大体リビングのロッキングチェアで休んでいました。あとの方になるとぐったりしていることも多くて涙が出てくることもありました。
それから数年くらいたったある日、私は学校での授業中に先生から急に呼び出されました。それでタクシーで病院に急行しました。お姉ちゃん、お姉ちゃん…… 病室ではパパとママが待っていてました。
「シャーリー、言い残したことは有るかい?」
とパパに言われて私は
「こんなお姉ちゃんがいて幸せ!」
と言い、
彼女は最後に
「あたし、シャーリーの姉で幸せだったよ」
とつぶやきました。
しばらくしてギルドのお姉さん、じゃなかったキャシーさんが現れお姉ちゃんを連れていきました。彼女とはオフ会で会うことはあっても本当はこんな理由で会いたくなかったんです。だけどお姉ちゃんに今現在治す方法がまったくない不治の病が見つかって……覚悟はしていたはずだったけど……
キャシーさんのバンのエンジン音が消えてゆき、お姉ちゃんがいなくなった病室のベッドの横で私は何分か呆然と立ちすくみました。
お姉ちゃんが家に戻ってきた後はロッキングチェアに座らせていました。それから何ヶ月か経って引き出しが届いて、それ以降はお姉ちゃんをそこに寝かせました。彼女の中には防腐液の他肌色が変わらないようにするために酸化防止剤は入れてありますが、普段は念のため使い捨てカイロをシーツの隅に置いた後アクリル板で蓋をしてあります。