十六. ダンスのお相手 その二.
ダンスが終わった後で、壁際の花に戻るつもりでフランジーヌが進んでいると、突然横からスッと人が割り込んできた。
「――あの、ミス・フラン……」
「…きゃっ!――あ、ああ…。ミスター・ライオネル」
あまりこういう場で近づいてくる人に慣れていないせいで、フランジーヌは必要以上に驚いてしまった。
…こういう油断したところが、淑女らしからぬとか言われる理由なんだろう。
彼女は本当にあまり深く物事を考えていなかったので、遅れて現れたライオネルをなじろうだとか、傷ついたふりをしてからかってやろうだとか、そんな駆け引きをすることなんて思いつかず、ただ相手が話し出すのを待っていた。
しかしライオネルは所在無げな立ち方をしているだけだったので、こちらから切り出した。
「こんばんわ」
「――…え、ええ…。こんばんわ」
てっきり非難の言葉があると思っていたのに、ライオネルはフランジーヌのあっさりした反応にひそかに狼狽する色を見せた。
彼は、ひょっとして自分は待たれていなかったのでは、とあらぬ方向への危惧を抱いた。
「…あの、僕は今日舞踏会に来たら、あなたにまっさきにお会いするつもりだったんです。でも、来てすぐにミッドレンツ伯爵夫人たちとお話しすることになってしまって、そこを抜けられなかったものですから…」
舞踏会にしてはつまらない言い訳だったが、これにもフランジーヌは「あら、そうでしたの」とだけ言って終えてしまった。
彼女が、社交界の淑女らしいじゃれた駆け引きや応酬をする気配がないので、とうとうライオネルも自分が相手にしているのがそういう女性だと気づいたらしかった。
彼はストレートにたずねた。
「あなたは、僕のことを待っていましたか?」
「ええ、待ってましたわ。さっきから友人と―……あら、セシリアはどこ行ったのかしら?」
壁際に友人がいなかったので探すフランジーヌをよそに、ライオネルは一人感銘を受けた様子だった。
「…待っていただけましたか。ありがとうございます。僕は幸せな男だったのですね」
「…?はい」
あまりよく分かっていないまま、フランジーヌは話に戻った。
「ええと…。それで、ダンスはどうされます…?一緒に踊られますの?」
フランジーヌは駆け引きもへったくれもなく、ずばり要件を切り出した。
彼女は大体回りくどい話は好きじゃないのだ。要件は一番先に切り出したいたちなのだった。
親友のセシリアが見たら顔をしかめそうな話の進め方である。
「ええ、あなたがお嫌じゃなければ」
「嫌だなんて、とんでもないですわ」
ようやく用事をすませられることにほっとしたフランジーヌは、いざ曲の開始に合わせ、ライオネルと一緒にホールの中央へ進み出た。
「友人のみなさまはお元気?」
「ええ、あなたに会いたがっていましたよ」
「では、後でご挨拶に伺いますわ」
フランジーヌはそうして彼とダンスをしながら考えた。
…さて、この前の発言の真意を聞きたいのだが、どう聞いたらよいのだろうか。
フランジーヌは、社会経験の少なさと持ち前の勉学以外へのあまりにもな無関心さから、今目の前にいる紳士の心の機敏を、その態度から読み取ることなどできるはずもなかった。
少しでもそうした経験のある淑女ならば、即座に彼のサインに気づいただろうが…。
(…彼は私と踊っていて楽しいのかしら……?いまいちよく分からないわ…)
無口なライオネルはあまり話題を振らないし、早くも二曲目に突入してしまった。
「…私、思うんですけど、少し今日の演奏は速い気がしません?」
「そうですか?」
「…ええ、少し。ちょっぴりですけど…」
あまりにも会話の糸口が見つけられず、フランジーヌは適当に話題をでっちあげた。別に本当に音楽の伴奏が速かったわけではない。
「――ミス・フラン」
唐突に彼が口を開いた。
「今度、友人たちとペリトンの方へ遊びに行こうかと計画しているんです。もし、ご都合が悪くなければ一緒にどうですか」
「まあ…」
ペリトンは貴族がよく遊びにいく行楽地だ。フランジーヌは少し考えた。
「…えっと…具体的にいつですか?」
「そうですね、再来週の土曜あたりに…」
「その日は用事がありますの。日曜はいかがです?」
「あ、では日曜に…。…あの、本当によろしいんですか?」
「ええ、別に」
「本当ですか?」
「ええ」
「お嫌なら断ってください。あなたもお忙しいでしょうし、無理にお時間をつくられる必要はないんです」
断ってほしいのだろうか、とフランジーヌはもやもやしながら答えた。
「ご心配なさらないで。ええ、私喜んで行きますのよ、ミスター・ライオネル」
「それを聞いて肩の荷が下りました」
ライオネルはどこか淡々とした調子があるし、あまり表情がないせいだろうか。フランジーヌには最後まで彼の心が掴みかねた。