一. 気のりしない舞踏会
朝、レースのカーテン越しにまだ柔らかい日差しが差し込む中、ベッドに腰かけた姿勢のまま、フランジーヌ・ストレイナーは、さきほどからずっと微動だにせず固まっていた。
彼女の手の中には一遍の紙。
(――……ああ、落ちたんだ)
やっとその紙切れから顔を引き起こすと、フランジーヌは呆然と天井を仰いだ。
通知書には、慇懃だがはっきりした拒絶の文句がしたためられていた。
ただ今日のため、役人採用試験に合格することだけを夢見て、青春もお洒落もかなぐり捨てて全力疾走してきた自分の過去が、その短い文句に否定されてしまった。
(…分かっていたけど………あたし、馬鹿だったわ)
フランジーヌは震える指で通知の紙を乱暴に折りたたんだ。
絶対に合格だと信じていたのに。
…なんて言えばいい?
蒼白な顔で戻ってきた娘を見て、居間で座って待っていた父と母が立ち上がった。
「――どう…?」
「…ああ、やっぱり」
少し心配そうに顔を曇らせてたずねたのは父で、安堵したような笑みを浮かべたのは母だった。
「ね、だから言ったでしょう?私の可愛いフランちゃん。じゃ、今晩は約束どおり…――」
「――…分かったわよ!行けばいいんでしょ、行けば!馬鹿みたいに着飾って、あの馬鹿みたいな連中に混じって、お人形みたいにダンスでもしてりゃいいんでしょう…!?」
声を荒げた娘に、キャッと小さく悲鳴を上げると、母は悲しそうに言った。
「まあ、どうしてフランちゃん…。せっかく試験に落ちたんだから、親子なかよく舞踏会に行きましょうよ。ほら、姉さんたちも一緒だから…」
せっかく、という一語にカチンときて、フランジーヌはその場から飛び出した。
「…お母さまの馬鹿…!私がどれだけ必死で勉強して役人になろうとしたか、知ってるじゃない…!」
走りながら悔し紛れに叫ぶと、涙が出そうになってきて、フランジーヌは顔に思いきり力をいれないといけなかった。
すれ違った姉二人が、驚いたような顔をして振り返った。
「……どうしたの、フラン…?」
「ほっといて!」
フランジーヌはすごい形相のまま叫んで、走って逃げた。
恥ずかしさと悔しさで、その時はとても家にいられなかったのだ。
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(あーあ…。最悪……)
――フランジーヌは、目の前の煌びやかなパーティの光景に意識を戻し、投げやりな視線で周囲を見やった。
魅惑的に結い上げた髪を羽飾りや宝石で高々と飾り留め、白く眩しい胸元にはきらめく宝石飾り、ドレスはエレガントに重ねられた布のひだが美しい装飾となっている。
――そんな美しく華やかな衣装に身を包んで、上品に笑いさざめいている淑女たち。
他方、なめらかな漆黒の燕尾服に背をのばし、花の彩りのように集まったご婦人方に、愛想のよい笑みを浮かべてご機嫌を伺う紳士たち。
周りには陽気で、しかし洗練された空気をもった人々が、いかにも楽しげな顔で集まっていた。
…一人だけむっつりと暗く沈んだ顔をしているフランジーヌをのぞけば。
彼女の頭を占めているのは、今朝の憎たらしい通知書だった。
(…あーあ。…もうちょっとで念願の役人になれたのに…。…どうしてこんなとこに来なきゃいけないのよ?)
貴族の末席に名を連ね、社交界デビューも去年果たした立派な貴婦人(ただし、下級貴族)、でありながら、フランジーヌには幼い頃からのある野望があったのだ。
「――私、役人になります、お母さま。
なってこのノグワース国を支える、立派な官僚組織の一員になります!」
十歳の時にそう宣言した日のことを、フランジーヌはまだ昨日のことのように覚えている。
それを聞いて、腰が抜けそうなほど驚いた顔をしていた母の様子も。
…そう、今隣で上機嫌でにこにこ微笑んでいる、おっとりした母だ。
母自身もその日のことをよく覚えているだろう。
あの宣言は悪夢だったわ、まさに悪夢の始まった一日だったわ、とその日からこのかた、毎日のようにフランジーヌ本人に恨みがましく言ってきた、他ならぬ母なのだから。
そう、フランジーヌは淑女らしからぬ野望のため、美だ流行だとそれらを追いかけるのはとうの昔に投げ捨て、ただ一心に役人の道を目指して、勉学に励んできたのだ。――が、それも今朝までの話だ。
さっそく話しかけてきた紳士を上機嫌で応対している母を見つめながら、フランジーヌは思った。
(…そう、私は負けちゃったんだ。役人になれなかった)