第三話 3.魔女(4)
「それで~?今日は何を占いましょうか?お二人は夫婦?あら違うの?なら結婚式の日取りかしら?今月ならあと十四日後が良いわよ。来月なら・・」
外観と同じくこじんまりとしたリビングのソファに通されるなりセールストークを始める彼女。謎めいた魔女というよりは保険の勧誘をしているおばちゃんの様だ。口を挟む余裕が無かった沙樹は、彼女が壁に掛かった円盤状のカレンダーに目を移した隙に慌てて声を上げた。
「あ、あの!」
「ん?なぁに?」
にっこりと微笑まれ、けれどその笑顔の裏に商売っ気が見えて言葉に詰まる。だが、此処を訪ねた用件は占いではない。
「今日は、占いじゃなくて・・・」
「あら?何。お客さんじゃないわけ?」
「・・・す、すいません。」
はぁ、と大袈裟な程大きな溜息をつかれてしまった。さっきまでの笑みは掻き消え、彼女は対面のソファに背を預ける。
「じゃあ何よ。あたしも忙しいんだから、お客じゃないならさっさと用件済ませてくれる?」
・・・・にしたって、この態度はあんまりじゃなかろうか。生活が第一なのは勿論ずっと一人で生きてきた沙樹も分かっているけれど、客じゃないと分かった途端にこの態度では気後れしてしまう。
ちらりと隣に腰を下ろしたアスタと目を合わせる。そっと目元を緩めたその笑みに勇気付けられ、沙樹は再度魔女と向き合った。
「えっと・・・その、すいません。第五十三代領主のシンイチさんについて、お伺いしたいのですが・・。」
すると何故か魔女は余計嫌そうに表情を歪めた。
「・・・・何、アンタそっちの人なんだ?」
「そっち?」
「この前も来たわよ~。突然失踪した領主の謎を解明する!とか言って、変な学者みたいなオッサンが。鬱陶しいからそんな昔の事知るか!!、って追い出してやったけど。」
「え!?ご存じないんですか!?」
思わず身を乗り出してしまった。ようやくシンイチの真実に辿り着けると思って来たのに、ここで何の手がかりも掴めなければまた降り出しに戻ってしまう。そうなれば、アンバから旅立ってからこれまでの時間が全て水の泡だ。
顔色を悪くする沙樹の表情からそんな必死さが読み取れたのか、意外そうに魔女は「おや?」と表情を変えた。
「あなた・・・、あのハゲとはちょっと事情が違うようね。」
その言葉に、沙樹は一も二も無く頷く。
「私は、シンイチさんの事を調べていますが、周囲にそれを広めるつもりはありません。あの、・・・もしご存知なら、シンイチさんが失踪する前に訪ねていた以前の魔女さんの事を教えて欲しいんです。どんな些細な事でも構いません。」
魔女は値踏みするように沙樹を眺める。そして次に隣で黙って座っているアスタへ視線を向けた。それに気づいたアスタが口を開く。
「俺は席を外しましょうか?」
「話を聞きたいのはお嬢さんの方だけなのね?」
その言葉に沙樹が頷く。魔女は再びアスタに目を向けた。
「じゃあ、貴方は此処でお茶でも飲んでて。あたし達は奥の部屋に移動するわ。」
沙樹が案内されたのはリビングから狭い廊下を通り、角を曲がった突き当たり。奥まった場所にあるこれまた小さなドアのついた部屋だった。中に入れば壁一面にびっしりと本が詰まった棚が並び、窓のついている東側の壁には干した草花が吊るされている。そして部屋の真ん中には二脚の木製の椅子と四角い小さめの机。腰ぐらいの高さしかない棚の中には大小さまざまな瓶が所狭しと収められていて、やっと沙樹の知っている魔女らしい雰囲気を見ることが出来た。失礼とは思いつつ部屋を眺めていると、椅子の一つを指差された。
「ほら。ぼさっとしてないで座って。」
「あ、すいません。」
小さな部屋だが大きな窓が二つ付いているお陰で物は多くても部屋の中は明るい。言われるがまま沙樹が腰掛けると、適当に机の上を片付けながら彼女は口を開いた。
「お嬢さんはシルメル・ポルカって歌知ってる?」
聞き覚えのある曲名に沙樹は頷いた。
優しい小人。それはユフィリルでヌーベルの港へ行く為の峠道で知り合った幼い男の子が唄っていた歌だ。
「親切な小人が鳥やリスに頼まれて探し物を見つけてくる童謡ですよね?」
「知っているなら話は早いわ。マライヌ島東のこの場所が、その歌のモデルになった森なのよ。」
「モデル・・ですか・・。」
突然の話に彼女の意図が掴めない。沙樹はこの島で行方知れずとなっているシンイチという男の話を聞きにきたのだ。それが何故、急に童謡を持ち出すのか。
「分からない?」
「え?」
「あの歌の最後、覚えてるでしょう?」
「最後・・・」
鳥の番がなくした卵。ツイの木が失った枝。リス達が探していた末の兄弟。それらは森に迷い込んだ人間が食事をする為、火にくべようとしていた。小人は人間たちからそれらを取り返して、めでたしめでたし。
「探し物を見つけて、小人が帰ってくるんですよね?」
「えぇ、そうよ。そして小人に見つかった人間たちはどうなったと思う?」
「どう・・?それも歌になっているんですか?」
必死に歌詞を思い出そうとしてみても、男の子が歌っていた中に人間達のその後は描かれていなかったように思う。それともあの時歌っていなかっただけで、実は続きあったのだろうか。
「あの歌はそもそも教訓なの。他人の物を奪ってはいけない。無闇に森を荒らしてはいけない。そんな事をすればシルメル・ポルカが攫いにくるぞ~、ってね。」
童話や童謡が子供達へ向けた教訓になっているのは日本でもよくある話だ。鬼とか物の怪とか、なまはげとか。けれど、あの歌のタイトルとは結びつかない。
「さ・・攫うって・・・。小人は優しいのでは?」
すると彼女は人の悪い笑みでニッと笑った。
「小人は森の化身よ。彼らが優しくするのは当然自分の親兄弟である森に対して。それを荒らす愚か者には容赦しない。」
「つまり・・、あの歌に出て来る人間達はポルカに攫われてしまったと?」
「そういう話になってるわ。なんでこの森がシルメル・ポルカのモデルになったのか教えてあげましょうか?この森はね、昔から人がよく消えるのよ。」
「・・・人が、消える?」
「そう。あなたが知りたがっているシンイチ=ソマ=マライヌのようにね。」
なんでもないように言われた軽い一言。けれど沙樹には聞き逃せないものだった。もし彼女の言うことが本当ならば、この森でシンイチは姿を消した。もっと言えばシンイチ以外にもこの森で姿を消した人がいる。今はそれが小人の仕業として歌になっているようだが、真実はそんなファンタジックなものでは無い筈だ。
沙樹は急に背筋が冷えた気がした。
「・・では、シンイチさんはどこへ?」
「さぁ?森の小人に攫われたのかもね。」
おどけたように言う彼女。けれど沙樹が知りたいのはそういう事ではない。知りたいのはあくまでも真実のみ。ならばこちらも真実を話さなければならないだろう。そうしなければ、きっと彼女はこのまま小人のせいにして本当の事を話してくれない気がする。彼女にとって沙樹はまだ先日訪れたという研究者や、好奇心に突き動かされた野次馬となんら変わらない存在なのだ。
沙樹にとっての真実を口にするのは賭けだ。もしも本当に彼女がシンイチが何処へ消えたかを知らないのならば、沙樹の立場が危うくなる。けれどもう此処以外、沙樹には手がかりを掴める様な場所はない。躊躇している余裕も無い。
机の下で一人ぎゅっと両手を握ると、沙樹は顔を上げた。そこには飄々として掴めない表情をした魔女がいる。
「・・・・。シンイチさんは、元の世界に帰ったのではないのですか?」
その言葉に対して魔女からの返事は無い。その代わりに彼女の赤茶色の目が驚きで見開かれた。そしてその数秒後――
「たまげた。あなたそこまで知ってるんだ!」
「!!やっぱり、そうなんですね!?」
紺色のテーブルクロスが敷かれた机に手を付き身を乗り出して彼女に詰め寄れば、その勢いを止めるかの様に彼女は手のひらを沙樹の顔の前に突き出した。
「あー、待って。」
「??」
そして手を下ろし、ニッと笑う。小さな子供が居てもおかしくない歳だろうに、そんな表情はまるで幼い少女のようだ。
「あたしの名前はティシェリー・ラン。テイシーでもシェリーでも魔女でも好きなように呼んで。・・お嬢さんのお名前は?」
「あ、私はシ・・・」
シンガー、といつものように名乗ろうとして、けれど一度口を閉じた。彼女に偽名を名乗るのは失礼だと気づいたのだ。自分は真実を話して欲しい。ならば、自分も真実を話さなければ。
「いえ、沙樹です。今村沙樹、と言います。」
「・・成る程。あなたの話、聞こうじゃないの。」
そうしてやっと、沙樹は此処に来るまでのいきさつを話始めた。