第一話 3.英雄(3)
* * *
「おい、待て小僧。」
二十八にもなって小僧と呼ばれるのは中々新鮮なものだ。
第十二騎士団の寮は詰め所と続きの建物になっている。今日の仕事を終えたアスタが自分の部屋へ戻ろうとした時、寮への渡り廊下でそう呼び取られて振り返った。
「ドレイク副隊長。」
角ばった顎に無精ひげ。短く借り上げられた髪には白髪が交じり、無造作に捲り上げられた袖から覗く腕には多くの傷が残っている。まさに戦を勝ち残ってきた戦士。ドレイクにはそんな言葉が似合う。騎士というにはガラが悪いと言われているが、同騎士団の人間皆に慕われている副隊長だ。
「お疲れ様です。今上がりですか?」
アスタは彼に軽く頭を下げながら声をかけた。上がりか?と言ったのは副隊長のシフトを把握しているからではない。ちらりと見た彼の手にワインボトルが握れられていたからだ。
「おう。お前もだろ。付き合え。」
それだけ言ってドレイクはさっさと移動してしまう。相手の都合などお構い無しの態度にアスタはこっそり苦笑した。
「そういや、お前いくつだっけ。」
「二十八です。」
「にじゅうはちぃ!?」
実年齢よりも老けて見えると言われたことはないが、ドレイクは顔をしかめて驚いた。恐らく元隊長という実績から考えた結果だろう。
「『最年少』でしたからねぇ。」
優しげな声で応えたのは隊長クレイ=ハーマン。銀縁の眼鏡にスラリとした背の高い壮年の男性で、騎士よりも貴族の領主が似合う穏やかな人だ。この騎士団のトップだが、誰に対しても敬語なのは昔からの癖らしい。だが一度剣を握ればその眼光は鋭く、智将と称えられた人物でもある。
クレイの言葉にドレイクは酒の入ったグラスを傾けながら頷いた。
「そうか、若ぇな。」
酒の席とはいえ、隊長・副隊長の二人に自分の事を話されるというのは居心地が悪いものだ。アスタは食堂に隣接した一室で上司二人に酒を注いでいた。テーブルには食堂から適当に見繕ってきた肴もある。それに手を伸ばしながらドレイクは口を開いた。
「隊長は重荷だったか?」
「いえ。第八の隊員達は皆優秀でしたから。一人でその職を全うした、という意識はありません。」
「ハッ。優等生の回答だな。」
皮肉とも取れる言葉にアスタは眉を下げる。こういう時どう応えれば良いのか、アスタはいつも迷う。口の上手い者ならば適当にあしらうのだろうが、残念ながらそんな器用さは持ち合わせていない。それはアスタ自身が良く分かっていた。
「それでも、グランに指名された時には苦労したのでは?」
「・・・そうですね。苦労というよりは、プレッシャーの方が勝っていたと思います。」
「相手が<赤獅子>では、そうでしょうね。」
クレイはゆっくりと頷いた。
第八騎士団、アスタの前任を勤めたのはグラン=ハンバット元隊長。この国では<赤獅子>の二つ名で知られているあまりにも有名な英雄だ。当時まだ二十三歳の若造が一隊を率いる事もそうだが、彼の名がアスタに大きなプレッシャーを与えていた。何よりアスタ自身が人を導くような役職に就ける人間だと自分を評価していなかった。
「ではなぜ隊長職を受けたのですか?」
「・・・一度、断っているんです。」
「え?」
「グラン隊長がまだご存命だった頃に直接お断りしました。けど・・・」
「確か、遺言で託されたんでしたね。」
「はい。」
どうしても自分に隊長が務まるとは思えず、アスタはグランに断りを入れていた。けれど戦いの最中グランが敵の刃に倒れ、後任の件はグランの名で副隊長に遺言が託されていた。そこで再びアスタが指名されたのだ。
「遺言だったから、断れなかった?」
クレイの問いにアスタは見つめていたグラスをから顔を上げる。そして首を横に振った。
「俺は、今でもグラン隊長を尊敬しています。自分が隊長に相応しいとは思えなかったけど、グラン隊長が間違った人選をするとも思えなくて・・・。だから、グラン隊長を信じようと思ったんです。」
「成る程。不安もプレッシャーも背負う覚悟が出来るほど、グランを信頼していたのですね。」
するとドレイクがグラスを置いた。そして真っ直ぐにアスタの顔を見る。その目線は窺うような、探るようなものだった。
「それで、尊敬する隊長から任された仕事をお前はサボって飛ばされたって?」
副隊長の揶揄にアスタは苦笑いすることしか出来なかった。
第十二騎士団に異動した当初、ドレイクに遠慮のない言葉でその理由を聞かれたのだ。どうして隊長クラスの人間がこんな辺鄙な所に飛ばされたのか、と。自分で異動願いを出したとは言えなかったアスタの苦し紛れの答えが「真面目に仕事をやらずに飛ばされた」だった。だが、アスタの働きぶりとその性格を知ればそれは嘘だとすぐに分かる。彼はずっと疑っていたのだろう。
「あの生意気な狼野郎が来たら鼻っ柱潰してやろうと思ってたのに、蓋を開けたら狼所か獅子が来やがった。何の間違いかと思ったぜ。」
「そう言えば、アスタ君は<大地の獅子>でしたね。」
久しぶりに聞く二つ名。自分でも忘れかけていたそれは、否が応でもあの戦を思い出させる。
「あの頃はただガムシャラで・・・。周りが見えていなかった頃に受けた称号です。俺はその二つ名に相応しい人間じゃないですよ。」
「けれど“獅子”の名を得たという事は、周囲が<赤獅子>の後継者として認めた証拠なのでは?」
「きっとそれは、仲間達のお陰です。俺一人ではとても・・・」
最年少の隊長となったアスタを指導し、隊を支えてくれた当時の副隊長。傍で仲間達を励まし、士気を上げてくれた無二の親友。どんなに辛い状況下でもついて来てくれた沢山の仲間達。
「君は随分謙遜するね。」
「そうでしょうか?」
「元々の性格なのかもしれませんが、もっと自分に自信を持って良いと思いますよ。」
クレイがワインボトルの口を向ける。アスタは空になった自分のグラスを差し出し、お礼を言って注がれる酒を受けた。
「そう言えば、ドレイク副隊長はアーロンさんとお知り合いだったんですか?」
「・・・だったらなんだ。」
「あ、いえ。」
ふと気になって訊ねた問いに不機嫌に返され、理由が分からずたじろいだ。するとそんな二人を見たクレイがくすくすと可笑しそうに笑う。
「あの・・・?」
「いえ、すいません。私もドレイクもアーロンのことはよく知っていますよ。何しろ、何度も騎士団に勧誘しては断れていましたから。」
「え?そうだったんですか?」
目を丸くするアスタにクレイは頷いた。
アーロンはアスタが以前いた第八騎士団でお世話になった隊員だ。戦時中は副隊長を務めており、アスタが隊長を引き継いだ際もずっと自分と隊を支えてくれた恩人でもある。戦時中に負った足の怪我もあってその後平の隊員となっているが、アスタにとってはいつもまでも頭の上がらない人だ。
アーロンは傭兵から騎士になった人物で、アスタ同様二つ名を持っている。けれどアスタのように国から与えられた称号ではなく、傭兵時代から国民の間で呼ばれていた通り名の様なものだ。特に彼の故郷がある北西部では<黒狼>と聞いて知らぬ者など居ないだろう。 彼の強さは戦前から広く知られており、騎士団からの勧誘があったと言うのは有名な話だ。まさか実際に勧誘していたのが今や直属の上司であるこの二人だとは思いもしなかったが。
「ドレイクは彼が自分の誘いに乗ってくれなかったものだから、今でも拗ねているんですよ。」
「馬鹿野郎。んな訳ねぇだろうが。俺は<赤獅子>が行った途端に手のひら返したのが気に食わねぇだけだ。」
「それって結局は同じことでしょう。」
からかう様に目を細めるクレイにドレイクは口を歪めて「ケッ」と吐き捨てる。ばつが悪いのか、そのままグラスの中身を一気に呷った。
「グラン隊長が・・・、アーロンさんを説得に行ったと言うのは本当だったんですね。」
そう呟いたアスタにクレイは意外そうな顔を向けた。
「おや。知らなかったんですか?」
「えぇ。そんな噂は聞いてましたが、グラン隊長もアーロンさんも当時の事は話してくれなかったので。」
戦が終わった後アーロンに何気なくその頃の話を聞いてみたことはあるのだが、詳しく語ってはくれなかった。彼から傭兵時代の話も聞いた事はない。
「そうでしたか。アーロンは自分のことをあれこれ話す男ではなかったですし、騎士となる事を選んだ時点で傭兵時代の事を持ち込まないというけじめもあったのでしょう。」
確かに、アスタから見たアーロンもそういう人物だ。
「彼の足に怪我の後遺症が残っていると聞きましたが。」
「えぇ。走ったりはあまり出来ませんでしたね。ですが無理をしなければ普段の生活に支障はないようですし、今は息子も一緒に暮らしているので大きな問題はないと思います。」
「息子?彼に子供がいるという話は聞いたことないですが・・。」
首を傾げるクレイにアスタは頷いた。アーロンが同じ第八騎士団の青年、ザックを養子に迎えたのはつい数ヶ月前の事。ここでは知られていなくて当然だ。
「今年入った第八騎士団の新人でザックというのがいるんですが、彼が養子になったんです。」
「養子?」
「えぇ。戦時中にアーロンさんに助けられた子供の一人です。恩返しがしたくて第八への入隊を希望したと言ってました。」
「・・あの戦争も、ただ奪うだけではなかったという事ですか。」
そう言ってクレイは窓の外を見た。そこには雪の積もった森が広がっている。かつての戦の跡は全て真っ白な雪で覆い尽くされ、この時期目にすることはない。けれど奪い奪われた人々の命だけは誤魔化すことが出来ない。それでもアーロンとザックの話は残された人々で紡がれた新しい絆があるのだと、そう感じさせてくれた。
「アレどう思う。」
既にアスタのいなくなった部屋で、クレイとドレイクだけが静かにグラスを傾けていた。
「嘘をつけない性格のようですね。」
隊長であるクレイは部下であるアスタのことをそう評価した。
第十二騎士団に初めて顔を出した頃からアスタの態度は変わらない。本当に隊長を務めていたとは思えないほど謙虚で素直。実質降格に近い異動だったが卑屈な態度も見せず、まるで新人隊員のようにこの隊に溶け込んでいった。
「話を聞いても隊長職が重荷だったようには見えなかったがな。大臣も口を割らねぇし、一体何を考えてんだか。」
彼の異動の話が来る前、城で大臣から聞いていた異動予定の人物の名は確かにアーロンだった。けれど蓋を開けてみれば来たのは隊長だったアスタ。その理由が分からず二人は首を傾げていたのだ。
「私は嫌いじゃないですよ。」
「そんな事は聞いてねぇ。」
「君も好きでしょう。あぁいうの。」
「うるせぇよ。」
悪態ばかりの副隊長にクレイは笑みを浮かべた。彼とは戦前からの長い付き合いだからよく分かっている。アスタのように不器用で真っ直ぐな性格の人間をドレイクが気に入らないわけがないのだ。
「ま、良いもの拾ったと思えばいいじゃないですか。」
勿体無いとも思うが、この隊に来てからの彼はマイペースに仕事をこなしているし、自分達からすれば優秀な人材を得る事が出来たのだ。問題は無い。
「お前って結構楽観的だよな。」
「ドレイクは意外と繊細ですよね。」
見目とは違う互いの内面に悪態をついてグラスを合わせる。
元々北方の人間は酒が強い者が多い。テーブルの上に置かれた空のボトルは既に三本目。けれどペースが落ちる事はなく、二人はしばらくそうして酒を酌み交わしていた。