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We are the normal.

作者: 逸 宗一

  

駅に向かって歩いていると、前から三年前の『ぼく』が学生服を着て歩いてくるのが見えた。

「やあ」

 ぼくは言った。

「やあ」

 三年前の『ぼく』は言った。ぼくのより一回りほど小さな口から、白い息がほわほわと立ち上る。

「元気にしてるかい」

 ぼくは聞いた。でも、答えは分かっている。何せ、今眼の前にいるのは、三年前のぼく自身だからだ。

「聞かなくてもわかるだろう」

 ほら、三年前の『ぼく』がすねて見せる。へえ、ぼくって不機嫌になると唇を尖らすのか。知らなかったな。

「そういうあんたはどうなんだよ」

 三年前の『ぼく』が聞いてきた。ぼくはしばらく考え込んで答えた。

「うん、まあ楽しくやってるよ」

 『ぼく』は、ぼくをじいっと睨みつけた。

「まあ、ここで立ち話もなんだからさ、どっか座ろうや。あっちに公園があるだろ」

 駅への道を左に曲がり、閑静な住宅街の中に存在する小さな公園に入る。公園には誰もいなかった。

 その間、ぼくらは無言だった。

 ペンキが剥がれ、赤くさびたブランコに腰かける。蜘蛛の巣の絡まった鎖が、ぎい、と音を立てた。

「何か飲む? おごるよ」

 ぼくは言った。三年前の『ぼく』はかすかに笑った。随分と疲れた笑みだった。

「いや、いいよ……てか、自分で自分におごるって結局プラマイゼロじゃない?」

「ははは、そうだね」

 少し笑い、ぼくは三年前の『ぼく』の顔を見つめる。

「で、どう? 最近は」

 ぼくは聞いた。

「全然うまくいってない」

 『ぼく』は言った。目線を地面に向け、ぼそぼそと語り始める。

そう、そうだったな。確かにこん時のぼくは、誰でもいいから自分の悩みと思いをぶちまけずにはいられなかったんだよな。

「まあ……あんたは三年後のぼく自身だから言わなくてもわかるとは思うけど、誰も味方いないんだよ。学校ではダサいとかバカとか、運動音痴だとかさんざんからかわれてる。そりゃあ、悔しいけど、まあ間違ってはないからさ。でもさ、頭悪いのも運動音痴なのも、今からじゃ変えようがないじゃん。だからさ、少しでも見た目だけでもよくなろうと思ってさ、ワックス買ってみたんだ。でも、朝セットしてみようと思っても、今までそんなこと全然やったことないから、わからないんだよね」

 『ぼく』の眼がだんだんと潤み始めた。

「それでさ、今度は眉毛整えようとしたんだ。ぼく、ボサボサだからさ」

 そこまで言うと、彼はちらりとぼくの眉毛を見やった。

「でも、もちろんやり方がわからないんだ。でさ、こうなったら美容院に行こうと思って、両親に相談したんだ」

 ぽろり、と潤み切った眼から涙が一粒、転がり落ちた。

「ダメだってさ。『色気づきやがって、だいたいが眉毛を剃りたいとか、お前は女子か』ってさ。『高校生は学生だ。学生は学生らしくしておけ、勉強が一番大事だ』ってさ。腹が立ったし、何よりも悲しかったよ。なんで分かってくんないんだろうって」

 わかる、わかるよ。その気持ち。

ぼくは、三年前を思い出していた。


 当時、三年前のぼく(つまり今眼の前にいる『ぼく』のことだ)は、クラスに好きな子がいた。美少女ではなかったけど、優しい性格の山崎さんという女子で、決して明るいとは言えないぼくにも、澄んだ声で優しく接してくれた。 

ある日、ぼくは思い切ってその子に告白した。結果は言うまでもなく惨敗だった。その時、気まずそうな表情を浮かべてしきりと謝ってきた山崎さんに、いいんだいいんだ気にしないで、ごめんねいきなりヘンなこと言って、と表向きは明るく言い、ぼくはトボトボと肩を落として家に帰った。

それから数日後の放課後、ぼくは教室に忘れ物を取りに戻った。カーテンの閉まった入り口に手を掛けようとしたとき、中から小さく話声が聞こえてきた。女子が二人、教室の中にいるらしい。なんとなく気後れして開けようか開けまいか迷っていると、会話の内容が少しずつ聞こえてきた。

「そう、だってびっくりしたよ。いきなり呼び出されて、告白されんだモン」

「まー、そーだよねー。で、なんでフッたの?」

「ええー、だってさー」


 ダサいんだモン、と山崎さんは言った。


「別に正直言って、あの子の顔そんなに嫌いじゃないんだよね。むしろ好みに近いし。あんまり明るい感じの人じゃないけど、喋ってる分だとか普段見てる感じだと性格もそこそこよさそーだから。でもねえ、ダサいんだよねえ」

「えー、ひどいなー」

「だってさ、そーじゃん? あの人の髪型見てみてよ、鳥の巣みたいだし、清潔感もないよ。制服のブレザーも着こなせてないし、クラス合宿の時の私服も無茶苦茶ダサかった」

 アッハハ、と彼女は爽やかに笑った。相変わらず、明るくて澄んだ声だった。

「実際」

 山崎さんは続けた。

「髪型だけでも少しは整ってたら、全然OKしたのになぁ」


 ぼくは立ち去った。忘れ物なんて、どうでもよかった。本当に涙が止まらなかった。彼女があそこでぼくの悪口を思いっきり言っていてくれたなら、ぼくは彼女を心底憎んで終わりだったのに。山崎さんを悪者にして、自分は被害者なのだと思い込むことが出来たのに。

「顔は好みに近い」「性格もよさそう」「髪型がよければOKしたのに」

 中途半端に認められ、褒められた分、可能性があったにも関わらず自分が拒絶されたというショックは生半可なものじゃなかった。あの時、少しでも髪型を直していれば。あの時、少しでも着こなし方をしっかりしていれば。そんなあの時この時の後悔に押しつぶされ、三年前のぼくは家に逃げ帰った。そこから先のことは……。


「ぼく、好きな子いたんだよ」

 『ぼく』は続ける。

「覚えてる? クラスの山崎さん。ものすごく声のきれいな吹奏楽部の」

 ぼくは頷いた。

「うん、覚えてるよ」

「この前あの子に告白したら、フラれてさ。そんで……いや。まあ、あんたはぼく自身だから、分かり切ってることだと思うけどね」

 ぼくは、

「いや、話してくれよ。何やかんやでぼくも忘れかけてる。それに、今聞いたらまた違う考えが出てくるかもしれないしね」

 『ぼく』は少し不思議そうな顔をしたが、またすぐにしゃべりだした。

「髪型がダセえって理由だったんだ。それさえ何とかしてたら、十分付き合えたって聞いてね。それが一番大きな後押しになって、ぼくは美容室に行こうって思ったんだ。変わってやる、変わってみせる。そう思った。そしたらまたあの親だよ」

 『ぼく』の眼が再び潤み始める。しかしそこに浮かぶ感情は、悲しみではなく、怒りだった。

「あまりにもぼくが言うことを聞かないもんだから、家族会議になったんだ。そこで父親に『どうして美容院に行きたいんだ』って聞かれて……恥ずかしかったけど、正直に言ったよ。女の子にフラれた。髪型がダサいからってさ。だから変えたいってね。そしたら、そしたら……それを聞いていた母親が『そんな髪型だけで人を判断する女子となんか付き合わなくて正解だ』なんて言いやがった……」

 『ぼく』の眼から涙がぽろぽろとあふれ始めた。

「じ、じ……」

 少し嗚咽を漏らしながら、彼は吐き捨てた。

「じょおおおおおおだんじゃねえよ!」

 ぼくは黙って聞いていた。好きだったものを否定されることは、自身の心を否定されたのと同じだと分かっていたからだ。

「あの一件では別に……別にぼくは山崎さんのことをこれっぽちも憎んでないよ。いや、むしろ憎む理由なんかないんだ。ぼくが憎いのは、自分が一番正しいって思いこんで、子供の世界観や価値観にまでずかずか入り込んでくる親だよ」

 

 時代は変わる。それはすなわち、世界が変わるということにも等しい。確かにぼくの両親の考えは、昔は正しかっただろう。それこそ彼らが高校生の時には。けど、今はもうそんな考えが通用する状態じゃない。成績がいいだけじゃ尊敬はされないし、偉くもなれない。いくら性格がよいもしくは心がきれいだとしても、それだけで異性に魅力を与えられるわけではない。チェックの服はもう流行っていない。学生は勉強だけしていればいいわけではない。化粧もワックスも、今すぐに習得できるわけじゃない。


 なにも悪くない山崎さんを憎めなかったから、三年前の『ぼく』は両親を憎むことで自分を守ろうとしたんだ。


「ねえ」

「ん?」

 鼻声で呼びかけられ、ぼくは顔を上げた。

「あんた……いや、「ぼく」は大学生だよね?」

「そうだよ」

 ぼくは頷いた。

「大学って楽しい?」

「うん、楽しいぜ」

 ぼくは笑って言った。腹の底が、じわり、と鳴った。

「そっか……」

 三年前の『ぼく』は再び目線を下におろした。

「羨ましいよ」

「でもあと三年で君もこうなるんだぜ」

 三年なんてあっという間さ、ぼくは出来るだけ明るく言ったが、心の底に染み出してくる罪悪感を抑え込むことが出来なかった。

 なぜなら、『ぼく』はこれから三年の間にも、山崎さん一連の失恋騒動と同等、もしくはそれ以上の苦しみや悩み、落胆と絶望と怒りを何度も経験するからだ。


 ――そしてその三年間は、気が遠くなるほど、めまいがするほど長かった。


 言うべきだろうか。いや、言うべきなんだろうな。だってぼくはそのために――。

 

『ぼく』はじっとぼくを見つめていたが、やがてぐしゃりと笑った。伝い落ちた涙がほほに縞を作っていた。

「嘘ばっか」

「え?」

 驚いて聞き返すと、彼は相変わらず泣き笑いながら、

「だって、「ぼく」、今のぼくと同じ顔してるもん」

「そりゃあ、ぼくは『ぼく』だぞ。同じ人物……」

「そうじゃなくて」

 三年前の『ぼく』は首を振った。

「ぼくと、同じ。悩みを抱え込んで今にも死にそうな顔してる。真っ白けで、覇気がなくて、見た目だけ大学生してるけど、結局は何も変わっちゃいない『ぼく』だ」

 彼は続けた。

「確かにぼくが山崎さんや家族との関係で悩んでいることを、大学生の「ぼく」はもう悩んでないんだと思う。けど、あんたは見た目が変わっただけで、本質はそのままなんだ。悩んでることには変わりないんだ」

 それに、と『ぼく』は言った。

「タバコ吸ってるでしょう?」

「…………」

 答えられなかった。その通りだった。

「さっき会った時に気づいたんだ。服もくさいし、歯も黄色がかってるよ。ぼくは今まで一度もタバコ吸いたいなんて思ったことはなかった。けど――自分のことだからよくわかる。もしぼくがタバコを吸いたいってこの先思い始めたとき、そういう時ってどんな心情なのか」

 『ぼく』はぼくを見つめた。ぼくは『ぼく』を見つめ返す。まだ乾ききらない涙に満たされたその眼は、ぼくとは全く別人の眼をしていた。

「つまり、あんたも大人になりたいんだ。『今』に不満があって、早く大人になって変わろうとしてんだ。そう思わせる何かがあったんだね?」

 ぼくはしばらく黙った。高い冬の陽が、公園をさんさんと照らしていた。暖かかった。

「――そうだね」

 ぼくは言った。図星だった。当たり前か。だって眼の前の『ぼく』はぼくなんだから。そうだよ、当たり前じゃないか。そう思ってぼくは空を見上げて笑った。

「ははっ……三年前の『ぼく』って結構頭良かったんだね」

「は? どういう意味だよ」

 『ぼく』が笑いながら言った。

「聞きたい? なにが起こるか」

 ぼくは『ぼく』に聞いた。『ぼく』は少し考えると、微笑みながら言った。

「――――いや、遠慮しとく」

 ぼくは驚いて、『ぼく』の横顔を見つめた。今のぼくとは全く違う『ぼく』の眼には、ぼくがつい先日まで――そしてこれからも――流していたものと全く同じ涙が光っていた。

「――――そっか」

 ぼくは頷き、足元に視線を落とした。ブランコの真下に出来た浅いくぼみに、スニーカーに包まれたぼくの足が見える。その大きさは、気のせいか隣の『ぼく』よりもはるかに小さく見えた。

「「ぼく」はこれからどうするの?」

 『ぼく』が聞いてきた。

「三年後の『「ぼく」』に会いに行くよ。二十四歳のぼくに」

 そう答えると、ぼくは立ち上がった。じゃり、と小さなスニーカーの底から土と小石のこすれる音がした。

「そいで、今の君みたいにぼくが二十一歳で経験した辛いことを話すんだ。そして、色々と教えてもらって三年後の『「ぼく」』とは違う未来に行く」

「そっか」

 『ぼく』は頷いた。

「じゃあ、ぼくもあんたとは違う未来に行くよ」

「それがいい」

 ぼくも頷いた。

「タバコは吸うなよ」

 そう言ってやると『ぼく』は笑った。

「当たり前だよ、ぼくはあんたとは違う道を歩んでくんだから」

 そしてまた口を開いた。

「そういえばさっき、ぼくにとっては三年前の『『ぼく』』に会ったよ。つまり、あんたから見れば六年前の『『ぼく』』だね」

「そうなんだ」

 ぼくは言った。

「どうだった?」

「ん? ちゃんと十五のうちにいっぱい人づきあいして、ファッションも磨いとけよ、特に髪型とかな、って言ってやったよ」

 『ぼく』はころころと笑った。

 ぼくも笑った。

「じゃあ、十五歳の『『ぼく』』は、十八になって告白して山崎さんにフラれることはないわけだ」

「そだね、そして十八のぼくは二十一になっても「ぼく」みたいにタバコは吸わない。はははっ――――」

 ひとしきり笑いあった後、『ぼく』は突然真面目な顔をして、

「ねえ、ぼくたちっておかしいのかな?」

「何が?」


「色んな時間のぼくたちが、それぞれ三年前のぼくたちに会いに行って、それまでに経験した失敗を教えて、それぞれの三年前のぼくたちの未来を変えるなんて」


「おかしくなんかないよ」

 ぼくは断言した。



「ぼくたちは普通だ」



 そうだ、ぼくたちはみんな普通で、みんなおかしいのさ。



 『ぼく』はにっこりと笑った。

「そうだね」

「ああ、そうだよ」

「もう会えないんだろうね」

「そうだね。ぼくと君は、違う時間の、違う人生のぼくと君になるから」

「楽しかったよ」

 ぼくたちは笑いあった。

「ぼくもだ」

「じゃあね」

「じゃあね」

「がんばれよ」

「そっちこそ」


 ぼくたちはそれぞれ逆方向に歩き始めた。ぼくは再び駅の方に向かう。胸ポケットからタバコを取り出し、くわえて火をつけながら考えた。

どうして『ぼく』は、これから二十一歳になるまでの三年間で何が起こるのかをぼくに聞かなかったのだろう。そうしたら、未来を変えて、失敗せずにうまくわたっていくことが出来たのに。

 正直、ぼくは最初、彼にこれからの出来事を教えるのをためらった。なぜなら、仮に未来の、つまりはぼくの失敗を知り、うまく立ち回って成功したとしても、それはこのぼくではなく、二十一歳になった『ぼく』なのだ。『今』の――つまり二十一歳のぼくが変わるわけではない。ぼくではないぼくの姿をした『他人』が、本来のぼくのものであったはずの成功を掴むのは、どこか癪に障る思いだったからだ。


 なのに、『ぼく』は何も聞いてこなかった。


なぜだろう。


口からほわほわと立ち上がった薄い煙が、冬の乾燥した空気に溶けていった。


自暴自棄になっているのか、自分の人生を恐れずに歩んでいく覚悟を決めたのか、それとも――――。


 しばらく考えたが、あきらめた。『ぼく』はもうぼくではないのだ。今まで一本だったレールが枝分かれするみたいに、十八歳までの人生は同じだとしても、彼は彼だけの人生へと歩いて行った。もう、ぼくが口を挟んだりどうこう出来るものではない。彼は少なくとも、タバコを吸わない二十一歳になるだろう。


それはそれで……。

うん、いいことじゃないか。

少なくともそこに関しては、ぼくにも関係があるような気がした。

理由は、自分でもよくわからないけど。


 『ぼく』は『ぼく』として『ぼく』の世界を生きて行く。


 そして、このぼくも。




 駅に向かって歩き続けていると、前から三年後の『「ぼく」』がスーツを着て歩いてくるのが見えた。




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