2曲目
その日、美琴は下校後、自宅に戻り着替えた。
ニット帽を目深に被り、体型や年齢、性別がわかりにくい服装にした。美琴は親戚や周囲からは実年齢よりも年上に見られることが多かったため、ごまかせる自信があった。
ガッシリとした骨太体型、短い黒髪にゴツ目のフレームのメガネをかけている。胸さえごまかせば、男子大学生か仕事帰りの青年に見えるだろうと踏んでいた。
待ち合わせ場所である隣町の駅に行くと、店長が困惑顔でやってきた。
「大国ちゃん、頼むから無茶しないでくれよ。下手したら俺、捕まっちゃうよ」
「大丈夫です。例の泥棒猫の素顔を暴いたら大人しく帰るんで」
「全く大丈夫な気がしないんだけど……。そんな変装までしちゃって……。あの店気に入ってるから、出入り禁止になったら、困るよ~」
糸村は丸い顔を青くしていた。糸村の話によると、行きつけの店の店員が客前で歌を披露空いているとのことだった。それ自体は問題ないが、店員の一人が美琴が作詞作曲した曲を歌っていたかもしれないのだ。
「キャバ嬢が、私の心血注いで作った曲を男を誘惑するのに使うなんて許せない」
「いや、ラウンジだから! キャバクラじゃないから、キャバ嬢じゃないって」
キャバクラだろうと、スナックやラウンジだろうと美琴にはどうでもよかった。ただ、自分の知らないところで自分の分身とも言える音楽が他者に歌われていることに怒りを感じていた。
ラメが散っている、ひらひらしたドレスを着た厚化粧にあざとい上目遣い、ビッチな雰囲気の年増のホステスが自分の歌を小馬鹿にしたように歌っている姿が目に浮かんでいた。
「琥珀ちゃんがそんなことする子だとは思えないんだけどな」
「コハクだか、コハルだか知らないですけど、他人の曲を許可なく使うなんて」
「そもそも、プロでもない学生の曲をわざわざ歌ったりするかなあ?」
糸村の意見はもっともだった。世の中には無数の音楽があるのに、何故美琴の曲を歌う必要があったのだろう。美琴はなんとしても琥珀と呼ばれる店員に会わないといけないと思った。
二人は駅から直ぐの路地裏に入ると、歓楽街に入っていった。長い付き合いとはいえ、中年男性と女子高生が二人で歩くべきところではないだろう。
しかし、美琴は怒りで頭がいっぱいだった。
その店は小さく古めのビルの3階にあった。夜の店にしてはシンプルな白地の看板にはシルバーの文字で『Cendrillon』と書かれていた。
美琴はエレベータを降り、店の中に入るとイメージしていた風俗店とあまりに違う店内に驚いた。
中は意外と広く、清潔感があり、ホテルのラウンジかオシャレなカフェの様だった。19時半を回ったくらいだったが、客はそれなりに入っていた。年齢層は広く、男性の割合が多いものの、女性客も少しいた。
カウンターにはパリッとしたスーツ姿の客が一人で静かに飲んでいたり、20代くらいの若いカップルもいた。
糸村がホステスに席を案内してもらっているのを横目に美琴は店内を見渡していた。
落ち着いた雰囲気であった。客に対し、数人しかいないホステスは皆、洗練されていて品がよく、美しかった。ドレスを着ているホステスもいればパンツルックのホステスもいた。全ての席にホステスが挨拶に行く訳ではなく、客それぞれが好きなように店の雰囲気を楽しんでいる様子だ。
ゆったりした音楽が流れていて、たまに客が歌ったりもしている様だったが、歌い終わるとまたBGMが静かに流れてゆったりした雰囲気に戻る。
「え、ここ?」
「いいとこだろ?」
美琴の小声に糸村が得意げに答える。中年の酔っ払いが多く、ガヤガヤしていて、狭い店を想像していたが、それとは全く違っていた。この店の店員が美琴の歌を歌うだなんて、間違いだったのかもと思えてきた。
カウンターの向こうにステージのようなスペースがあった。その横にはグランドピアノまであった。
「え、店長! あのステージでこの店の人が歌うの? 生ピアノもあるよ」
「え、ああ。確かにピアノ置いているのは珍しいよね」
本来の目的を忘れ美琴は初めての場所に興奮し始めていた。美琴たちが腰掛けるソファーもしっかりしていて、座り心地もとてもよかった。
楽しみ始めている美琴を見て店長が呆れたような顔をする。美琴の声に反応したのか、こちらを見ていた店員の一人と目があった。
「あら、シゲさん、今日はお知り合いといらしたの?」
「僕の甥っ子でね。こういう店に来てみたいとせがむからしょうがなく。ハハハハハ」
店員はこちらに寄ってくると、当たり前のように自然に近寄り近くに腰掛けた。あまりに自然だったので美琴は不躾にもそのまま店員の姿をまじまじと眺めてしまった。
目立つ美人だった。この店で一番の美形だろうと美琴は思った。落ち着いた大人の女性の雰囲気を纏っていて、和装がよく似合っている。整えられた美しい髪に、スッと伸びた鼻筋、切長の二重瞼に褐色の瞳、彫刻のように整った顔立ちに漂うオーラ。芸能人のような一般人離れした容姿に美琴は見惚れてしまった。
糸村は店員に美琴の事を軽く紹介し、軽い談笑を始める。糸村は人の良さそうな笑顔を見せるが、いつもより鼻の下が伸びているのに、美琴は気がついた。
「若いお客様がきてくれるのは嬉しいけれど、未成年だったりはしないわよね?」
店員の言葉に、美琴は背筋が一瞬で冷たくなった。しかし、こういう時は堂々とするに限るだろう。美琴は低い声を出す様に努めた。
「若く見えます? 今年から大学院生で進学祝いに連れてきてもらったんですけど」
「へ!? あ、そうそう! マコトくん、高い酒頼み過ぎないでくれよ。ハハハハ」
「そう。ごめんなさいね、年取ると若い子の年齢わからなくなっちゃって。ほほほ」
ーーーーーーあ、この人……
美琴に違う衝撃が走った。端正な顔立ちに見惚れていて、すぐに気がつかなかったが、この店員の笑い声は、女性にしては低かった。よく見ると、身長も175㎝はありそうだ。
ーーーーーーこの人、オネエだ。
美琴の表情を察したのか、店員は優しく微笑み、メニュー表を渡してくれた。よく見るとゴツゴツした大きな手だが、爪も肌も美しく整えられて所作も美しかった。
「はは、ママだってまだ若いじゃない」
「シゲさんたら、煽てても何も出ないわよ。私の機嫌を取りたいなら、こっちのドリンクつけてちょうだい」
糸村はデレデレした声で応じる。ママと呼ばれるということはこの店の主なんだろうと察した。
美琴は女装をする人を間近でみたのは初めてだったが、普通の女性でないことがわかっても、ママと呼ばれるその人を魅力的に感じる気持ちは変わらなかった。他の客にとってもきっと同じだろう。一つ一つの美しい所作から誠実な性格なのだろうと感じる。無意識にママの動きを目で追ったり、眺めてしまうのは自分だけではないだろうと思った。
「シゲさんたらまた琥珀目当てで来たんでしょ? 男って若い子好きよね」
「いや、それは。ハハハ」
ママの言葉に、本来の目的をすっかり忘れていたことを思い出した。
「あ、その人、今日来てますか? 俺、店長…叔父さんから、その琥珀っていう人の話をたまに聞いていて、会ってみたいんですけど」
せっかくだから、来店した記念に琥珀本人と少し話をしてサクッと帰ろうと思っていた。長居すると、飲み代だけで今月のバイト代が消えてしまいそうだ。
ママは美琴の目を見るとまた穏やかに微笑んで答えた。
「今日来ているし会えるわよ。でも残念、あの子はテーブルにはつかないの。琥珀はねホステスじゃなくて、歌専門なのよ。下戸だしね」
「歌専門……? ですか」
小柄な店員がグラスを運んで来たのを受け取り、軽い乾杯を終えると話を続けた。
「琥珀は元々、私の古い友人の娘でね。小遣い稼ぎに歌わせてあげているけど、他のホステスたちみたいにお客様のお相手はさせてないの」
「僕も一度くらいお話ししてみたいんだけどなあ。まあ、そこがまたミステリアスでいいんだけどねえ」
「歌以外になんの取り柄もないし、つまんない子よ。世間知らずで口の利き方も知らないからお客様のお相手なんかさせられないわ」
琥珀は意外と若い人なのだろうか。美琴が当初想像していた琥珀のイメージとは違う女性なのだろう。
「そろそろ入ってくるわ」
店内が少し、暗くなるとBGMが止まり、二人の女性がステージに現れた。美しい曲線ボディの女性と、華奢で色白の女性が現れると、それまで各々で楽しんでいた客たちが二人を拍手で出迎えた。
ーーーーーーあれが琥珀か。
美琴は誰に教えてもらったわけでもなかったが、どの女性が琥珀か直感でわかった。
色素の薄い美しい肌に長い手足、胸まで伸びたストレートヘア。顔も肩も小さく、まるで人形の様だった。
清楚な薄い色のワンピースから覗いている真っ直ぐな琥珀の足は、美琴の少し太めな腿やふくらはぎの半分くらいの細さなのではないかと思った。年齢はイメージよりだいぶ若く、25、26くらいだろう。切長の目の上に走る美しい眉から、しなやかで洗練された印象を受けるが、真紅の口紅が色っぽくドキリとする。
琥珀にライトが当てられると、曲線ボディの美女が曲の紹介とナレーションを入れる。
曲が流れ始め、琥珀はステージの中央に立つ。琥珀が先に歌うようだ。
紅い唇が開く。
美琴はしばらくの間放心していた。しばらくの余韻のあと、客の拍手が店内に響いた。何が起こったのだろう?美琴は身動きが取れないでいた。
「よかっただろ? 琥珀ちゃんの歌」
糸村が話しかけてきた。
「あ」
美琴は言葉を発そうとするが、何をいうべきが言葉が見つからない。
「琥珀がステージに上がる日は客の入りが多いのよ。シゲさん、ちょっとごめんなさい、あちらに挨拶に行ってくるわね。マコト君もごゆっくり」
「あ、はい」
美琴が軽く挨拶すると、ママは席を立ち新しく来店した客を迎えた。
「大国ちゃん、どうだい?」
糸村が、穏やかに話しかけてくる
「店長……天使って本当にいるんですね」