王国のうちあわせ
重症を負っていた部下ふたりは、翌朝には馬にまたがれるまで容態が回復した。見ちがえるほどよくなっていたが経過観察の入院は必要であるため、そのつぎに怪我の深かったふたりをつけ、レオルドは四人を先行で帰還させることにした。
今朝までに把握できた内容の報告と、残り四人で山周辺の役所まわりをしてから戻るという言伝をたのんで。
首都に戻れたのは、正午すぎだった。追加報告のため、六つの水流が吹きあがり霧となって水面にもどる大噴水を右にそれ、城へむかう。
到着して馬からおりているところに、左大臣のマナ・ニッパイースが側近ふたりをつれやってきた。挨拶する間もなく、標準的な背丈で細身の左大臣から現状がつたえられる。
「貴族らの対応にはあたっています。負傷者四名は経過良好で問題なしとのことです」
話が通っていることにレオルドはようやくひと息をつき、礼をとった。シーヴズは荷物をおろしながら大臣がわざわざ足を運ばなくてもと返し、どれも一大事であると叱られていた。
レオルドとシーヴズは同年の三十二歳、マナは三十五歳。年齢がちかく、城で働くにあたってふたりが新人のころからなにかと世話になっている人物だった。
問題の貴族について相違点はないか、手早く概要が確認された。
シーヴズがレオルドにも繰り返していた、子供たちを国で保護したいとする頼みこみをおこなう前に貴族については整理が決定されたという言葉があった。
「…そこまで、ですか」
「この機に一度、国内の貴族階級の実態を徹底調査します」
民間と協力して調査をおこない、すべて公開すると一致で決まったとのことだった。調査終了と同時に貴族は国内に必要か、国民に採決をもとめる。そこでの結果を国の決定とする。
国民のなかでは前々から声があがっていたことであるため、午前中でそれらすべてが議論の余地なく即決となった。
「その決定は、こっちも票を持っていませんでしたっけ?」
「反対だったとしても、一票です」
シーヴズがレオルドのほうをみて物言いたげにしていたが、仕方ないと肩を叩くことしかできない。温和な国王が見かねると判断を下したのであれば、そこからは迅速なのである。不在はいないほうが悪いとされるだろう。シーヴズも反対する気はないはずだ。
国内での貴族の立場はことあるごとに議論されていた。大昔の戦争前に端を発する地位であるため、複雑なのだ。国王に次いで国内に土地を多く所有しているのが貴族階級であり、国の事柄に干渉しないという条件のもと、一定の特権を認められている。
その所有地の貸しつけなどで、たびたび国民と問題になっていた。これまでは国王がおなじ国の人間なのだからと喧嘩両成敗の姿勢だったため、問題が大きくなることはなかった。
国王の許可が出たのであれば、しばらくは騒ぎになることだろう。本来ならばレオルドも頭を悩ませる事態になりつつあるようだったが、それよりも難題がすでに目の前にあった。
マナもレオルドたちへの確認後、側近のひとりを確定報告の伝達に走らせ、こちらを改めてというようにみる。
「それで、御一家の確認はとれたのですか?」
「はい。二百五十年前の略式登録制度が原因でした」
正式な報告は首都にある記録庫で過去の戸籍を見直したあとになるが、ほぼ間違いなくたどれそうである。コルドバーン家は出生登録など、必要な手続きはきちんと地元でおこなっていたのだった。
母親から四代前までは地元の役所に記録がのこされていた。直系で引き継がれており、確認もできたことをレオルドは報告した。
「このあとすぐに陛下への報告で問題ありませんか? 子供たちを心配していらっしゃいます」
問題ありませんとレオルドはこたえた。
通されたのは会議室ではなく、国王執務室の横にある打ちあわせ部屋だった。ごくうすい空色の壁紙の室内は木目調の家具で統一されている。華やかなものは三枚板をつないだ楕円形の卓上に置かれている季節の花々があしらわれた茶器類だ。
その一室で、国王と右大臣のヒズイ・グレイコがお茶を飲んでいた。いつも通りの平穏さである。
ただいまもどりましたという挨拶もそこそこに、右大臣からシーヴズとともに着席をうながされた。
「おまえたちな、あんなもんに出くわしたら逃げんか」
右大臣のいう、あんなものとは熊のことだろうとレオルドが思い返していると、シーヴズが無理ですよと返答してくれていた。
ほかに室内にいるのは両大臣の側近三名と、給仕係二名という顔ぶれだった。貴族の対応で重役らは出払っており、コルドバーン家健在の知らせはよろこばしいことであるため、まずは内々でいいだろうということである。
「それが、問題をふくむ内容もありまして」
レオルドはそう前置いてから戸籍の写しを制服の内側から取り出し、卓上にひろげた。
ユウシ・コルドバーンの出生登録書である。コルドバーンという姓部分が、Cのみの略字登録になっている。薬草山に近い役所で保管されていたコルドバーン家らしき戸籍をひと通り確認してきたが、姓はすべてこの一文字になっていた。
「住所があるだろう」
「山、の一字なんです」
シーヴズが右大臣にこたえた。
住所までが略称登録になっていたのだった。代々続いている家系であること、調剤免許での本人確認がとれていたことなどがあり、役所の職員は誰も疑問をいだかなかったそうである。この確認がとれたあと、役所内はコルドバーン家が健在だったという大騒ぎになった。
そのつぎに、問題が出てきたのだった。
「子供たちの出生登録は、男の子の父親がおこなったようなのです」
「シュウの父親です」
少年のほうも登録してあったのかと聞き返されたが、これがなんともいえない結果となった。
ユウシの母親であるカナン・コルドバーンは、父子を保護した翌々日にシュウの父親を役所へといかせたのである。自分の調剤免許書と、代行願いの手紙をあずけて。
当時対応した職員がちょうど勤務中だったため、レオルドは直接話をきくことができた。その人物の話によると、手紙は自宅出産であったことからはじまっていた。
自分の回復と生まれた子供の世話にくわえ薬草の栽培地管理があり、これまで夫婦ともに家の外へ出ていくことができなかった経緯などがつづく。そのあとに出生報告が遅れたことに対する謝罪と、代行での登録願い。代行とする理由が書かれていたそうだった。
その部分は別紙に綴られ、一緒に保管してあった。
二日前、出産で奥さんを亡くしたという、そちらにいま伺っているだろう男のひとと出会いました。まだ混乱しているのか、話の要領を得ないのですが、どうも生まれたばかりの子供をつれて大陸をわたってきたようです。
赤ん坊がなにを糧に育つかもわかっていないらしく、生後三~五日だとおもわれる男の子はひどく衰弱していました。母乳をあげてひと晩ようすをみていたところ回復の兆しがみえてきたため、このまましばらく預かれないかとおもっています。
夫は法律上の問題はないようだといっているのですが、どうなのでしょうか。
「担当者によると、その男性は旅人であるようで記憶しているかぎり戸籍登録等の手続きは一度もしたことがないということだったと」
文字は書けず、文字を読むことはできたがところどころだった。言葉は日常生活範囲内とおもわれる複数言語をしゃべれたが、どれが生まれた国の言葉であるか本人がわからないようすだった。
このとき対応にあたった担当者は女性であり、ちょうど子育て中だったため確認をかねてたずねたのだという。
あなた、赤ちゃんになにを食べさせて育てようとおもっていたの?
「そのときのこたえが、生肉か焼いた肉を胃まで水で流しこめばいいとおもっていたというものであったそうで」
唖然としている一同に、そのとき担当にあたった女性もこの人物に育児を任せてはいけないと判断したとレオルドは話した。幸いにも、その子の育児を引きうけてもいいという女性がいる。
手空きだった役所は、法文確認で全員が大忙しとなったそうだった。そのあいだに担当となった女性職員は、これからどうするつもりなのか父親と子供の今後についてよく話をきいた。
息子が自分でものを食べられるようになったら、海のわたり方を教えたい。わたりおえたら戻るかどうするかきいて、そのあとを決める。それまではあの女のひとのいうことをきく、といったそうだった。
それならば、その子も戸籍の登録が必要だろうとなった。父親にもどうするかとたずねたが、学校にいくことになるのなら学費が必要になるため、どこかで働いてこないといけない。この国では文字が書けないと仕事もできないようだから、自分はいいと断られた。
そのあと、子供たちの出生登録手続きのみがおこなわれた。
「こちらが、そのとき作成された書類なのですが」
シュウの出生登録の写しをレオルドは卓上へと出した。
「…なんだ、これは」
右大臣が眉間にしわをよせた。姓名欄に記入されているのは、いびつなシュ・ユウの文字。
「両親ともに姓を捨てているようなのです」
シーヴズがシュウ本人から、成人したら自分で姓をつけろと父親からいわれたという話をきいている。それまでは親が自分でつけた姓を名乗り、ひとり立ちをしたら自分でつけかえる。それが自分の家の風習なのだが、名前だけで不便がなかったため自分は姓というものを必要だとはおもわなかった。
成長すれば自分できめるだろうと父親は息子の名前を強引にわけ、姓名登録とした。
「シュウくんの母親は姓を捨てて出てきたといったそうで、父親も下の名前しか知らないそうです」
「ただ、シュウは母親の名前も知りません。父親だけです」
理由があり、あえて伏せたのかは不明である。役所の人々も、駆け落ちなのかとふかく追求ができなかった。父親はこの国に定住したいというようすはなく、子供が成長したら海をわたらせたいといっている。
一時的措置をよくいいきかせ、困ったことが起きたときや子供と国外へ出ていくときには、この役所に必ず立ちよるようにいって出生登録となったそうである。
この国から出ていく際については、父親から息子につたえられていた。国から出るときはまずふもとの役所にいく、自分が忘れていたら国外へ出るまえに役所での手続きがあるというようにと。
「シュウのほうは山から出ることになるのなら、明日にでも役所へいってそれから出ていくといっているんですが。お嬢ちゃんが」
落ちつきはらっていた少年に劣らず大人びた物静かな少女なのだが、今後について話をしているところにやってくると大慌てをはじめた。
ひとりでは栽培地の管理ができない。
自分では山の管理もできない。
大いにあたふたとしたあと、どこかにいくなら自分も一緒にいくと締めくくった。
ふたりには意見の食いちがいがあるようだとレオルドは説明する。シュウは父親同様、一時的にこの国に身をおいている風であり、薬草山と少女のことがなければすぐに旅立つだろうとおもわれる。しかし、コルドバーン家の一人娘であるユウシは幼なじみの少年とはなれる気がないようにおもえる。そして、薬草の栽培地についての管理問題がある。
「確認をしたかったのですが、どれも相当に繊細であるようです。一度の鑑賞で壊滅状態になってもいいと国がいうのなら、みせると」
薬草山育ちである子供たちも根のはり方がわかるまで五年かかった場所があるそうで、二年前にやっと全域の立ち入りを少女の母親から許可されたといっていた。そのうえ丸二日手入れせずに放置すれば、栽培地のおよそ半分はなくなり戻らない。管理できそうなひとは山の外にどれくらいいるのかと、きかれたのである。
「栽培品種の確認がすべておわるまでふたりには山にいてもらうしかありませんが、どうも品種別栽培技能必須とされる薬草多数の気配が濃厚かと」
栽培困難稀少種の懸念があったため無理な確認はおこなわず、今朝下山をすることにした。専門家の領分であるだろうと判断したためである。
それでいいと右大臣がうなずいた。六十半ばになるヒズイの家も古い薬師の家系であり、調剤資格や薬品取り扱いに関する複数の資格を若いころに取得している。
「実際にいくつかのものがその栽培難易度にあたるのであれば、世界初の困難さですよ。…十年では人材育成が追いつかないことになりますが」
「いまのところは、最高で同栽培地二品種だったか」
「そうなっているはずです。もうひと品種あったものは翌年に枯れてしまったため、取り消しになったと聞きました」
両大臣のやりとりを聞いた国王が、まさか三種ありそうなのかとレオルドたちへ問う。レオルドはシーヴズにもらい物を披露するようにいった。
国王の問いに対する回答は、正確には不明であるが。
「ふた桁の栽培地があの山のなかにあるようです」
シーヴズがその説明を山のなかできいたとき、どれかひとつくらいは頑丈でわかりやすい薬草があるだろうと見学をもとめた。すると、本物の毒消し草というものの乾物がお土産としてつきだされた。
「これがわからないようなら駄目ってことでして…。わかりますか?」
自分たちではわからず、戸籍調査にすすむことにしたのである。両大臣と側近らも加わり、シーヴズが布でくるみ持ち帰ってきた何らかの薬草の乾物ひと束を観察する。
「まさか…」
「いや、まさか」
「えぇ、まさか」
まさかが繰り返されている。なんだと尋ねた国王は、鑑定が先ですと右大臣のヒズイに返されて溜息をついた。そして子供たちの心配をする。
「管理をしてくれるのはありがたいが、一日中では労働にあたるだろう。両親がどこへ旅行にいったか、それはわかっているのか」
「不明です。二年前の近隣から調べはじめるしかないかと」
シーヴズはすぐに着手したがったが、登山道のない薬草山の事情を考えるとむやみに入山許可を出すわけにはいかない。十二歳の子供ふたりしか山中にいないことを考えるとなおさらである。ふたりとも直近に貴族からの脅し文句を耳にしており、山の外側の人間に不信感をいだいているような言葉も時折あった。
会った印象から考えると今回顔をあわせた親衛隊の人員を入山の際、随時同行としてしばらくようすを見るしかないのではないか。
「山の調査をおこなうにしても、毒草も多数自生しているとのことです。あまり人数はいれられないかとおもいます」
毒あたりはすぐに効く薬を塗れば大丈夫だといわれたが、一般的に劇物指定となっている毒草もあった。ながく危険だとされていた山は、間違いなく危険な山だと判明した。ふたりの案内なく立ち入るのは当分のあいだ無理だとおもわれる。
一方そのふたりは、コルドーン家が代々習慣としてきた山のなかで野菜を栽培して食料を確保するという自給自足の生活を送っている。一日中、山の案内をしてもらうわけにはいかない。両親の帰宅を待つことが一番よいだろうとおもわれる。
「だれか、栽培地の管理手伝いだけでも派遣できないのか」
「ものを見ないことには、どうしようもありませんな」
レオルドはその問題と土産品の鑑定もかね、首都の大学府を訪ねてくる許可をもとめた。そしてもうひとつ、国の備品となっている傷薬と毒消し草の確認許可も同時にもとめる。
効きが悪いのかときかれたが、今回まで深刻な事態が発生したことはなかった。昨日の負傷では薬の効き以前の問題が考えられる。レオルドらも、着任してから常備薬にこれといった差をかんじたことはない。
ただ帰り道に話していたとき、四人とも一致した内容がひとつだけあった。味のかわった時期はあったのである。改良されて口当たりがよくなったのだろうと、それぞれおもっていたことがわかったのだが。
「良薬口に苦しだぞ」
「はい、山でもそういわれました」
解毒作用のある薬はその傾向が顕著であるともいわれ、至急確認の必要が生じた。国内で緊急時に使用する備蓄も同様の傷薬と毒消し草なのである。
左大臣のマナが入荷確認を引きうけてくれたため、レオルドは土産の乾物をくるみ直し大学府にいくことになった。