8、自分の目
暖かくて平和な朝だった。目の前に壁がある……何だったっけ?
ボヤ〜っとそれを見つめる、えっとここはどこだっけ? 目を閉じて考えながらその壁に額を擦り寄せる。
んん〜、温かくて気持ちがいい 安心するぅ〜。
冬場の二度寝ってなんであんなにもぐずぐずにされちゃうんだろう。
目覚ましに手はかかったまま…よくあったなぁ〜。
んんんーーっと昨日は そう狭い部屋に泊まった…シエルと同じ布団で寝た…ガバッと顔を上げるとそこにはまだシエルがいる。
「お目覚めですか?」
「はい、目覚めました。」
「ぐっすり眠れましたか?」
「はい、お陰様でぐっすり眠れました。」
「それは何より、では腕をお返し頂いても構いませんか?」
「腕を返す?」
シエルの顔から視線を首、肩、腕と追っていくと何と!? 私がガッツリ2本の手を巻き付けていた。『ぎゃーーー!! なんて事なんて事!!』
「ごめんなさい。」
「構いませんよ、ゆっくりお休みになれたのでしたらお貸しした甲斐があったと言うものです。」
「それは嫌味? 本心?」
上目遣いで気まずそうに聞く。
「クスッ 本心ですよ。」
「……有難うございました! お陰で気持ちよく眠れました! でもシエルも大変だからこれからは痺れたり重かったりしたら私の手外してね!」
「はぁー・・・、はい 了解しました。」
まったく・・・これからも一緒に寝る時は…、と言っている事に気づいていないんだろうな。
起き上がるとシエルが服をまた変えてくれた。
一緒に顔を洗いに行く、魔法で綺麗にはなっているけど 顔を水で洗ってシャンとしたかった。シエルは手洗いもトイレもついてくる。
準備ができたら宿を引き払い街へ出た。
街を歩いて周り観光を楽しむ。
「何を考えてらっしゃるのですか?」
「ん? ハネチャナが見れたら次はどこへ行こうかって。
私ね、6歳でスタンビーノ王子との婚約が決まって それからずっと屋敷と王宮の往復でどこかに出かけた事もないの。『何かあったら、間違いがあったら』と護衛がつけられて本当に自由がない生活をしていたの。
でもこうして国外追放になって、行ったこともない街に来てる。
『次はどこに行こう?』その知識は王妃教育で学んだもの、それが今こうして役に立っている。苦しい時間でもあったけど こうして国外追放ライフができる事を考えれば やっぱり学ばせてもらって有り難かったなって…思ったの。」
「そうですか。…前向きで素晴らしい考え方ですね。」
「ふふ、そうは言っても本当の一人ぼっちの国外追放じゃ1日も過ごすことはできなかったと思うけど、シエル そばにいてくれて有難う。」
「はい、その感謝の意を受け入れます。 ですから そう何度もお礼を言われると流石に照れます、もういいですよ。」
「だって事実だし、お礼は何度言ってもいいと思わない? だって本当に感謝しているのよ!」
「…はい、もうお手上げです。お好きになさってください。」
屋台が出てくるとそれで腹を満たし、今日は広い宿を取って次の目的地の準備をした。
ノーマンは実際に誘拐を企み実行した事で他の2人とは違い 利き手を切り落とされた。
手首を切り落とされるのは罪人の証拠、その上 腕には焼印までされている。
ほとんどの犯罪者は罪名を伏せる為 焼印を焼いたり抉ったりして消すものが多い。
顔に刻まれた文字は王宮を出る時 竜神様が消してくれた。
惨めで仕方なかった。
次期宰相候補ともてはやされ幼少期から特別扱いされ、自分の思い通りにならないことは何一つなかった。今回の事だって立てた計画は完璧に実行された。
何が悪かった!? 何に失敗したのだ!?
屋敷に行ったが門番は取り次ぐ事もしてはくれなかった。
恫喝しても何しても「面識のない平民の来るところではない」とりつく島もない。
かつての使用人は知らない物乞いでも見るかのような視線であしらう。
「おい、貴様! ただの門番風情が誰に口を聞いている! 立場を開きまえろ!!」
「おい、憲兵を呼べ!」
すぐに不審者を見る目で扱われる事に我慢がならない。
憤慨し今までの鬱憤も一緒に門番にぶつける。
思いっきり門番に殴りかかったがあっさり交わされた、蹴っ飛ばそうとすると肩を押されてクルッと体勢が崩れ反対を向いてしまったところを背後から尻を蹴っ飛ばされ転んでしまった。立ちあがろうにも手を切り落とされていて力が入らない、傷口はまだ痛い。
今まではこんな事なかったのだ!気に入らない使用人の躾は出来ていた、なのに何なのだ!屈辱で地面の砂を握りしめた。
「憲兵が来るまでいい機会ですから教えといてあげますよ。
手首を切り落とされた罪人が貴族に戻れたことは 過去に一度もない、一度もね。
それにあんたはとんでもない相手に手を出し王家を怒らせた、そしてあんたは監視されている。だからこの家の人間はもう二度とあんたと関わり合いになる事もない。
それと俺たちが殴れないことが不思議か?
俺たちはちっとも不思議じゃない、だっていつもわざとやられていたんだから! 下手に避けるとあんたが逆上して長くなるだろう? だから1発食らったらもう限界です、死にそうですって演技してたんだよ。それがあんたが喧嘩の天才でいられた現実、分かったらサッサとどっか行け!! 」
蹴っ飛ばされて追い出される。泣きながら不満を訴える、だがその声は誰にも届かなかった。
屋敷の中から馬車が出てきた。
窓から見えたのは……!!
「母上! 母上!! 母上!!」
馬車が止まった!ノーマンはやっと光明が見えた!
馬車の窓が開いた。
「母上! 助けてください! コイツらが私を馬鹿にするのです!!」
「お前は誰だ? お前に母上と呼ばれる謂れはない、二度と来るな。
憲兵は呼んだのか?」
苦々しく血の滲むなくなった手を見つめている。
「はい、先程。」
「そうか、不審者を家に入れることがないようにしっかりとな。」
「はい、承知致しました。」
「出しなさい。」
あんなにも優しかった母親はいなくなっていた。
幼少期から天才、神童ともてはやされ どこに行っても自慢の息子のノーマンを連れて歩いていた。
「羨ましいわぁ〜。」
そう言われるのが何よりの好物で、人々の賞賛を美容液のように降り注がせ婦人会の頂点に君臨し羨望の眼差しで賛辞を受けるのが、母の矜持。
小さい頃に一度成績が2番になった時に泣かれた……それ以来 母を失望させたことはなかった。あんなに愛を注いでくれた母が今は こんな姿の私を見ても同情の視線一つも寄越さず切り捨て蔑み他人のフリをした。
「母上! 母上! 母上!! 私を捨てるのですかー!!」
泣いても叫んでも何も変わらなかった。
絶望の中で打ちひしがれていると憲兵が来た。本当に憲兵が来たのだ。
私の存在は何だったのか……。
憲兵にはすぐに消えると言って1人になれるところを探した。
冷静に自分の行動を思い返してみると何故あんなにもテレーズに夢中になったのか…。
第1王子殿下の婚約者 レティシア・マルセーヌ公爵令嬢は テレーズが言ったような悪女ではなかった。王宮で全てを暴露したテレーズは女神ではなかった。何もかも根底が間違っていたのだ。
あの女テレーズは私の心を見透かすような事を言って惑わせた。それが甘言と気づかないとは…そんな女ごまんといたのに 何故テレーズだけが私の懐に入り特別になったのか。 確かに今の状況は自分が全て引き起こしたのだ。
レティシア様はとても真面目で尊敬すべき方だったのに……、学園にも来ていなかった。
あの時点であの女の嘘は分かっていたのに何故 踏みとどまれなかったのだ!?
影武者の存在を知らされた時に何故踏み込めなかったのか!!
何故、何故、何故!!
何故 影武者の存在を知っていたのか? 私はあの女に踊らされていたのか?
私はあの女に騙されてあの方を攫って殺してしまった!! 何と言う罪を犯してしまったのだ!! お許しください レティシア様、お許しください 竜神様!!
そのテレーズは牢の中にいた。
何でこんな事になったのか? 順調に攻略対象を落として言いなりになってくれたのに!
自慢の美貌は両頬に文字が刻まれ 見る影もなかった。
何故 順調だったスタンビーノ王子が突然 私の側を離れたのかしら?
王子が落ちていれば 予定通り断罪を出来ていて他の余計な手間が必要なかったのに!
最近よく聞く レティシアも転生者ってやつだったりして!?
いや、レティシアは王宮にずっと囚われていたらしいし、影武者が学園には来ていて私たちと全然関わりがなかった。こんなのストーリーになかった! どうなってんのよ!
カツカツカツカツ
足音はテレーズの牢の前で止まった。
「テレーズ、お前はこのままここで朽ちていくのか?」
「あなたは誰?」
「知る必要はない。質問しているのは私だ。」
「私にはどうしようもないじゃない! ここから出られない、出られたとしてもこの顔じゃもう、もう何も出来ないじゃない!!」
「お前の望みは何だ?」
「はあ? 出来もしない事聞かれても虚しくなるだけでしょう!
じゃあさー! この顔治してよ! それでここから出してよ!」
「それが叶ったらどうするのだ?」
「えっ? 別にー? スタンビーノ王子もノーマンもグレッグもアシュトンも もう誰も相手にしてくれないもの。どうにもならないわ。」
「そうか、では この話しはここまでだ。」
「待って! 待ってよ!!
すぐに帰らなくてもいいでしょ?
少しぐらい考えさせてよ!
でもでも外に出たら…何をしたらいいの? 金蔓もいなくなっちゃったし。
家にも帰れないし、どうやって生きていけばいいの?」
「自分では考えられないか? ならここでお別れだ。」
「待って! 後の事は後で考える! だから取り敢えず顔の傷を治してここから出して!!」
「浅はかだな。 パチン ほらこれで顔の傷が治った。 パチン これで牢の鍵が開いたぞ。
さてこれからどうする?」
「勿論 ここから今すぐ出るわ! 誰か知らないけど有難うー!」
カチャン
意気揚々とテレーズは元気に牢を出て行った。
「馬鹿が…。」
小さな呟きが暗闇に消えていった。
とうとうハネチャナが見れる海岸に来た。
太陽が形を崩しながら海と溶け合っていく、太陽が眩しい世界が黄金色に染まっている。
水平線に何かが跳ねた! ハネチャナだ! キラキラ輝いてとても綺麗だ。
一つ二つどんどんその数を増やしていく。
手をL字にしてフレームを作ると夕日と海とハネチャナがいっぱいに広がってなんとも幻想的だった。
遠くでキラキラしているハネチャナは縦横無尽に飛び回っている。
遠くで飛んでいる時はとても幻想的で確かに綺麗だった…綺麗だったけどどんどんハネチャナが近づいてくる!?
ん? なんだ? どこまで来るの?
「ぎゃーーーーーー!! 助けてーー!!」
ボン ぶつかって落ちたのを見たら露店で見た羽のついた魚だった!?
トンボの羽のデカイのが10枚くらいついてて、目がギョロついた三白眼 絶対に目があってるやつ。 あれ? よく見ると小さな歯もついてる。キラキラ見えたのは羽と鱗かー!
「うわぁーーーん、ビックリしたよー! 怖かったよぉー、人喰い魚? くぅー現実はこんなものかー! 綺麗なだけじゃない これがハネチャナの正体!?
シエルは知っていたの〜?」
綺麗なのは飛翔が始まって15分程度で、その後は 空中で互いに食いついて血が飛び散ったり、縦横無尽に飛び回るハネチャナだらけになって来て辺りを埋め尽くす。
漁師は待ってましたかと言うように、網で捕まえると逃げ出さないように魔法付与された箱に投げ入れ冷凍していく。
漁師があちこちで「いて!」と言っているのが聞こえる…怖いわよー!!!
涙目で聞くレティシアに『知ってた』とは言えず……、
「いえ、遠い国の事でしたので存じませんでした。」
ジト目でシエルを見ているけどシエルは涼しい顔をしている。
「これは教訓ね。」
「なんです?」
前世では 自分に有利な情報ばかり 宣伝の誇張が過ぎてあまりにも事実と違っていたら問題になるけど、こちらの世界では誇張するのが当たり前なのね。実際に見に行けないし、王族同士話をする時も自国の事だからってなんでも知っているわけでもないものね。
「ん? 情報は正しいかどうかは自分の目で見ないと分からないって話し!
よし、次は同じソトマウラ国の織物を見に行くために準備しよっか!」
「そうですね、今度は山の方になるのでしっかり今日は休みましょうね。」
「了解です!」