その名は
いまだ戦乱収まらぬコスフォナ大陸の端、大陸一の軍事力を有するガルキナ帝国の隣に、ひっそりと戦火を逃れて存在する国がある。
ミッドランド皇国。
国を真っ二つに横断する大運河が国を潤し、年中温かな気温が緑溢れさせ、見る人の心を穏やかにする。
住む人皆、高望みせず、勤勉に日々の暮らしを営み、一日の終わりのビールを至福とする。
まさに、この世の楽園といった風情だ。
ここまで豊かな風土を有しているこの国は、常ならば他国から狙われ戦火にあるはずだろう。
加えて隣国のガルキナ帝国は、侵略と支配を繰り返し国を大きくしていった軍事国家である。
なぜ、穏やかな暮らしが営める?
それには、ガルキナ帝国と百年前に交わされたとされている密約が大きく関わっているのだが、それはまた別の話。
さて、ミッドランド皇国には、一輪の可憐な華が咲いている。
その華の美しさは、艶やかに咲き誇る大輪の薔薇さえ霞ませ、その華の優しさは永久凍土に存在する氷河さえ温かく溶かしてしまうほど。
国中の国民が彼女に想いを寄せ、彼女もまた国民を、国を愛していた。
その華の名は、エリューゼ・(中略)・フォン・ミッドランド。
御歳十三歳になられる、皇国の第一皇女殿下である。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
「ミッドランド皇国万歳! エリューゼ皇女殿下万歳!」
民衆たちの歓声は、大地を揺らし、国を揺るがした。
近くから、遠くから、只一人のために喜びの声が届く。
バルコニーから見える人々の表情は、誰も彼も晴れ晴れとし、笑顔を浮かべている。
エリューゼは、その歓声と笑顔から感じる彼らの温かな気持ちに、心の底から笑みを浮かべ手を振り返した。
「万歳! 万歳! 万歳!」
その声は遙か遠く、天にまで届くかのようだった。
その日は、記念すべきエリューゼ第一皇女殿下の十三歳の誕生日。
国中から王都に人が集結し、盛大な生誕祭が執り行われた。
華やかな薄桃色のドレス身にまとい、透き通るような黄金の髪をきらきらと輝く宝石で飾り付けたエリューゼの姿は、神話に伝わる女神すらも霞めてしまうほどに美しい。
彼女の頬笑みは華の様に可憐で、人々の心に艶やかに咲き誇った。
民衆はその笑みを胸に焼き付けるようにして、帰路へついた。
その微笑みを忘れるものなど、いないだろう。
エリューゼは朝から皇の謁見、式典、パレード、晩餐会などに出席し、目の回る様な忙しさを味わった。
今日一日で、何度ドレスを交換しただろうか。
何度コルセットで身体を締めつけただろうか。
毎年毎年、この日はいつも大変だ。
しかし、彼らは心から自分の誕生を祝ってくれているとわかるから、この疲労すら愛おしく感じてしまう。
そんなことを考え、目まぐるしい一日が終わり、自室でホッと一息をついた時のことである。
「エリューゼ様」
「はい」
侍女のエイミーが、椅子に身体を預け、静かに目を瞑っていたエリューゼに声をかけた。
「レイモンド皇太子殿下がお見えになっております」
「レイ兄様が? なにかしら? エイミー、直ぐにお通しして?」
「はい。ですが・・・」
「なあに?」
「お疲れではありませんか? お顔の色も優れないようですし。 後日、日を改めていただくようにお伝えしたほうが・・・」
「ありがとう、大丈夫よ。それに、なにか大事なご用事かもしれないし。ね?」
「・・・はい」
体もあまり丈夫ではないのに、エリューゼは昔から無理をしすぎる。
幼いころなど、中庭で走り回っただけで熱をだして倒れてしまった程だ。
今日一日で、ずいぶんと身体に無理を強いたはずである。
幼いころよりエリューゼの世話をしてきたエイミーとしては、いくら心配してもしたりない。
しかし、エイミーはエリューゼの笑顔に押され、不承不承頷いた。
彼女は部屋の扉を開け、外で待っていた男を室内へ通す。
エリューゼは立ちあがって、男を笑顔で迎え入れた。
「エリ」
「レイ兄様、いらっしゃい」
男―エリューゼの兄、レイモンドはミッドランド皇国の皇位継承権第一位をもつ、この国の皇太子である。
彼はエリューゼと同じ、紫紺の瞳を優しく緩ませ彼女に微笑んだ。
「十三歳の誕生日、おめでとう」
「お兄様、ありがとう」
「これは、誕生日プレゼントだよ。今日中に渡したくてこんな時間に部屋を訪ねてしまった。すまなかったね、疲れていただろう? さあ、座ろう」
桃色小さな箱をエリューゼの小さな手に渡し、レイモンドは困ったように微笑んだ。
無理をしている妹に、自分が更に無理をさせてしまったことが申し訳ない。
しかし、どうしても彼女の誕生日の日に渡したかったのだ。
慣れた所作でエリューゼの為に椅子を引き、彼女を座らせた後、対面になる位置に自分も座る。
「いいえ、お兄様に会えて私も嬉しいもの。それに、プレゼントまで・・・。お兄様本当にありがとうございます」
「どういたしまして。ところでエリ、早速開けてみてくれないかな」
「いいの? ふふ、何かしら」
期待と興奮でエリューゼの頬が僅かに紅潮する。
それを見てレイモンドは、笑みを深くした。
「まあ!」
「どう? 気に入った?」
「ええ! とても!」
箱の中に入っていたのは、美しいアメジストのついたネックレス。
エリューゼの瞳と同じ色をしていた。
「エリの瞳と同じ色にしてみたんだ。つまり、私の瞳とも同じなんだけどね」
「本当? ありがとう、お兄様」
「ああ。そうだ、つけてみてくれないか?」
「わかったわ」
慎重に箱から取り出して首につけようとしてみる。
しかし、一人ではホックが噛みあわずどうにも上手くいかない。
「あら」
「貸してごらん」
「あっ」
レイモンドは立ちあがると、エリューゼの背後に回り、彼女の手からネックレスを放す。
カチャリと、ネックレスがつながった。
「できた」
「ありがとうございます」
兄の言葉にエリューゼは振り返り、礼をする。
「ああ、頭なんて下げないで。それより、良く見せてくれないか」
「はい」
照れたように微笑んで、エリューゼは自分の姿をレイモンドに見せた。
兄の視線に、自然と頬が赤くなる。
「どう、かしら?」
「・・・うん、素敵だよ。エリューゼ」
レイモンドは満足そうに頷き、エリューゼの頭を撫でた。
エリューゼは、頭を撫でてくれる兄の手が大好きだった。
「ふふふ、ありがとうお兄様。大切にしますね」
「ぜひ、そうしておくれ」
二人は微笑みあった。
「エリューゼ様、レイモンド殿下。紅茶が入りました」
エイミーが紅茶の入ったティーカップを運び、声をかける。
「あら、エイミーありがとう。お兄様も座って?」
「ああ」
レイモンドが椅子に着くと、エイミーは静かにカップを二人の前に置く。
余計な音を立てず、すばやく、しかしあくまで優雅に。
エイミーの所作は、侍女としても淑女としても一級のものだ。
「おいしい」
「うん、エイミーのいれた紅茶は最高だな」
「ありがとうございます」
兄妹殿下の世辞なしの賛辞に、エイミーは照れたように返事をする。
その姿を微笑ましく思いながら、彼らはエイミーを下がらせ、兄妹水入らずの会話を楽しむ。
「エリももう十三歳か。私も年を取るわけだね」
「あら、お兄様はまだ二十三でしょう? まだまだお若いです」
「うーん、十三歳に言われてもね・・・」
レイモンドは苦笑を浮かべて、エリューゼを見つめる。
彼女は兄がなぜこのような表情をするのかわからず、首をかしげた。
「それにしても、十三か。・・・ついにエリも選ぶんだな」
「?」
「騎士だよ」
「あ・・・」
ミッドランド皇家には、昔から受け継がれている伝統がある。
十三歳の誕生日から一年間かけて、生涯をともにする自分だけの騎士を見つけ、十四歳の誕生日に自分だけの騎士となるよう任命をし、勲章をさずけるのだ。
「お前も知っているだろう? 十三歳で皇家の人間は自分だけの騎士を得ることを」
「あ、はい」
「私も十三でファビアンをみつけた」
「・・・」
「騎士はお前の盾であり、剣だ。互いに信頼し、命を預けられる者を見つけなさい」
「はい」
その後、レイモンドは他愛もない話をし、エリューゼの頬におやすみのキスをして部屋を出て行った。
この歳になってまで恥ずかしいと兄に訴えるも、彼は頬笑みを浮かべるだけで何も言わない。
きっと次の日も、当然のように彼女の頬にキスをするのだろう。
レイモンドが去ると、エイミーが静かに部屋に入ってくる。
「エリューゼ様、本日はお疲れの様ですし、寝室に向かわれてはいかがですか?」
「エイミー、ありがとう。でも、もう少し夜風に当たっていたいの。エイミーも下がっていいわ、今日もありがとう」
「・・・はい、お早めに御就寝ください。失礼いたします」
カップを下げ、エイミーも部屋を辞した。
部屋の中にいるのは、エリューゼのみ。
彼女は窓を開け、星の煌めく夜空を見上げた。
今宵は満月で、真ん丸のお月様が優しく地上を照らしている。
月に祈るように、彼女を目を閉じた。
「ついに・・・この日がきた」
彼女の名前は、エリューゼ。
彼女には、誰にも言えない秘密がある。
兄はただのモブ。
あまり重要ではないと思います、たぶん。