53、オルデバ公爵−1
我が家には玄関のエントランス正面に巨大な肖像画がある。
美しい面差しのその人はいつもこちらを睨むようにじっと見下ろしている。
恨みがましく怒りを激らせ 『忘れるな、屈辱を奴らに倍にして返せ』そう訴えかけこちらを睨んでいるのだ。
物心つく頃にはこの肖像画が怖くて見るたびに泣いていた。その度に母は『情けない』と叱った…、だから扉が開かれエントランスを抜ける時 手をグーにして目をつぶって息を止めて通り抜けた。今度はそれを見られてからは、正面に立ち絵に向かってお辞儀をして挨拶する事を強要された。
次第にその絵が疎ましく思えた。心の中では『燃えてなくなればいいのに』そう願っていた。
この絵のせいか屋敷はいつも陰鬱な雰囲気に包まれ、笑顔など見せれば叱責された。
何かといえば『ジュードラス様とイザベラ様の恨みを我が代で返すのだ』繰り返される呪文、心底うんざりしていた。
初めてジュードラス殿下とイザベラ殿下の話を聞いたのは生まれて3日後の事だったと、後から乳母に聞いた。頭がおかしい この家の者は狂ってる。
5代前の王弟ジュードラス殿下、それとガーランド国の第3王女イザベラ殿下の悲劇の運命
ジュードラス殿下は早逝された兄君の代わりに幼いメビュースロ王の摂政となられ、馬車馬のように扱き使われメビュースロ王が成人すると薬を盛ってジュードラス殿下を亡きものにしようとした。12年間国に尽くしてきたのに 手柄は全てメビュースロ王のものとし、最期は人のいない離宮で寂しく亡くなられた。
イザベラ殿下もこの国の王妃になって欲しいと望まれ異国の地に渡ったというのに、約束は全て反故にされ、夫が身を粉にして得たものは『オルデバ公爵』と言う家名だけ。
この屈辱を忘れてはならない、いつの日にか ジュードラス殿下と私イザベラ殿下の血がこの国を支配した時、やっとジュードラス殿下の無念が晴らせるのだ、決してそれを忘れてはならない。何年経とうともこの思いを失ってはならないと刻め。
小さい時から繰り返し聞かされる怨念の塊の昔話に正直辟易としていた。
またこの話しか……。
しかもイザベラ殿下がお産みになったのは女児お一人、婿を取り生まれたのはやはり女児お一人、そして私の代で念願の男児が生まれた。
これは運命だ、お前が悲願を成就させるのだ!!
過剰なる母の期待、いい迷惑だった。
母は熱心にジュードラス殿下とイザベラ殿下の話をするが、父も祖父もうんざりした顔を影ではしていた。いつだったか父に
「お父様、僕は玄関のあの絵が怖い。」
そう言うと、膝をついて同じ目線に合わせてくれた父が優しく抱きしめながら小声で言った。
「実はお父様も怖いと思っている。でもお母様やお祖母様は小さい頃からあの話を聞かされて育ってきたからそれが正しいと思い込んでしまっているんだ。
だけど、この家ではあの話しは正しいことになっているから、お母様やお祖母様の前では分かりましたって言っておくのだよ。」
「どうして? 間違っているのに? 間違っているなら教えてあげればいいでしょう? 僕は繰り返される話しも聞き飽きたし、玄関のイザベラ殿下はいつも僕を睨んでいるみたいで怖くて仕方ない。大きくなったら僕はあの絵を外したいって……思ってるんだ。」
「そうか、怖いよな。お父様もここへ来た時 正直怖かった。
まだイーザックは5歳だものな。お父様があの絵を外してあげられなくてすまない。」
そう言った。
ますます僕は混乱した。
お父様も お母様とお祖母様はおかしいと思っているの? じゃあ何で誰も訂正しないの?何故この家ではそれが正しいの? 一体何が正しくて何が間違いなの?
僕が5歳になった時 スルタン侯爵家のお茶会に誘われた。初めてのお茶会にワクワクしていた。お庭でガーデンパーティー形式で子供たちが緊張しすぎないようにとの配慮がされていた。女の子たちもヒラヒラ ふわふわのドレスを纏い後ろについている侍女や侍従たちがよく耳打ちをしていた。僕と同じだ、僕の侍従はアガシ 公爵家の侍従として身なりもピシッとしていて格好良かった。
「ねえアガシ?」
「はい、イーザック様 如何致しましたか?」
「皆 とても楽しそうで明るいね。」
「左様でございますね。」
「僕の家とは大違いだ。ほら見てあの子もあの子も笑っているよ、笑っても誰も叱られない。」
「…………。」
初めてのお茶会で特に親しい者もいないので庭を散策していると植木の向こうで噂話をしているご婦人がいた。聞く気はなかったが話しが耳に入ってしまった。
「………ブツブツ。」
「えっ!?」
「私……オルデバ公爵夫人が怖いのです。」
今オルデバ公爵夫人って言った!? お母様の事??
「ご子息のイーザック様とうちのアメリアとの婚約をとの話しだったのですが……。」
「ああ、例のアレ…ね?」
「ええ、あの方 何かにつけて王家を悪く仰るでしょう?ご自分だって王家の血を引いているにも関わらず……何か含みがありそうで怖いの。」
「分かるわ、現在の王家をご支持されている方には当たりがきつくて、反対意見を言ったと聞けばすぐに声をかけてくる…何かあるとしか思えないわ。」
「しかも先日はバーナード侯爵夫人にも婚約をって声を掛けていたのよ! ご存じないのかしら…カミーユ様の血を汲む方だって…。」
「もしご存知で声を掛けているなら恥知らずだわ。」
「その通りね、オルデバ公爵夫人もそのお母様も 代々血筋には並々ならぬ誇りがお有りのようだから…ねえ?」
「知らないって 凄いわね。本来なら王家簒奪の反逆罪で処刑されるところを、当の本人が病床についていて イザベラ殿下がガーランド国の王女だから不問に付されたのに、表立って王家に楯突くだなんて理解できないわ。」
「しっ! それは一部の人間しか知らない事なのですから あまり大きな声で言っては…。」
「何言ってらっしゃるのよ! 当のオルデバ公爵夫人が訳の分からない妄想をあちこちで話すから事実が広まってしまったのよ!」
「そうなの?」
「勝手な妄想話をリンクス公爵家やバーナード侯爵家の前でも言い始めて ピシャリとやられた訳、それで広まってしまったのよ!」
「成る程ね〜、知らぬはオルデバ公爵家のみって事ね。」
「まあ、そう言う訳だからオルデバ公爵家とは距離を置いた方がいいわよ。」
「でも公爵家からでは断れないでしょう? だから今必死で他を探しているのよ!」
「お気の毒様、あっ! 確かセンドリュース侯爵家の次男の方がまだお決まりではなかったと思うわ。」
「あら、本当? 早速伺ってみるわ ごめんあそばせ。」
「私たちもいつ火の粉がかかるか分からないから…オルデバ公爵夫人が出席するものには注意が必要ね。」
「ええ、そうね。あー怖い。」
ガタガタとイーザックは震えていた。
「ね、ねえ? アガシ今のは本当? ねえ、あの肖像画の人はお母様やお祖母様に嘘をついてたの? 反逆罪って 処刑って どういう事!? うわぁぁぁぁぁん!!」
イーザックは家に帰ってからも布団を被りガタガタ震えながら泣いていた。
お父様は『この家では正しい事になってる』って言った、つまりお父様はお母様とお祖母様が間違っていると知っていると言うことだ。
本当の事が知りたい!真実が知りたい! えっぐえっぐ 怖い、怖い、怖い!
バタン!
「イーザック! 何をしているのです! 貴方はこのオルデバ公爵家の跡取りとしての自覚を持ちなさい! ベッドに潜り込んで泣くなどみっともない! 起きてやるべき事をなさい! 食べて寝て学ぶ、そして王家の弱みを握る それがあなたがなすべき事です。
さあ 起きなさい! 起きなさい! 起きなさい!!、あなたは忘れてはならないの!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! ヤダヤダ怖い!怖い! 助けてー! やだ!やりたくない! 嘘ばかりだー! もうやだー! 僕はそんな事したくないー!! 助けてー! 助けてー!! お父様―! お父様―!!」
「お黙りなさい!」
ビシッ! バシッ! ビシッ! ビシッ!
「そんな弱い心根でどうしますか! 男でしょう! 泣かずに立ち向かいなさい!!
他者に救いを求めずあなたがこの家を救うのです! バシッ! さあ、いらっしゃい!」
「やだー! やだー! 怖いよー! 助けてー!」
「やめないか! やめるんだケイトラン! 一体何をしているのだ!! その手を離しなさい! さあ、イーザックおいで。」
「お父様―! あ゛あ゛ぁぁぁぁ! ごわがっだよぉぉぉ。」
「あなたは余計な口を出さないでちょうだい。この子は強くならねばならないのです。
父の背中に隠れてなどいないでさっさとこちらへ出ていらっしゃい!」
「ヤダヤダヤダヤダ。」
必死で父パードックにしがみついている。
「この子は怯えている、君も冷静さを欠いている。一旦部屋に戻りなさい。私がイーザックに話を聞いてみるから、それでいいね。」
「何を言ってらっしゃるの? ダメに決まっているでしょう? この子はあなたと違って正しき血統を継いでいるの、堕落させるような事を仰らないで、さあ 渡してください。」
「いつまで妄執に囚われているんだ! 目の前の子供に目を向けなさい! イーザックの幸せは考えないのか!?」
「イーザックの幸せはヴァルモア王家からこのオルデバ家に王位を戻す事です。それだけです! それ以外は許しません!」
「狂ってる……。私は今まで黙ってきたが これ以上はイーザックがおかしくなってしまう、もう見て見ぬ振りはできない。私はイーザックを連れて家を出る。」
「あなたの役割は王家を潰す事なのに、イーザックまで連れて行くなんて何を考えているの!? 許す訳ないじゃない!!」
「君とはこれ以上話ができないな。アガシ! アガシ!!」
「はい、旦那様。」
「家を出る、イーザックの荷物を纏めてお前もついてきなさい。」
「はい、承知しました。」
「イーザックは私と一緒に来なさい ここはお母様がいて危険だから。」
「イーザックは渡さないわ!!」
「僕はお父様と一緒に行く! お母様は嘘つきだ! うちは反逆者だって! もうこんなところにいたくない!!」
「何を言ってるの! 許さない! 許さない!!」
イーザックに掴みかかってくるケイトランをパードックは腕で弾き飛ばした。壁にぶつかり意識を失ってズルズルと落ちていった。パードックは生死を確かめた。
「大丈夫、気を失っているだけだ。今のうちに行こう。」
「だ、旦那様! 私もついて行ってもいいですか?」
「私も一緒に行きたいです!」
「そうか、一緒に来たいものはついてきなさい。」
そうしてその日のうちにオルデバ公爵家を出て行ってしまった。向かった先はハッシュ伯爵邸。実はこの家はイザベラの娘 バネッサの夫であるユリシーズ・ボンドの家である。
ユリシーズはボンド侯爵家の次男だった。当初バネッサとの婚約話が上がった時、オルデバ公爵家には黒い噂があり 王弟ジュードラス殿下の最期は竜神様の呪い、逆鱗に触れたゆえと専らの噂だった…だから公爵家への婿入りだと言うのに誰もが敬遠した。反逆罪であればお家断絶の危機で自分は死罪、その罪がどこまで広がるか分からない、だから丁重に断っていたが、ボンド侯爵家は逃げ遅れたのだ。当時のボンド侯爵は人が良く断る事が苦手だったそこに漬け込まれて 断るに断れなかった。皆 押し付けるのに丁度良かったのだ。ボンド侯爵家が引き受けてくれれば 自分たちが助かると喜んだ。
人の良いボンド侯爵も流石に息子が心配だった。結婚し見るたびにやつれていく姿が忍びなかった。そこで持っていた伯爵位でこっそりオルデバ公爵家とは反対で目につきにくい場所にユリシーズ・ハッシュ伯爵の名義で屋敷を購入した。
「辛いのならそこでゆっくり休みなさい。」
とオルデバ公爵家にはバレないように屋敷を渡した。
(そして代々娘しか生まれないため、代々の婿たちがあの家から一時逃れるために別邸のハッシュ伯爵家を利用していた。)ユリシーズは日々やつれていく娘婿にそっとハッシュ伯爵邸を教え、名義を変更しつつ婿たちの心を守ってきた。そこへイーザックと使用人たちを連れてきたのだ。屋敷に中は滅多に使っていない埃の被った屋敷かと思いきや掃除も行き届き清潔で生活感があった。何とこの屋敷専用に使用人も雇われていた。
オルデバ公爵家に比べれば小さいが十分な広さの屋敷で連れてきた使用人たちは問題なく過ごす事ができた。
イーザックを含めここへ来た全員が屋敷の温かさに驚いた。
オルデバ公爵家はイザベラが睨みつけるような肖像画での出迎えで、来た者を萎縮させていたが ここは温かく向かい入れてくれる雰囲気が強張った心と体に沁みた。自然と涙が出てきた。
イーザックはあの家から解放された気がして心の底から安堵していた。




