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・白と赤の少女がいた。染めているわけでもカラーコンタクトを入れているわけでもない。
老年でもなければ緋色の瞳の一族と言うわけでもない。目が見えづらいのは確かだが。
メラニン色素不足による症状、つまりアルビノだ。母親や父親との外見の差異は昔から知っていた。保育園に入る頃には既に自分の外見の異常さを知っていた。
……厳密に言えば少し違う。
「……僕のどこがおかしいの? おかしいのはみんなじゃないの?」
声にも出した。心にも含めた。それは一度や二度じゃない。幼年期の自分を飾る色の多くはその疑問で出来ていたと言ってもいいだろう。その少女は一度でさえ己を疑ったことはなかった。
その紅い瞳が見る景色は確かに狭い。しかし、それをもっと広くするためによく走った。保育園の庭を力の限り、時間の限り走り回った。転ぶことも一度や二度じゃなかったが目が見えづらい自分でも転べば絶対に大地は受け入れてくれることを知ると、嬉しくてしばらく笑いが止まらなかった。
それに、歌を歌う事も好きだった。音は目に見えない。喉と耳が生み出すメロディーは他の子供達のそれと比べても遜色はない。むしろ、音感がいいのか、才能があったのか、悪くないものだった。
歩く事も歌う事も好きだ。だったら自分の名前は自分の道を表している。名は体を表すと言うのはこの事か。
それに、小学校入学を控えたある日に自然公園のアスレチックで出会った少女からも自分の名前について良く言われた。……もうその時の記憶はほとんど残っていないが。
小学校に入ると、親の都合で引っ越して今住んでいるのと同じマンションに住むようになった。
相部屋OKの家庭だった牧島家との共同生活が始まる。
向こうにも偶然ながら自分と同い年の少女がいた。
その少女はあの時に出会った黒い髪の少女に似ていた。最初は見間違えた。だが、幼い頃の記憶などそんなものだ。いつしかアスレチックの少女の存在を忘れ、この新たに共に歩く存在と一緒の生活を過ごすことになった。
最初は小学生だったからか4人の親の中で誰か一人は残り、残り3人が仕事に出たっきりと言う生活が続いていたが、小学校を卒業して中学になると4人の親は月に1度くらいしか帰ってこなくなった。
必然的にその少女と二人でいる時間は多くなる。
牧島眞姫を個人的感想で語るなら、オンオフの激しい少女だ。
自分には及ばないものの走る速さは十分で、中学1年の時点で全国大会に出場しているだけの実力はある。部内での信頼も1年生と言う括りを外しても篤い方だろう。それは2年生になり、後輩が出来た今でも変わらない。
ただ、走ってない時の眞姫は途端に落ち着く。腰を下ろしてなるだけ無駄な動きをしないようにする。
本当は出来るくせに毎日の料理を自分に押し付けてくるほどには。
また、不良の類ではないが、学校でも年頃の女子学生らしく、中年教師などの陰口を叩くことも珍しくはない。
その反面授業中では己の知能指数の低さを知っているからか、授業内容を必死にノートに書き溜めている。
オンのための努力が目立つが、それもひいてはオフのために繋がるから、眞姫の努力は基本的に精進ではなく怠惰のために生まれていると見ていいだろう。
彼女のためを思って真実を言うならば、確かに彼女は選ばれた者ではないだろう。決して凡俗の息を出ない能力の持ち主だろう。それでも自分のそれと全く違う色を隣で見続けているのは決して飽きることがない。
目と髪のせいではないと思うがあまり成長の良くない自分と比べて、まるで自分の成長を吸い取ってるかのように女に成長するその体も見ていて飽きない。思わず毎日観察日記を書いてしまうほどには。
ともあれ、自分に一番近い存在であるのは間違いないだろう。
その存在に絆されている内につい、忘れてしまっていた事がある。
それをこの前の転校生の3人で思い出した。
……自分も決して普通の姿をしている訳ではない事を。
その姿でありながらも自分の才能に絶対の自信を持つ麗矢。ベクトルはちょっと間違えているかもしれないがしかし、優しさを忘れない星矢。言葉を交わしたことはないし、物理的に不可能かもしれないが決して双子から離れようとせずその身を任せていたギネス。
この3人にどのような経緯があったかはその姿もあってか転校初日には聞けなかった。けど、その在り方は悪いとは思わなかった。むしろ美しいとさえ思えた。
自分の事を男子と間違えた麗矢の第一印象は正直良くなかった。しかし、一緒にいたあの一日は決して悪いものではなかった。もしかしたら眞姫よりも深い関係になれるかもしれない。それだけの期待が麗矢にはあった。
でも、あの3人は元々セントラル管理外の、列強宣言のあった世界出身の平和を乱す存在かもしれなくて、そしてこの世界にやってきた際に自分達PAMTを使う中学生達を襲うための存在UMXであって。
……筧先生の話が始まるよりも前にパラフォがあの3人の近くにいると誤作動を起こした時からもしかしたらって気持ちはあった。でも、信じたくはなかった。
やっと出会えた自分の同類。やっと、信じ合える本当の友達が生まれるかもしれなかったその運命に初めて自分を疑った。
「……麗矢、僕は……」
「……君がその気になれば出来ないことはないはずだけど?」
「……!」
声が聞こえた。
・「歩乃歌? 歩乃歌。大丈夫? 歩乃歌?」
「……眞姫?」
聞こえた声に僕は目を開けた。最初に視界を支配したのは見慣れた天井ではなく同居人の顔だった。
「……あれ? 眞姫? う~ん?」
「なによ。変な夢でも見てたの?」
「……なんだっけ。思い出せないや」
「筧先生から今日は午前授業だって連絡が入ったわよ」
「……午前授業?」
「そう。あんたの話が正しいならきっとここ最近連続でシステムを弄ってたからその負荷の問題とかそんな感じじゃない? ……そっち系の話全然分からないから単語は適当だけど」
「……」
「……それとも休む? 私もあまり気分乗らないし、一緒に休んでもいいけど」
「……ううん。行く。行ってみるよ。まだちょっとボーッとしてるけどね」
「……そう。じゃあ私は先に行くよ?」
眞姫にしては珍しく僕を心配していた。心配の眼差しのまま家を出ていった。
……ああ、そうか。今思い出したけど昨日は色々あったんだ。ううん、昨日だけじゃなくて一昨日も。
セントラルの所属で、僕を攻撃してきて、この手で撃墜した白百合さん……白百合蛍。
その妹分で僕に殺意をぶつけてきた下級生ちゃん……火核咲。
転入してきたばかりの結合双生児にしてUMX4号の麗矢と星矢とギネス。
きっと今日学校に行けばそれらの形跡は全て消えている。……きっと麗矢なんてこの世界には存在しなかった事になってるに違いない。転校してきたけど初日でまた転校しましたなんて言うよりかは最初から転校してきてなんていない、存在していない存在だと情報を上書きした方が早いに決まってる。
それを卑怯だと言ってしまうのは簡単だし、もしかしたら筧先生もそう罵って欲しいのかもしれない。
でも、それに応えてあげる程僕も怨知らずじゃないし、簡単な心をもっているわけでもない。
むしろこの程度の憎しみはもらって欲しいものだ。代わりに僕は麗矢の事を忘れずにいる。等価交換。
「……ちょっと湿っぽいかな。僕らしくない。……らしくないけど今日は鼻歌混じりに過ごせそうな一日じゃなさそうだ」
気付けばそれなりに時間が過ぎていた。昨日まで毎朝のように百連のメニューを開いてはシミュレーションをしていたけど、今日はそんな気分にはなれないや。
まあ、たまにはこんな感じのハンデがなきゃ他の全てが可哀想だからいっか。うんうん、辛いねぇ出来る子は。
…………
……
とかなんとか言っていたその30分後の事だ。
普通に教室に来て、一昨日までと同じように空いた3つの席の前の席に座って窓からの景色を見ていた時だ。
何か、違和感を感じるなぁと思って頭をふりふりしてみたら、
「……髪セットするの忘れたァ!!」
ボサボサストレートなシルバーがそこにはあった。しかもスリッカーやゴムまで忘れてるし。
「……はっ!!」
さらに大事な気配を感じた。恐る恐る襟元から中を見てみる。
……ブラまで忘れてるぅぅぅぅぅ!!
さすがにパンツは脱いでないから忘れようがないけど、一体今日の僕は朝何をやってたんだ!?
「あら歩乃歌。珍しいわね」
「紫ちゃん。今日はストレート?」
「イメチェンかな? ゴム貸そうか?」
僕の異変を知ったクラスメイト達が声と手を出してくれる。一瞬、この3人があの3人に見えてしまったが、一旦落ち着こう。
「朝ちょっとボーッとしちゃって」
「他に忘れ物とかあったりして」
「紫ちゃん意外とあわてんぼう」
「あの日かな? この日かな?」
声をかけてくれる女子はまだいいけど、特に声もかけずにジロジロ見てくる男子はちょっと……。ノーブラだって判明してるから視線が痛い。さすがにボレロ着てるから透けて見えるような事もないだろうし、今日は体育もないから僕一人が勝手に羞恥心を感じてそれを我慢していればいいだけの話だ。
「歩乃歌、これいる?」
「紫ちゃん、よく食べるから好きかなって」
「タマゴチップスとラクダカニセンのどっちがいい? どっちもかな?」
そしていつもどおりの餌付け。……一応この学校、お菓子は持ち込み禁止なんだけどなぁ、僕一応風紀委員なんだけどなぁ……。まあ、美味しいものは甘いもの以外ならいただくのが紫歩乃歌の胃袋!
「いただきまーす!」
「ホントいい食べっぷりだよね」
「紫ちゃんこれで太らないほうが憎らしいよね」
「背も胸も大きくならないけどね」
「何をぉ!?」
「……あ、歩乃歌。あんた何して……髪も下ろしてホント何してんの?」
あ、眞姫が来た。
「朝から汗だく制服姿で登校とはエロいですな、眞姫さん」
「朝から髪下ろしてクラスメイトに餌付けされてるあんたは一体何なのよ」
「美味しいものは正義」
「あんたは風紀委員でしょうに」
「なりたくてなったわけじゃないもん」
はむはむ。このラクダカニセン美味しいな。流石止まらない味。確か材料にヘロイン使ってるんだっけ?
昔はすごい薬物だったらしいけど中毒性以外全てを取り除いたら低コスト食料、特に味の薄いものに相性が良くて最近のお菓子の9割には使われてるんだってなにかの授業で習ったっけ。
……まあ、それもこの世界の事実知ったら正しいとは言い切れない類だと思うけど。
でもとにかくこういうジャンクフードとの相性は最高だね!
「違和感を認めたままでいるのは悪い癖だよ」
「え?」
「ん、歩乃歌。どうかした?」
「あ、いや、ううん。何でもない」
今、どこかで聞いた誰かの声が聞こえたような気がしたんだけど。う~ん、何となくシルエットは思い浮かぶのに、どんな感じのキャラかまでは手に取るように分かるのに、名前やはっきりした姿が思い出せない。
……まさかヘロイン効果で僕の脳みそピンチとか? それとも想像以上に昨日の事がショックすぎてしょげてるのかな僕。
「は~い、ホームルームを始めまーす。今日筧先生はご都合により欠席ですので代わりに私がホームルームを担当します。また、白百合さんは本日も怪我のため欠席連絡が入っています。それでは出席を取っていきます」
入ってきたのは家庭科の黒沢先生だった。
う~ん、筧先生の都合って絶対システム関係だよね。やっぱり人の存在そのものをなかったことにするのは難しいのかな。でも、そもそも筧先生は全てを司っているわけじゃないから上役からこき使われてるって事かな?
・いつもと全然違う感覚の、午前4つの授業が終わって、いよいよ放課後。
「ううう、お腹ペコペコだよ~。お弁当作っておけばよかった」
「あんた、朝にあれだけ食べてまだ足りないの? ちょっと燃費悪くなってない?」
部活がない眞姫と一緒に帰る。最近よく一緒に帰ってる気がするのは気のせいだ。たまたまだ。それに、今日は全ての部活が休みだそうだから偶然ではなく必然。当然の帰結だよ。
「ねえ歩乃歌。今日はさ、どっかに遊びに行かない?」
「え? 珍しいね。眞姫なら基本家でぐーたらしたいとか言いそうなのに」
「そりゃそういう時だってあるけど、こういう時だってあるわよ。……それとも歩乃歌の方がゆっくりしたいとか?」
「……ううん、動いてた方がいい。それに眞姫? そこまで気を遣わなくなっていいんだよ。僕なら大丈夫だから」
「……そう。じゃあどこ行こうか」
「まずはお昼! 眞姫の奢り!!」
「はいはい。1000円までにしといてね」
「僕を餓死させる気か!?」
「1000円分も食っておいて何が餓死か」
というわけで僕達は駅前のラーメン屋に入った。やっぱりと言うか、中には男子も何人かいた。当然話をすることなく僕達はそれぞれの注文に入る。
「とんこつラーメン大盛り、半チャーハン付きで」
「……ホントに容赦ないな。……私は塩ラーメンで」
注文し、待ってる間にパラフォを操作する。当然ロック画面はもう元に戻してある。
とりあえず注目ニュースや最新ニュースを探ってみる。
「……やっぱり今までのUMXとの戦いは全然ニュースになってないみたいだね」
「やっぱセントラルがもみ消してるから?」
「多分もみ消すどころか物理的にも、なかったことにしてるんだと思う」
「記憶をいじって?」
「多分ね。PAMTを持ってる僕達ならそうそう記憶を消されるようなことはないと思うけど。でもいつ弄られるか分かったもんじゃないよ。……いつ知らない間に記憶を消されているかもね。なにせ僕達はシステムを弄ってる場面を目撃していないから、どんな方法で記憶を消しに来るか知らないんだよ」
「……そっか。そう考えると、PAMTを持ってる私達って結構特別なのよね」
「それでもいつ落とされるか分からないけどね。PAMTも無敵ではないって事はこの前白百合さん落としてよく分かったし。その白百合さんも左手足なくしてもう数分の命だってところまでなってたけど、あの下級生ちゃんとの会話からセントラルに行けばまだ治せるみたいだったし。……って言うか間に合わなかったら欠席じゃ済まないだろうし。セントラルに密接に関わったお姫様だったならセントラルが簡単に死なせるわけもないけどね」
それより気になるのは、あの下級生ちゃんこと火核咲だね。僕を本当に殺すとか言っていた。
つまり一昨日の朝に見せた殺意は本物で、本当はそれ以上を行うつもりだったって事。
生身でも人の首を落とせるだけの武器を持ってるって事で、そして恐らく過去にそれを実行している。
確かどこかで聞いた話ではあの子は別の世界から来たらしい。で、一番身近な別世界と言えば列強宣言のあった世界……つまり戦争によって歴史の大きな節目が来た世界って事になる。
だとするとあの子は元の世界では少女兵だったって事かな? だったらきっと生身じゃ僕に勝ち目はないだろう。でも、あの子は白百合さんの言う事なら本当になんでも聞きそう。……聞き返してもいいんだよ?
「どうかした?」
「ううん。とりあえず敵の味方が味方ってのはありがたいねって」
「は?」
「白百合さんが学校に戻って来れたら話をしようと思う。なんでも、昔僕と会ったことがあるみたいだから」
「歩乃歌と? 私と会うよりもっと前って事?」
「多分ね。僕はもうほとんど覚えてないし、どれが彼女なのか分からないけど。時々夢で見る黒い髪の女の子と一度だか遊んだ景色があるんだ。……ずっと眞姫だと思ってたけどアレ多分白百合さんなんだよね」
「へえ、何したの? おままごととか?」
「えっと確か見せ合ったと思う」
「見せ合った? 何を?」
「下着の中」
「……えっと、確認させてね? 私達会ったの小学1年生の時よね? それよりも前にあんたレズレズしてたって事?」
「ち、違うよ!? 理由は覚えてないけどそういうんじゃなかったと思うよ!?」
「……まあいいとして、でもあんたが覚えてなくても向こうが覚えていたってわけよね」
「そんなに僕覚えやすい顔してるかな?」
「顔というか姿全体だけどね。あんた昔から白かったし」
「銀って呼んでよ。かっこいいから」
「で、腹ペコ白髪娘さん。どうしておかわりをたのもうとしているのかな?」
・お昼を食べ終えて僕達は生活備品の買い置きをする事にした。
いつもは土日とかの休みの日にしか買えないんだけど、今日は午前授業だったし特別だ。偶然タイムセールだったのも運が良かった。
「いい? 歩乃歌。ここもまた1つの戦場よ」
「分かってるよ。女の戦場……行こうか!」
クラウチングスタートから僕達はその戦場へと向かっていった。二手に分かれて、食料から洗剤から、化粧やらを一気にカゴの中に放り込んでいく。このスーパーは色々揃ってるから便利だ。ちょっと家から離れているのが瑕だけど、仕方ない。
「よし、任務完了」
「へへっ、さすが僕達だね。主婦なんて相手じゃないもん」
両手に持った2つのカゴいっぱいに詰めた商品をレジへと運ぶ。
「強欲はあまりよくないと思うよ。それでも求めるのは正義だけどね」
「え?」
「どうしたの?」
「……ううん、なんかまたどこかで声がしたような気がして……」
「? 空耳かなにかじゃない? もしくは近くに同じ名前の人がいたとか」
「……そうかなぁ?」
今日はなんだかおかしいな。確かに一度や二度の空耳なら不思議じゃないんだけど、ただの空耳じゃないというか、声を聞いた途端に段々と頭の中でシルエットが浮かんでくるのが不気味だ。
まるで、起きた直後は全く覚えてないのに日常過ごしてると、ふとした拍子に今朝見た夢をぼんやりながら思い出すような感覚。そして、しつこく夢から現実に追撃をしてくるような意味不明なのは僕の知る限り一人しか思い当たらないわけで。
「眞姫、ちょっとトイレ行かせて」
「え? あ、うん。分かった。この辺で待ってるから」
「うん」
そうして僕はトイレに駆け込み、個室に入る。そして、目を閉じた。
・もはやエレベーターに乗る必要もなく、僕は最果ての扉の前にいた。
「やあ、君から来るとは珍しいね」
「最果てさん。どうしてこんなストーカーみたいなことしてるの? 夢の中じゃなくても僕に干渉出来るって事実はいいけど」
「干渉? 僕はそんなことはしていないよ」
「え!? だって今日はずっと僕に囁きを入れてきてたじゃないか!」
「それは違うよ。君の体が僕を求めたがっているんだ」
「は?」
「この扉の先を進んでしまえば、楽になれると。次元を超えた存在になれば悲しみを乗り越えていけると、そう理解した君の体が、全ての細胞が望んでいるから君に幻聴を投げかけているんだ。……君の魂以外の全てが現実を離れたがっているんだよ。あの子の事が忘れられなくてね」
「……」
「そして実際君はこの扉の先に進んでしまえば、あの子にまた会えるだろう。君の事を覚えている彼女ではないかもしれないけど、君が望めば間違いなく元通りの関係に戻れる。……と言っても君達の場合はこれから始まるところだったから関係を始められるって言った方が適切かもしれないけどね:
まあとにかく、君は物理的にはもう次元を超えつつある。これで後は君の魂がその気になればその瞬間、夢現なんて関係なしにこの扉を背に僕は君の前に姿を見せる。そして誘うのさ、この扉の向こうに」
「……それは……」
「君は強い。心が強いんだ。だから彼女の喪失を乗り越えようとしている。でも君の、人間の体はそこまで頑丈じゃない。想いがあっても体がついていけないんだ。断言するけどこのままだと君の体は終わりを迎える。はっきりと言って見るならば、君の神経が動く事を拒むから全身不随に陥ってしまうだろうね。尤もそうなっても君が望めば万全の状態でこの扉の向こうへ案内してあげられるけれども。
……君に与えられた選択肢は2つ。このまま肉体の欲求を無視して朽ちるか、魂を身に委ねてこの扉の先に足を踏み入れるかのどちらかだ。僕が強いた訳じゃない。君自身の存在が導いた現状だ」
「……」
・白い闇が晴れて、僕は気付けばトイレの個室に戻っていた。パラフォの時計を見れば全く時間が経過していない事が分かる。
……今度ははっきりと最果ての扉の先で待つ者との会話を覚えている。はっきりと他人に僕は麗矢を忘れられない事を告げられてしまった。もちろんそれを否定するつもりはない。たった一日だけの関係だったけどそれでも麗矢の存在は眞姫と並んでもいいくらいには大きく感じていた。麗矢とまた会えると言うのならその事に僕は何も否定しない。そう断言出来るのにどうして僕はそれに応じないのか。
何かがまだ僕の心の中で引っかかってる。このまま行けば僕は二度と走れなくなるかもしれないのにそれ以上の理由があるはずなのに僕はそれが何なのか分からない。
眞姫や花京院くんとまだ一緒にいたいから? 白百合さんの事を気にかけてるから?
……どれも理由としては弱い気がする。う~、分からない。分からないよ僕が。
「……とりあえず戻ろう」
一応流してから個室を出て一応手を洗ってから眞姫の待つ場所へともどる。
「ん?」
うっすらと見える眞姫の姿はどこかおかしかった。何かを耳に添えている。パラフォ? だったら電話中かな?
僕以外に友達がいるとも思えないけど眞姫にだって事情はあるはずだから電話くらいして当然か。
「……あ」
眞姫が僕に気付いた。その表情はやっぱりいつもと何か違う。
「どうかしたのか牧島?」
パラフォの向こうからは聞き覚えのある声がした。……これって筧先生だよね?
「いや、その、歩乃歌が来ました」
「眞姫? どうかしたの? 筧先生?」
「あ、うん、そうなんだけど……」
「……牧島、代われ」
「でも……」
「お前に責任を押し付けるわけには行かない」
「……いいえ、私が伝えます」
「……分かった。その後でいい。セントラルに来るよう伝えてくれ。当然お前も来てくれて構わない」
「……分かりました」
「?」
電話を切った眞姫は目を閉じて深呼吸してる。
「どうしたの眞姫?」
「……歩乃歌、場所を変えましょう」
「?」
それだけ言って先行する眞姫。疑問しかないけど僕はその後についていく。
そして到着したのはここの地下駐車場だった。しかも職員専用の。ここなら滅多に人が来ることはないだろうけど、一体そこまでして何を言おうとしてるんだろう?
「まk……」
「歩乃歌」
遮断された。
「いい? よく聞いて」
「うん?」
「筧先生からの連絡なんだけど」
「うんうん」
「……昨日あの後に花京院が死んだわ」
「…………へ?」
今……眞姫なんて言った?
「ま、眞姫……?」
「先生が放課後の見回りをしていたら校庭で花京院が血だらけで倒れてるのを発見して、その場で死亡が確認されたって……」
「……か、花京院くんが……え……?」
理解が追いつかない。え、眞姫がなんて言ってるのかが分からない……。
「……理解出来ないならそれでもいい。今の歩乃歌にこれ以上辛い情報を与えたくないから……」
「……」
「とにかく、セントラルに行くわよ。筧先生が呼んでる。……タクシーお願いします」
眞姫がタクシーを呼んでる間、僕は必死に眞姫の言葉を理解しようとしていた。
……ううん、その表現は違う。理解なんてとっくに出来てる。ただ、咀嚼出来ずにいる。
そして気付けば僕は眞姫と一緒にタクシーに乗っていて、そして気付けば僕は眞姫の膝の上で涙を流していた。
「……欲してしまえば楽になれるのに」




