少年の剣
ようなではなく、少年はシーヴズの頭上を跳びこえていった。先を走っていたレオルドの頭上もこえてゆく。追い抜いたところで一度着地し、また地面を蹴ってとびあがる。
冗談だろう。
人間の身体能力を軽々とこえている。ふたりの頭上を余裕で通過しているのだ。
たしか、魔術で身体強化ができるのだったか。しかしあれは最低限で魔法士の実力がないと無理ではなかったか。
魔力保有者たちは取得している資格で呼び方がかわる。ただ魔力がある状態では魔術使い。生まれつき魔力があっても、魔術について学ばなければなにもできないという揶揄がふくまれている最低限階級だときいた。
シーヴズには無縁の世界のため、本当にそうであるかはわからない。
初期教育で魔術学校へ通いながら魔術を学び、卒業試験に合格すると取得できるのが魔法士資格である。魔力のない人間の場合に置きかえると、義務教育卒業相当にあたる。魔力保有者にとって、魔法士は標準資格といえるだろうか。この資格が取得できないと、落ちこぼれの烙印をおされるのだそうだ。
十代で取得できる資格は通常、最高でこことなる。
このうえにあたるのが魔術師資格であり、さらなる魔術の勉強と魔術への適性が必要とされるらしい。こちらの資格は通常で二十から取得がはじまり、最年少資格取得者は十八となるそうだった。特例で早期判断のおりる場合もあるときいた。
この魔術師が、魔術界の通常において最高限度の階級にあたる。
実際の最高位は、魔道士。属性がからんでくるため、この資格を取得するための試験というものはないそうだった。いつの時代も、世界中で一桁しか存在しないといわれる魔道士。現在はふたりとされている。
そうだ!
こら待て、子供。
息があがり声が出てこない。見ためが熊で、ほんとうに熊であるから熊とよんでいたが。それは、ふつうの熊ではない。絶対に。ふつうの熊ならば、自分たちでも追い払うくらいのことはできていた。
そいつは、その熊は。
危険生物指定級の、それにあたる熊だ。
対処するには魔術師がまず必要とされる危険度の脅威。万一、その年齢で結界がつくれるのだとしても、十代になったばかりの子供を巻きこむつもりはない。
「逃げっ…ろ!」
全員が逃げろとすでに叫んでいた。部下たちも少年に対して大声をあげているが、シーヴズとしてはおまえたちもさっさと全力で逃げろといいたい。声を張りあげ通しで、短い単語を叫ぶだけでもかすれてしまう。
レオルドが前方で声を張り、そうした指示を出していた。さすが隊長である。あとは、その子供を保護してほしいところだ。シーヴズは熊との距離をみるまにつめてゆく少年にむかって、すでに限界がきている足に力をいれ地面を蹴り走る。
あれだけ身軽な子供なのだ。熊をこちらにほんのすこしでも引きつけられれば、逃げられるだろう。そしてすぐに、この山で見たことを大人へ伝えてくれたらよい。
とにかく、この熊をどうにかしなければ。あとはやれることをやるだけだ。
レオルドも少年のほうへ向かっている。先に着くだろう、そこでの動きをみてからシーヴズも動くことになる。
恨みっこなしだぞ。
このまま体当たりをすれば、すこしは効くだろうか。シーヴズができそうなことを考えていると、少年が腰に差していた剣を空中で引き抜いた。
親衛隊の装備となっている剣の両刃のような刀身ではなく、片刃の刀身の剣。
…それ、鞘よりでかくないか?
目の錯覚だろうが、引き抜いた剣のほうが収まっていた少年の腰に差してある古そうな鞘よりも二回りほど大きくみえる。その抜いた剣を少年は構えることなく、右手の指先でつまむように持った。剣先は真下をむいている。
「針」
少年がひと言いった。
目の錯覚を疑いたいのだが、少年の手にしている剣が一瞬で細長い、まるで巨大な針のような刀身へと変化する。熊の真上にさしかかり、少年は手から剣をすべり落とした。
あれだけ、びくともせず。全力で剣を突き立てても、傷ひとつつけられなかった熊に。手で折れそうな剣がはじかれることなく、ストンと真上から熊の胴体を貫通した。
少年は下降しながら、もうひと言口にする。
「丸太」
丸太? とおもっている瞬間にも、剣がまた変化した。大きくなったのだ。ひと抱えほどある丸太並の大剣となった。熊を貫通したままである。
ガッ…ツと地面と剣先の接触する音がつよく鳴り、地面へとめりこんでいく鈍い音がつづく。剣は持ち手部分の柄が見えているのみとなった。地面に縫いとめられた熊はだらりとのび、ピクリとも動かない。
シーヴズはいつの間にか、立ち止まっていた。レオルドも数歩先で足をとめ、立ちつくすようにしている。
言葉もないとはこのことだろう。ある意味、そこでのびている熊の出現よりも衝撃だ。
熊の横に少年が着地した。着地点にぴたりと止まる、危なげのなさである。少年は剣のささる熊を見下ろした。
「夕飯にできるのかな、こいつ」
…夕飯。
いまのは、食料調達だった訳なのか。