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三十と一夜の短篇

ある選挙区民の弁明(三十と一夜の短篇第8回)

作者: 実茂 譲

 今回の悲劇に謹んで哀悼の意を表します。ご主人を失ったことが我が国の、ひいては世界の文学がどれだけの痛手を被ったのかは計り知れず、州議会第**選挙区区民一同、ただただその死を悼み、人道に対する危機に恐れをなすばかりでございます。ご主人の名声は選挙区民一同が知るところで、我々の町でも、その著書は読書の愛好家や文学者のみならず、字を読めるもの全てが読んだことのある不朽の名作ぞろいであることを知っています。だからこそ、不可解なことにどうしてご主人はツギハギだらけのフロックコートと穴のあいた帽子――それも何度も地面に叩きつけたらしい帽子をかぶり、キャンバス地のズボンなど穿いていたのか、わたくしどももさっぱり分からず、またこの怪異的事情がなければ、あのような悲劇も起こらなかったはずですから、ただただ、この謎に選挙区民一同、首を傾げるばかりです。わたくしどもの町はただただ平穏なキリスト教徒のピューリタン的美徳を称える静かな町ではございますが、悪人がまったくないとは言えず、口さがないものがいて、打ちひしがれた奥様のご不幸を利用しようとして、ありもしなかったことをそのお耳元でささやく輩もあることでしょう。恐ろしいことにそうした堕落した不道徳な輩が我々の選挙区から出馬したことがありましたが、我々選挙区民にはそのような無法者に州議会の議席を与えるようなことはしない分別と中庸を愛する市民意識がありました。しかし、落選した悪漢はきっと今度のご主人のご不幸を利用して、奥様にある考えを吹き込もうとしますが、それこそまさに敵――そう言っても過言ではありますまい――の狙いなのです。

 確かに投票日前の一週間が騒がしいことは認めるところです。自分たちの運命を決める投票という行為を前に気分が高ぶり、酒を少し飲みすぎる手合いがいることは事実です。しかし、そうしたことは一年に一度あるかないかであり、我々の選挙区民は大人しい人たちなのです。また、我が国で行われる選挙はどこも大体似たようなものでお祭り騒ぎが付き物ですが、酒とソーセージで浮浪者を買収し、何度も同じ候補者に投票させるような不正が行われているというのは真っ赤な嘘であり、それこそ敵が行ったことであり、我々の陣営には全く起こらなかったことなのであります。ご主人に酒を勧めて酔い潰したというお話も誇張です。町全体が少しよい気分なので、その気分をおすそ分けしようと思って、リンゴブランデーの一番軽いものを水で薄めて出すことはあっても、粗雑で度が桁外れに強いコーン・ウィスキーを無理強いするようなことはありません。それにリキュールにまつわるご主人の事情を知っていれば、我々は決してお酒を勧めることはなかったでしょう。ただ、ご主人はズタズタになった服を身につけていて、既にろれつがまわらず、泥酔状態のように見えたものでしたから、一目には我が国の文学界に多大な貢献をなさった小説家なのだと理解することができなかったわけです。敵はこれについて、我々を外見でしか人を判断できない愚か者の集まりとしていますが、我々が邪悪な立候補者をみじめな落選に追い込んだことを思い出していただければ、ひどい中傷であることがわかります。

 また、保安官がご主人を姓名不明のまま逮捕したというのは、ご主人が酔っていて、身分証明書を所有していなかったため、浮浪の罪で逮捕されてしまったわけですが、もし、身分証明書を落とすようなことがなければ、きっと保安官も事情を分かってくれただろうと思います。敵は身分証の入った財布は盗まれたと主張していますが、これこそ恥を知らない外道の主張で、こやつの主張を鵜呑みにすれば、こやつはその盗人の票でもって、州議会の議席を獲得しようとしたということになり、少ない数ですが、あの愚か者に投票した区民でさえも貶める、実に卑劣漢なのであります。この卑劣漢はさらにご主人が保安官事務所の留置所で粗悪な密造酒をしこたま飲まされた上、レイノルズという架空の名前を与えられ、投票所に引きずられていき、投票しては一杯の密造酒をあおり、また投票用紙をもらって、投票するという違法行為があったと証言していますが、我々はそうした誹謗に対して、断固たる態度をもって、これを否認します。それは保安官事務所の留置所記録を見ていただければ明らかです。なぜなら、その日、留置所に留置された人間はゼロなのです。ご主人は逮捕されたものの、すぐに釈放されたというのが、我々の選挙区民の共通認識でございます。浮浪の罪による逮捕は、ただ、なぜあのようないかにも浮浪者然とした身なりと過度の飲酒による泥酔状態でご主人が我々の町を訪れたのかという謎を残すのみでした。

 ご主人のご高名にも関わらず、我々がそれを見抜くことができずに悲劇が起きたことは町全体が投票日でお祭り騒ぎが高じてしまい、町の警備に人が割かれてしまい、氏名不詳のご主人の連絡先などを調べることができなかったことによるものであることを否定はしません。何もない通常の町でしたら、どのような服装でいらしたとしても、きっとご主人のことは分かりましたし、ただならぬ泥酔状態にあっても、きっと奥様のもとへ電信でご連絡差し上げることができたでしょう。返す返すも選挙があった日と重なったことに無念を覚えます。もちろん、あの畜生にも劣る人物はここでも嘘妄言を吹聴して、我々の選挙区は特にガラの悪い場所で不正投票を行う際にはコーン・ウィスキーと警棒でもって、投票所へ行かせるという、拷問じみた飲酒の強制と暴力をちらつかせたことをあろうことか東部の新聞に載せたことも聞き、実際、その記事も見ましたが、わたくしどもの選挙区のことを知っているものが見れば、噴飯もののデタラメで、そうでなくても、一読いただければ、この記事の情報源が悪辣かつ利己的な意図をもってして、このような記事を掲載させたことは明白なのであります。ご主人の死をこのように利用するこの悪魔に対して決闘を申し込もうとする紳士が大勢、我々の選挙区にはいますが、敵は卑劣にも町から逃げて、安全な場所から「あいつらにしちゃ、原始時代の狩猟も現代の民主的選挙も同じどんちゃん騒ぎで大っぴらに酒を飲む口実に過ぎない」と根拠のない中傷を行うというもはや畜生にも劣るその本性をさらけだしておりますが、東部ではまだこの男の畜生ぶりが知られておらず、こうして記事にもなってしまうこともあって、我々選挙区民一同、奥様のお心の安らかならぬことを案じるばかりであります。この畜生の言葉に従えば、ご主人は我々の選挙区民に前後不覚になるまで酒を飲まされ、保安官事務所に監禁され、蹴られ殴られしながら、わたくしどもの町でも最も高潔な人柄の推しも推されぬ名士の名前を複数枚の投票用紙に記載させられ、その後、酒毒と放置によって死んでしまったということになるのです。

 わたくしどもはご主人が脳梗塞の一歩手前だったと判じております。このことに関しては我々の選挙区において名医として名高いフラッツラー博士の診断書があります。ろれつがまわらないのは泥酔ではなく、脳梗塞の初期段階であり、瀕死の状態で発見されたのも、そのためであって過渡の飲酒によるものではなく、また脳梗塞による死を証明する科学的根拠が二十を超えるとまでおっしゃってくださっています。ですから、奥様、敵の不正義と人の悲しみを自己の利益に利用しようとする外道の言葉を信じることはご自身のご不幸をさらに深まらせ、そして、ご主人が芸術の世界に打ち立てた不朽の功績を穢すものでございます。どうか、奥様には外道たちの言葉にお耳を貸すことのないよう、選挙区民一同、ただただお祈り申し上げるばかりです。


追伸

 なぜご主人が浮浪者のような身なりであったかの謎ですが、きっとご主人は次回作のための秘密の調査のためにああして変装をしていたのだという結論に選挙区民一同は至っております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読んでいて既視感を覚えました。文中に出てくる〝高名な作家〟ってエドガー・アラン・ポーですよね。推理小説の祖というか、彼の書いた幻想色の強い作品群はものすごく印象に残っています……貧乏作家だ…
[一言] 世界を見渡せば、不正や工作に汚れた選挙はまだ多いですよね。この作品で描かれているような世界にいなくてよかったと思います。現代日本も完全にクリーンとはいかないのでしょうが。
[一言] 数年前。入院した同室の方が島の方でした。島といっても、割とおおきな病院があります。難病というわけでもない。なのにわざわざ遠くで入院。ここの病院の先生はさほどの名医でもない(失礼)のに、どうし…
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