49、アリアン そしてカルロ
「ねえ、何で逃げるの?」
「……怖いからです。」
「怖い? 私が? 何でよ!こんなに可愛いのに!」
「店をじっと見ててニタニタ笑ったりしててパンが欲しいわけでもないみたいだし、変質者かと思いました。」
「ちょっと失礼なんですけど! 探してた店を見つけて嬉しかったのよ!
じゃあ誤解も解けたわよね? ねえ、あなた頭いいの? 特待生試験受けるの?」
「何故そんな事あなたに答えなければいけないんですか? だいたい誰ですか? 離してください、いい加減にしないと憲兵を呼びますよ?」
「はぁ? 私が何したって言うのよ! 私はテレーズ これでいいでしょ! それにちゃんと聞かないと後で苦労しても知らないんだからね!」
「ちょっと何言っているのか分かりません。もう2度とここへは来ないでください、私に会いにも来ないでください。失礼します。」
「そんな事言って後悔しない? 私の言う通りやれば高位貴族から気に入られて女性初の大臣だって夢じゃないんだから!!」
「…その前にあなたと関わりがあると知られたら私の人生は終わりです。犯罪者と取引なんてしません。いいですね、2度と会いに来ないでください。」
「どう言う意味よ!」
「はっ?頭が悪いんですね。テレーズってあの竜妃レティシア様を殺害しようとした罪で裁かれた罪人でしょう? 成績優秀者だってあなたと裏で繋がっていたと知られたら何もかもパーです。 もう本当に絶対 来ないでくださいね!!」
「ちょ…ちょっと、何で知って?」
「はぁ? 有名だし! 『毒婦テレーズの真実』って本はベストセラーにまでなってる。この国でテレーズは悪魔のような女として有名です。少しは勉強した方がいいですよ、学園時代も成績が悪かったって書いてありましたけど…本当だったんですね。」
「はぁーーーーー!! 誰よ!そんな本書いて出版したのは!! 訴えてやるんだから!」
「『毒婦テレーズの真実』は今や教本にもなっているって話ですよ、こんな愚かな人間になるなって…無知って怖い。因みに著者はヘルメン・ヨーク氏です。もう、本当帰って欲しい。」
「ん? ちょっと待ってよ! ヘルメン・ヨークですって!? その人って言えば…そうよ!『ライラック姫の真心と純愛』の著者よね? 私があなたに紹介したい本よ?」
「そんな本は存在していません。」
「何言ってるのよ! 主人公テルースが悪役令嬢レリアンから真心と真実の愛でスチュワート王子をお救いして、スチュワート王子はテルースをただの男爵令嬢からついには王妃へと導き愛し抜く王道ラブストーリーよね?
名前が微妙に違うけど誰もが私とスタンビーノ王子の事と知ってて、大ベストセラーの大ヒット作品じゃない! 何で知らないのよー!!」
「はぁーーー、本当に馬鹿なんだ。
ねえテレーズさん…あなたは殺人罪で裁かれた罪人で国民からは嫌われている なのに誰があんたと王子の作品なんか書くと思うの? そんなの売れるわけないじゃない! 下手したら反逆罪で捕まるわ、それが分かっててヘルメン・ヨーク氏が書くわけないでしょ!!
もう、本当にいい加減にして! 憲兵呼ぶからね!!」
アリアンはテレーズを置き去りにして帰ってしまった。
えっ!? どう言う事!? 『ライラック姫の真心と純愛』が出版されてない!?
嘘よ………だって、だって! アレが出版されていなかったら シリーズ2の物語りはどうなるのよーーー!!!
物語が……だって、だってこの世界は乙女ゲームの中でしょ? どうして?
あっ? アリアンの店の名前……何で違っているの? お義母様はどうして妊娠していたの? お母さんはどこに行ったの? 攻略者たちはどうして急に私に冷たくなったの?
悪役令嬢レティシアはどうして虐めてこなかったの? ……そもそもヒロインテレーズは虐められず世間ではヒロインテレーズが極悪人? 『革命』?いやでも…攻略者の好感度を上げられなかった場合ポジションチェンジを行えるタイミングがある でもでもノーマン、グレッグ、アシュトンは落ちてくれたわ! だから『革命』ではないはず。じゃあ何が起きて変化が起きたって言うの?
ねえ、この世界は乙女ゲーム ライラック姫の初恋なのよね?
混乱の中にいたテレーズはその場から動けないでいた。
僕の名前はカルロ・ビルマン 子爵家の3男 田舎の貧乏子爵の3男なんて誰の興味も引かない空気みたいな存在。
家では貴族とは名前ばかりで家族総出で生きるために農業をしていた。
朝日と共に皆で畑に出て働く。家の敷地の裏側では家庭菜園が行われている。ここで育つ作物の如何で冬場食い凌げるかが決まる。予定より少し多めに収穫できれば器具の手入れに使ったり布を買って解れた服の補修に使われる。基本的には360日農作業をしているからつぎはぎだらけの服を着て1年中過ごしている。
両親も貧乏なんだから3人も男ばかり作らなくても……、昔愚痴って言ったら、『雪が積もって外にも出られなかったから』って言われた。はぁ、つまり僕は両親の暇潰しにできた子供って事だ。
田舎のこんな領地もない狭い屋敷と畑だけが財産の全てみたいな家には、嫁取りも楽ではない。長男はまあ似た貧乏人の嫁が来るかもしれないけど、貧乏人の次男、三男なんてなると見向きもされない。
体格は…無駄にいい。小さい頃から畑で鍛えた上腕二頭筋に大胸筋 広背筋に僧帽筋などは立派なもので浅黒く日焼けした体は都会に出れば騎士かと思われるほど見事な体躯だ。
顔は……まあ普通、目がついてて眉毛に鼻 ・・・うん 普通だと思いたい。
性格は……引っ込み思案、と言うか朝から晩まで農作業しかしてなかったし、お茶会や夜会になんて行く余裕はない。知り合いとは普通に話せるが、貴族っぽい気取った話なんて出来ない。まあ必要もなかったし、僕の周りは農作業をする人が多かったから…平民と同じような生活をしていた。
僕が住んでいる領はハロルド・セガード伯爵の領地だ、領地は田舎という事もあってセガード伯爵の管理する農地のお手伝いをして得る給金も大事な収入源だ。セガード伯爵はお優しい方なので無理難題を押し付けられる事もない、僕は貧乏だけどこの1日を労働に費やし平和な日常に平穏を感じていた。
だけど小さい頃はそれでも良かったけど 大きくなるとそうも言ってられない。
長男が嫁を取ればいずれ家を出ていかなければなる、広い屋敷で金持ちだったら穀潰しも出来るが我が家は生憎そうではない、出来れば自分の生計を立て結婚するまでは家に仕送りするほどの金を稼ぐ事が最良だ。
そんな時セガード伯爵に声をかけて頂いた。
「カルロ 将来について考えているかい?」
「はい…出来れば家に仕送りできる仕事に就ければと思っています。」
「そうか、具体的にはなりたい職業などはあるかい?」
「いえ、僕は凡庸な人間ですから 決まった就きたい職種はございません。ただ安定した仕事であることが望ましいと考えています。」
「成る程ね、カルロはまだまだ成長期だから分からないけど良かったら我が家で一緒に剣術も習ってみるかい? 兵士や騎士であればキチンと技能を身につければ仕事につきやすいかもしれないよ? ここであれば 北の駐屯地もあるしね、どうだい?」
「はい、是非にともお願いしたいのですが…我が家には習う資金がありません。」
肩を落とすと、セガード伯爵は快活に笑った。
「カルロはしっかりした子だね! うん お金の事は気にしなくていい、我が家に来ている指導者にうちの子供たちと一緒に習うからついでみたいなもんだ。では一緒にやるって事でいいね?」
「はい、よろしくお願いいたします。」
頭を下げると
「気にしなくていい、日時などスケジュールなどは追って連絡する。」
「はい!」
この時10歳、勉強に家の手伝いに剣術は 忙しかったが剣術をただで習えるのは正直嬉しかった。セガード伯爵も仰っていたが、兵士や騎士は食い扶持に困らない。だが、もちろん試験もあるし危険もある それに何と言っても僕みたいな人間がちょっと剣を持っただけでは兵士にもなれない、食うに困らないと分かっていても指導者をつけられるほど金に余裕がない、だから兵士を目指したくても自己投資ができなかったのだ。それがセガード伯爵は あまり僕が気を遣わないような形でその道を作ってくださった。伯爵のご子息は僕よりずっと年上なのだから…、でも僕は強かにその申し出を受け習う道を選んだ。その分伯爵のお手伝いは精一杯頑張った。そして伯爵のご子息の教本もタダで頂いた、それも本当に有難かった…僕は寝る間を削って勉強も頑張った。剣術も畑仕事を頑張っていたせいか体幹をすごく褒められた、順調に上達した。
両親は貧しいながらも兄弟をそれぞれ貴族学園に入れてくれた。本来なら家を継げない次男や三男は学費も高いので、良くて平民の学校もどきに通えるかもしくは農夫として成長しどこかの家に住み込みで働きに行くかだが、両親は『学問は生きて行くのに身につけておけば邪魔にならないどころか身を助けてくれるものになる』そう言って送り出してくれた。
正直、長男が学園へ行き、次男が行って家の手伝いをする人間が自分1人になったときは貴族学園を恨んだが何とか踏ん張った、丁度僕の入学と長男の卒業で何とかなった。作物の日々の管理も大変だが、実った作物はものによっては同じ時期に一気に収穫になったりするので、この面積を1人でやるのはしんどかった。だが、やらなければ冬が越せなくなるし学園の費用も困窮する 弱音は吐けなかった。
いよいよ学園に入学する頃には立派な体格になっていた。
ヴァルモア王国の国にはこんなにも同じ年の貴族がいたのかと慄いた。
そして生活用品で長男のお下がりで足りないものを王都の街へ買いに行った時は 人の多さと煌びやかさに腰が抜けるかと思った。田舎と違って男も女も綺麗でいい匂いがして口を開けて魅入ってしまった。それから物が高くて驚いた、故郷であれば銅貨3枚くらいで済むものが12枚って言われた時は田舎者だからぼったくるのか!と憤ったが 皆その価格で普通に買い物してて危うく恥をかくところだった。僕が買い求めたいものを既に購入してぶら下げている人間がいて右方向から来た。不思議に思いフラフラと来たであろう方向に足を伸ばすと裏通りにも店がびっしり並んでいた。なるほど表の通りは所謂 金持ち用の店で こう言った裏通りは俺たちみたいな人間が買う店があるのか…。今度は銅貨8枚だった…それでも高い。僕は次男に相談する事にした、後日 次男から細かく店を教えてもらった。やはり銅貨8枚の店より安いところがあった、そこでは銅貨5枚。まあ故郷よりは高いが こんなものかと相場を教えてもらったり、よく使うであろう店も教えてもらった。それからよく使う品は纏めて学園でも購入できると知った。普通の貴族…ぶっちゃけ僕たちみたいな貧乏人以外はそんな購入の仕方はしないらしいが やりくりは小さい頃から染みついた生きるための大切な技能!と割り切って学園で購入できるものはリストアップして積極的に活用した。 そうしているうちに購入早見表が出来上がった。例えばノート5冊 学園購入 銅貨3枚 下着 A店 銅貨5枚 日用品B店 石鹸3個銅貨1枚など。
そして偶に外出すると価格に変動があったり 更に安い店を見つけると更新させていった。
こうして始まった学園生活だったが、僕の成績も剣術の腕も学園の中では 中の中 至って平凡な成績だった。あんなにも一生懸命頑張ったのに……夢に描いていた学園生活は井の中の蛙どころかただどこにでもいる平凡な 特出すべき点のない 誰の印象にも残らない田舎の貧乏貴族でしかなかった。立派な体躯も 学園の中には騎士を目指して小さな頃から訓練している者も多くガタイの良い男も沢山いた カルロの引き締まった体は特別でも何でもなく、気付けば目立たない男は誰にも気付いてもらえない普通の男だった。
どこの派閥にも所属せず お茶会や夜会での交流もなく 親類縁者に強力なコネがあるわけでもなく 両親も懇意にしている貴族もいない 社交的な性格でもない 金もない 何か得意な事があるわけでもない 知り合いもいない 無い無い尽くし…… 誰の記憶にも残らない空気のような存在。勿論 学園で授業にパートナーを組んでそれなりに話す人間もいた。だけどそれだけ、次の授業で同じ奴を探すと別の奴と組んでた。カルロではなければならない理由がない、だからまた誰かを探す。
故郷では少なくても必要とされていた、自分がそこに存在する理由もあった、『カルロ』と名前で呼ばれ『カルロはいつも偉いな』『何事にも一生懸命でカルロは素晴らしい』『カルロは優秀だ』『カルロは頼りになる』『カルロ 悪いがこっちも手伝ってくれ』『カルロ お前がいてくれて助かったよ』
ここには『カルロ』を必要としてくれる人間はいなかった。
都会に出てきて孤独に苛まれた。多種多様な人が多く雑踏の中だからこそ自分だけが異質に感じて閉じこもるようになっていった。だが、セガード伯爵の期待を裏切るわけにはいかない…学園の授業は休まずに通っていた。
そんなある日 空気のような存在の僕に話しかける存在があった。
「ねえ あなた大丈夫? 顔色が悪いわよ。」
ここ最近 地面ばかり見ていた僕が地面以外のものに目を留めた、僕の顔を覗き込んでくる女……。ピンクの柔らかそうな髪に大きなくりくりの薄い紫の瞳 自然と耳に残る優しい声に甘い香り…。自分とは違う人種。
虚な瞳で見返せば、彼女が誰かに声をかけた。
「グレッグ! この人すごく体調が悪そうなの 助けてあげて!」
「ああ? おぅ、おい大丈夫か?」
目に映るもう1人の人物……ああ、この男は 騎士どころか近衛騎士にも近い将来なるだろうと言われてる……グレッグ・ハーマンだ。僕とは違う人種。
「いえ 別にどうもありません、ご心配頂き有難うございます。失礼致します。」
「そうか……テレーズ この者は大丈夫だと言っている。」
「そうなの? あなたには今誰かの助けが必要に見えるわ? それでもあなたが必要ないと言うならそれでもいいわ、あなたが必要な時いつでも声を掛けてね?」
「有難うございます。」
この女はテレーズと言うのか……ああ、周りが騒いでいる女神か。
どの道 僕とは住む世界が違う人種 僕には関係ない。
だけど彼女は僕を見かけるたびに話しかけた。
「あっ、あなた今日も顔色が悪いわ。」
「あっ、今日は少し顔色がいいわ。」
「ねえ、あなた名前は何て言うの?」
「カルロ! うん、元気そうね。」
「カルロ! おはよう。」
「カルロ! またね。」
この学園で唯一僕の名前を呼んでくれる人。
いつの間にか僕の心の1番奥深くに入り込んだ侵略者。
僕は彼女に犯されるこの何とも言えない感情がまだ何か知らない。




