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第三話 4.異世界(1)

 

 自分のこと。日本のこと。そしてこの世界に来てからのこと。沙樹が全てを話し終えるとティシェリーは笑みの消えた顔を向けた。化粧っけが無くともはっきりとした目鼻立ちをした彼女の目は力強い。


「そして貴方は此処へ来た。それでは、貴方の望みは何?」

「私の・・望み・・・?」


 そんなことわざわざ訊くまでも無いだろう。沙樹の望みは真実を知る事。過去の真実の中から帰還の方法を探す事。


「私は・・・、帰りたい・・です。」


 とっくに決めていた答えの筈なのに、それを言葉にしようとすれば声が震える。何故?自分でも分からないうちに、沙樹は酷く手に汗をかいていた。


「そう。分かったわ。」


 そう言うと、彼女は向かいの椅子から立ち上がる。そして一旦部屋を出た。二分もしないうちに戻ってきたかと思うと、その手にはガラスのグラスと小さな瓶が握られていた。そしてそれらを机の上に並べる。次に部屋の隅の置かれていた水差しを手に取った。


「“仕組み”について話をしましょうか。」

「仕組み?」


 一体何の?そう思って首を捻れば、ティシェリーがグラスに半分だけ水を注いだ。透明なそれは窓から差し込む陽の光を反射してキラリと瞬く。次に小瓶を手に取ると静かにグラスのふちに沿わせながらゆっくりと流し込む。とろりとした粘度のあるその液体は僅かに黄色く、注ぎ終わった彼女がグラスから手を離してしばらく待つと、水の上に浮かんで層を作った。


「サキ。あなたの言う通り、『異世界』は存在するわ。」

「え?」


 唐突な言葉。簡単に異世界を肯定されてしまい、逆に頭がついていかない。しばらく二人の間に沈黙があった後、沙樹はドキドキする胸を押さえながらやっと口を開いた。


「あの・・・、それって当たり前に皆知っていることなんですか?」

「まさか。私が把握している限りでは、知っているのは異世界から来た人間と代々の東の森の魔女だけね。」


 東の森の魔女は異世界を知っている。つまりシンイチが訪ねていた魔女も。そしてそれ以前の魔女達も。ならばもしや、東の森で今まで姿を消した人達は皆異世界から来た人達なのでは?そう安直に考えた沙樹の考えを否定するように、ティシェリーは首を横に振った。


「この森で消えた人達が皆シンイチや貴方のように異世界から来たとは限らないわ。ただ、シンイチ以外にも異世界の人間が東の森の魔女の下を訪れたのは確かだけどね。」


 沙樹は歴史書に名を残すほど有名になったシンイチのお陰で此処へ辿り着く事ができた。けれど他にも同様の人が居たのかもしれない。それにそもそもシンイチ自身も最初からマライヌ島にいた訳ではないのかもしれない。人が消えるという噂を聞きつけ、帰還のヒントをこの島に渡ってきた可能性だってある。

 様々な憶測が頭を過ぎっていく。シンイチや自分達以外にも異世界の人間はいたかもしれない。それは十分に興味を惹かれる事実だが、沙樹にとって重要なのはあくまで帰る方法だ。


「シンイチさんは・・、どうやってこの森から日本へ帰ったんですか?」


 すると焦る沙樹を落ち着かせるように、ティシェリーは抑揚の無い静かな声で話し始めた。


「それを今から説明するわ。」

「・・・もしかして、仕組みっていうのは異世界へ行く仕組み?」

「惜しいけどね。これから話すのは世界の仕組みよ。」

「世界の・・・」


 どう頭を働かせたって、ティシェリーが言いたいことが分かる筈も無い。沙樹は黙って彼女の言葉を待った。


「結論から言うと、異世界から此処へ来た人間は皆元の世界へ帰ったわ。」

「!?」


 急速に沙樹の胸で膨らむ希望。期待と不安が渦巻いていた心の内が晴れていく。そんな沙樹とは正反対にティシェリーは淡々と話を進めていく。


「理由は簡単。それが『必然』だからよ。」

「・・・必然?」

「これを見て。」


 ティシェリーが指したのは先程の透明なグラス。中には綺麗に二層に分かれた液体が入っている。下は透明の水、上は黄色のとろりとした液体。水の上に浮いていることを考えれば、恐らく油だろう。彼女はオイルの入った小瓶を再び手に取ると、高い位置からそれを一滴グラスへ垂らした。

 ピチャッと勢い良くグラスの水面が跳ねる。そして二つの層が落ちてきたオイルに押し出されるように真ん中から崩れて一瞬二つの液体が混じり合う。しばらく待てば再び元の通り綺麗な二層に分かれた。オイルは水よりも浮力が軽い。いくらかき混ぜても、その後放置すれば乳化剤でも入れない限り二つの層に戻る事は沙樹も知っている。


「あの・・・。」

「オイルは水の上に浮かび、二つは外から力を与えられてそれが乱れることがあっても必ず元に戻る。それはこれが二つの物質の安定した状態だからよ。」

「はい・・。」


 ティシェリーの言わんとしていることが分からないまま、沙樹は首を縦に振る。


「万物には安定した正しい状態があり、それが乱されれば自然と元に戻そうとする力が働く。」


 今度は水差しから一滴水をコップに落とす。再び水面が乱れ、時と共に元の形へ戻っていく。


「雫は上から下に落ちるように、光を遮れば影が生まれるように、彼らもまた元の世界に存在することが必然。」


 先ほどのようにオイルを上から垂らせば二つの層の表面が乱れ、押されたオイルが水の層に沈む。そしてしばらくして浮かび上がり本来のオイルの層へ戻っていく。


「石を投げた湖面に波紋が広がり、時が経てば水平に戻る。傷つけられた人の肌は自己治癒力で回復する。焼けた森は灰を養分にして再び発芽し、木が茂る。世界のどんな事象も一度乱れれば正しい姿に戻ろうとする。それは正しい姿こそが『安定』した状態だから。」


 ティシェリーは沙樹の表情の動きを見定めながら話を続ける。


「けれど異世界の人間がこの世界に『ある』のは偶然の産物であって正しい状態ではないわ。正しくない物は世界を不安定にする。そして常に『安定』した状態を保とうとする世界は不安定なものを安定にする為に作用する。つまり安定になろうとする世界の力によって彼らは元の世界に戻されたのよ。」


 水の層がこの世界、そしてオイルの層が元の世界だとする。偶然の力の作用で『この世界(水の層)』の中に入ってしまった『元の世界の人間(オイル)』は、やがて自然と『元の世界(オイルの層)』へ戻っていく。自分の意思とは関係なしに。常に平衡を保とうとする世界の仕組みによって。


「それって・・、つまり、森や魔女の力ではないってことですか?」

「えぇ。勿論。彼らを帰したのは世界が安定を求める力。つまり私達が何をするでもなく、こちらに来て不安定な存在だった彼らは『世界』によって戻された。」


 全ては世界の作用によるもの。そこに人の意思も力も干渉する事はできない。

 沙樹は学生の頃にならった化学の知識を思い出していた。その中に質量保存の法則、というものがある。それは化学反応の前後で物質がどんな状態に変化しようともその質量は変わらないという法則。水を沸騰させて水蒸気にしても、凍らせて氷になったとしても、『水』としての質量が増減することはない。それを世界に当てはめて考えたらどうだろう。ひとつの『世界』という閉鎖系の中で無機物・有機物がどんな風に姿かたちを変えたとしても、その『世界』の中に存在する絶対量が変化する事は無い。それがなんらかの作用で『ある世界』に存在した人間が一人消えたとする。同時に『ある世界』からは人間一人分の質量が消え、絶対だった均衡が崩れる。安定の質量を保っていた『ある世界』は途端に不安定になるだろう。それは増える筈の無い一人分の質量が突然増えた『この世界』も同様だ。二つの世界は不安定になり、安定になる為に『この世界』は余分な一人を排除し、『ある世界』は足りない一人を求める。その作用で異世界人は元の世界に帰っていく。


「なら私も・・・何もしなくてもその内日本に戻れるって事でしょうか?」

「・・・・。」


 ティシェリーの目が沙樹を上から下まで眺める。その目線に落ち着かないものを感じながら沙樹はティシェリーの言葉を待った。


「・・・・この先は覚悟を持って聞きなさい。」


 彼女の目つきが先程と違い厳しいものとなる。沙樹は言いようの無い不安が背筋を這うのを感じた。けれど耳を塞ぐわけにはいかない。沙樹は前に進む為に此処に来たのだから。


「分かりました。」


 彼女の唇がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「貴方が『チキュウ』へ戻ることは無いと思うわ。」


 その声は二人きりの狭い部屋に、嫌なほどはっきりと響いた。

 

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