道端でボロ雑巾みたいな少女を拾って育てたらめちゃくちゃ有能な魔導士になりました 〜勝手に弱いと判断して魔道院から追放したのに今さら強いと気が付いたってもう遅い。この子は私の愛弟子です〜
「クラリッサ、お前には心底失望したぞ! もうここにお前の居場所はない! 魔道院から出ていけ!」
男の怒鳴り声に少女ーークラリッサはビクリと体を震わせた。
騒動は、大陸の中央都市に位置する魔導院『イストワール』で起きた。魔導院『イストワール』は毎年多くの有能な魔導士を輩出することで有名な孤児院の機能を持ち合わせた魔導士養成施設だ。
クラリッサは魔導院で魔法の指南を受けている生徒である。幼い頃に両親が亡くなり、魔力量が他人より多いことから孤児として魔導院に引き取られることとなった。
それから、14歳になる現在まで絶えず魔法を学んできたが彼女だが、その実力は一向に上達しなかった。そして遂に魔導院の院長ーーワドルクから追放を言い渡されてしまったのだ。
過去、魔導院を追われた者は数人のみ。その汚名がクラリッサに降りかかる。
クラリッサは酷く狼狽し何も言うことが出来なかった。ボサボサな銀色の髪の毛から真っ青な顔とキョロキョロと泳ぐ目が覗いている。
クラリッサは少しずつ後ろに後退していく。
どこへ行けばいいのだろう、ここ以外に私の居場所は無いのに。
クラリッサはそう思いながらも少しずつ魔導院の外に足を向かわせる。
そもそも、ここにすら居場所なんてなかったと思い出したところで、それ以上に絶望感は感じなかった。クラリッサは、ここへ来た時からずっと絶望しかしていないのだから。
「やっぱり、いつかは追い出されると思ってたんだよな〜! なぁ、みんなもそうだろ?」
クラリッサの目の前に数人の男女が立ちはがる。
嘲笑を浮かべながら言うのは、ルワンというクラリッサよりも1つ歳上の少年だ。
ルワンはいつも数人の仲間を引き連れてクラリッサに酷い虐めを繰り返していた。不出来な彼女を虐めることが、魔導院という厳しい環境下での彼らの娯楽だった。
そして、クラリッサへの虐めを魔導院側が黙認していた。不出来な者は虐められても仕方がない、その結果として才能溢れる生徒たちのストレス発散に繋がるのならそれで良い。それが魔導院の考え方だった。
ルワンと共にいる男女もクラリッサを見てクスクスと笑う。いつものことだ、気にするな。そうやってクラリッサは悔しさを胸のうちに閉じ込めて、何でもないように脇を通り過ぎようとする。
ドン! ちょうど真横に差し掛かったとき盛大に突き飛ばされて地面に転がった。クラリッサは土に塗れて汚れる。惨めだ、どうしてこんなに惨めな目に遭わなければいけないんだ。涙が溢れそうになるのを抑えて強く唇を噛み締めた。
自分が不出来なのが悪いんだ。もしも優秀だったら、私はこんな目に遭わずに済んだ。全ては自分が悪いのだと必死に思い込ませる。
「あ〜ら、ごめんなさい。でも、土に塗れて汚れている方が随分とお似合いだと思うわ。」
甲高い声で笑いながら嘲るのは、いつもルワンの横にピタリとついてまわる少女ーーベニーだ。
いつも高慢で自分の思い通りにならなければ気が済まない。ベニーに何度当たられたか、クラリッサがいちいち数え切れない程だった。
クラリッサは何も言葉を返さずに、ギュッと拳を握って立ち上がり足早にその場を去った。
ボサボサの頭と土に塗れて汚れた身体。何年も着ているくたびれた洋服、汚れと洋服に隠された無数のアザと傷。
彼女が不幸を語るには充分だ。
しかし、この物語の主人公は彼女ではない。
「は〜ああ、弟子のために買い出しに行ってあげる私、なんて優しいんだ。」
道端でしゃくしゃくとリンゴを食べながら荷物を片腕に抱え、イザベラはわざとらしく自身の功績を讃えていた。
イザベラは魔導士養成学園『セント・マグナレス』で教鞭を奮っており、自身の授業を取る可愛い弟子たちのために食糧をたんと買い込んだ後の帰路を辿っていた。
齢28の彼女は教師となって12年のベテラン、それでいて天才魔導士の呼び名を自身のモノにしていた。それと同時にかなりの変人とも呼び声が高い。
イザベラはもう一度リンゴを齧ったところで、妙な気配を感じて立ち止まり「ん?」と首を捻った。
気配のする右手側の路地に目を向けると、そこにはボロボロの雑巾のような汚らしい何かが落ちていた。ジッとよく見たところでそれが人間の少女なのだと分かった。
「ふむ、何でこんな所にこの魔力量の人間が落ちてるんだ?」
彼女には人間にどれほどの魔力量があるのかを視て測ることが出来る。そして、彼女は瞬時に横たわる人間が多くの魔力量を有していることに気がついた。
通常、魔力を多く有する者は魔導士になるために養成施設へ通う。しかし、こんな小汚い路地にその資格を持つ人間がいるということは、何かのっぴきならない事情があるのだろうとイザベラは推測した。
ふむふむ、面白いとイザベラは唇に弧を描いた。
「荷物持ちが欲しいと思っていたんだ。」
イザベラは横たわるボロ雑巾のような少女に近づいていった。
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「というわけで、拾ってきた。」
「どういう訳ですか!?」
イザベラの言葉に彼女の生徒の1人が声を上げた。それにより、イザベラは鬱陶しそうな顔をする。
イザベラは『セント・マグレナス』に戻り自身のクラスーー基、自身の部屋に戻った。道端のボロ雑巾のような少女は、イザベラの持つ食糧を分け与えるとガツガツと食べたので、彼女が飢えていただけなのだと理解出来た。そして、イザベラは少女に荷物を持たせて学園に戻ったのだ。
イザベラの部屋にいる彼女の生徒たちは、ジッとその少女を見つめている。少女は恥ずかしそうにイザベラの後ろに隠れた。
「先生、きちんと説明して貰わないと困ります!」
「あーもう、ヘンリーは一々うるさい奴だな。」
ヘンリーは『セント・マグナレス』の2年生で16歳。変人揃いの彼女のクラスでは唯一の常識人だ。マトモであることが逆におかしいと評されているけれど。マトモであると共にヘンリーは特徴のないほどに容姿・性格が平凡である。
「先生は、このクラスがどれほどに人気がなく人が少ないのかわかっていますか? 一体誰が彼女の面倒を見ると?」
「失礼な、私のクラスは人気がないのではない、人を選んでいるだけだ。」
事実、ヘンリーの言うことは的を射ていた。イザベラのクラスは学園の中で最も人数が少ない。
魔導士養成学園『セント・マグレナス』の入学資格は義務教育課程を終えた14歳から18歳。稀に特例はあるが、大方このルールに則った上で厳しい試験を突破するか、教員による推薦によって入学が許可される。入学後は、非常に優秀な教員陣より生徒自ら指導を受けたいと思う教員を選び授業を受けるのだ。原則1人の教員の元で指導を受け、4年制であるため留年等異例の事態がなければ4年間で卒業する。
教員数は12名、対して生徒数は各学年に100名。トータルすると約400名であるが、教員に対しての生徒数はクラスによってかなり異なる。
イザベラのクラスは学園の中で最も生徒が少ない。それは、彼女の授業がかなり厳しいことで有名だからだ。しかし、イザベラのクラスを卒業した生徒は必ず魔導士として名を馳せることでも有名であった。
実際、人気がないのではなく、授業についていけず挫折するか厳しさに逃げ出す者が殆どだった。
その結果、卒業生は彼女が教鞭を取る12年間の間でたったの7名である。
「クラスが人気かどうかはこの際どうだって良いんです。今このクラスの生徒数はたったの4人……いや、もしかしたら3人になるかもしれないですけど……。」
ヘンリーは、部屋の隅でシクシクと泣く金髪ツインテールの少女ーージェシィに目を向けた。
ジェシィは15歳の2年生だ。クラスの中では最も打たれ弱く、いつ逃げ出してしまってもおかしくはない。今でさえも「もうやめる!」と言い出してしまいそうな雰囲気だった。
イザベラは『またか』と思ったがニコリと笑顔を浮かべながらジェシィに近づいていく。
「一体どうしたんだい?」
「あ"だじ、も"ゔ無"理"ィ!!」
グズグズと泣きながら、だみ声でジェシィが言う。それに対してイザベラは優しく彼女の頭を撫でた。
「ジェシィ、私はあんたに随分期待してるんだ。」
イザベラの一言で、ジェシィはすぐにパァッと顔を明るくして機嫌を直した。
『チョロ』とこの場に居る全員が心の中で呟く。
ジェシィはいつも情緒不安定だ。だが、イザベラがちょっとでも褒めてやればすぐに機嫌を取り戻す。褒めておけば大丈夫なチョロいヤツだ、というのが全員の認識だった。
「とにかく、たった4人しかいないこのクラスの誰が彼女の面倒を見ると?」
ヘンリーが再び口を挟み、少女を指さしてイザベラに投げかけた。まるで、元いた所に戻して来なさい! と叱る母親のようだ。
【俺はムリ。】
空中に魔法で文字を浮かび上がらせて拒否をしたのは、17歳の3年生であるナイルだ。
ナイルは滅多に口を開かず、基本的な対話は全て魔法によって浮かび上がる文字を介して行われる。
「それならば、オレが面倒を見よう!!」
意気揚々と発言し立ち上がったのは、赤髪の天然パーマの4年生、ジャネックだ。この中では最も歳上の19歳で、かなり猪突猛進で活動的な生徒である。
今も嬉々として少女の世話を買って出ているが、他の者からの視線はかなり冷たいものだった。
「ジャネック先輩、座学が壊滅的なのわかってます? 今のままだと卒業が危ういのに他人の世話なんて見られるんですか?」
ヘンリーの言葉に、ジャネックはパチパチと2度瞬きしてから「そうだな!」と、これまた元気よく応じて椅子に座った。
「彼女の世話について考えてくれているところ悪いが、誰かに世話して貰おうなどと考えてはいないさ。」
イザベラの言葉を受けて、生徒たちは顔を見合わせた。それから、彼女の真意を理解してパッと明るい表情を浮かべる。
「て、ことは……遂に1年生がやってくるのね!」
ジェシィは、これほど嬉しいことはない! とでもいうように手を上にあげてバンザイのポーズをした。
現在、イザベラのクラスには1年生がいないのだ。厳密に言えば、居たけれど早々に逃げてしまった……というのが正解だけれど。
だから、イザベラクラス存続の危機! と危惧していたのだが、無事に少女がクラスに入ってくれればその心配はなくなる。万事問題は解決だ。
「この子はかなり魔力がある。私の推薦を以って入学し、うちのクラスで引き取るつもりさ。ほら、名前くらいは言えるだろう?」
イザベラは影に隠れる少女へ自身よりも前に出るようにと促した。少女は戸惑いながらもおずおずと前に出て、そして4人の生徒にはっきりと姿を見せる。
「ク、クラリッサ……です。」
クラリッサはそれだけ言うと俯いて、ギュッと服の裾を握りジッと立ちすくんでいた。
かなり内向的だ、とイザベラは推測した。それから、ジェシィに目を向けてニコリと笑いかける。
「ジェシィ、この子を綺麗にしてやってくれ。君なら上手くやってくれると期待しているよ?」
期待、という言葉にジェシィはやる気に満ち溢れた表情をする。
「勿論! あたしは完璧にやってみせます!」
ジェシィは、張り切って言うとクラリッサの手を取り部屋を飛び出た。『チョロい』とイザベラはにまりと口の端を釣り上げる。
おそらく、風呂に入れて服も髪も整えてくれることだろう。
「……それはジェシィにクラリッサの世話をさせていることになるのでは?」
「細かいことを気にする男はモテないぞ、ヘンリー。」
イザベラの言葉にヘンリーは、もういいと言うようにため息をついて自身の席に座るのだった。
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イザベラの部屋にジェシィと共に現れた銀色の髪を持つ少女に、3人の男子生徒はあんぐりと口を開けた。イザベラは、予想以上の原石を拾ったものだと自身の心眼に讃辞を送る。
「あたしにかかれば、こんなもんよ!」
ジェシィは自身のプロデュースがかなり気に入ったようで、胸を張ってクラリッサの隣に並んだ。
クラリッサの髪の毛は艶を取り戻し、隠された顔は結われた髪によって露わになる。目は吸い込まれそうなほどに綺麗な翡翠の瞳で、スッと通った鼻筋に赤い唇を持っていた。肌は白くシミ一つない。
美しい、という言葉がこれほど似合う少女がいるのだろうかとこの場に居る者は感じていた。
服装もボロボロのものではなく、学園の制服を着て身綺麗になった。
「ジェシィ、その制服は一体どこから用意したんだい?」
「そ、そんな細かいことは良いじゃないですか!」
イザベラの問いかけに、あからさまにジェシィは視線を逸らした。
こいつ盗んできたな、と推察するも特に咎めることはしなかった。むしろ、どうせ手に入れなければならないのだから丁度良いとさえ思っていた。
「あ、あの、こんなに良くして頂いて申し訳ないのですが……わ、わたしは出来損ないです。それに、お金だって、も、持っていないんです。」
クラリッサは今にも泣きそうな程に顔を歪ませながら、消え入るような声で精一杯主張した。
イザベラはそんな彼女の頭に優しく手を置く。
「お金は気にしなくて良い、出世払いということにしておこう。それに、君の出来が良いかは関係ない。大事なのは君が強くなりたいと望むかどうかだ。」
イザベラの言葉に、クラリッサは伏せていた瞳を彼女の視線に合わせた。
「私の授業は簡単ではない。だが一生懸命に努力すれば必ず強くなるだろう、私が保証する。君の事情を無理に聞くつもりはないが……見返してやりたいとは思わないか?」
クラリッサは脳裏に焼き付くさまざまな出来事を思い出す。苦しかった記憶の全ては自身のせいだと思ってきた。だけれど、心の奥底では強く思っていた。なぜ自分がこんな目に遭うのか。なぜ強くなれないのか。どうすれば、ルワンやベニー、虐めてきた全ての人々、魔導院に自身の存在を知らしめてやれるのか。
このチャンスを逃しても良いのか、とクラリッサは自分に問いかける。答えは、否だ。
「わ、わたし、強くなりたい。」
クラリッサの答えにイザベラは満足気に笑みを浮かべた。
ヘンリー、ジェシィ、ナイル、ジャネックはイザベラの横に並び、歓迎するように対面する。
「ようこそ、魔導士養成学園『セント・マグナレス』イザベラクラスへ。」
イザベラの歓迎の声に、クラリッサは初めて小さく笑顔を見せた。
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数日後、正式に学園に入学したクラリッサは初めての授業に挑んでいた。
しかし、彼女に指南するのはイザベラではない。彼女はクラスの生徒たちに課題を与えた。
『クラリッサに魔法の基礎について指導し、指導が終わった時点で彼女が十分に理解した状態であること。』
これが、生徒たちに与えられた課題だった。
何もイザベラは楽をしたかったわけではない。他人に教えることが何よりの勉強になるという彼女なりの考えを基に与えられた課題であり、それが4人の成長にも繋がると思ったからだ。
初日の担当は最年長のジャネックだ。
イザベラは悠長に椅子に座り、ティータイムを楽しみながら遠巻きに授業の様子を観察していた。
「さて、今日オレが教えるのは基礎魔法についてだ! 大抵の魔導士は基礎魔法ならどんな属性でも扱えるわけだが……まずは君が1番得意な属性の魔法を撃ち込んでみろ!」
ジャネックは「さぁ!」と両手を広げて彼女の魔法を受け止める気満々なポーズを取る。
彼は何処までも熱く、それでいて何処までも馬鹿で脳筋な男だった。イザベラはジャネックらしいとは思ったが、魔法を自身の身体で受け止めようなどと思うのは彼ぐらいだろうと呆れつつも小さく笑った。
クラリッサは一瞬戸惑った。
確かに魔法が得意なわけではないけれど、魔導院で基礎的なことは習っている。それを、生身の身体に撃ち込むことには抵抗があった。
しかし、ジャネックの曇りのない瞳を見ていると何故だか大丈夫なのではないかという気持ちが彼女の中で芽生えてくる。
「ほ、炎よ爆ぜろ!」
クラリッサは炎属性の基礎魔法『火の玉』を詠唱してジャネックに撃ち込んだ。クラリッサはバッと顔を逸らして彼がダメージを受けるところを見ないようにした。
「案ずるな、オレは無事だ。」
しかし、ジャネックの身体には大した傷がついていなかった。クラリッサは、それを見てやはり自身には魔法の才能がないのだと落ち込む。長い間魔法を学んだというのに、基礎魔法すら満足に使えないのだという事実が心に深く突き刺さった。
「良いか、君に足りないのは魔力でも才能でも何でもない! 魔法の練り方が甘いのだ!」
「魔法の、練り方?」
クラリッサは首を捻る。
魔導院の指導は常に理屈を詰め込むものだった。だから、感覚的なものとは縁遠くそういった指導は受けてこなかったのだ。
「魔力を注がなければ魔法は出来上がらない。その基礎的な部分は確かに出来ているが、注ぐ魔力の質が低すぎるのが問題だ。まずは、自分の中に流れる魔力を細部まで感じるんだ。」
クラリッサは、ジャネックの言葉に戸惑いながらも自身の中にある魔力に意識を向ける。身体中を巡る魔力、常にゆったりと流れているが時に早く駆けていくこともある。指の先、爪の先まで意識を向けると端から端まで魔力が流れていることがよくわかった。今までは、こんなことを考えることすらなく、何だか新鮮に感じていた。
「それをギュッとしてバッとしてドーン! と放出すれば良いんだ!」
ジャネックはハッハッハと笑いながら急激に大雑把な説明になる。クラリッサはよく分からないながらも理解しようと必死だった。
イザベラはその様子を見て、ジャネックの感覚派が彼女に上手く伝わるのか少し不安に感じたが、理屈ではなく感覚が彼女を助けるだろうという確信があった。
とは思いつつも、ジャネックの教え方は全くもって意図したものではないわけだけれど。
クラリッサは試行錯誤しながら、ジャネックの言葉を自分に落とし込もうと奮闘する。
10分、30分、1時間……彼女は時間をかけて上質な魔力を注げるように精を出す。ジャネックは、相変わらず感覚的に彼女にアドバイスを続けた。
イザベラには、それが続ければ続けるほどクラリッサの魔力の流れが良いものになっているとわかった。同じことを続けることにも根気がいる。
だが、彼女は少しも手を抜かずに続けていった。きっと、これから力を付けていくだろう、彼女にはその素質がある。
イザベラは未だに成果は出ていなくとも愉快そうに2人の様子を眺めていた。
「炎よ、爆ぜろ!」
遂にその時が来た。
クラリッサは何かを掴んだようで、『火の玉』を撃ち込むと、先程とは全く比にならないほどの威力のソレがジャネックに命中した。
「うむ、今のはかなり効いたぞ!! 短時間によくここまで成長したな、素晴らしい!」
かなりの威力のはずで、確かにジャネックに少し傷を負わせたものの、彼は全く動じていなかった。流石は脳筋だ。クラリッサは戸惑いながら彼の怪我の具合を気にしている。
イザベラが1番初めの段階の指導をジャネックに頼んだのは、彼の防御力が桁違いに高いことが理由だった。そして、彼の感覚的な思考をクラリッサに教える必要があると感じていた。
クラリッサは未だ話したがらないが、彼女が魔導院出身だということはみんなが理解していた。それは彼女が身につけていたボロボロの布切れが魔導院の服だったからだ。
イザベラは、まずクラリッサの魔導院で培われた理屈的な思考を変える必要があると見抜いていた。事実、彼女には理論的な考え方は向いていなかったのだ。
そして、実践的に魔法の練り方を理解する必要があった。ジャネックが身体で受け止めることによって的確なアドバイスをすることが出来るだろう。それは、彼にしか出来ないことだった。
ジャネックの防御力は魔導士のそれではない。どう考えても剣士や戦士など最前線で戦う者に匹敵するか、それ以上のものを持っていた。
それは、彼にとって最たる長所であるとイザベラは理解している。他の魔導士たちがそれを評価するかは置いておいて。
「先生! クラリッサは見事に基礎魔法を理解しましたよ!!」
ジャネックがいつも以上に嬉しそうな笑顔を浮かべながら大きな声でこちらに呼びかける。遠くにいるのにうるさいと感じるほどだった。
イザベラは魔法で瞬時に2人の側に行き「よくやった。」と頭を撫でて褒めてやる。
クラリッサの秘めたポテンシャルがよく分かり、かなり良いスタートが切れたとイザベラは嬉しく思う。
それと同時に、ジャネックには指導の素質がないということも理解したのだった。
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「今日は、あたしがサポート魔法について教えるわ!」
勝気なジェシィは、腰に手を当てながら胸を張ってニッと笑いながらクラリッサに言った。
どうやら今日はかなり上機嫌らしい。
「良い? サポート魔法にもいくつか種類があるの。防御魔法に回復魔法、それから強化魔法。まぁ、ちょっとイレギュラーだけど転移魔法とかの特殊魔法もサポート魔法の一つね。」
クラリッサはコクコクと頷きながら、座学ではないのに一生懸命にノートにメモを取っていた。
なんて真面目で素直な子だろう、と思いながらもイザベラはそれを面白がっていた。
「サポート魔法はとにかく暗記よ! 詠唱の仕方、魔力の流し方、持続効果や相乗効果、全て覚えれば正確な魔法が使える……それがサポート魔法。上位になればなるほど複雑になるけど、攻撃魔法よりもセンスは問われない。自分の努力が全てだなんて、とっても公平だと思わない?」
ジェシィの言うように、サポート魔法は地道な努力が何よりもモノを言う分野だ。
サポート魔法については、現在学園の生徒の中で彼女の右に出る者はいないだろう。試験では常に1位を取り、学園の2年生でありながらも上位のサポート魔法をいくつか扱うことが出来る。
それと引き換えに、彼女の攻撃魔法は至って平凡で、おまけに打たれ弱いと来た。イザベラのクラスを逃げ出さずにいるのは奇跡と言っても良いかもしれない。
「サ、サポート魔法は教科書を丸々暗記しています……だけど、全然上手く使えないんです。」
クラリッサは、暗記だと豪語するジェシィの言葉を否定するように小さな声でぽつりと呟きながら抗議した。
「ダメダメ! 1冊丸々覚えるだけなんて足りない! 教科書に載ってるのは詠唱の仕方と大まかな魔力の使い方に簡単な詳細だけ。それで完璧に扱えるのは一部の天才だけよ。何冊も駆使して細かく覚えることが何よりも大事。言ったでしょう? サポート魔法は努力が全てなの。」
ジェシィの話を聞いてクラリッサはポケッと口をあけたまま放心した。ジェシィの努力は並大抵ではない、常人では真似できるはずがない。
だけれど、クラリッサは自分が努力をしないといけない人間だということを理解していた。教科書一冊でどうにもならなかった自分は、ジェシィのような努力を行うことでやっと一人前になれるのだと。
天才ではない。だからこそ、人一倍頑張らないと。そんな気持ちがジェシィの話によって芽生えていく。
「わ、わたし……頑張ります!」
「あたしが使っている本を教えてあげる、何ならお古で良かったら貴方にあげるわ! それから、暗記のコツなんかも伝授しないとね、それから……。」
ジェシィは初めて出来た後輩に何でもしてあげたいという気持ちがあって、甲斐甲斐しく世話を焼こうとしている。こうなると、もう指導の範囲を超えてしまってはいるが、イザベラは2人の様子を見てきっとサポート魔法に関しては大丈夫だろうと判断し、終了を知らせるために立ち上がった。
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3番目に指導を行うのは3年生のナイルだ。
既にふよふよと頭上に文字が浮かんでいて、クラリッサはそれを一生懸命に読み進める。
【俺が教えるのは中級魔法、及び近接・中距離・長距離魔法の違いについてだ。ジャネック先輩からは基礎魔法を、ジェシィからはサポート魔法をしっかり教わっている前提で話を進めるが構わないか?】
クラリッサが、文字に対して相槌を打つのにはかなり時差があり、ナイルは少し眉間にシワを寄せた。
クラリッサはそれを見て、もしかして怒らせてしまったのではないかと不安になるが、ナイルの次の言葉でそれは杞憂だったと理解する。
【もしかして、音声があった方がいいのか?】
クラリッサは「あ、えっと……。」とどもるが、素直にコクリと頷いた。
【俺の配慮が足りなかった、すまない。】
文字が表記されると共に、低く艶のある男性の声が流れた。それがナイル自身の声なのかどうか、クラリッサにはわからなかった。しかし、イザベラは彼の声を元にした別の何かの声だと判断した。
というのも、彼女はナイル自身の声を聞いたことがあるので、判断出来たのだ。
【中級魔法は基礎魔法に比べてより一層詠唱の仕方や魔力の流し方、さまざまな点で複雑になる。だが、それによって魔法の幅はグッと広がる。例えば、ジャネック先輩が最も得意とするのは近接魔法で、魔法によって造形された武器による攻撃や近距離で放つ魔法を用いる。ま、それは先輩が戦士顔負けの肉体を持ってるからなし得る事であって、俺たちには無理だから。】
ナイルは説明しながら"魔法によって造形された武器"と"近接魔法"の例をクラリッサに見せる。説明したのち、それは全く自分たちに向かないとキッパリ宣言した。
あまりにもはっきりと言うので、クラリッサは初めから可能性を潰さなくても……と批判的に感じたが、すぐに先日のジャネックを思い出して、やはり自分には無理だと掌を返した。
【多くの魔導士が使うのは中距離または長距離魔法だ。人によっては同じ魔法でも威力や精度は異なるから、一概にどの魔法が良いとは言い難いが……まずは例を見せよう。】
ナイルはボソリと詠唱を行い『炎の弾』を上空に放ってみせた。
【ジャネック先輩から指導を受けた際『火の玉』について学んだと聞いた。その上位互換である中級魔法が今見せた『炎の弾』だ。今のは中距離魔法だが、イザベラ先生が同じ魔法を使ったら遥かに威力が強くまるで別の魔法のように思えるだろう。】
クラリッサは「なるほど。」と興味深く相槌を打ちながらメモを取っていく。ナイルはクラリッサのメモの様子を窺いながらも説明を続けた。
【中距離魔法についてはヘンリーの方が得意としているから詳しく聞くと良い。俺が得意とするのは長距離魔法だ。これには独自の魔道具を使用しているから、君にとっては参考程度にしかならないとは思うけど……まぁ、百聞は一見にしかずと言うし。】
ナイルは、遠くに立てられているマトを指差して、そちらを注目するようにクラリッサに促した。それから、手を銃のような形にしてマトに照準を合わせる。
ヒュン! という音と共に閃光がマトを撃ち抜いた。クラリッサは目をパチクリとさせる。ナイルの指先から発射された魔法が、見事に、そして正確にマトを貫いたのだ。
【これは『光閃』という魔法で、長距離にいる対象を撃ち抜くことが出来る。ここまで正確に狙えるのは俺の開発した魔道具のおかげだから、命中率に関しては保証できないけど。】
そうナイルが言葉を現してからクラリッサを見ると、彼女からの凄い! という視線が一直線に彼に刺さった。尊敬の眼差しに慣れていないナイルは、うっ! と体を後ろに一歩引いてから視線を逸らした。
【とにかく、長距離魔法は多くの場合魔道具と一緒に使われる。姿が見えずとも魔法を命中させることが出来るし、場面にはよるが使い勝手の良い魔法だと思う。自身に合う魔道具を探さなければいけない、というデメリットはあるが。】
俺の場合は自作製品だけど、と付け加えた後にナイルはもう無理だと言う視線をイザベラに向けた。
イザベラは仕方ない、と2人の元に近づく。
対人関係の苦手なナイルにしては良くやった方だ、とイザベラは彼を褒めてやらなければと決め込んだ。
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最後にヘンリーの番が回ってきた。
クラリッサには、なぜ彼が1番最後なのだろう? と不思議に思えていた。
クラリッサの考えはこうだった。恐らく、彼から教わる内容が順番的にも1番難しいはずで、それを1番平凡そうな彼が教えるなんて違和感がある。
その考えが正解か不正解か、ヘンリーの指南が始まってすぐに理解することになる。
「今日は僕が教える番だけど、まず安心して欲しいのは"真似してやってみろ"だなんて無理難題を言うつもりは無いってこと。そうだなぁ……見てもらった方が早いかな。」
パチン、とヘンリーが指を鳴らして現れた光景にクラリッサは目を見開いた。
ヘンリーの上空に、何十本という光を纏った槍が一瞬で現れたのだ。それが高位の魔法であるということをクラリッサは瞬時に理解した。
イザベラもその光景にとても満足そうだった。
ヘンリーは見るたびに魔法の精度を上げてくる。平凡な容姿や思考、性格からは考えられないほどに、まさしく彼は"天才"だった。
事実、ヘンリーはイザベラの歴代の生徒と合わせても1,2を争うほどの実力の持ち主である。
「僕が今日教えるのは上級魔法と無詠唱について。今僕がこの魔法を出現させるのに詠唱は行わなかったよね? 何か一つの動作や音、人によっては思考するだけで魔法を出現させることが出来る……それが無詠唱。僕の場合だと、こうして指を鳴らすことが魔法を出現させるトリガーとなる。」
一通り説明してから「理解出来たかな?」と少し自信なさげにヘンリーが問いかける。
クラリッサは一生懸命にメモを取りながらも理解出来たと頷いてみせた。
その様子にヘンリーは安心して小さく笑みを浮かべ、続けて上級魔法の説明に入る。
「そして、今出現させているのが上級魔法の一つ『無数の光槍』だよ。上級魔法は中級魔法と比べてより魔法の構築が複雑になる。でも、この魔法はまだ簡単な方だよ。単純な魔法の組み合わせで、量が多いだけ。精度だけ気にすれば大抵習得できる。」
ヘンリーの言っていることを理解は出来るが、あまりにも規格外だとクラリッサは混乱せずにはいられなかった。
量が多いだけで精度だけ気にすれば習得出来る? 一体何を言っているのか、その量の多さが鬼門だというのに。
クラリッサのその思考はヘンリーには届かず、彼は平然と説明を続けていく。
「複雑な上級魔法といえば『隕石落下』が挙げられるけど、ここで使うには被害が大きすぎるからやめとくね。」
あはは、とヘンリーが笑うが、クラリッサはポカンと口を開けるだけだった。平然と口にした『隕石降下』はそんなに易々と会得できる魔法ではない。しかし、彼の口ぶりからすると既に会得しているのだろうとクラリッサには推測出来た。
まだ16歳の少年が、だ。
「何か質問はある?」
「あ……えっと……ヘンリーさんが無詠唱を行う際に指を鳴らすのは、何か理由があるのですか?」
ヘンリーに促されて、クラリッサは質問を絞り出す。彼女からの質問に、ヘンリーは「え!?」と声を上げてから目を泳がせた。
「そ、それは……ほら、指を鳴らすのってカッコいいかなぁと思って……。」
あはは、と笑いながら消え入りそうな質問に答える。顔を真っ赤にして、恥ずかしいというのが前面に押し出されていた。
イザベラは、それを聞いて声を上げて笑う。
思考がどこまでも平凡すぎて、先程の天才ぶりが嘘のようだ。
イザベラの笑い声は2人にも届いていたようで「笑わないで下さいよ!」というヘンリーの怒声が響く。
それからイザベラの近くで隠れて見ていた生徒3人も耐えきれずに笑い声を漏らした。ヘンリーはまさか3人にも聞かれているとは思っていなかったため、より一層顔を真っ赤にする。
「ヘンリーは相変わらず期待を裏切らない平凡ぶりで驚かされるよ。」
イザベラは瞬時に2人の元へ移動して、笑いを溢しながらヘンリーの肩をぽんぽんと叩いて言った。
ヘンリーは唇を尖らしてイザベラの手を払い、フンっと顔を背けた。恥ずかしさの余り不機嫌になってしまったようだ。
「あっはは! まさか指を鳴らす理由が"かっこいいから"だなんて、あたしも初めて聞いたわ! あー、おっかしい!」
ケラケラと笑うジェシィと、笑いを堪えながらも口角は上がっているナイルとジャネックの2人もイザベラたちに合流した。
ヘンリーはあまりにも笑うジェシィの頬を「このっ!」とつねって制裁を加える。実の所、イザベラにはそんなことが出来ないので、その分もジェシィに八つ当たりしていた。
ジェシィは「いひゃい!」と悲鳴を上げて、すぐさま彼から離れた後、赤くなった頬を大事そうにさすって労った。
「それで、4人の授業は理解出来たかな? クラリッサ。」
イザベラがクラリッサに問いかける。
クラリッサはニコニコと笑いながらヘンリーとジェシィのやりとりを見ていたので急に声をかけられ驚きの表情を浮かべながらもイザベラの方を見た。
「あ、はい! とてもわかりやすく学ぶことが出来ました。魔導院とは全く違う教え方で、それに教えて貰えなかったことも知れて……あっ!」
途中まで穏やかに話していたが、クラリッサは声を上げて手を口に当てた。
彼女の中で自分が魔導院出身であることはひた隠しにするつもりでいたのだ。"魔導院を追われた"という汚点をなるべく隠したかったから。だが、ついうっかり口にしてしまったわけだ。
その様子を見て、他の4人の生徒たちは顔を見合わせてから安心させるような穏やかな表情を向けた。
「あたしたちはみんな、とっくにクラリッサが魔導院出身だってことには気づいてたわ。だって、あなたが来た時のボロボロの服が魔導院のものだったんだもの!」
ジェシィはそう言ってからコロコロと笑ってみせた。クラリッサは、もう知られていたという事実に戸惑いながらも安堵していた。それは、きっと魔導院を追われたと知られればここにも居られなくなる、と思い込んでいたからである。だが、既にその事実は知られていたわけだ。
事実を知りながらも自身を迎え入れてくれた。
それがクラリッサにとってはとてつもなく嬉しいことで、自然と顔が綻ぶのを感じた。
「どんな過去があったのか……きっと話したくないんだろう? 僕たちは無理に話を聞くつもりはないよ。」
ヘンリーが優しい声音、優しい表情で告げる。それは4人の、そしてイザベラの本心でもあった。無理に過去を掘り下げるつもりは少しもなく、大事なのは今であり未来だと伝えていかなければならないと使命感すら感じている。
周囲を見てクラリッサは一つ決心をした。
自分の身に起きた出来事を包み隠さず話すと。
「わ、わたしは、魔導院を追われました。幼い頃から長年学びましたが、一向に魔法が上達することはなく、初歩的なことしか学ばせて貰えず、正真正銘の出来損ないでした。」
話し始めた途端、全員が真剣にクラリッサの言葉に耳を傾けた。
「魔導院で酷い虐めにも遭いました。勿論、魔導院は助けてなんてくれません。それは、わたしが出来損ないだから仕方ないんだって思い続けていました。」
みんなの顔がグッと強張っていく。
不当なイジメも、それを黙認した魔導院にも心底腹が立っていたのだ。
「だけど、みなさんと出会って、わたしは成長出来るんだって気付かされました。ずっと、ずっとずっと苦しくて、痛くて、絶望しかなかった! 酷い目に遭わされても仕方がないなんて、本当は思いたくなかった!」
クラリッサの悲痛な叫びが響く。
今まで胸の奥にしまっていた解き離れた瞬間だった。クラリッサの頬を涙が伝う。それを拭ったのはイザベラだった。
「そうだ、仕方ないなんて思わなくて良い。私があんたを拾ってきたのは、大きな可能性を感じたからだ。私が見込んで生徒にしたんだよ? 誇るべきことに決まっているさ。」
イザベラが唇に弧を描きながら、クラリッサを励ますように声をかける。
「うむ、出来損ないなどではないとオレが断言しよう!」
【クラリッサは絶対に強くなる。イザベラ先生の授業を受けて強くならないわけがない。】
「そもそも、魔導院のやつらなんかあたし達の足元にも及ばないんだからね! すーぐクラリッサの方が強くなっちゃうんだから!」
「クラリッサ、君が望めばきっとどんなことも出来るよ。魔導院の人たちを見返すことも、優秀な魔導士になることも、なりたい自分になることも。」
イザベラに加え4人にも励ましの言葉をもらい、クラリッサはジンと心が熱くなるのを感じた。
それから再び決意する。ここからがスタートで、必ず強くなってみせると。そして、自分は絶対に魔導院の人たちのようにはならないと。
それから、クラリッサは4人と同じ授業に加わることとなった。イザベラの授業は彼女が自分で"厳しい"と評するほど、実際にとても厳しいものだった。
普段の授業からハイペース且つ甘えは少しも許さない。少人数だからこそ出来る一人一人に合わせたトレーニングを行っているが、一年生だからと簡単なものを用意などはしない。
そして、時には課外授業として崖から突き落とされ三日三晩森を彷徨い、生徒たち5人で力を合わせて生き延びたり、魔獣がうようよしている厳しい山の登頂を課せられたりした。
泊まり込みでイザベラから与えられた課題に取り組み、部屋と鍛錬場の往復の生活を1週間送ったこともあった。
逃げ出すものが多いというのも頷けるとクラリッサはすぐに理解した。
しかし、彼女は逃げ出すことをしなかった。
全てにおいて真剣に取り組み、そしてメキメキと力を付けていった。それは、ヘンリーが焦りを感じるほどの成長ぶりであった。
そんな日々を送るある日、イザベラクラスに1つの決定が下された。
「再来週末、私のクラスと魔導院で交流会が行われることとなった。」
イザベラが告げると、全員の視線がクラリッサへと集中した。クラリッサは目を伏せて、小さく震えていた。魔導院でされた仕打ちの数々を思い出して、そして彼らと対峙しなければいけない事実に恐怖を感じていた。
彼女はまだ、過去を克服などしてはいないのだ。
「クラリッサ、私はあんたに嫌なら来なくても良い……なんて甘いことは言わない。これはクラリッサにとって大きな試練だ。しかし、それを乗り越えてこそ強くなれる、わかるね?」
「わ、わたし……。」
クラリッサはイザベラの言葉に了承の意を示さない。まだ、彼らと対峙できるほどに自分が成長しているのか自信を持てなかった。
さらに言うと、また彼らに酷い言葉を浴びせられることが嫌で堪らなかった。どうしてイザベラが自身を惨めな立場に立たせようとするのか、彼女には理解できずにいた。
「彼女の心の傷は計り知れないほどに深いはずです、魔導院と対峙させるのは早いのでは?」
クラリッサに助け舟を出したのはヘンリーだった。彼女が初めてイザベラクラスに来た時のことを思いだして、どうしても口を挟まずにはいられなかったのだ。
そんなヘンリーに対して、イザベラはかなりキツい視線を送る。
「ヘンリー、本当にそれがクラリッサにとって最善な選択だと心の底から思っているのか?」
イザベラの言葉にヘンリーはグッと口を継ぐんで押し黙った。それから、イザベラは再びクラリッサに顔を向ける。
「これから先もっともっと厳しい目に遭うこともあるだろう。その度に苦しいからと言い訳をして対峙せずに背を向けるのか? 私の判断が厳しいと思うのなら、今すぐこのクラスから逃げ出してくれても構わない。」
彼女の厳しい言葉に、クラリッサはポロポロと涙を流してダッと部屋から飛び出した。
ヘンリー、ジェシィ、ナイル、ジャネックの4人は心配そうに扉の先を見つめる。特にクラリッサとの時間を最も長く過ごすジェシィは、気が気ではなかった。
ジェシィが彼女を追いかけるために扉に向かおうとしたところで、イザベラが「ジェシィ。」と名前を呼んで引き止めた。
「私が行く、これは先生としての役目でもあるからね。」
自習をしているように。
そう一言4人に言い残して、イザベラは彼女の後を追った。
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イザベラが感知魔法で彼女の魔力を辿り追いかけた先で行き着いたのは学園のテラスの隅だった。
賑わうテラスにある端の道を行くと人の少ない場所に出る。そこでクラリッサはひっそりと涙を流していた。
イザベラは何も言わずに彼女の隣に立つ。
クラリッサはムッと口を尖らせながらイザベラを見て「どうして追いかけて来るんですか。」と怒りを込めた声音で告げた。
「何も私は虐めようとしているわけじゃないのさ、クラリッサ。どうも私の真意が伝わっていないように思えてね。」
クラスから出て行くことは止めないが、クラリッサにはどうにか壁を乗り越えてほしい。それがイザベラの本心だった。
「私も魔導院出身でね、随分と苦い思い出がある。」
「先生が……魔導院出身?」
クラリッサは涙も怒りも引っ込めて驚いた顔でイザベラを見た。
「物心ついた頃には魔導院にいてね、その頃から魔法の勉強しかしていなかった。他の孤児たちとは足並みを合わせて勉強なんてさせて貰えず、暗くて狭くて冷たい部屋でひたすらに魔法の知識を詰め込まれる生活をしていたよ。」
「先生はずっと華々しい人生を送っているものだと……。」
イザベラの話にクラリッサは目を泳がせ戸惑う。
その様子を見てイザベラはクスクスと笑った。
「私の生徒なら知っている話だが、わざわざ公にすることでもないからね。魔導院にいたクラリッサなら、授業方式がわかっているだろう? 詰め込み型のかなりのスパルタ教育は今に始まったことではなくてね、私には授業と1日3回の食事、短い睡眠だけで自由なんてものは無かった。まぁ、確かに私の魔法の才能は開花し"天才魔導士"なんて有難い異名すら付いた。感謝はしているよ。」
イザベラは過去を思い出して目を細める。
時が経った今でも彼女にとって幼少期はまさしく地獄だった。
クラリッサは今まで見たことのないイザベラの表情に、自身と似た何かを感じ取る。そして気がつく、彼女も自身と同じ人間なのだと。天才的な才能を持ったイザベラはどこか自分とは違う人間だとクラリッサは感じて来た。しかし、それが間違いなのだとこの瞬間気付かされたのだ。
「9歳の頃、遂に限界を感じた私は必死で魔導院を抜け出した。ボロボロの雑巾のようになりながら彷徨っていたよ、君のようにね。」
イザベラはクラリッサに目を向けて、ニヤリと笑ってみせた。イザベラには、初めて出会ったあの時のクラリッサが昔の自身と重なって見えていた。
「そんな時、学園長が私を拾ってくれたんだ。私の能力が既に一般の魔導士と同等だったこともあって、特例で学園への入学が認められた。魔法のレベルや年齢、色んなことが考慮されて私は学園長から直接指南を受けたよ。後にも先にも学園長の生徒は私くらいだろう。孫のように可愛がってくれて……私も学園長をおじいちゃんのように思ってる。私にとって唯一の家族のような人だ。」
イザベラにとっての学園長の存在が、クラリッサにとってのイザベラだ。地獄のような日々から助け出してくれた。
イザベラのクラスから逃げ出すなんて選択肢はクラリッサにはない。だが、魔導院と対峙する勇気は未だ持つことが出来なかった。
「クラリッサ、正直言うとこれは私のエゴに過ぎない。私が助けて貰ったように、君を助けることが学園長の恩返しになるような気がしているんだ。少なくとも、魔導院での出来事がクラリッサの中で大きな障害になっていることは事実で、それを乗り越える必要はある。勿論、無理強いすることではないがな。だが、交流会は絶好な機会だと私は感じている。魔導院から逃げ出した私が君を指導し、追い出された君が魔導院の生徒を打ち負かしたら……これほど最高な復讐はないだろう?」
イザベラがイタズラをする子どものように、にんまりと笑みを浮かべクラリッサに問いかけた。
そして、クラリッサは想像する。魔導院の人たちが悔しがる光景を、自身を追い出したことを後悔する光景を。
ずっと立ち向かうことが出来なかった。自分の気持ちに蓋をして背を向けて来た。
強くなると誓った、いま勇気を出さずしていつ
出せると言うのだろうか。
クラリッサは自分を奮い立たせて、真っ直ぐにイザベラを見つめた。闘志が瞳に燃え上がる。
「わたし、交流会に参加します!」
「うん、素晴らしい決断だ。」
イザベラはクラリッサの頭を撫で、満足気に目を細めた。
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イザベラと5人の生徒は魔導院の入り口に立つ。イザベラ以外の5人は仁王立ちをして、ドンと構えていた。
クラリッサの件もあり、生徒たちは魔導院を徹底的に叩きのめすためにかなり息巻いてここまでやって来た。
「たのもーッ!」
どこで覚えたのか、ジェシィが魔導院の門を超えて大声で叫ぶ。魔導院の人々がジロリとイザベラたちを見つめる。一人の女性がこちらにゆったりと歩いて来て愛想笑いを浮かべた。
「魔導院『イストワール』へようこそ。何か御用でしょうか?」
「魔導士養成学園、イザベラクラスが来たと院長に伝えて頂戴。」
イザベラが告げると、女性は愛想笑いをピタリと顔に貼り付けたまま、一瞬間をあけてから礼をして奥へと消えて行く。
それからすぐに大勢を引き連れて老人が歩いて来た。院長のワドルクだ。
イザベラは心底ワドルクのことを嫌悪している。本当なら対面すらしたくないのだが、可愛い生徒の為だと感情を抑えて、にまりとした余裕のある表情を取り繕った。
「これはこれは、院長自らわざわざ出迎えて下さるとは。」
「ふんっ、相変わらず思ってもないことを言う小娘だ。その余裕そうな面がより苛つかせる。」
ワドルクもイザベラのことを快く思っていない。というよりも、魔導士養成学園自体を敵視している。その中でも特に、魔導院を逃げ出したイザベラと彼女を育てた学園長に対しての敵意はかなりのものだった。
悪態をつかれたイザベラは心の中で『クソジジイ』と罵るものの表情には微塵も出さずにいた。
ワドルクはイザベラの引き連れている5人の生徒に目を向ける。4人は以前の交流会で見たことがあるが、新たに1人増えていることに気づいた。
1年生か……と思ったがどうも見覚えがある。
必死に記憶をたぐり寄せた結果、彼女がクラリッサであると気づいて目を丸くした。
「なぜ、クラリッサがお前の元にいるのだ。」
ワドルクの言葉に、魔導院の生徒たちがざわりと騒ぎだす。そしてクラリッサへと視線が集中した。魔導院にいた頃の小汚く陰気な少女はどこにも居ない。そこにいるのは誰が見ても綺麗だと感じる美少女であった。
「あなた方が捨てた彼女を拾ったまでですよ?」
イザベラの挑発にワドルクはピキリと額に青筋を浮かべた。どこまでも癪に触る小娘め、と苛立ちを覚えながらも身体を翻して魔導院の奥へと歩みを進める。
イザベラと5人の生徒もそのあとを追って歩き出した。
交流会が行われるのは、魔導院の修練場だ。
そこは何の因果か、クラリッサがワドルクから追放を言い渡された場所であった。
「学園側に合わせて、こちらも5人選出した。手合わせと行こうではないか。」
交流会とは名ばかりの試合が行われるのが、学園と魔導院による交流会の恒だった。
大方、気絶させるか場外へ出させれば勝ちと判定が出る。そう難しくはないルールだ。
「ナイル、手加減する必要はない。さっさと終わらせるんだ。」
【勿論、初めから手加減するつもりなどありませんよ。】
まずはナイルが前へ出た。
魔導院側も男子生徒が出て来て、ナイルの前に立ちはだかり2人はじっと睨み合った。
「始め!」
合図でナイルがいくつもの魔道具を展開させる。相手はそれに対して怯むが、すぐに防御魔法を展開させた。
【遅い。】
ナイルは魔道具を使用して瞬時に遠距離魔法を使い、無数の魔法が男子生徒へ向かって飛ぶ。
男子生徒が防御魔法を展開させるよりも早く、ナイルの魔法が彼へと直撃し、アッサリと場外へ出されてしまった。ナイルは魔法の威力を加減していたため、相手に致命傷を負わせることはなかったが、確実にダメージは与えていた。
多少のダメージは暗黙の了解で認められているのがこの交流会だ。今のところまだ死人は出ていない。
「おやおや、天下の魔導院様の生徒は随分と軟弱なご様子で。」
「ふんっ! 手始めに手加減してやっただけだ!」
イザベラお得意の煽りに対して、ワドルクは苛立ちを露わにしながら声を荒げ、その後口を一文字に結んだ。どう見ても負け犬の遠吠えだった。
ワドルクは生徒2人にかなり厳しい視線を向けると、目を向けられた生徒2人はゴクリと唾を飲んで前に進み出た。負けたら容赦しない、そう言っているかのようなワドルクの視線に気の毒にも2人の生徒は多大なプレッシャーを感じていた。
「2人だったらあたしたちの出番よね、ジャネック先輩!」
「うむ、目に物を見せてやろうではないか!」
ジェシィとジャネックの2人は意気揚々と前に出る。元々息巻いてはいたが、ナイルの姿を見て俄然やる気が沸いたようだった。
始めの合図がかかり、まずジャネックは魔法によって槍を創り出し魔導院の2人に突撃していく。ジェシィはジャネックに身体強化の魔法をかけてサポートした。
魔導院側の2人も相対するためにそれぞれ魔法を構築する。1人は遠距離魔法でジャネックとジェシィに魔法を打ち込み、もう1人はジャネック同様に魔法で武器を創り出した。
ジャネックの槍と魔導院の生徒の剣がガツン! とぶつかる。
ジェシィは地属性の魔法で障壁を作り、長距離魔法を防いだ。それから反撃開始だとばかりにニヤリと笑う。
「ジャネック先輩、そっち早く終わらせて!」
「言われなくても……終わらせるさ!」
ジャネックはグッと力を込めて相手の剣を弾くと、猛追する。魔導院の生徒はそれを防ぐことで手一杯で、ジャネックは少しも攻撃の隙を与えない。
ジャネックは大きな傷を負わせることなく、魔導院の生徒1人を場外へ叩き出した。
相手を無駄に傷つけないとは、ジャネックらしいとイザベラは感心した。そんな魔導士がいても良いかもしれない、とジャネックはいつも周囲に思わせる。その優しさが時たま傷ではあるが。
「クラリッサ! よ〜く見てなさい、サポート魔法はただの補助魔法じゃないのよ!」
ジェシィは大きな声でクラリッサに声をかけて、自身に注目させる。
どうやらジェシィはこの場を借りてクラリッサにサポート魔法の良さを伝えることにしたらしい。
「大地に天の恵みを! 降雨!」
ジェシィはサポート魔法『降雨』を使い、魔導院の生徒に限定して雨を降らせぐっしょりと水で濡らした。
ご丁寧に無詠唱で出来る魔法をしっかりと詠唱して、何の魔法を使ったのかクラリッサに見せつける。
また、ジェシィの凄いところは魔法の範囲までしっかりとコントロール出来ていることだ。また一つ腕を上げたとイザベラはジェシィを内心で褒め称えた。
「小賢しいことをッ!」
魔導院の生徒はギッと睨んで反撃をするが、瞬時にジェシィは防御魔法を展開して完璧に攻撃を防いだ。
「じゃあ次はこっちの番ね。麻痺せよ!」
ジェシィが魔法を放ち、バチリと生徒に当たったかと思うと水によって効果が増した『麻痺』が生徒を戦闘不能状態にさせた。
「サポート魔法はね、組み合わせによっては面白い使い方が出来るのよ。こんな風にね!」
ジェシィはクラリッサの方を振り返り、パチリと可愛らしくウインクを飛ばした。クラリッサは凄いと瞳を輝かせながらも解説をイザベラに求めるように視線を送った。
「ジェシィは魔法の効果や方法だけでなく、原理や性質まで研究しているんだ。だから、普通の魔導士は使わないような使い方もするし、突飛な発想も思い付く……努力の賜物ということさ。」
イザベラがニヤリと笑いかけると、クラリッサはパッと顔を明るくした。
ジェシィの最も尊敬する先生が彼女の1番喜ぶ褒め言葉をかけた。友人が褒められたという事象が、クラリッサを歓喜させる。
明るい雰囲気に包まれる学園側に対して、魔導院側の空気はかなり重苦しかった。そろそろ後が無くなってきたことへの緊張感が漂っている。
しかし、院長のワドルクだけが余裕そうだった。
向こうには出来損ないのクラリッサがいる。
その事実が彼の心を落ち着かせていたのだ。
「次はヘンリーに頼もうかな。」
イザベラがそう言ったことで、ワドルクは内心で『勝った!』と喜んだ。
ワドルクは最後の最後に勝利を納められればそれで良かった。クラリッサを2度と立ち直れないほどに打ち負かすことの方が、他の4人を倒すことよりもイザベラに傷を負わせられるだろうとワドルクは踏んでいた。
「そうかそうか。」
ワドルクがニコニコと笑いながら隣に立つ生徒を見る。生徒は一瞬びくりと身体を震わせたが「勝たなくてもいい。」というワドルクの密やかな言葉に安堵したように一つ頷いて前に出た。
「まず初めに言うけど、僕は手加減してあげるほど優しくはないよ。」
ヘンリーが余裕な笑みを浮かべながら声をかける。そして、始めの合図とともにパチリと指を鳴らした。
空中に無数の氷の結晶が漂う。
上級魔法『氷の結晶』だ。ヘンリーが無詠唱で魔法を展開させたことで、魔導院側の全員が口を開いてその光景を見つめた。
一方、学園側はいつもの光景だと特に驚いた様子はなかったが、ジェシィとナイルは指を鳴らしたことで"ヘンリーの指を鳴らす理由"を思い出してグフッと吹き出していた。
吹き出した声を聞いたヘンリーは、少しムスリと不機嫌な表情をするが、すぐに意識を魔導院の生徒へ集中させた。
「防御魔法、展開させなくて大丈夫?」
ヘンリーの声にハッとして、魔導院の生徒は防御魔法を展開させた。プライドよりも自身の命が大事だという危機感が、魔導院の生徒を瞬時に動かせた。
「ま、意味ないけどね。」
ヘンリーは相手の魔法を逆算して、解除させる。防御魔法が解除されたことで魔導院の生徒は目を泳がせた。それからヘンリーは『氷の結晶』を生徒に集中放火する。しかし、ヘンリーはそれを命中させずに全て寸止めで止めさせた。生徒はペタリと座り込み、すっかり戦意喪失をしてしまう。
明らかにヘンリーの勝利だった。
「ぷっ、あははは! ヘンリー、あんたみたいのを世の中じゃ"厨二病"って言うのよ!」
「う、うるさいな! 僕だってたまにはカッコつけたって良いだろ!」
ジェシィの大笑いに、ヘンリーは顔を真っ赤にして反論する。
それを他所に、クラリッサはキョトンとしていた。ヘンリーがどうやって相手の防御魔法を解除したのか、よく理解出来ていないらしい。
「あれは逆算魔法と言ってね、サポート魔法の一種だよ。展開された魔法を解いていく魔法さ。魔法の流し方や展開の仕方など単純であればあるほど逆算しやすい。」
クラリッサはイザベラの説明を聞いて「なるほど」と相槌を打った。それから、今日だけでたくさん学びを得て満足しかけていたが、次が自分の番だと思い出し急に緊張してきたことによって顔を強張らせた。
「最後は我が魔導院でも随一の実力を持つ生徒を出そうではないか。正直、先のお前の生徒4人に勝てるとは思っていなかったが……出来損ないのクラリッサがどう成長しているか見ものだなぁ。」
ワドルクは意地悪く笑いながらクラリッサを見て、それから隣にいるルワンの背中をトンと叩いた。クラリッサを完膚なきまでに潰せ、と言われたわけでもないのにルワンはその使命を理解して前に進み出た。
「ほら、クラリッサ、前に出ろよ。また前みたいに遊んでやるからさ。」
ルワンはニヤニヤと口角を上げてクラリッサに声をかける。クラリッサは意を決して前に出た。しかし、顔は俯いていて腰は引けている。
ヘンリーたち生徒4人はクラリッサの背を心配そうに見つめる。やはり、まだクラリッサには早かったのではないか……そんなことを内心思っていた。
しかし、イザベラは少しも心配などしていなかった。きっとクラリッサなら出来ると、師として彼女を信じていた。
自身がそうして貰ったように。
「天才魔導士に教えて貰っても、お前はどうせ出来損ないなんだろ? 『火の球』すらまともに使えない、そんな奴が魔導士目指そうってことが可笑しかったんだよ! なぁ、みんな! そうだろ?」
ルワンの言葉に、魔導院側は「そうだ!」とヤジを飛ばしクラリッサを笑った。
消えてしまいたい、そんな思いがクラリッサの中で芽生える。魔導院にいた頃の惨めな記憶が蘇ってきた。出来損ないだからとゴミのように扱われていたあの頃。自身が悪いからと反抗もしなかったあの頃。そんな自分が1番大嫌いだったあの頃。
「全員、消し炭にしてやる。」
ルワンと魔導院側の態度にヘンリーが怒りを露わにする。指を鳴らしかけた彼を止めたのはジャネックだった。
「クラリッサは苦難を乗り越えようとしているんだ。手を出すな、ヘンリー。」
ジャネックは珍しく真剣な表情をしてヘンリーの肩に手を置いた。それは、紛れもなく先輩としての顔だった。
「土下座して謝るなら大人しく帰らせてやっても良いぜ! 出来損ないの分際でルワン様に楯突こうとして申し訳ありませんでした〜ってな。」
ギャハハと笑うルワン。ニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべるワドルク。安全地帯から見下すベニー。
見慣れた光景、だけれどクラリッサには今までとは決定的に違うものがあった。
仲間がいる。
今のクラリッサには後ろで見守ってくれる友人や先生がいる。強くなれると自分を信じてくれたみんなを思えば、目の前の下品な者たちのことなんて何も怖くないと思えた。
クラリッサは顔を上げてキッとルワンを睨み付けた。
初めてしっかりとクラリッサの顔を見たルワンは、笑いを引っ込めて目を見開く。
クラリッサはこんな顔をしていただろうか。
そんな疑問がルワンの中で湧き上がった。美しい顔立ちにポーッと顔が赤くなるのがわかる。
「わ、わたしは……もう出来損ないじゃありません! イザベラ先生が、みんながたくさん私に教えてくれた。強くなれるって信じてくれた。謝るのは、わたしにたくさん酷いことをしてきたあなたの方です、ルワン!」
初めてクラリッサに反抗されて、ルワンはカッと怒りで顔を赤くする。
「俺に指図してんじゃねーよッ!」
始めの合図を待たずにルワンが動き出す。近接魔法を展開して、手に武器を持ったルワンは補助魔法で身体強化をして瞬時にクラリッサとの距離を詰めた。
クラリッサも負けじと近接魔法で武器を出現させて応戦する。ジャネックに直接指導されたクラリッサにとって、ルワンの動きはまるで子どものように感じられた。
クラリッサの一撃がルワンに直撃して、ルワンは場外ギリギリまで飛ばされる。が、持ち堪えて姿勢を立て直した。
隙を与えずクラリッサは魔道具を展開させて、手に銃を持つ。それはナイルが彼女の為に作成した代物だ。クラリッサの手に馴染む銃の口から『光閃』が一直線にルワンに向かう。
ルワンは必死に連続して狙ってくる閃光を回避しながら内心で『本当に目の前の少女はクラリッサなのか。』と疑念を抱いていた。
見た目に関して初めは別人のように感じたが、すぐにクラリッサの面影を感じた。だが、魔法については全くの別人だ。魔導院が即時に成長を諦める程に何も出来ない少女だったのに。
「テメェ、出来ないふりでもしてたのかよッ!」
「好き好んでそんなことする人がどこにいるんですか!?」
言い返されたことでルワンの苛立ちは更に増加する。
クラリッサの癖に反抗するなんて、クラリッサの癖に、クラリッサのくせに、クラリッサのクセに!!!
そんな気持ちがルワンの心を占めていた。
しかし、避けるので精一杯なルワンはなんの反撃も出来ずにいる。攻撃の一つがルワンの足を貫いてゴロリと転がった。
「縛れ!」
一瞬の隙をついて、クラリッサはルワンにサポート魔法の『縛り」をかける。
ルワンは魔法によって現れた魔力による紐で縛られて身動きが取れなくなる。逆算しようとするが、魔法展開がかなり複雑で逆算出来ずにいた。
何で!?こんな簡単な魔法で!?
ルワンは混乱して目を白黒させる。
それを見ていたワドルクも顔が真っ青だった。
クラリッサは出来損ないのはず。それなのに何故こんなにも魔法が使えるようになっているのか理解が出来なかった。
「業火の焔よ、渦巻き全てを焼き尽くせ……地獄の焔!」
クラリッサが手を上にして詠唱すると、巨大な炎が湧き上がった。それをクラリッサが一振りすれば、この辺り一帯を焼き尽くしてしまうだろう。
上級魔法『地獄の焔』をクラリッサが展開したことで、魔導院の誰もが彼女を出来損ないだと思わなかった。むしろ、とんでもないことをしてしまったという気にさせる。
ルワンは目の前の光景を見てガタガタと体を震わせる。自身が彼女にしてきたことを思い返せば、このまま殺されてもおかしくない……そんな風に思えてきたのだ。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
ルワンは必死に謝罪をするが、クラリッサの視線は冷たいまま。先ほどとはまるで立場が逆転してしまった。
尿を垂れ流し、涙を流し、鼻水を垂らし、死にたくないと宣う目の前の少年を見て、クラリッサは一体何を恐怖していたのかと馬鹿らしくなった。
「今更謝っても遅いんですよ。」
一歩ずつルワンに近づくクラリッサ。
しかし彼女は途中で気がつく、彼は既に気絶してしまったと。
クラリッサは目をぱちくりしてから魔法を解いて満面の笑みでイザベラたちを見た。
「見て下さい! 勝ちました!!!」
ルワンの酷い状態とは対照的にクラリッサは無邪気に喜ぶ。それからタッタッとイザベラに駆け寄りギュッと抱きついた。
「わ、わたし、わたし! イザベラ先生のおかげです! 見返すことが出来た……こんな、こんな日が来るなんて、思わなかった。」
クラリッサは過去の自分を振り返って、泣きそうになりながらも嬉々とした笑顔を浮かべた。
興奮気味の学園側に比べて、魔導院側は完全にお通夜状態だった。一体何が起きたのかすら理解出来ない。
目の前の少女は本当にクラリッサだったのか。彼女は、たった数ヶ月の間でバケモノの仲間入りになってしまった。彼女は出来損ないではなかった。
そんな感情が魔導院の者たちの間で巡る。
ただ、1人だけこの状況を納得しない者がいた。
「ちょっと、どんな小細工したわけ!? あんたがこんなこと出来るわけないでしょ! あり得ない!」
ベニーだ。
自身が金魚のフンのように張り付いていたルワンがボコボコにやられてしまった。みんなも彼女の実力を認めつつある。
彼女はその事実をうまく飲み込めずにいた。
いつだってクラリッサは自身よりも劣っていた。自分は彼女よりも上の立場の人間だ。
それは今も、これからも、そうでなければならない。
「どーやってそのバケモノたちに取り入ったの? どうせ全部そいつらが上手くやったことでしょ? あんたは、出来損ないで! 魔導院の役立たずで!! ゴミのはずでしょ!!!」
ベニーがそこまで言ったところで、耐えきれずジェシィが転移魔法で彼女の目の前まで動いた。
ベニーの「ひっ!」という小さく怯えた声を聞いてから、ジェシィはグッと彼女の両頬を口が覆うように片手で押さえた。いつも天真爛漫なジェシィが至極冷たい目でベニーの目を見つめる。
「あんた、それ以上クラリッサを悪く言うなら2度と話せなくしてやるわよ。」
ジェシィの言葉と威圧感に、ベニーは涙を浮かべて必死にコクコクと頷いた。
「ジェシィ、それくらいにしてやりな。」
「はぁい。」
イザベラの声かけに、ジェシィはつまんないと言うように口を尖らせて返事をしてから、再び転移魔法を使用して戻る。
ワドルクはクラリッサとイザベラを交互に見ながらもカッと顔を赤くしていた。ワドルクはイザベラのことがどうしようもなく嫌いだった。そんな女が出来損ないだとされていたクラリッサを見事成長してみせた。それだけで屈辱で、ワドルクの中で憎たらしいという気持ちが更に増幅する。
彼には、それがイザベラの嫌がらせの一種だとわかっていた。それは、イザベラも魔導院を嫌っていて魔導院側が嫌がることを我先にとやってみせるやつだと理解していたからだ。
だが、ワドルクは瞬時に怒りを収める。
クラリッサの実力がわかった以上、どうしても彼女を取り戻したかった。
ワドルクは未だかつて浮かべたことのない晴れやかな笑顔をクラリッサに向ける。
「クラリッサ、君を追放したことを取り消そうではないか。高待遇で再び魔導院へと招き入れよう。」
クラリッサはワドルクの提案や笑顔に気味が悪いと顔を引き攣らせた。
【どの面下げて言ってんだよ、あのハゲ】
ナイルが冷めた目をしながら、つい思っていることを文字に浮かび上がらせる。
ワドルクにもその文字が見えて、ピキリと額に青筋を浮かべるも必死に堪えて笑顔をキープした。
「わたし、例えどんな高待遇を提示されたって魔導院には戻りません。」
クラリッサがキッパリと提案を断ると、ワドルクは眉間に皺を寄せた。不思議なことに、彼は全魔導士にとって魔導院で学びを受けることが至極素晴らしいことだと信じ切っているらしい。
「何故だ? お前を孤児として引き取り育てて来たのは我々魔導院だ。その恩に報いることが、お前に課せられた使命だ! そうだろう!?」
ワドルクの言葉に、学園側の全員が面食らう。
『本気で言ってるのか、このジジイ。』
全員が内心でそう感じていた。
イザベラだけが、相変わらず院長は変わらないのだなぁと昔を懐かしむ。
だが、魔導院の人々はワドルクの主張に深く同意している。魔導院には一種の宗教であるかのように、共通概念がある。
"魔導院に倣えば、才能を給ふ。魔導院に習えば、貢献せよ"
魔導院のやり方を手本に行えば才能を得ることが出来る。そして、魔導院で学んだならば魔導院に貢献しなければならない。
古くから魔導院に伝わる教えで、魔導院の人々はこの慣例を絶対であるかのように遂行するのだ。
だから、魔導院側はワドルクの主張を何もおかしいとは思わない。加えて、この慣例を無視しているイザベラは至極嫌われているわけだ。
「勿論、わたしを育ててくれたことには感謝をしています……だけれど、わたしが強くなれたのは魔導院のおかげではありません! イザベラ先生が、クラスのみんなが真摯にわたしに向き合ってくれたからです! あなた達がわたしに何をしてくれたって言うんですか? 虐めを黙認して、見捨てて、突き放した。それなのに、何を今更……。」
クラリッサは言葉を発しながらも泣いてしまいそうになる。
たくさんの想いが込み上げて、だけれどここで泣いてしまうわけにはいかないという気持ちが泣き出すのを止めていた。どうしても、魔導院の人たちの前で涙なんか見せたくなかったから。
「ここに、わたしの居場所はありません。」
この場所でクラリッサは一方的に追放された。
だけれど今日、彼女は自らの意思でここを出ていくのだ。かつて、ワドルクから告げられた言葉をそのまま返して。
クラリッサは確実に精神面も成長していた。
出来損ないだと揶揄され、虐げられても仕方がないと思い込み、いつも俯いていたかつての少女はどこにもいない。
今そこに立っているのは、美しく、自信に満ち溢れた少女なのだ。
「さて、交流会は5戦5勝で私たち学園側の圧勝ということですので、我々はお暇させて貰いますよ。」
イザベラは、これ以上ここにいても無駄だと判断してワドルクに一声かけて素早く退散しようとした。しかし、それが逆効果だったのかワドルクの逆鱗に触れたようで「待て!!!」と今日イチの大声が響いた。
「勝手に他の養成所の生徒を横取りしておいてタダで済むと思っているのか! これは諮問委員会にかけられるべき事案だぞ!」
ワドルクの喚き声に、イザベラはあからさまに呆れたというように大きくため息をついた。
「あなた方は、クラリッサの秘めた才能に気づかず追放した。その時点で彼女はもう魔導院の生徒ではない……私の場合とは理由が違うのです。私は道端でボロボロの雑巾のようだった彼女がダイヤの原石のように思えた。私の生徒たちはみなダイヤの原石です。院長、あなたの生徒は精々……石ころの形が綺麗に整っている程度だ。」
イザベラは魔導院の生徒たち、ベニー、ルワンを順に見つめたあと、ワドルクに目線を戻して嘲笑う。
「まぁ、諮問委員会へかけたいのならばお好きにどうぞ? あなたの見立てが間違っていたと公的に認めることになっても良いのなら、いくらでも。」
ワドルクは何処までも自身のプライドを優先させる男で、易々と自身を貶める真似をするはずがないとイザベラは知っていた。
だから、諮問委員会にかけるなんてことを行うはずがないと初めからわかっていながらも、イザベラは煽らずにはいられなかった。
「勝手に弱いと判断してクラリッサを魔導院から追放したのに、今さら強いと気付いたってもう遅いんですよ。この子は、私のクラスの生徒であり、大事な大事な愛弟子ですから。」
イザベラは冷たい視線をワドルクに向けてからクルリと背を向けた。生徒たちの肩を抱いて魔導院の外へと歩き始める。
魔導院の外に出るまで誰一人言葉を発することはなく黙って歩いた。ヘンリー、ジェシィはぷくりと頬を膨らませて怒りを露わにし、ナイルは不機嫌さが目つきに出ていた。ジャネックはいつものような笑顔を消して終始一貫して真面目な顔を貼り付けている。
沈黙を破ったのはクラリッサのすすり泣く声だった。
「ご、ごめんなさい。イザベラ先生の言葉が、みんなが怒ってくれることが嬉しくて……わたし……。」
魔導院では、自分のために怒ってくれる人も寄り添ってくれる人もいなかったことをクラリッサは思い出して、今の光景が幸せで仕方がないと感じる。
クラリッサの流した涙は、悲しさからくるものでも悔しさによるものでもなく、嬉しいという感情から湧き上がったものだった。
「あったりまえでしょ! 大事な仲間をあんなに手酷く貶されて黙ってるやつがどこにいんのよ!」
ジェシィは相変わらず怒ってはいるが、泣いているクラリッサの涙を止めるために悪戯に彼女の頬をつねってみせた。「いたたっ!」とクラリッサはつねられたところをさするが、その顔には小さく笑みが浮かんでおり、ジェシィの思惑通り涙を止めることは出来たようだ。
「うむ、久しぶりにオレも怒ってしまったぞ!」
ジャネックは以前のように笑顔を顔に貼り付けて、ハッハッハ! と盛大に笑ってみせる。
あぁ、あの表情は怒っていたのか、とクラリッサは今更ながらに理解した。
【俺は二度と魔導院には行かない】
意外なことに1番怒りが尾を引いたのはナイルだった。ムスリと不機嫌を顔に浮かべて、スタスタとみんなの前を早歩きしていく。
こういう時に1番感情的になるのが、普段は冷静沈着なナイルだった。
「とにかく、みんな勝てて良かったよね。」
「当たり前だ、私の生徒が負けるはずがないだろう?」
ハハッと笑いながら言うヘンリーに、イザベラは当然だと胸を張ってニヤリとした。
「だが、今日の君たちは良くやったと褒めてやるべきだ。私が美味いものでもご馳走してやろう。」
イザベラの言葉を聞いて、全員が「やったー!」と歓喜する。イザベラは時たまこうして生徒たちに褒美を与えるのだ。
「こういう日にはステーキに限る!」
「ジャネック先輩は何でも良いから肉が食べたいだけでしょ!? だったら、あたしはオシャレなレストランでフルコースが食べたいなぁ。」
「えぇ〜、僕はもっと気軽に行けるところがいいな。ほら、新しく出来た洋食屋とか!」
【俺は海鮮がいい】
「わ、わたしは美味しいデザートがあればどこでも!」
先程の出来事などすっかり忘れてしまったように、生徒たちはワイワイとこれから行く食事のことの議論を始める。
イザベラはその様子を見て、まだまだ可愛い子どもたちだと小さく笑った。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
たまには流行りに乗りたいなぁってことで、追放ざまぁもう遅いを書いてみました。
思ったより字数多くなってしまい多少駆け足になってしまいました。もっとイザベラの過去とか、授業の様子とか細かく書きたかったなぁ。
イザベラクラスは、また時間があったら続きを書きたいものですね。
少しでも面白い!と思って頂けましたら
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