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二.   

 

 ノグワース国は、大陸の突端に位置した小国である。

 けして大国のように、広大で発展した大都市がいくつもあったり、大きな人口を抱えているわけではない。

 蒸気機関が発明されて以来重工業の成長が目覚ましい隣の巨国・リーンゲリスに比べれば、慎ましやかな産業があり、おもに農業や貿易で営みをしているだけだった。


 また、ここは大国にあるような巨大で厳格な貴族社会に支配されているわけではない。

 大国に比べれば、まだノグワースの貴族は自由で大らかなのだという。

 しかし、ここにはここで、見たとおりの確たる貴族社会がある。



 彼らは、今フランジーヌが来ているような舞踏会をたびたび開いては交流を深め、日々ますますお互いの血統や伝統に裏打ちされた階級に誇りを強めていた。


 しかし、近年の産業革新、そして百数十年前に発見された新大陸・アルケディオと、邂逅の地"パディッソ"の登場で、時代は空の移り変わりのように早く、急な変革の時を迎えていた。



 …だが、ノグワースには、まだ時代が一変するような変革は訪れていない。

 貴族たちは、そこかしこで足元にざわつく変化の兆しを感じ始めてはいたものの、いまだ豊かな生活を謳歌し、いくらかはのんびりとした構えで、従来の暮らしを過ごしていくことに熱心だった。


 フランジーヌもまた、あまり豊かとはいえない家柄であったものの、貴族の家に生まれ、階級が下の人々よりしっかりした教育を受けていた。

 ここノグワースの貴族の女性は、爵位をもつ上流の一部の家の者をのぞき、レディと呼ばれる。

 レディ・フランジーヌと呼ばれ、他の貴族の女性と同じように育ちながら…彼女はまったく違った道に人生の舵をきってしまった。

 役人を目指すという、とんでもない選択肢をとったのだ。



 そう、彼女は豪華な宝石や今風の仕立てのドレスで身を飾るよりも、ある時から、国を動かす役人になりたいという気持ちにとりつかれるようになったのだ。


 だが、残念ながらその夢が打ち砕かれた今、フランジーヌに残された希望はない。

 これからは、この退屈しのぎにもならないつまらないパーティなどをなんとかやり過ごし、早く家に帰ることだけを目指すような日々が待っているのだ。



「………はあ…」


 フランジーヌはため息をつき、隣にちらりと目をやった。

 母親に近寄ってきた若い紳士はというと、さっきから数日前の狩りの話と、この前の家族の晩餐中に飛び出た、面白い親戚のジョークを延々ローテーションで語っていた。


(…面白くないし……また狩りの話…!?その話今さっきしたじゃない。他の話ないわけ?)


 フランジーヌはそこでやっと、若い紳士が話しながらチラチラこちらを見ていることに気がついた。ついでに言えば母も。

 つまり自分が会話に加わるのを二人とも待っているのだ。


「…まあ、なんてジョーク。素敵な親戚をお持ちですのね!おうらやましい!」

「…狩りがとってもお好きなんですわね!」

 …これか、こういう合いの手を待っているのか。


 フランジーヌは、とびきりの笑顔を浮かべて二人に向き直った。

 若い紳士も母も、にこにこ笑ってこちらを伺っていたが、


「…………」

「…………」

「…………?」

「…………?」


あまりにも笑って立っているだけのフランジーヌに、

二人がけげんな表情をし始めた頃、


「――失礼します」


 とびっきりの笑顔はそのまま、一言だけ言いおいて、フランジーヌは背を向けた。

 二人が呆然としている気配を後ろに感じつつ、フランジーヌはその場から立ち去ってしまった。



 人気のない場所を求めて、ホールから足を踏み出したフランジーヌがばったり出会ったのは、今もっとも顔を合わせたくない人物だった。


(―――げ……)


「あぁら、フランジーヌ嬢。今日はあなたも舞踏会にいらっしゃっていたの?お珍しいことぉ」


甘ったるい声とやわやわした仕草で話しかけてきたのは、フランジーヌがもっとも苦手とする少女、ルイーズだった。


 ルイーズは、乙女の武器という武器を熟知して、自分をもっと魅力的に見せることに余念がない、お洒落に命をかけているような少女だった。

 おしゃべりが何より大好きで、交友関係も広く、同じような少女数人で集まっては、しょっちゅう誰かの噂話ばかりしている。

 暇さえあれば一心腐乱に机にかじりついて勉強し、こうして母に誘われねば社交の場に来ないようなフランジーヌとは正反対だった。

 フランジーヌは彼女が大嫌いで、いつも顔を合わせそうな場面では避けていた。


「あら、ルイーズ。ご機嫌よう。悪いけど私は今……――」

「ねえ、あなたどぉなの?まだあのお役人の試験を受けるだなんて、息巻いていらっしゃるの?ねぇ」


 たっぷりした巻髪を揺らして小首をかしげ、ルイーズはたずねた。

 まるで小鳥のような仕草だ。彼女の前に立った紳士なら誰でも、その顔の横で垂れた巻髪をすくい上げ、微笑んであげたいと思わずにいられないような、そんな絵に描いたように可憐な挙動だ。


「――…あら、そのことなら、あなたの期待どおりよ。残念ながら私落ちてしまったの。役人になるのはもう無理ね」


 一瞬だけ息を止めた後で、硬い唾を呑み込み、フランジーヌは一息にそのセリフを吐き出した。

――どうせ、遅かれ早かれ彼女らの耳には入るのだ。

 さっさと伝えてしまった方がいい。それも自分の口で。きっぱりと。


 ほう、っと一瞬だけ息を呑んだ後、ルイーズは扇子の端から見せた瞳を思い切り細めて、それはそれは愉快そうに笑んだ。


「まあぁ…。そうでしたの。それはとっても残念ね。でも、ミス・フランジーヌ。あなたにとってはとてもよろしかったんじゃなくて?ああ、あなたのお母さまもきっとご安堵なさっているでしょうねぇ。…まああ、そうなの。あらぁあ。落ちたのね。私、でもそうなるんじゃないかと思っていたのよ。だってあなたレディが」

「私、急いでいるから失礼するわ」

「でも、ほんとに残念ねぇ」


 ルイーズは聞こえなかったように続けると、またにんまりと笑んだ。


「――だって、あなたそれにばっかり打ち込んできたじゃない?残念ね。…これからどうするおつもり?」

「…さあ。急いでいるの」


 フランジーヌは相手の言葉も待たず、強引にその場を去った。

 廊下をすれ違う人々が、怪訝な顔でこちらを見ている気がする。

 ただ独りになりたくて、うつむいたフランジーヌは灯りの少ない方へ、ずんずん廊下の先を歩いて行った。



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