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五.

「――何ですって?局長」

「なんとおっしゃいました?」


 リチャードとベックが聞き返したが、局長…ログリース氏は二人は無視して続けた。


「まさか君がミス・ストレイナーとは思わなかったよ。ミス・ストレイナー。私が君を指名したのは理由あってのことだが、先にちゃんと君のことだと知っていたら、君には頼まなかっただろう」


 フランジーヌはあっけにとられて立っていた。


「…ちょ、ちょっと局長…。何言い出すんですか」

「そうですよ。…この新設の局の局員を決めたのは、局長でしょう?

 貴族の子弟から適材と思える有望な人材を集めて、まとめるというのが局長のお務めですよね…?今の言葉はどういう…」


 リチャードもベックも、動揺したように言いつのった。

 局長は険しい顔つきのまま二人を見た。


「違うな。彼女には無理だ。…駄目だ。またやり直しだ。――違う人間を探そう」


 ログリース氏はそのまま彼の机と思われる場所へ直行すると、椅子に深く腰かけてしまった。

 そこへ待ってましたとばかりに書類の束や要件を持っていく人々を押しのけ、フランジーヌは叫んだ。


「――説明してください!どういうことですかっ?」


 ログリース氏は冷たい目を上げて彼女を見た。


「私ではないとはどういうことですか。私をここの局員に指名したのは、局長では――?」

「…あの庭で見苦しく騒いでいた時と同様だな。ミス・ストレイナー。場所を考えたまえ。君が大きな声で騒ぐことに特別なよろこびを覚えるような風変わりな人物でない限り、ここでは静かにしてもらいたい」


 ログリース氏は、もったいぶった言い方が大好きな人物のようだった。

 顔には傲慢さと、やたらな自信の強さが現れていたし、まったく相手の感情に合わせず落ち着き払った態度は、嫌味にすら思える。

 彼の言葉の端々には相手を見下す響きがあって、実際彼の冷たい目を見れば、それが勘違いでないことは聞き手に十分に実感させるものだった。

 ログリース氏は軽蔑しきったような目をしたまま、フランジーヌに告げた。


「ミス・ストレイナー。君はここにはふさわしい人間ではなかったということだ」


 フランジーヌは顔を赤くした。


「…私は本来すぐ怒鳴るような感情的な人間ではありません。あなたが論理的に説明してくださらないので、私も直情的に質問するしかないんです。私がふさわしくないというのは、どういう意味ですか?」

「ああ」


 局長は片眉をはね上げた。


「なるほど?いい切り返し方だ。弁は立ちそうだな。…もっとも、弁の立つだけの女性なら他にもいるがね。

私がふさわしくないと言ったのは、私が指名した部下が、実は公衆の場で見苦しいふるまいをする可能性のある、問題のある人物だったようだからだ。そのため指名は取り消す。――帰ってくれていい」

「……なんですか、そのおっしゃり方…」


 フランジーヌは蒼ざめていた。怒りのあまり蒼白になっていた。


「…そんな、そんな言い方ってあんまりじゃないですか…?それに、一度ちらっと見ただけで人の適性をはかることがおできになるんですか?…適性をはかるというなら、何かテストをしてください。納得いたしかねます」


 局長はちょっと眉を寄せ、彼女を見上げた。

 少しうっとうしそうな…やっかい事はごめんだというような、そんな表情だった。


「――駄目だ。話は終わりだ。君が納得できようとできまいと、採用するしないを決める権限は私にある。以上だ」


「ちょ、ちょちょっと局長…。お言葉ですが」


 ベックが強引に話に割り込んだ。


「さきほどから私はミス・ストレイナーと話をしていましたが、問題のある人物には思えませんでした。ちょっと性急すぎる決定では…?」


「局長。そうですよ。今から他の人物を探すんですか…?…私が言うのもなんですが、貴族の子弟でここを志願する人物がそうそう見つかるかどうか…。新設の局ですし、当面は人不足だと思います。もう少し先伸ばしては…」


 リチャードも説得にかかってくれた。


 局長は眉間にしわの寄った顔でそれぞれを見ていた。

 …が、段々煩わしくなってきたのか、それとも関心が薄まったのか、彼は首を振って

とうとうこう言った。


「…分かった。少し先延ばしにしよう。私にも指名した以上の責任がある。ミス・ストレイナーにはしばらく職務をこなしてもらう」


 ほっと明るい顔をした三人を前にして、ログリース氏はうっとうしそうに言った。


「…何だ?もう用は終わったな?じゃあ終わりだ。後ろでまだ要件をたっぷり抱えて列をつくっているのを見たら、行ってくれ」


 三人は後ろを振り返り、後続の人の列を見た。そして慌てて他の職員たちに机の前を譲ると、そこから退散した。



************



「…ああ、なるほどねぇ。そういう出会いをしていたわけですね。それであの人は何か腹を立てている感じなわけか」

「気にしない方がいい、ミス・ストレイナー。…局長はちょっと頑固なんだよなあ」


ベックとリチャードは、フランジーヌが先日の舞踏会のことを少しぼかして説明すると、大いに同情しながらうなずいて聞いてくれた。


(…あのお忍びの王子のことは言えないけど、何か私がまずいことをしたから、怒っていらっしゃるらしい……というのは間違いないこととして、二人に伝えておいてもいいわよね)


「それにしても、二人とも局長のことをよくご存じなんですね。新しく集まったメンバーじゃなかったのかしら?」


 フランジーヌが疑問をぶつけると、ベックは、


「ああ、俺は数週前からもうここで働いているんです。前準備の段階から取りかかっていてね。実はリチャードもそうだけど、こいつはそれだけじゃなくて…」

「俺は、あの人とは昔からの知り合いなんだ。一応性格は知っているつもりなんだ。信頼のおける人だよ。……ただ、少し気難しい人だからなぁ」

「気難しいというか…」


 フランジーヌはたっぷり息を吸い込み、怒りの気持ちをたくわえて口を開いた。


「とっても自尊心の高いお方でいらっしゃるみたいね。あんなに尊大で、人をまず小馬鹿にしてかかるような人には、会ったことがないわ。いくら上の方でも、もっと言いようがあると思いません?」

 さっきから溜まっていた不満の気持ちを、フランジーヌはいっぺんに吐き出した。


「私は指名された以上、立派に職務を果たすつもりで来たのに…散々人に期待をもたせておいて、来たら『もう結構』って取り上げるなんて、そんなのあるかしら…!信じられないわ。もっと思いやりのある言い方があるのじゃないかしら!」


 ベックは声を上げて笑った。


「…そのとおり!いや、どこに行っても大体あのご仁はそう言われてますよ。そういう評判がもう国中に広がってますからね」

「どういうことかしら?」


 聞けば、容姿端麗ですこぶる頭の切れることでも知れるログリース氏だったが、その人物評はよくないのだという。

 交友関係も和やか、とは言えず、あちこちで敵をつくりまくっているらしい。

 女性に騒がれるゆえの敵の多さなのだとか、頭が切れすぎて周りの人々を敵に回してしまうのだとか、散々な言われようのようだった。


「…まあ、知りませんでした」

「そういう悪評判では、けっこう有名な人なんだけどな。たしかに外国暮らしが長かったから、社交界にはあまり出ていなかったけど、あのとおり派手な容姿だし、さっき見たとおりの嫌味ったらしい毒舌口撃だし、評判悪いですよ」

「…そういうわけでも、ないんだけどなぁ…」


 散々な言いぶりのベックに対し、リチャードは首をひねらしてうなっている。


「彼は、…なんだかなあ。ちょっと誤解されやすいんだけど……実際頭は切れるし…」

「ミスター・フレイマンと局長は、どこでお知り合いになったの?」


 好奇心からフランジーヌがたずねると、リチャードは微笑んで言った。


「リチャードでいいよ。こいつもただベックって呼べばいいし」


 指されたベックはうなずいた。


「そうそう。…というか、堅苦しい敬語はなしにしましょう。お互い局長の下の班長で、どっちが上とかないから」


フランジーヌはにっこり笑ってうなずいた。

「――分かったわ。ありがとう」


(…わあ、素敵。ここでは対等って感じがするわ。もう、"丁寧に大事に接せられなきゃいけないだけの淑女"、とは違うのね!)


 なんだかこれはすごくわくわくする。

 社交界の、慇懃だが堅苦しくて油断ならない人々とは違って、リチャードもベックもとても話しやすく、パーティでは殿方と愉快に話すことなんて想像もできなかった彼女が、いつの間にか時が過ぎるのも忘れて、夢中で彼らと話し込んでいた。



 リチャードは、少年の時は寄宿舎のある学校に通っていて、そこで数年間ログリース氏と過ごし、お互いのことはよく知っている間柄だと説明してくれた。

 ただし、大学はログリース氏が離れた外国へ行ってしまったために、五年ほどは会わずにいた空白の期間があり、なんだか久しぶりに会ったら…


「…前よりさらに気難しくて、なんか扱いづらい…――」

「高慢な方になっていた、というわけ?」


 後を引き取ってフランジーヌが言うと、リチャードはしぶしぶうなずいた。


「…まあ、そんな感じ」



************




「…ああ、そうだ。ミス・フラン。俺たちは一応立場的に一緒だけど、あの人は違うから。――彼が局長補佐官兼課長の、もといリーダーのミスター・ボーリス。その隣はミスター・ライオネルだ」


 ベックが示したのは、人々に指示を出しながら作業にあたっていた、三十路くらいの紳士だった。彼は振り返った。


「どうもはじめまして。ミス・ストレイナー。やっと華やかな部下に会えてうれしいよ。君の上司となる課長のボーリスだ。課長と言っても、ただの取りまとめ役というか、ここでは哀れな雑用係らしいがね」


 リーダーのボーリスは堂々としていて、男らしい人物だがどこかユーモアがある。

 ライオネルという男は、ベックにフランジーヌを引き合わされると、淡白な顔でうなずいた。


「こんにちは、ミス・ストレイナー。ライオネル・キットです。お互い新人同士、気負わずやっていきましょう。――ここの局についての説明はもう聞きました?」


 ライオネルは、少しもの静かな感じのする、しかし落ち着き払った紳士だった。


「どうぞ、フランと呼んでください。いいえ、ミスター・キット。私何もわかっていませんの。ぜひご説明ください」


 やっと仕事について説明してくれそうな救世主が現れた。フランジーヌは仕事のことについて聞きたくてたまらなかったのだ。

 ライオネルはこっくりとうなずき、説明しだした。


「一昔前までは貴族といえば、領地から流れてくる麦や豆などの作物、それから場合によっては織物の収入によって潤っていましたよね。

今はそれが変わってきています。

はっきり言ってしまえば、今は外国の安い食物、製品に押されて、我が国の産業が傾きつつあるのです。航海技術の発達で、この国も昔とずいぶん様変わりしました。

船は次々と遠い異国に到達して、どんどん輸入品の品目が増えていますし、百六十年前に発見された新大陸は開拓が進んで、現地の安い賃金の人々が生産する作物が流入してきて、年々我が国の作物の価格が落ちてきているんです。

貴族にとってもこれは生活に関わる由々しい問題ですから、数年前から対策をとろうと動き出していたんですが、具体的なことは何もできないでいて。

要するに、傾きかけた我が国の産業をふるわせ、発展させ、

その動きを推進していく、それがこの局の創設された目的なのです」


「……つまり」


 フランジーヌはまとめた。


「国をあげて産業を盛り上げよう…?ということですの」

「まあ、そういうことです」


 ライオネルは淡々とうなずいた。


「具体的には港の再開発計画の立ち上げと進行、商社への支援金の配布、新しい産業の育成…などが当面の我々の仕事になります」

「えー、っと…。だいぶ範囲が広そうですけど」

「だいぶ、じゃない。とんでもなく広いんだ」


 横にいたベックが笑った。


「いやー…、この人数しか集めないとは、恐れ入るな。計画の初期段階から見ていたけど、局はもっと大きくすると思っていたよ。当面この人数と規模でやるらしいから、忙しくなるなぁ」

 そう言ったリチャードも苦笑いしている。


 フランジーヌは周りを見回した。

 今あわただしく出入りしている職員を含めても、六十人ぐらいしかいないように思える。


(…え?これだけ?本当にこの少ない人数で、その仕事を回すの…?)


 働いたことのないフランジーヌにさえ分かるほど、少数精鋭(という名の小所帯)だった。


「…さきほどの会話がちらりと聞こえていたんですが、ミス・ストレイナーは、こういう現場に来て役人になりたかったとか。仕事が楽しみですか?」


 あまり何を考えているのか分からない淡々とした調子でライオネルに聞かれ、フランジーヌはなんとか答えた。


「…ええ。た、楽しみ…ですわ…」



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