第一話 3.英雄(1)
ブレスタ子爵の家に招かれてから、シンガーはフランと文通を続けていた。歌の事、旅の事、お店の事。外に出ることが出来ないフランは様々な事を知りたがる。お陰で書く内容に困る事はない。
フランは直接会って話をしたがっていたが、シンガーの仕事は夜から始まるので中々時間が合わない。それでも店主のレイナに暇を貰い、初めて訪れてから三週間後の今日彼女の屋敷に再度招かれる事となった。
再び馬車乗り、今日は一人で子爵家に赴く。屋敷の主人と奥方は別の貴族の家に呼ばれているそうでフラン一人きりだった。だからこそ、今日招かれたのかもしれないが。
「お久しぶりです。フラン様。」
シンガーが通されたのは暖炉で暖められたフランの私室。彼女はベッドの上で上半身を起した状態でシンガーを出迎える。どうやら今日はあまり体調が良くないようで、ベッドから出ることを許されていないらしい。
「こんな格好でごめんなさい。」
「いえ、いいんですよ。フラン様の楽な格好で。」
ベッドサイドまで椅子と丸テーブルが移動され、そこにお茶が用意された。シンガーが執事に礼を言うと、彼は頭を下げて部屋を出る。すぐに二人きりの時間が訪れた。
「フラン様は本を沢山お読みになるんですね。」
彼女の部屋には大きな本棚が壁一面に並んでいた。よく見れば神話や民話、御伽噺が多いようだ。
「えぇ。中々家から出られないので、自然と本を読むのが好きになったんです。本棚にある本はもう全て読んでしまいました。」
部屋の中は十分に暖められているが、シンガーに向かって笑うその顔色は青白い。寝巻きの上に毛糸で編まれた厚手のストールを羽織っていて、その下の体は以前会った時よりも少し小さくなったように見えた。
「なら、今日は私が御伽噺をお話ししましょうか?」
「え?シンガーさんが?」
「えぇ。きっとフラン様も知らないお話だと思いますよ。」
「なんて言うタイトルなんですか?」
「眠り姫、というお話です。」
一口お茶を飲み、シンガーは自分の故郷でよく知られた『眠り姫』の話を聞かせた。
ある国で長い間子宝に恵まれなかった国王夫妻のもとに美しい姫が誕生しました。その祝いの席には賢い魔女達も招かれましたが、呼ばれなかった事を恨んだ一人の魔女によって姫は呪いをかけられてしまいます。そして魔女に予言された歳を迎え、美しく成長した姫は紡ぎの針に指を刺し永遠の眠りについてしまいました。城の者達も姫と共に眠りにつき、彼らを護るように茨が城を覆い、誰も近づけなくなってしまいます。けれどそれから丁度百年後、運命の王子が茨に道を開かれ、姫に口付けをするとその呪いが解けたのです。姫の目覚めと共に城の者達も目を覚まし、運命の日まで城と姫を護っていた茨はなくなりました。そして姫を娶った王子と共に国は永遠に栄え、二人は幸せに暮らしたのでした。
全てを話し終えると、フランは頬を緩ませた。
「素敵。初めて聞きました。他にはどんな話をご存知なんですか?」
「そうですねぇ、では『灰かぶり』の話をしましょうか。」
「『灰かぶり』?」
「えぇ。ある街に灰かぶり、と呼ばれる少女が居ました。彼女の服はいつも灰で汚れていたのでそう呼ばれているのです。何故なら彼女は暖炉から掻きだされた灰の山の上でしか眠ることが許されていなかったのでした。」
フランの顔が曇る。先ほどのようなロマンティックな話と随分違うからだろう。けれどクライマックスを聞けばまた彼女はうっとりとした表情を浮かべる筈だ。シンガーはそれを想像しながら話を進めるのだった。
「シンガーさんは素敵な話を沢山ご存知なんですね。」
シンガーの予想通り、フランは初めて聞く御伽噺を喜んでくれた。すると今度はフランがお返しにとこの国の話をしてくれた。
「シンガーさんもご存知の通り、この国は三年前まで戦争をしていました。だから戦争で活躍した英雄の話が多いんです。南で人気があるのはフォルタナですね。」
聞き覚えのある単語にシンガーは瞬きした。思い出されるのは肩まで伸びた金髪を一つに束ねた明るい青年。
「・・もしかして、<黄金の鷹>ですか?」
「あら、ご存知でした?」
「え、・・えぇ。名前を聞いたことは。」
「金髪の美形の騎士で、彼の話は若い女性に人気があるんですよ。」
それが国から与えられた二つ名だと認識してはいたが、こんな北の端にまで名が知られるほど有名だとは思いもしなかった。彼とはユフィリルの南部を共に旅した仲なのだ。もし彼と知り合いだと言ったら、フランはさぞ驚くだろう。簡単に話してしまっても良い事なのか判断に困り、とりあえず口を噤む事にした。
「この北の地では圧倒的にアム・ロジアの人気が高いんですけどね。」
「・・・<黒狼>。聞いたことはありますが詳しくは知らないんです。彼は鷹ように騎士なんですか?」
「えぇ。ですが最初は違いました。だからこそ、人気があるんです。」
首を傾げるシンガーにフランは思い出すように一つずつゆっくりと言葉を紡いだ。
北西の小さな町に剣の腕が立つことで有名な男が居た。彼は傭兵業で生計を立てていたが、やがてこの国で戦争が始まり、彼には国から騎士になるよう声がかかった。傭兵よりも騎士の方が給金も安定するし、何より国の為に戦う事は名誉になる。
「でも彼はそれを拒みました。」
「何故?」
「町に病気の妻が居たのです。」
騎士になれば国の為に戦うことになる。王命があれば各地に赴き、剣を振るわねばならない。小さな町から動けぬ妻の下から離れなければならなくなるのだ。
「だから彼は騎士にはならず、傭兵のまま故郷を護ることにしました。元より多くの傭兵達から信頼と尊敬を集めていた彼は激化する戦争の中で、仲間と共に町を護り続けたと言います。騎士は功績を称えられ、国王から二つ名を賜ります。けれど名誉や収入よりも妻と故郷を選んだ彼を人々は尊敬を篭めてこう呼びました。権力に靡かぬ気高き孤高の獣、<黒狼>と。」
彼は己にも他人にも厳しい人物だったという。決して甘えず、周囲も甘やかさず。けれどその厳しさが大切な人々と仲間を護ってきた。誰の前でも膝を突かないその心の強さを人々は野生の獣、狼に例えたのだ。
「けれどそれも長くは続きませんでした。戦時中、彼の妻が亡くなったのです。」
その後、<黒狼>はずっと誘いを受けていた騎士団に入隊。亡くなる直前の妻から騎士になるよう頼まれたとか、熱心な騎士団からの誘いがあったのだとか、その理由は諸説ある。
「私が聞いた中で一番有力なのはシリム・ペディカですね。」
「<赤獅子>?」
「えぇ。<赤獅子>というこの国で絶大な人気を集めた騎士がいたのです。戦争が始まった当時既に彼は五十を過ぎていましたが、圧倒的なカリスマ性と剣の腕前、判断力、決断力を持ち、隊長を務めていました。彼が妻を亡くした<黒狼>の下へ行き、直接説得したと聞いています。」
「それ程、<黒狼>はすごい人だったんですね。」
「えぇ。彼の故郷は北西の小さな町ですが、北方全体に彼の英雄譚が歌として広まった程なんですよ。」
アンバにも人気の英雄の歌があった。同様にユフィリルにも人々に歌われる程慕われた英雄がいるのだ。
「すごい。是非覚えたいです。」
目を輝かせてシンガーがそう言うと、フランはにっこりと笑ってその歌を教えてくれた。
“孤独に戦う黒狼 何の為に血を流す
彼はこう答えるだろう 愛する故郷と妻の為と
名誉も報酬も川に捨て 鋭い牙で敵を蹴散らす
私達もそれに続こう 勇敢な獣の魂を持って
闇の中走る黒狼 誰の為に涙を隠す
彼は口にしないだろう 愛する人を失ったのだと
悲しさ胸に秘めたまま 敵に向かって吼え続ける
私達もそれに続こう 英雄の姿を胸に抱き
生まれた地を去る黒狼 獅子に導かれ剣を取る
彼は振り返らないだろう 今は遠き人を想いながら
ユフィリルを駆けていく あなたの背を追い立ち上がる
私達も共に走ろう 愛すべき心を受け継いで”
決して明るい曲ではなく淡々とした心に残る重いメロディー。彼の話を聞いた後だからだろうか。その歌を聞いて目頭が熱くなったのは。
「彼は、今も騎士団に?」
その問いにフランは苦笑した。
「いえ、分からないんです。彼は戦争後も故郷へは戻りませんでした。戦時中に亡くなったという話もあれば、<赤獅子>の意思を継いでまだ騎士団に在籍しているという話もあります。」
「・・・<赤獅子>は亡くなったのですか?」
「えぇ。敵の矢に射抜かれながらも最後まで剣を振るい続けた、勇敢な死だったと伝えられています。」
やはり戦争は戦争なのだ。誰も彼もが幸せに、という訳にはいかない。英雄と言えど、限りある命は同じなのだから。
病と闘い続けているフランの前でこれ以上戦争の話をしたくなくて、シンガーは話を変えようと視線をずらす。その時、パサッと何かが落ちる軽い音がした。目線を戻せば床に花模様のストールが落っこちていた。
「フラン様?」
それを拾い上げ彼女の肩に戻そうとするが、フランは肩を丸めてベッドの上でうずくまっている。
「大丈夫ですか!」
慌てて立ち上がり、ストールごと暖めるように彼女を抱きしめる。その体はかすかに震えていた。
「へーき、です。ちょっと眩暈がしただけ・・・」
「今、お屋敷の方を呼んできます。」
部屋を出て近くに居た使用人の女性を引き止める。事情を話せば、彼女はすぐにかかりつけの医者を呼びに階下へ下りて行った。入れ替わりに執事の男性が駆けつけ、フランを横に寝かせる。そうなれば後は医者を待つだけ。シンガーに出来ることは何もなく、ただ邪魔にならぬよう部屋の隅に突っ立っているしかない。
やがて現れた医師の診断を受け、薬を飲んで彼女は眠った。それを見届けてから挨拶をして帰りの馬車に乗る。
上等のクッションの上で揺られながら、シンガーは忘れぬようずっとフランに教わった歌を小さく呟いていた。
“孤独に戦う黒狼 何の為に血を流す
彼はこう答えるだろう 愛する故郷と妻の為と
名誉も報酬も川に捨て 鋭い牙で敵を蹴散らす
私達もそれに続こう 勇敢な獣の魂を持って”
(大丈夫、大丈夫。)
フランは強い。体の小さなあの少女は病から逃げずに戦い続けている。苦しみから目を逸らし続ける自分とは違い、彼女には幸せになる権利がある。
(だから大丈夫。)
きっとまた次に会った時には今日のように笑顔を見せてくれるだろう。そしてまた互いに御伽噺や歌を教え合えばいい。彼女は喜んでくれるはずだ。それまで明るい元気になるような話を用意しておこう。
冷たい雪に覆われていても馬車の小窓から見える人々が行きかう街の風景は温かくて、春が来るまでに一度で良い、彼女と一緒にここを歩きたいな。そう胸の内で呟いた。