30、リアーナ
自分が何故レティシアとして扱われるか知ったリアーナは 家族を思うと食欲もなく思い悩んだ。だが それとは裏腹に今の状況を気持ち良く思う自分もいた。
「レティシア様 食欲がないのですか? 医官をお呼びいたしますか?」
「レティシア様がお好きな パナプの水菓子であれば召し上がられますか?」
「レティシア様 気分転換にドレスでもお作りになりますか?」
「レティシア様がお好きな 巷で人気の小説を取り寄せました、お読みになりますか?」
「レティシア様 体をお揉みしましょうか?」
「レティシア様 何か必要な物はございますか?」
『レティシア様』『レティシア様』『レティシア様』
自分の引き起こした事件によって両親と姉を爵位なしの平民に落としてしまった…母は侯爵家出身の人間だ、根っからのお嬢様。母の姉は5大公爵家マルセーヌ家の公爵夫人、その娘は第1王子の妻 ゆくゆくは皇太子妃となり王妃へとなる人間。由緒正しき一族だった…それが平民となって生きていける訳がない。根っからのお嬢様の母は1人では何も出来ない人間だ、それこそ自分で顔を洗った事もない、侍女のいない生活など生まれてから一度もした事もない。
姉は10歳の時から婚約者がいた……ドリトル伯爵家を継ぐ為の結婚。
お相手は父の遠縁 メルダール伯爵家の次男カールストン様 本来は婚姻を挙げていてもおかしくないのだが、両家とも両親が健在であることから先延ばしになっていた。月に数度泊まり、現在はドリトル伯爵家の商売の勉強をしている。我が家に来て父に伴い顔繋ぎをしながら仕事を覚えている。
まあ、カールストン様の伯爵教育でもあるが ドリトル伯爵夫人はリアーナがレティシアの侍女になり上手くいけばもっといい条件の婿が手に入れられるかもしれない、と欲を出して結婚を先延ばしにしていたのだ。
『もう家族同然なのだから急いで式を挙げなくても落ち着いてからでもいいのではない?』平民となった今 マリアンとの婚約も当然解消された。
カールストンにしてみればラッキーだった、もし結婚していれば犯罪者の身内になっているところだ、ドリトル伯爵は娘 マリアンを嫁に貰ってくれって何度も頼んだが 丁重に断られた。カールストンは次男。家を継げなければメリットがない、家持ちの女性を見つけなければならない。10年も婚約者として過ごし姉が17歳の頃からはかなり親密な付き合いをし、学園を卒業してからは通いのほぼ夫婦のような生活をしていたのに…だ。
貴族社会は醜聞は御法度、何の後ろ盾もないどころか取り潰しにされた家の者を妻にしてもいずれ啀み合うことは分かっている、こればかりは情で何とかなる話ではないのだ。
情から結婚せずに愛人として囲えば 妻に迎えた人間と不和が生じる…カールストンは冷たいのではない 賢明なのだ。
父はまずは姉の婚姻を纏めようとしたが、レティシア様の姻戚でありながら家が取り潰しになった事実に誰も了承してはくれなかった。妻 カリーナはカリーナの兄サーシス・アンダーソン侯爵にも縁談の口利きを頼んだが思わしくない、せめて暫く家に置いて欲しいと頼んだがそれすら あまりいい返事はして貰えなかった。
と言うのもカリーナとサーシスの妻 メリンダは犬猿の仲なのだ。
カリーナは事あるごとにメリンダに突っかかっていた。メリンダが伯爵家出身だと言うので 『やれ 伯爵家の者は〜』そう言ってはメリンダを馬鹿にしていた。大好きな兄を取られた恨みもあった、ネチネチいびっていた。毎回会った後はヒステリックになる妻を宥めるのに手を焼いていたサーシスは、同じ家でやっていける訳がないと預かる事を拒否した。
「カリーナが妻に礼を尽くせればいいが今まで通りの態度では、うちの妻も平民の使用人としてしか扱わないでしょう。それはあの子のプライドが許さず私の元へ来るとは言わないでしょう。」
「ですが! ですが!! カリーナには平民の暮らしなど出来ないと分かっているではないですか! カリーナは1人で手洗いも出来ない、食事も服の着脱も起きるのでさえ何も1人では出来ないのですよ!!」
「我が妹ながら呆れる…呆れるがドリトル殿、カリーナは平民になったのです。それに適応出来なければ別の形で結局は破綻する。平民でありながら貴族の屋敷で厄介になりながら女王様のようには生きる事は出来ない、それを分からせるのが夫であるドリトル殿の仕事です。お役に立てずにすみません。」
「あぅあぅ いいえ すみません私が礼を欠きました。私も平民なのに不躾にも過ぎた願いを致しました。それではこれで失礼致します。お時間を頂き有難うございました。」
アンダーソン侯爵邸を出た後の足取りは重かった。
結局何一つ解決しなかった。
あの時…リアーナを身代わりとする案に乗っていれば! カリーナは正しかった…、どの道救えない命であるならば生きている者のために使うべきだったのだ!!
私が間違っていた! 金のない生活をあの2人が出来るはずもない…ああ、失敗した。
肩を落とし小さな家に帰ると朝から晩まで文句を言う妻と娘、仕事を探しに外へ出てヘトヘトで帰ってきても自分たちで食事の支度ひとつもせず文句ばかり言う『貴方がいない間 誰が私の食事を用意するの?』『お父様、この服はもう3日も着ています!早く洗濯してください!』『あなた 私のお通じが4日ぶりに予兆があったのに!あなたがいないから引っ込んでしまいましたわ!』『お父様 お風呂の水を家族でも同じ湯で入るのは気持ち悪いです!早く交換してください!』『ああ、そうだわ ベッドもシーツを毎日換えてくださらないとなんだか臭う気がするわ きちんとしてくださいね!』
プッツン来てしまった。
『一日中家にいるお前たちが勝手にやれー!!』
そしてロバート・ドリトルはその日を境に彼女たちのいる家には戻らなくなった。
そんなこととは露知らずリアーナは自分の傅かれる側の状況が心地良くなっていった。
当初は『レティシア様』と呼ばれる事に背筋がゾワゾワして薄気味悪さを感じていた。裏がある…それは何か? 自分が今までしていた事をここにいる全員が分かっているのだから…。王子の妃として扱ってはくれるが勿論ここにスタンビーノが来ることはない。『まさか私を見初めて側妃にするつもりとか?』そんな事も考えたけど、公式行事に呼ばれる事もない。ここにリアーナがいると知る人物はこの宮以外にはいない。本当にレティシア宮の中だけの女王様。
人間とはおかしなもので最初はあんなにも この『レティシア様』と呼ばれる事に不安を感じていたのに 何事も起きずその状況が恒常的に続くと警戒を忘れ接受していった。
それが自分にとって都合が良く心地良いものだと 最早その状況を自分から壊そうとはしない 意気揚々とレティシアになりきるようになっていった。
「ハムス カラストール領のカヤックが食べたいわ。」
「レティシア様 カヤックはこの時期にはまだ早く後2ヶ月位経つと最高級の物がご用意出来ます。」
「今 食べたいのにぃ〜、仕方ないわね。」
本当は名前と金を使えば手に入るだがそうしてしまうと本物のレティシアが金と権力を使っていると思われてしまう。ここにいる使用人たちは全員 王家の特務部隊の者たち、リアーナをどう扱えば良いかなんてよく分かっている。リアーナがレティシアでいられるのはあくまでもこのレティシア宮と言う鳥籠の中だけなのだ。
「昨日飲んだワイン! マリュシュールの20年ものは素晴らしかったわ!! またアレを用意して頂戴。」
「畏まりました。」
ボトルと中身が違うと気づくことはない。リアーナは少し味覚がお子様なので甘めが好きなのだ、だけどプライドが高くブランド名に弱い…以前そのままでお出しすると
『何よ これ! ちっとも美味しくないじゃない! 偽物でしょ!』
と騒いだ事からこうした措置をとっている。
扉の向こうから侍女たちの声が聞こえる。聞く気はないが聞こえてくるものは仕方ない。
だって私はここから出る事は許されない、平穏な生活満ち足りた生活には少し刺激がないのだ。娯楽がない……ここには女が好む噂話も物欲を満たす事も出来なければ自尊心を刺激し見せびらかす友もいない。
レティシアの物を換金して購入した服も宝石も靴も全部取り上げられた、そしていつの間にか以前のものがここに並んでいる。流石にここにある宝石やドレスはもう手出しは出来ない、それは許されなかった。その代わり新しい服を私のサイズで仕立ててくれた、宝石も靴もレティシアのモノを勝手に使うのではなく 私のものを用意してくれたのだ!
ここにスタンビーノは来ないけどここにひっそり大切に囲われていると思うと レティシアに対し優越感すら覚えていた。
ふんふん どんな内緒話ししているのかしら〜?
『また あの女の母親が来たのでしょう? 厚かましいったら!!』
『全くだわ! お許しください、そうでなければ生きてはいけないとか…呆れる。』
『その上 許して下さいと言うその口で 僅かばかりでも金をだって!』
『嘘でしょ!? あり得ない!』
なになに? 女の母親が訪ねてきて許して下さいって言うのだから悪い事したのよね? 何でそれで金をせびるの? 確かに呆れるわね厚顔もここまでくれば凄いわ。
プライドも良心ない母親なのね……誰の母親なのかしら、知ってる人間だったら面白いのに。
『何でも旦那が出て行って 何日も何も食べてないとか言ってた。』
『そう言えば 何だか異臭がするから鼻を押さえてつい顔を顰めたら ものすごい剣幕で怒鳴りつけたって!
“仕方ないでしょ! 主人がいなくなったから洗濯する人も風呂を入れてくれる人もいないんだから!” だって!』
『えーーー!? じゃあ何? 旦那に働かせて帰ってきた旦那に 食事・洗濯・風呂の世話 ぜーーーんぶ やらさせてたの?』
『そうみたい。何も1人では出来ないみたい、顔だって目の周りに目ヤニつけたままだったもの!』
『その上 その上 仕事探して 日銭を稼いてヘトヘトで帰ってくると旦那に文句ばかり言ってたらしいわよ、“本当に使えない この程度新人侍女だって出来るのに!”って。』
『自分は何もしないで 一日中家で何しているの?』
『何もしていないんですって! 恥ずかしいから外にも出られないって引き篭もっているらしいけど…。自分で水一杯入れたこともないって自慢してた。』
『呆れる……。』
『それは捨てられるわねー。』
『今どき王女だってもう少しマシだと思うわよ。』
確かに酷いわね、まあ何も出来ないって意味では驚かないけど旦那だけを働かせて何もしないって言うのは少し常識がないにも程がある。侍女がいない家の女なら2人で協力して生きていかなくちゃ! 貴族の話なのかしら? 没落貴族の話? ああ、肝心な事を言わないんだから 使えないわね!!
それからも何度となく齎される『酷い母親』の話を聞くのが楽しみになっていた。
聞けば聞くほど酷い、例の母親がまたここへ来たという。しかも今度は娘も一緒らしい。
『酷い母親』じゃなくて『酷い親子』に訂正ね。
2人で来ては物乞いのように何か寄越せと騒ぎ立てる。あまりにも迷惑極まりないので大抵 兵に追い出されるらしい、何でこのレティシア宮に来るのよ!
身なりはこの2週間同じだったと言う、そして臭いは一層キツくなったらしく、女たちが帰った後は残り香で倒れる人間まで出ると言うのだ、一体どんな臭いなのか……怖いもの見たさで近くに行くと本当に臭かった 目に何かが滲みてシバシバする この臭いは そうだ以前領地に帰る途中の宿屋の近くで祭りがあるって聞いて行った時、身なりの汚い者が近寄ってきた時似たような臭いがした。すえた何とも形容のしようもない臭さ、兎に角『臭い吐く』と言った覚えがある。まさか王宮であんな臭いを嗅ぐことになろうとは……、厳重に管理して近寄らせないで欲しい。
でも他にネタもないからその後の続報も聞きたい。
酷い母親と娘がまた来たらしい…。
シェフに作って貰ったチョコレートタルトを頬張りながら聞き耳を立てる。サク モグ
なんで王宮に来られるかは疑問だけど 相変わらず同じドレスを着ているらしい。んー、それしかない?きっとその1着がとっておきなのね! お金がなければ毎回変えることなんて出来ないものね。
痩せ細りブカブカでコルセットがずり落ちるってどう言うこと!?
紐を締め直せば良いだけでしょ? ……あっ! 旦那が出て行ったからコルセットを締め直す人間もいないのね! はぁーーー、待って! もしかしてだけど…この3週間ドレスを1度も脱いでいないの? では体も洗うどころか拭いてもいないの!?
キャーーーーーー 信じられない! うううーーーやだー! 聞いているだけで体が痒くなる! もう本当何でそんな人間がここへ来て金をせびりにくるの? だってここには謝罪相手がいるのでしょう? よくもまあそんな相手に金を無心なんて出来るわね!
誰の母親なのかしら? 私なら恥ずかしくて人前に出られないわ!
屋敷の門の前で恥も外聞もなく叫んでいる女の声が聞こえた。
まさか例の酷い母親が来ているの!? 信じられない!
でも…いったいどんな女なのかしら? 遠くからなら見てみたいかも…この屋敷で働いている者の母親なのでしょう? どうしてこんな所まで来れるのかしら! さっさと追い返せば良いのに………。
「ねぇー! お金あるなら頂戴よ! 侍女を頂戴! 誰もいないと困るのよ!」
「ねえー! 私があなたに何かしたわけではないでしょう? 何で私までこんな目に遭うのよ! 返してよ! 元の生活を返してよー! 婚約者も返してよ!」
「そうよ、あんたたちは私の娘殺したんだからもう良いじゃない! 何で私たちまでいつまでもこんな目に遭うのよ!! どこへ行っても厄介者扱い…悪いのはぜーんぶリアーナなのに 何で! 私たちがこんな罰を受けるのよ!!」
「食べ物頂戴。」
「ドレスを着替えたいわ。」
「お風呂に入りたい。」
「顔を洗いたい。」
「ほらほら、もうここへは来ちゃいけないって言っただろう? 帰らないと牢に入れるぞ!」
「牢に入ったらご飯食べられる?」
「コイツら常習犯だな。おい、知ってるか?」
「ここ最近毎日来るんだよ、いつの間にかここまで入り込んでくる。ほら、来い! 飯食ったら帰れよ!」
「今日のご飯は何かしら? 硬いパンは飲み込めないから好きじゃないの。」
「うへー! タダでメシ食っといて文句までつけるのか!? 食わせずに放り出すぞ!」
「ごめんなさい、言ってみただけ。けっこう美味しいって思ってるの うふ。」
「そうよ、お水があれば飲み込めるわ。さあ行きましょう!」
「もう、ここへは来るなよ。」
「「………。」」
「懲りない奴らだなー、その内 嫌ってほど殴られるぞ! 良い加減にいておけ。」
「「うふふふ。」」
『お母様―!! お姉様―!! おかあさま あ゛あ゛ おねえさまぁぁぁぁ!!』
アレは 酷い母親と娘は 私のお母様とお姉様だったの!?
どうしてしまったの!? あんなにプライドの高いお母様が牢屋のご飯を喜んで食べるだなんて!! こ、壊れてしまった!! お母様もお姉様も壊れてしまった。
お、お父様があの2人をお見捨てになってあんな物乞いみたいな生活を!?
ここには …まさかレティシアに金をせびりに来てるの!? 嘘でしょう!!
『ねえ、私のご飯をあの2人に食べさせてあげてー!!』
「・・・・・・・・。」
『あの2人に新しいドレスを! お風呂を入れさせてあげてー!!』
「・・・・・・・・。」
リアーナの心からの願いは誰にも届かない。
泣いて叫んでも本心は誰にも伝わらなかった。
私のせいだ! 私のせいでお母様とお姉様があんな目に……ううぅぅぅぅ。
「どちらへ行かれるのですか?」
「……庭を散歩するだけ…。考え事があるの、暫く1人にして頂戴。」
「畏まりました。 風が少し冷たいので羽織るものをご用意致しましょうか?」
「いいえ! …いいわ。……有難う行ってくるわ。」
「行ってらっしゃいませ レティシア様。」
「・・・・・・・・ええ。」
庭で夜風にあたりながら自分のことを省みていた。
私がしでかした事で我が家は一家離散してしまったのに、いつの間にか周りに傅かれるのに気持ち良くなってすっかり忘れてしまっていた……ごめんなさいお父様、ごめんなさいお母様、ごめんなさいお姉様。
着るものにも食べるものにも困っているのに私だけこんな生活していて……。
「ごめんなさい…許して。」
その夜リアーナは何者かに誘拐された。




