七.
「いや、悪かったなあ、ミス・フラン。なんか、俺が港の視察に行っている間に、局長に俺のつくったリストの件で怒られていたらしいな?」
視察から戻るなり、リチャードは申し訳なさそうに謝った。
「あ、ううん。私もチェックが甘かったのよ。局長の指摘はもっともだわ」
フランジーヌから話を聞いたリチャードは、目を丸くした。
「……はあー…。そこまで仰いますか、局長は。そんなことまでくわしく調べていたら、時間がいくらあっても足りないんだが」
「無理難題だろう。調べるのはこちらだと思って、言ってくれるよ、あの人は」
同じく憂鬱そうに呟いたのは、話を聞いていたベックだ。
「――でも、局長の仰ることは分かるわ。ろくでもない会社にお金を支出して成長させるなんて、我慢ならないもの」
「いや、そうは言うけどねぇ、ミス。それを調べ直す時間はどこから支出されるのさ」
リチャードのげんなりした言葉に、
「あら。私が調べるわ。心配しないで。このリストの手直しの件は、もう局長に言って預からせてもらったから。二人は港の再開発の件に集中したらいいわ」
「預かるって…」
ベックが少し驚いたように言った。
「いいのかい?ミス・フラン」
「…ミス・フラン。ちょっと働き過ぎじゃないか…?」
リチャードは少し顔を曇らせた。
「君が熱意を持っているのは分かるよ。でも、君が毎日誰よりも早く来て、誰よりも遅く残っているのは、仕事の仕方として俺はちょっと行き過ぎだと思うよ。他の職員も心配してたよ」
「あら、心配はご無用よ。これでもいろんな情報が頭の中に詰め込まれただけあって、前より仕事が速くなってるの。私はあまりにもものを知らなかったから。このリストだってそう。今この数十社をくわしく調べちゃえば、次のリスト作成の時には、もう覚えているところは調べなくてすむわ」
「で、また新しく登場した数十社をくわしく調べるわけかい?…ねえ、ミス・フラン。君、ちょっと局長にむきになってない?」
「何、それは」
フランジーヌは書類を分ける手を止めて、リチャードを見た。
「君がレディでありながら、役人を目指して頑張っていた話は知ってるよ。先日も、パーティの時に友人とその話になったんだ。でね、その友人は、あの向こう見ずの猛進型のログリース氏の下では、彼女はさんざんこき使われるだろうね、って言うんだ。
そのとおりだよ。あの人の仕事量は異常なんだよ。…というか、でき過ぎる部分もあるんだよ。他人にも平気で色々求めてくるけど、全部お返ししてたら、君の健康がもたないよ」
ベックもうんうんうなずきながら横で聞いている。
「何よ」
フランジーヌは語尾をきつくして言った。
「――この仕事に誇りをもって、力を注いではいけないの?
…このログワースは、けして大国じゃないけど、土壌が豊かで恵まれた土地で、平和も続いていて、そりゃいい国よ。けど、外国の広い市場に押されて、だんだん弱っていっているのよ。その衰弱に脅かされているのは、私たち貴族もなんじゃないの。
これからログワースを豊かにしていこうって言うのに、その先頭に立って働く栄えあるメンバーに選ばれたのに、うれしくないの?私は…――」
「でも、フランジーヌ。商業だぜ?
それは商人のやることだよ。俺たち貴族の子弟のやることじゃ、本当はない」
ベックの一言に、フランジーヌはかちんときて立ち上がった。
「だから何?商人があくせく働くから、勝手にせこせこお金を貯めてくれるから、勝手にさせておこうって?で、そのお金で遊んで暮らしているのは誰?
立派に財を成して国に貢献した人にも爵位は与えられているし、商人の家出身のご婦人も立派な家の女主人になっているし、もう国は変わっているのよ。
商人の仕事だの商業は嫌だの、卑下して避ける労力があったら、つべこべ言わずに自分の遊ぶ分のお金ぐらい、自分で稼いで来なさいよ…!
何もなしに豊かな暮らしの転がりこんでくる時代は、もう終わっているじゃないの!」
思わず過熱したフランジーヌの言葉に、男二人は呆然としたように立ち尽くした。
フランジーヌは、下層階級出身の家庭教師だろうが、その教師を育成した豪商だろうが、立派な人物であれば、彼らも上流階級と同じように敬意を払われるべきだ、と信じていた。
貴族にとって本来労働は恥だ。
実際、この局に班長としてよせ集められたのが、爵位も継げない次男三男坊、あるいはもとから社交界にかろうじてしがみついているような、田舎貴族や貧乏貴族の子弟たちだったのは、それが本来貴族にとって似つかわしくない役目だったからだ。
だが、弱小国ノグワースの貴族界は、比較的まだ寛容に、それほど格の高くない貴族も、遊ぶ以外にもなにがしかの働きをするべきだ、と考えていた。
しかし、長男であったら喜んでこの仕事を軽蔑して蔑んでいたかもしれないことは、リチャードとベックの態度を見れば明らかだ。彼らだって毎日悠然と遊んで暮らせる生活がほしかったのだ。
志願してきたフランジーヌにとって、彼らの態度は腹を立てるのに十分だった。
ベックとリチャードにしてみれば、いつわざる気持ちで、彼らに悪気はない。
それに、任された以上、彼らとしても紳士の誇りにかけてやり遂げるつもりではあったのだ。
(本音を言えば、どうせ王宮での役職を与えられるなら、貴族らしく王族の世話などをする職につきたかったのだが)
しかし、突然淑女から予想外に激しい言葉を浴びせられ、二人は明らかにむっとしていた。
…ログリース氏は遠くからこの様子を見ていた。
彼は離れた机に座っていたが、その時ため息をつき、彼らに近寄ってきた。
「――で?」
局長は彼らの間に立ちながら言った。
「…さきほどから大いに盛り上がっているようだが、おのおの仕事は進んでいるのか?…議論も大いに結構。だが、諸君にいくらか冷静さがあるのなら、白熱した議論はまた別の場に持ち越してくれないかね。見たまえ、周りを」
三人はばつの悪い思いで、局長と、その後ろでこちらを興味深げに見守っている職員たちの顔を見た。
ログリース氏は部下たちの顔を見ながら、つくづく部下に恵まれなかったものだと、自分の不幸さ加減を嘆いていた。
この部下たちときたら仕事の進みは遅く、彼の十分の一も努力していなかったし、もちろん貢献もしていなかったし、そのくせ文句ばかり言う、彼にとっては極めて悩ましい腹立たしい存在だった。
しかし、彼としても、今にも激しい応酬を始めそうな部下たちを一応放って置くわけにはいかなかった。ここで険悪になられたら、彼ら三人は今後さらに扱いづらいやっかいな部下になってしまうだろう。
ログリース氏は、冷たい目で三人を順繰りに眺めた。そして最後にフランジーヌの顔までくると、その目は細められた。
――彼女は初対面の時、派手で着こなし方も不格好なドレスを着ていたうえ(ログリース氏にとってはあれほどひどい装いは見たことがないと思ったほど)、マナーも守らず騒いでいた。
ここで釘を打っておかないと、のちのち不快な出来事がさらに襲ってくるだろう、そう結論づけたログリース氏は、冷ややかに彼女に言い放った。
「…それと、ミス・ストレイナー。ここで騒ぐのはやめるように言ったはずだ。一体、何が君をそんなに昂ぶらせるのか知らないが、その情熱を勤務意欲に変えてほしい。君は問題を起こすためにここに来たのではないかと、私は時々錯覚しそうになる。そうやって騒ぐ暇があるなら、あのリストを早く提出してくれ」
少しげんなりした様子の彼が立ち去ると、リチャードが呟いた。
「…ほらね?君には厳しい。あまりむきになることないよ」
「――いいわ。いつか見返してやるから」
去る局長の背中をにらみながら、フランジーヌは小声で言った。
彼女は怒りを燃え立たせ、いつか彼の高慢の鼻をへし折ってやるのだと心に誓った。