十八. 紳士たちの思索
「……ちょっと失敗だったな」
リチャードが呟いたが、ログリース氏はどこ吹く風で冷たい顔をして立っている。
「ミス・フランジーヌの付き添いのご婦人だったようだ。あれ絶対聞こえてたよな」
「構わん。話していたことは事実だ」
「彼女の身内だったとしたら、さすがにまずいぜ。いたく怒っているだろうな」
「たとえ彼女の身内だと知っていたとして、あの夫人の振る舞い方に、あれ以上の感想は浮かんで来ないね」
「まあ、しかし、人の良さそうな感じのご婦人ではあったじゃないか。道端に貧しい子どもがいれば放っておかなさそうな、そんな人柄のよさがありそうなご婦人だったぜ。…君の言い方は、ちょっと厳し過ぎたんじゃないのか?」
「人柄がなんだろうが、見苦しいものは見苦しいと言ったまでだ。君が急にそんなことを言い出すのは、バツの悪さと罪悪感からだろう。放っておけよ」
「……………」
リチャードはしばらく黙っていた後、静かに続けた。
「…なあ、どうせ俺たちは爵位も継がない立場だし、貴族のくせに王宮でせっせこ役人たちと一緒に働いているし、もう身構えずに生きようとしようじゃないか。君の冷徹さと人嫌いを直してくれないと、俺は友人としてはどうしようもないよ」
「どうにかする必要性がない」
ログリース氏は淡白に言い切った。
「しょせん一時だけの上辺だけのものだ、ここでの付き合いも、言葉もな。俺は中身のない人間と中身のない会話を続ける気力など持ち合わせておらんのだ。それほどの努力家にはなれそうもないというだけだ」
「まあそれはそれでいいんだけど、なんだかねぇ…。…そろそろ相手を見つけないといけないような時期だ。君のお父上から何か言ってこないのかい」
「今はないな。そのうち誰かあてがわれるだろう」
「そうか…」
ログリース氏はその時目の前を横切った婦人に目を止めた。
その若い淑女は友人たちと並んで歩き、かすかに緊張の伺える顔で、二人の前をさきほどから何度か横切っている。
「今の女性を知っているか?」
そうログリース氏にたずねられたリチャードは答えた。
「?…確か、ミス・クゥアイットだったと思うが」
「ダンスを申し込んで来い。お前の誘いを待っている」
「え。いや、いいよ…」
「行ってこい。俺に付き合わなくてもいいぞ」
しばらく渋い顔をして相方を見ていたリチャードも、ようやくその場を離れながら言った。
「その仏頂面を戻ってくる前に直しておけよ、ジャビス」
************
リチャードは離れながら、一人心の中で頭を振った。
外国から戻り、職場で再会した友人は、どうも昔とは調子が違う。
再会してからこうして友人付き合いをしているのだが、これほど周りに冷たい男だったろうか、というのが彼の正直な印象だった。
もしかしたら自分の勘違いで、昔からああいう男だったのかもしれないが、どうにも彼には釈然としないのだ。
友人が貴族階級の世界を認めながらも、社交界を突き放しているその態度に、どこか矛盾したものを感じずにはいられない。
(…確かに虚飾だ。この世界も俺たちもな)
リチャードは慇懃に淑女にダンスを申し込みながら考えた。
(すべて上辺だけだし、爵位と階級がものをいう世界だ。本当の心をいかに上手に隠して、それから遠く離れたところで言葉を紡げるか、そうしたことに遊びを見い出す世界だ)
淑女はうれしそうにリチャードの手を取ったが、彼の心は真剣な思索にふけっている。
(…あいつはこの上辺だけの世界を憎悪し、見下し、蔑んでも、結局そこから生まれた貴族という自分からは逃れられんのだ…。下級貴族の見苦しい振る舞いには、嫌悪し、軽蔑するが、貴族たる自分が、この泥に浮いた上澄みの中のような世界の中で生きていくことには、抵抗感を感じて拒否している。そんなものはなんの意味もないことだと。……結局空しいことなのかもしれん)
しかし彼はまた、優雅に踊りながら考えるのである。
(…しかし、孤独はいけない…。やつが好んで孤独になりたがったって、自分で自分を孤独にしてどうするんだ。んな寂しいことがあるか。虚飾の世界でも安らぎを見つけることはできるはずだ。…そうだ、大体あいつが貴族の嫌う労働である局の仕事に名乗りを上げたのだって、この世界を脱する道を模索しているからじゃないのか)
リチャードはようやく彼なりに納得できる考えに至り、内心大いにうなずいた。
(そうだ。一緒に仕事をしていけば、またあいつも変わっていくだろう。今は頑固に凝り固まっているだけだ。たとえ上辺にしたって、パーティも晩餐会も、レディとのお付き合いも、謳歌して楽しまなきゃならんだろう。せっかくこの世界に身を置いたのなら、楽しむべきだ。うんそうだ)
突然、リチャードとダンスしていた淑女は、そのとりとめのない会話の中で、こんなことを言い出した。
「…そういえば、ご評判のご友人…ミスター・ログリースですけど。今日は彼はどうされたのかしら?いろんな人のお誘いを断っていらっしゃるようだけど」
リチャードは朗らかに笑い飛ばした。
「気にすることはありません。あいつはただちょっと気難しいんです」
「そうなのかしら……。でも、みなさまが」
「何、子どもと一緒です。むずがっている間は放って置いて、しばらくそっとしておけばいい。大したことはありませんよ」
「まあ、そんな風におっしゃるの」
「ええ。実際、大したことではないんですからね」
リチャードは悠々とダンスのお相手をつとめあげると、壁際で待つ友人の元へと戻った。