54、オルデバ公爵−2
イーザックは屋敷を見回した。
ここには自分が欲しかったものがある気がした。肩の力が抜けるとやっぱり涙が止まらなかった。そんなイーザックの肩をそっと抱きしめ、
「一緒に風呂でも入るか?」
イーザックは生まれて初めて聞いた言葉に目を丸くした。そんな様子の息子に目尻を下げ問答無用で抱き抱えて風呂場へ向かった。
貴族では親子がこんなに近い事も一緒に風呂に入る事もない。ましてや父の裸など見たこともない。衣服を脱ぎ捨てると父と共に浴槽の湯に浸かった。
どうして良いか分からず膝を抱えているとイーザックの手を掴み引き寄せた。バランスを崩して父の胸に倒れ込んだ。生まれて初めての体験かつ感触だった。
「お、お父様ぁぁぁ?」
「大きくなった…な。でもまだ腕の中にすっぽり入るくらい小さい。すまなかった、ずっと怖かったんだもんな。ずっと、ずっと我慢させて悪かった。」
「ふっく、ふっく う゛う゛ぅぅぅ」
「我慢しなくて良い…ここならお父様以外は誰も聞いていない。今まで溜まったものを吐き出してしまえ。」
イーザックは父親に縋りつき思いっきり泣いた。
我慢しなくて良いと聞いて思いを解放したら、もう止まらなかった。発作のようにただただ泣き続け声が枯れ喉がヒリヒリして、呼吸もままならず何度も咳き込んだ。
父パードックは優しく清めイーザックをそのままに体を拭き服を着せベッドの中に入り抱きしめたまま背中をさすった。その手の大きさと温かさに心底安らぎを感じた。
父と同じベッドに入るのも生まれて初めてだった。父の腕の中で泣き疲れて眠りそうになっていたが、ずっと頭の中をぐるぐる回っていた事を聞かずにはいられなかった。
「ねえ、お父様…反逆罪ってどう言う事ですか? 僕たちは罪人の子なのですか?」
「…………。 お茶会で聞いたのだね?」
「はい。お母様が僕との縁談を…その様々な方達に声を掛けていて 我が家とは関わり合いになりたくないのに…と、仰られていました。お母様とお祖母様が王家に叛意を持っている事を隠そうともしない…それが怖い そう仰られていました。
僕は、僕は本当の事が知りたいです。僕は罪人の子なのですか? 僕は周りの目が怖い、お母様が怖い、お祖母様が怖い、イザベラ殿下が怖い。」
「一人で抱えて辛かったな。
本当のところは正直分からない……隠しているわけではないよ? この話は5代も前のことで 本当に反逆行為を行っていればやはりそのままというわけにはいかなかっただろうし…都合の悪い真実とは隠されていると見つけることが難しかったりするからね。
ただね、お父様も気になって調べた事がある、そこからある推論を立てた。だけど事実かは分からない、だからイーザックにはお父様が知った事を教えてあげる。そしてイーザックも自分で調べると良い、そして自分なりの真実を見つけなさい。」
「はい。」
「この国では調べた500年以上昔から 王位を継ぐ者は妻はただ一人と定められている。
これはこの国の守り神である『竜神様』が妻を一人しか持たないためと言われている。」
「500年間!? 王様がお妃様を一人しか持たなかったのですか!? 他国では20人とか、100人とか書いてある本もありましたが!?」
「そうだね、20人も100人も妻を持つと言うことは権力の象徴だったり、欲であったりするのだろう。このヴァルモア王国では王様に子供ができず、それに代わる者がいない時などに側室として2人目のお妃様をお迎えした事が 500年間の中で2度あった、いずれの場合も王位を継ぐお子様が病でお亡くなりになり新たな子供を授かることが難しかった為に側室をお迎えになっていた。但し、王位を継ぐ者以外では複数の妻を持つ事はよくあった。寧ろ持っていない方のほうが少なかった。」
「どうして? あっ、どうしてですか? 同じ王族なのに 王様の方が偉いのですよね? どうして王様はダメで弟たちは良いのですか?」
「これは確かではないけど、『竜神様』との約束事は王位を継ぐ方にしか知らされないためと言われている。だから…500年以上前にはその約束を破って複数の妻を持った人もいたらしいのだが、その方達は約束を破ったからその後すぐに亡くなったと言われている。だから現在は王位につく方達は皆その約束を守っているそうだよ。」
「ジュードラス殿下は王弟だったから王様になれなかったのですか? お母様たちの話しでは扱き使われて最期は毒殺されたと言っていましたが それは本当なのですか?」
「ふぅ〜、難しいな。」
「どう言う意味ですか?」
「王家が隠している事だから事実はどこにも書かれてはいない。
これも事実だけを言うならば、当時のビューロス王は突然… ある日突然お亡くなりになった。31歳の若さで特に持病もなかった…、ご子息であられるメビュースロ王子殿下は当時6歳、今のイーザックと変わらない年齢で国政を執り行うのは難しい、そこでジュードラス王弟殿下が摂政となり政務を行なった。」
「ジュードラス王弟殿下は一生懸命お仕事したのに 殺されちゃったの?」
「………それは分からない。兄君のビューロス王も突然亡くなったからね。
イザベラ殿下はご存じなかったのだろうが……、お母様とお祖母様が目を伏せている事実がある。それは元々ジュードラス王弟殿下はメビュースロ王がご成人されるまでと言う事で摂政になられた事、それと…この時ジュードラス王弟殿下は既にご結婚されご息女がお生まれになっていた。」
「ご息女? 娘ってバネッサ様ではないのですか?」
「そうだ、ハミルトン侯爵家のカミーユ様とご結婚されていた。そして摂政を執られるようになると、カミーユ様をご側室とされ…ガーランド国の第3王女であられるイザベラ殿下を正室にお迎えになった。」
「それって…どういうことですか? あっ、王弟殿下だから妻を複数持っても良いからですか?」
「まあそうとも言えるが…、別の見方をすると 王位に就くのに妻の実家が弱いと感じられて強力な後ろ盾とするための他国の王女を娶ったとも言える。しかもイザベラ殿下は『王妃に』望まれたと仰られている…その意味する事は、王位簒奪を目論んでいたという事だ。」
「そ、そんな…、あっ! ハミルトン侯爵家…… リンクス公爵家、バーナード侯爵家とも関係がありますか?」
父は顔を顰めてから口を開いた。
「ジュードラス王弟殿下の元の本妻がハミルトン侯爵家、王弟殿下がお亡くなりになった後 カミーユ様はご実家のハミルトン侯爵家に戻られたのだ。そしてお子様であられるご息女はその後リンクス公爵家の次男に嫁がれたのだ。そしてバーナード侯爵家はカミーユ様の血を汲む方がいらっしゃると言う事だ。」
「だから、知らないとは言え あり得ない事と仰ったのか。僕はカミーユ様からすれば夫を奪った家の子供という事ですね。」
「……そうだ。」
「お父様は事実だけを照らし合わせてジュードラス王弟殿下は王位簒奪を目論んでいたと思われますか?」
「…そう思っている。」
「ジュードラス王弟殿下が一生懸命働いたと言うのは 事実ですか?」
「これは…民の作った新聞やビラなどと照らし合わせると、ジュードラス王弟殿下の摂政が長くなるほど国政は傾いて行った。国民のために何とかしようと試行錯誤した後は感じられた。だが…ジュードラス王弟殿下がその座に居続ける事を許さないかのように国は荒れて行った。そしてメビュースロ王がご成人され実権を握ると嘘のように次々と問題が解決され…ジュードラス王弟殿下は病に倒れた。人々はメビュースロ王の治世を喜んだ。」
「…………。『竜神様』のご意思がそこにあったという事ですか?」
「我々に事実は分からないが、そこにはご意思があったと思えてならない。」
「何故、竜神様は王家の直系第1子にしか王位を認めないのですか?」
「真意は分からないが、それがこのヴァルモア王国を作った時の王 トーマ王との約束だったからとか、このヴァルモア王国には秘密があってそれを守る為とか、『竜神様』の憑依する母体であるとか 憶測では様々あるが 実のところは分からない。王位を継ぐ者にしか知らされない秘匿となっている。
だが調べると王位を継いだのは第1子だけではなかったよ。当然王女しか生まれない事も 第2子の方が優秀だという事もあっただろう、体が弱い、病気でビューロス王の様に亡くなる場合も 子供ができない場合もある、その場合は稀に王弟が継いだことも王配を選んだ事もあったようだ。それからもっと昔には一時王位を奪われた事もあった…その時も王位を奪ったものは突然死し一族は滅亡した、殺された王族の血筋を探し出して王位につけたとあった。
だがどの場合もやむに止まれない状況で竜神様のご意志に従いとあった…つまりはそういう事なのだと思う。」
「ジュードラス王弟殿下は 竜神様のご意思に反して王位を狙った、という事なのですね。」
「ではどうしてイザベラ殿下はあれ程までに王家を恨んでおいでなのですか?」
「イザベラ殿下はこの国の方ではなかった為この国において竜神様を祀る本当の意味をご存じなかった事と、王妃になるべく嫁いだのに王妃にはなれず 望むものを手にできなかったからではないかな。」
「私はお母様とお祖母様の話しは少しおかしく感じるのにどうしてお二人は何の疑問も持たないのですか?」
「恐らくだがイーザックもそうだが、小さい頃からそれが正しいと聞いていたのでそれが正義だと思い込んでしまったからだよ。お父様やお祖父様は元はこの家の人間ではない。
だからこそ この家の異常性に気づく事が出来た、だけど……お母様やお祖母様は特に直接イザベラ様のお話を聞いていたので洗脳されてしまったのだろう。」
「洗脳って何ですか?」
「思想、思念を正しいと思い込ませる事、信じている者の言葉が全て正しいと思い込ませる事だよ、それが間違っていると別の人間が教えても洗脳が解けるまでは決して元には戻らないんだ。」
「洗脳されれば お母様やお祖母様が怖いと思わなくなるのかな……。」
「イーザック、怖いと思い事は今の君にとって悪い事ではない。このままでは自分の意思を無理やり曲げさせられる 危険だと教えてくれているのだから、だからこのままでいい。
他に知りたい事はあるかい?」
「僕はこれからどうしたらいいのでしょうか? 復讐する事だけを目的に生きたくないです。僕は竜神様が好きです。お母様とお祖母様の言う通りに生きるのは怖いです。」
「そうか、ではこれからの話をしよう。
お父様はこのままイーザックをあの家に置いていくのは危険だと思っている。幼い君がお母様やお祖母様の思想に そうさっき言ったように洗脳されて取り返しのつかない事をしでかしたら、と思うと怖くて仕方ない。
だからこのままここで暮らそう、どうだい?」
「お母様とお祖母様は怒らない?」
「多分怒って探すと思う。でも『王家に復讐』なんてものにイーザックを巻き込ませたくない。特に今まで女の子しか生まれなかったのに男の子が生まれたことでタガが外れてしまった可能性がある。イーザックが大きくなって自分で対処できるようになるまで隠れよう いいね?」
「はい、お父様は一緒にいてくださいますか?」
「ああ、一緒だ、だけど心配だから1週間に1度は向こうへ行って様子を見ることにするよ。イーザックにとっては大切なお母様とお祖母様だからね。」
「有難うございます お父様。あの…今日は一緒に寝ても構いませんか?」
「ああ、今日は色々あって疲れただろう? さあこうして抱きしめててあげるからゆっくり眠りなさい。」
「はい。うふふ お父様とこうして一緒に寝る事も初めてです。今日は沢山の初めてがありました。お父様の胸の中は…とても…安心…すぅ すぅ。」
パードックは胸の中の息子を撫でながら思案した。
お茶会や夜会に出れば嫌でも我が家の話を聞くことになる、公爵家の人間としても仕方のない事だ。いずれ公爵家を継ぐのであれば社交も重要な仕事である、しかもケイトランはイーザックに『王家に叛意を持つ者』との縁組に躍起になっている…私ですら社交界では一歩引かれていると言うのに、幼いイーザックには抗う術もないだろう。今回の事だってどれほど胸を痛めたことか、私も傍観してるだけではすまないのだな。何か手を打たねば…。
パードックは愛する息子のために打てる手を尽くし努力した。
6歳だった私はこのパードック・ハッシュ伯爵家で秘匿されながら決まった人間としか接触せず スクスクと育った。母と祖母に会えない事は寂しく思う事もあったが その分忙しい父が傍にいて愛してくれた。公爵邸では得られなかった平穏と愛をふんだんに与えてくれた。
帰りの遅い父をいつも起きて待っていた。 父の部屋のソファーの座ってひたすら待つ日々、イーザックも毎日家庭教師について貰い座学も剣術も習っていた、だから父が帰ってくる頃には疲れて眠ってしまうのだった。
イーザックはエルトラン・ハッシュと偽名を使い念の為 髪も金髪を紺色に染めていた……、どこでバレるか分からない慎重をきした。屋敷以外の者には極力癖を出さないように、話し方に注意するように気を張って疲れてしまうのだ。
疲れて一刻も早く休みたかったがどうしても父の顔を見てから寝たかった。父の顔を見て初めて今日も無事に済んだと安心するのだ。
だが気づけばベッドの中で眠っている、本来なら一人寂しく目覚めるところだが隣には父がいる。そう、あれ以来 僕の心を心配して眠った僕を僕の部屋に移動させるのではなく一緒に眠ってくださるのだ。その温もりがとても安心できて無意識に父に縋りついてしまう。すると朝には腕枕で目覚める。そう父は僕を抱きしめて寝るってくださる、それが嬉しくて父の横で目覚めることが楽しみになった。
僕はここハッシュ伯爵家に来てから幸せを感じる。
父上が犬を買って下さった。名前をラウルとつけアガシと共に庭を駆け回っている。
オルデバ公爵家では誰しも笑ってはならなかった。笑えばジュードラス殿下とイザベラ殿下に申し訳ないと言われて叱られる。だけどここでは僕が顔に泥をつけて駆け回っても 『坊っちゃまったら、泥がついています。ふふ。』とくだらない事でも笑ってくれる。
僕がお仕事から帰ってきたお父様に駆け寄ってしがみついても笑顔を見せてくれる。お父様も『仕方のない奴め』と笑ってくださる。あの家とは全く違うこの家が大好きだった。
だから僕はこの時間が永遠に続いて欲しいと思った、永遠に続くと疑いもしなかった。
それが15歳のある時、何もかもが変わってしまった。
この世で一番愛する父が狂ったのだ。




