32、転機
自慢の息子ノーマン・スタリオンが社交界で死んだ日、私はまだ自分の人生はもう一度輝き を取り戻し 社交界で再び輝き輪の中に戻れると信じていた。
自分は天才だから自分ほどの逸材であればどこに行っても歓迎され最高の結果を出すと思っていた。
だけど結果は何も出来なかった。
最初はあまり売れていない店を立て直して才能を見せつけるつもりだったが、結局は金がなければ何も出来ないと悟るだけだった。
次にまあまあ金がありそうな商店に声をかけて返り咲く事を夢みたが、金持ちになれるっていうのに全然乗り気じゃない…。 特別に目立つ事は敵に狙われる事だと言う。
商売がうまくいって儲けるとどこからともなく貴族がやって来て目をつけられ上前を撥ねられる、そして厄介ごとを持ち込まれる。生きてきて分かった事は 平和に長生きする為には目立たず程々でいる事。欲をかくと碌な事にはならないと身に染みていると 取り合ってくれない。そこで 金が好きそうな商店に売り込みに行くとアイデアだけをライバルに売って金儲けしていた。コイツらはすぐに金になることの方が大事だった、後でなんてタイミング次第では泥を被る事もある、遠くの大金より目の前の着実な金だと言う。
何もかも上手くいかない。
でも気づいた事もある、ノーマン・スタリオンは死んだのだ。
もうこの名前を口には出来ないのだ……いつまでも未練がましく大切にしていてもなんの役にも立たない。…名前を捨てる決意をした。今これよりノーマン・スタリオンを捨てノラとして生きる そう決めた。
もう貴族でもなんでもない、宰相候補 優秀なノーマンではないのだから、生きる為に何でもしなければならない。
生まれ変わったノラは日雇いの力仕事をし始めた。
正直 高位貴族で頭ばかり使って生きてきたノーマンには辛く苦しいものだったが、生きたいか?死にたいか? その究極の選択に答えは生き抜いてみせる! その一択だった。
だから体が痛くて悲鳴を上げていたが歯を食いしばって頭ではなく体を動かして金を稼ぎ汚い宿舎で寝泊まりして1日を生きるために金を稼いだ。
その内 用心棒の仕事も偶に入った。ここに頼んでくる程度になった、 人相の悪い奴らが用心棒していると見せつければ大抵の者は近づかない 割と楽な仕事。その上 ノーマンは貴族の嗜みとして剣に覚えもあった、案外 重宝される様になった。
今は 以前の様な のし上がってやると言う野心は無くなっていた。
いや、失ったと言うべきか…、あまりギラギラさせているとすぐにどこかしら目をつけられるのだ、長く生きる為には目立たない事が1番だと身をもって知った。あの商人たちは間違っていなかった、弱い立場の人間はそうしないと生き残れないのだ。
日々与えられる仕事をこなし あまり人とも接しなかった。
昔のことを思い返す時間が増えた。
何故 あんなにもレティシア様の事が憎く感じたのだろうか?
考えれば考えるほど不思議でならなかった。
何故 テレーズの言葉を鵜呑みにしたんだろう?
スタンビーノ王子殿下が話を聞いてくれなくなってからのテレーズに対するレティシア様の嫌がらせは自作自演だと知っていたのに。テレーズが断罪の場で悪役令嬢が仕事をしなかったから自作自演するハメになったと言っていた、そもそも全くの事実無根か… 私にしてもグレッグはともかくアシュトンも何故 テレーズの思い通りに動いてしまったのだろうか?あの時はそうしなければならないとなぜだか強く思った。
彼女 テレーズは他人の気持ちに寄り添う事が上手であった。
それともう一つ 私はあの時テレーズに好意を持っていた…それなのにスタンビーノ王子殿下とくっつけようと躍起になっていた。これも不可解だ…何故 自分のものにしようとするのではなく王子とテレーズが上手く行く事にあんなにも夢中になっていたのか?
どう考えてもテレーズからの思考の誘導があったとしか思えない。
だがそう考えると何故王子殿下は あんなにもアタックされていたのにテレーズに落ちなかったのだろうか…?
堂々巡りだった。
考えてもどうにもならない…でも考える事をやめてしまったら自分が消えてしまう。
断罪の場で何度も床に叩きつけられた恐怖…死を覚悟した瞬間が何度もあった。
冷静になると無実のレティシア様に対する非道な行い 自分で自分が恐ろしくなった。国外に連れて行って崖から落として殺すなど 考えただけでも恐ろしくなる…自分が本当に考えた事なのだろうか? 『レティシアはどの道死ぬ運命』誰かが囁いた。あんな胡散臭い奴らに金を払って女性を殺す事を計画したのは確かに私だ。だけどテレーズのせいにしてしまいたかった、自分がそんなにも愚かで恐ろしい人間だとは思いたくなかった。今は自分という人間が一番恐ろしい。
あの事を口にしようとしても出来ない。私が一生抱えていく罪。誰かに許して欲しい!
そんな時 レティシア様が生きていたと知った。
最初は戸惑った、崖から落として殺した人物は影武者!? いや違う事実だとあの場確認した、嘘ではないと痛いほど理解したではないか。
そして思い至った… 人ならざるものの介入。
レティシア様は『竜妃』 きっとただの称号などではないのだろう、そして竜妃とは竜の妃 この国の守り神『竜神様』の妃と言う意味、御伽噺などではなかったのだな……。
正に神の逆鱗に触れたのだ。一命を取り留めたとしてもレティシア様に手を出した事が赦し難かったのだ。
生きる選択をしたノーマンはひっそりと罪を胸に生きていた。
いつもの様に用心棒の仕事が入った。
「ノラ 今日は5人で輸入品を運ぶ仕事だ。」
「はい。」
「今日は何だか 嫌な予感がするから気をつけろよ。」
「嫌な予感って 何ですか?」
「んーー、今回 費用ケチって俺たちに頼んだみたいだが、結構な代物みたいでな…。
ヤバいもんや値がはるもんなら人増やした方がイイとは言ったんだが、人数増やしたら中身を知らせる事になるからイイって言ってな。何も起きないといいんだが……。」
「…………。」
嫌な予感ってヤツは大抵当たるように出来てる。
こっちは5人で大して役に立つヤツもいない。
向こうは20人でやって来た。その人数を見た瞬間4人逃げてった。
おい、待って これって俺1人で20人 相手にすんの? 勘弁してよ。
俺も逃げたい逃げていい? 何運んでんだよ! くそっ!!
3人くらい倒して あー、もうコレ無理だって俺も逃げた。
はー、ついてない。
速攻で宿舎に行って今まで稼いだ金持ってトンズラ。
さて次はどこ行くかな? もう、輝く未来なんて夢見てない。
あー、もういっそ他国へ行くか?
はーーーー。
そう思っていると、恐ろしく綺麗な顔の男が目の前に立っていた。
「なっ!?」
全然気づかなかった。
「誰だ、お前?」
「無駄だから止めておけ。密偵になる気はあるか? あるなら使ってやる。」
傲慢にも思える言葉なのに救いの言葉に聞こえた。頭で考えるより先に返事をしていた。
「はい。」
その綺麗な男は私を密偵として使うと言いながら鋭い視線は 決して私の能力を買っている訳でも 信頼しているわけでもない。だが私はいつの間にか恭順の意を示していた。ついて行きたい 側にいさせて欲しい そう思わせた。こんな事は初めてだった。
出会ったばかりの人間を完全に信用するなど! しかも向こうはこっちを信用していない。
それでも第六感でこの人を失ってはいけないと思わせた。
山小屋で密偵の特訓をさせられた。
これから私に何をさせるつもりなんだろう? これ以上悪に手を染めるのは…いや今はこの人についていくしかない。私にできることなど何もないのだから…生きるためにこの方が必要なのだ。
質問をしてもいいのだろうか? 何故私に声をかけて下さったのですか? 聞いてみたい。
……何も聞けなかった、余計な事を言って見捨てられたくなかったから。
この方は他の誰でもない私に声を掛けてくれたのだから。それだけは事実だから。
本当はずっと寂しかった…必要とされない自分が無意味に感じて虚無感に苛まれた。何度も何度も生きるべきか死ぬべきか自分に問い続けた。死んだ方が楽と頭の片隅では答えが出ていたが、必死に言い訳を探した。 あそこの角から出てくるのが男なら『生きる』女なら『死ぬ』……男だった、ここは女など滅多に通らないと知っていて自分に問うたのだ。そして自分がこうなった今も生きたいと願っている自分に落胆し期待する。私は生きたいのだ! 生きる場所が欲しい! だから今は差し伸べてくれたこの手に縋ってしまう、神でも悪魔でも構わない どこまでもついて行きたい。
グレッグはテレーズが来た後 不安で仕方なかった。
テレーズに『騎士様みたい』『有難う騎士様』と言われると気分が良かった。
テレーズの騎士になったつもりで彼女を守りたい気持ちが強くなり、彼女を害する存在を許せなくなった。テレーズの話を鵜呑みにして レティシア様を害してしまった。
父に言われた言葉が重くのしかかる……。
『お前の目で見て判断したことだったのか? 無実の少女に寄ってたかって危害を加えたお前に騎士道があると言えるのか? 殺害など…騎士どころかならず者と同じだ。』
私はテレーズのどこに惹かれ あれ程盲信していたのか……。
夢である騎士の道を絶たれ、貴族籍を奪われ、家族を失い、信頼を失い、友人を失い、今の自分には何も残っていなかった。しかしこれが自分の犯した罪の重さ 人を殺した重さなのだと猛省していた…。何も残っていなくても自分はこうして生きていられるのだから、と。
それがレティシア様がご無事でご結婚なさると聞いた時は有難くて涙が出た。
自分の手でこの手で無実の人を殺してはいないと知れて あの日から初めてぐっすり眠れた。生きるためにできる事は剣を握る事…結局はそれしか出来ないから 一般兵に志願し毎日剣を振っていたが自信が持てなかった。『人殺し』ではないと知りやっと 剣の道に邁進できると思った。
『人殺し』の足枷は日々重くのしかかっていた…人殺しではなかった事で心が軽くなった、レティシア様が生きていてくださることが本当に有難たかった。
それがあの日不安が頭をもたげた、やっと人生をやり直せると思った矢先にテレーズが現れた。
『レティシアが生きているなら何の為に私たちは平民に落とされたの? この処罰は不当だと一緒に訴えに行こう!』
そう言い出した。
勘弁してくれ!!
馬鹿なのか!? 筆頭公爵令嬢であり竜妃であるレティシア様に不敬を働いたのは紛れもない事実だ、それに誘拐事件も未遂ではない あれは間違いなく起こった殺人事件…人ならざるものがお命をお救いしたに過ぎないのに自分の罪を丸っと忘れて責任転嫁するその神経に慄いた。
またこの女と関わればもっと酷い目に遭う。
全てはこの女と関わった事が敗因だったのだ、2度と関わってはいけない。
ここは知られている…またここへ来たらどうしたいいのだ!?
その晩 考えに考えて荷物をまとめ 折角就いた一般兵を辞めて宿舎を出て行った。
どこかにあてがある訳ではない…だけど一刻も早くここから立ち去りテレーズとの関わりを断ちたかった。
『ここからではかなり遠い地だが、あの女が来れないと言う意味ではいいかも知れない…よし 東の砦を目指そう…。』
そう思って歩いていると突然目の前に綺麗な男が立っていた。
全く気配を感じなかった!
慌てて距離を取ろうとしたが 全く隙もないその綺麗な男に射すくめられて格の違いを感じた。これは何をしても無駄だと理解した。殺気だけでも人が殺せそうだ……。
「私を殺すのであれば、理由を聞いてもいいか?」
「……………、密偵になるなら私が使ってやる。」
「決定事項なのだな? ……ふぅ、承知した。ただ無実の者を殺したくはない。それだけはしたくないのだ。」
「馬鹿な事を言っている。主の為に必要であれば人も殺す、それだけだ。
お前は騎士を目指していたのだろう? 的外れだな。
仕える人間! 時代! 立場! そんなもので正義とは変わるのだ! 善悪を説きたいなら聖職者になれ! 甘いこと言ってんじゃない! 主のための正義を通す ただそれだけだ! それでやるのか!やらないのか! ハッキリしろ!!」
綺麗な顔をした男は酷く冷たい視線でグレッグを嗜めた。
男の言うことは尤もなことだった。
騎士であっても国のために人殺しもする…馬鹿な 甘いことを言ったものだ。
「すみませんでした。貴方が私の主になるのですか? それとも別にいらっしゃるのですか?」
「お前に声をかけたのは意図があってのことだ、だけどその方の名をまだ教えるわけにはいかない。合格ラインに立てて初めて教えるか考える。」
グレッグは早くこの地を離れたい、だが兵として生きて行く道も捨て難かった。
密偵、暗殺者になって仕舞えばもう2度と日の当たる世界には戻れない気がして踏み切れなかった。
「それでは私はもう行く事にする。縁がなかったようだ。」
「あっ! 待ってください! 私は仕事に誇りを持ちたいのです。暗殺者では…レティシア様に対する行いをいつか忘れてしまいそうで怖いのです。いつか痛みを感じる事もなく人を傷つける そんな自分がとてつもなく怖いのです。だから………。」
「はぁーーー、誰が貴様に人殺ししろと言った?
あ゛あ゛―! 私は密偵と言いました。他国に調べたい事があって潜入するだけです。でも自分の身は自分で守ってもらわないと困るんです、その際は剣で応戦していただくしかありません。それでも他人に剣を振る事が怖いと言うなら 貴方は適任ではない やめて頂いて結構です。」
「え? ああ、そうか密偵は殺し屋じゃなくて情報屋か……。
私はこの通り 然程 頭が回る方ではない そんな私でも務まるだろうか?」
「それを私に聞きますか!? 呆れる…あの娘はこんな愚鈍な者など放っておけばいいのに。」
「あの娘…ですか?」
「そうです、あなたが言うレティシア様です。『優秀な方達が腐って行くのは勿体ない』と仰られて…温情をかける必要はないと申し上げましたが、『私もこの通り元気になったのだし、彼らが培って来たもので輝ける場があればいいのに』そう仰られるので仕方なく私が面倒を見てみると申し上げたのだ! だが、私も使えない者の面倒まではみきれない お前とはここまでだ!」
「レティシア様!!」
跪き騎士の礼をとり
「私 グレッグ・ハーマンは身命を賭してレティシア様に生涯を捧げることをお誓い申し上げます!」
納得すれば単純だが実直な男だ、心からの忠誠をその場で誓った。
まあ、これも全て想定通りだ。レティシアの名を明かすも明かさぬも 全ては計画のための通過儀礼、せいぜい頑張ってもらおう。綺麗な男はほくそ笑んでいた。




