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第三話 3.魔女(1)

 

 沙樹はアスタと共に船に乗っていた。船、と言ってもユフィリルから乗ってきたような大きな帆船ではなく、帆柱が一本だけのプライベートクルザーのぐらいの小さな船だ。これは一日一往復しか出ていないマライヌ島とハマナ島を繋ぐ定期便で、夕方の帰りの便に乗ることが出来た所だった。

 自分達と共に乗船しているのは操舵をしている船長を含めたったの五人。彼らはやはりマライヌ島の住民達ばかりで、見慣れぬ顔だとすぐに声を掛けられた。観光かそれとも仕事か、いつまでマライヌ島にいるのか、二人は夫婦なのか、など珍しい客人への質問は止まらない。島へ到着するまで予定では約二時間。暇を潰すには沙樹達の存在がうってつけだったのだろう。しばらくはお互いの話に花が咲く。そんな中、今日はハマナ島の役所へ行っていたと言う小柄な壮年の男性が「そう言えば・・」と口にした。


「知っているとは思うけど、マライヌ島に宿屋は無いよ。泊まる場所は決まってんのかい?」


 そこで沙樹とアスタは顔を見合わせた。勿論宿屋が無いのは知っている。事前にレイブンから説明を受けていたからだ。彼の話では、稀に自分達のような外からの客人が来た時は領主家が面倒を見てくれるとの事だった。元々沙樹の目的は領主家へ過去の領主について話を聞くことだったから丁度いい。二人は最初から領主家を訪ねるつもりだった。


「あの、領主様の所へお願いに行こうかと思っていたんです。」

「あぁ。そんなら良かった。ウェンの坊ちゃんは気性の穏やかな人だから、きっと泊めてくれるだろう。」

「あれ、今のご領主はエンヴィーク様という方では?」

「いやいや。エンヴィーク様は先月引退なさったよ。今は一人息子のぼっちゃんが領主として立ってるんだ。優しい人だ。問題ないよ。」

「そうでしたか。」


 島民に慕われているような人柄なら安心だ。沙樹はほっと息をつく。その隣でアスタは質問を続けた。


「領主様はお若いんですか?」

「あぁ。まだ二十二じゃなかったか。」

「ご結婚していらっしゃるんですか?」

「いいや。島の娘っこ達には人気だが、まだ結婚はしてないなぁ。恋人もいないらしいし、最近じゃあ、ぼっちゃんが誰を見初めるのかが皆の注目の的だよ。」

「・・・・へぇ。」

「?」


 一瞬、アスタの声が低くなったような気がして沙樹は彼を見上げる。けれどその視線に気づいて微笑んだアスタからはいつもと違う様子を見る事は出来なかった。


 船は順調に進み、予定通り二時間程で船着場へと到着した。殆どの島民達とはそこで別れたが、幾人かは領主家の屋敷まで案内を買って出てくれた。外部からのお客の多くが領主家に寄る為、屋敷は比較的船着場から近い場所に建てられている。二十分も歩けばレンガ造りの大きなお屋敷を見つけることが出来た。


「よぉ。お客さんを連れてきたよ。坊ちゃんは居るかい?」


 一人が庭に居た使用人に声をかける。それほど大きくない島だから大抵の者が顔見知りなのだろう。庭掃除をしていた壮年の男性は沙樹達を見ると頷いて門を開けてくれた。


「旅の方ですか?どうぞ、中へお入りください。」

「あ、はい。ありがとうございます・・。」


 身分を改めることなくすんなりと通してもらえた事に驚くが、案内してくれた島民達にお礼を言って二人は彼に着いて行った。まだ花の少ない前庭を抜け、玄関へと足を踏み入れる。火を入れた暖炉の前のソファを勧められ、二人は上着を脱ぐ。そして腰を下ろす前に名乗りをあげた。


「私はアスタ。彼女はシンガーと言います。今日は領主様にお話を伺えればと思ってこちらを訪ねました。」


 すると彼は意外そうな顔をした。いつものように宿泊希望の客だと思っていたからだろう。


「話、ですか?失礼ですが、ウェン様とお知り合いで?」


 その問いには沙樹が答えた。


「いいえ。実は、三十五代目の領主様についてお伺いしたいのです。」

「・・・三十五代目?」

「シンイチ=ソマ=マライヌ、という方だった筈です。」


 彼は少し考える仕草をした後、一度沙樹を頭からつま先まで眺めた。嫌な視線ではない。単に何かを確かめる作業のような見方だ。


「何故か、お伺いしても?」

「・・その、私の知っている人に同じ名前の方がいて。確かめてみたいんです。」

「成る程・・。珍しいお名前ですからね。そういう事もあるかもしれません。」


 彼は二人にソファにかけるよう勧めた後、主人を呼びにリビングを出た。

 勿論かつての領主シンイチが知っている人かもしれないというのは沙樹の嘘だが、そう答えるよりも他に良い言い訳が見つからなかったのだ。なんとか話が通じたようでほっとした。


 しばらくして姿を現したのはいかにも片田舎の領主といった雰囲気の、歳若い青年だった。黒の短髪にこげ茶の目。沙樹にとっては親しみ易い容姿だ。ウェン=ヴィーグ=マライヌ、と名乗った彼は二人の前に一冊の本を差し出した。随分と古い装丁の本だ。


「これは?」

「私の曽祖父、シンイチの晩年の日記です。」

「・・お借りしてよろしいんですか?」

「えぇ。勿論。」


 沙樹がそれを受け取る。五十頁ほどのあるその日記の表紙をめくると、そこには日付が書かれていた。丁度百年ほど前の、春の頃だ。中表紙を更にめくれば、やっとシンイチ本人の手記が顔を出す。


「っ!!」


 沙樹は息を飲んだ。日記そのものはこの世界の共通語で書かれていたけれど、ページの所々に日本語の走り書きでメモが記されていたからだ。


(やっぱり、シンイチさんは日本人だったんだわ。)


 何故かこの世界に来てしまったシンイチと自分。彼の生涯は自分の未来かもしれない。沙樹の心臓が壊れてしまいそうなほど大きな音を立てる。


「・・その文字が読めるのですね?」


 沙樹の反応を見たウェンは静かにそう尋ねた。


「え、えぇ。」

「あなたが曽祖父の事を知っていると言うのは本当の様だ。しばらくその日記はお貸ししましょう。気の済むまでご検分ください。」

「ありがとうございます。」






 その日はウェンの好意で無事屋敷に泊めてもらえる事になった。夕焼けの赤い光が差し込む客室には今沙樹しかいない。アスタが気を使って沙樹を一人にしてくれたのだ。

 借りた日記の表紙をひと撫でして、沙樹は再度表紙を開いた。そして一文字一文字を丁寧に読み上げていく。シンイチの日記には簡潔にその日あった出来事や感じた事が書かれていた。



 一日、三の月、春の季

 領主の席を息子に譲って一月が過ぎた。しばらくは私に意見を求めていたモルドもようやく仕事に慣れてきた様だ。もう直ぐ息子夫婦に子も生まれる。ひと心地つけそうだ。そろそろ私が抜けても良い頃だろう。

 西の丘向こうではクルの種撒きが始まる。


 二日、三の月、春の季

 息子の嫁が今日転んだと妻が大騒ぎしていたが大事無かった様だ。妊婦だから注意するようにと叱っていたが、妻が息子を身ごもっていた頃は心配する周囲を言いくるめてよく出かけていたものだ。今度嫁にこっそりその話をしてやろう。気晴らしぐらいにはなるだろう。

 今日、森へ手紙を送った。返信は気長に待とう。どうせ彼女はすぐに連絡をよこさない。


 三日、三の月、春の季

 妻と嫁に花を贈ったら驚かれた。ここには桃の節句がないのだから当然だろう。何故と問われたが理由は教えなかった。秘密だと言ったら妻にはいつもそうだと呆れられた。

 今日も手紙の返信はない。



(手紙・・・)


 しばらくは家族や領地の話と、そして手紙の返事が無い一文が続く。それでも一文字一文字丁寧に読み進めていると、二月後に変化が現れた。



 十一日、五の月、春の季

 今日返信が来た。名前はないが間違いなく彼女からの手紙だ。七日後、森の屋敷へ招かれた。ようやく話が出来る。妻や息子への裏切りかもしれない。けれど、私はずっと仲間を裏切ってきた。この先何があったとしても、その報いは受けなくてはならない。



 森、手紙、彼女、仲間、裏切り。意味の分からない言葉が続く。

 森の屋敷に住む『彼女』からの連絡をシンイチはずっと待っていた。では、『仲間』とは一体誰の事?『裏切り』とは何?

 そのページの左端に、漢字が二文字書かれていた。それを目にした途端、沙樹はぎくりと顔を強張らせる。


(魔女・・・。)


 魔女と裏切り。それまで穏やかな男性の人生を記していた筈の日記から急に不穏な言葉が現れる。不意に心細さを感じて沙樹は日記から顔を上げた。けれど今広いこの客室には誰もいない。沙樹は日記を離さず、暖炉の前へ移動した。そしてページをめくる。



 十八日、五の月、春の季

 森へ行った。相変わらずおかしな物ばかりが置いてある屋敷だ。久しぶりに会う彼女は私の顔を見て寂しそうに笑った。私はどうやら不安定らしい。その日はそう遠い事ではないようだ。私の胸中は複雑だった。安堵もしたし、その時を思えば悲しみも覚えた。けれどもう止める事はできない。私の意志で制御できるものではないのだから。


 二十日、五の月、春の季

 私は水なのか油なのか。そんな意味のない事ばかりが頭を占める。どうやら夏が来る前にその時が訪れそうだ。妻に、息子に、そして生まれてくる孫に一体何を残してやれるのか。

 最近、よく夢を見る。仲間達の夢だ。これもその影響なのだろうか。戦地から逃げ出した私を君達は許してくれるだろうか。



(戦地・・?)


 シンイチが領主を勤めていたのは百二十年前。領主を務めるほどこの土地や人々と馴染むのには時間がかかるだろう。それを考えれば彼がこの世界に来たのは更に数年前だと考えられる。


(百二十から三十年前・・。日清戦争?いやそれよりもっと前?)


 そうか。時の流れがこちらと地球で同じとは限らない。おまけに、この世界に移動した時の時間軸が平行だとも限らない。けれど『戦地』と言う言葉を考えれば、シンイチが二十世紀の戦争に参加していたのは間違いない。


(だから、仲間と裏切り・・・。)


 恐らく戦時中、徴兵されていた彼は何かの拍子にこちらの世界に来てしまったのだ。島国のピノーシャ・ノイエは隣国と領地を争う事はなかった。急に世界が変わって、争いの無い平和な場所に来て、彼は戸惑ったのだろう。そして自分を責めたのだろう。仲間が命を賭けて戦っている時に自分だけこちらの世界に来たしまった事を。自分だけが戦争から抜けてしまった事を仲間への裏切りと捉えていたのに違いない。


(夢に見ていた『仲間』・・・。戦争で共に戦っていた仲間の事なんだわ。)

 


 四日、六の月、夏の季

 彼女が私に会いに来た。別れの時を告げる為に。準備は整っている。孫の顔を見ることができないのだけが残念だ。

 どうか幸せに。故郷で得ることのできなかった私の大切な家族。君達が幸せでいてくれるならば、私はどんな罰にでも耐えうるだろう。そしてどうか私のことは忘れて欲しい。私はここで幸せだった。けれどとても苦しかった。故郷の両親に、友に、そして仲間達に謝罪をしなければならない。その為に私は戻る。それだけの為に私は戻るのだ。

 イリス、モルド。自分勝手な私を許して欲しい。

 ありがとう。さようなら。



 沙樹は黙って日記を閉じた。パチパチと暖炉では炎に包まれた薪が燃えている。けれど沙樹の耳には何の音も届いてはいない。日記に記された言葉には意味の分からない事も多かった。けれどはっきりと分かった事がある。六月四日で日記は終わっていた。先程のページが最後の日記だった。つまり、


(シンイチさんは、帰ったんだわ・・・・。日本に・・・。)


 これは希望だ。沙樹にとって、この日記に記されている文は帰る手段があるという証拠なのだから。


(帰る。帰れる・・・・・)


 それなのにどうして、頬を涙が伝うのだろう。どうして体が震えているのだろう。

 どうして――

 

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