第一話 1.縁(3)
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エドと再会してから数日後。すっかり彼が店とその客達に馴染んだ頃、レイナが二人を手招きした。食材の買出しから帰ってきたばかりの二人は、やけに嬉しそうな彼女の様子に顔を見合わせ首を傾げる。
「これ、見てごらん。」
差し出されたのは一通の封筒。中には乳白色の上等な紙で作られたカードが入っている。どうやら招待状のようだ。エドがそれを開き、隣からシンガーが覗き込む。
「きたる双月中天の日。素晴らしい歌手・奏者と評判の高い貴殿らを是非我が屋敷へ招待したい。快い返事をお待ち申し上げる。子爵ディーク=ブレスタ。」
「ブレスタって、この街の領主の?」
エドが読み上げたカードの中身にシンガーが目を丸くする。突然の招待についていけない二人にレイナが笑った。
「そうさ!アンタ達は知らないかもしれないけど、この街の領主様は娘さんの為によく芸人を屋敷にお招きになるんだ。街でこの店の評判を聞きつけたらしいね。他にもこの街の楽団や劇団にも声をかけているというから、きっとその日は芸人達を屋敷に呼んでお嬢さんをお慰めになるんだろう。」
夜になると浮かぶ月は二つある。一つは公転周期が一日の白い月。もう一つは公転周期が一ヶ月の青い月だ。双月中天とは二つの月が丁度真上に昇る日を示し、ユフィリルでは吉兆の日と言われている月に一度のおめでたい日なのである。その為新しい事をするのに好まれ、結婚式や店の創業日、イベントごとはゲンを担いでこの日に行われる。今月の双月中天の日は来週に迫っていた。
しかし、娘さんを慰めるとはどういう意味だろう。シンガーの表情からそう思っているのに気付いたのか、レイナは少し笑みを抑えて教えてくれた。
「ブレスタ子爵のお嬢さんは体が弱くてね。殆ど寝たきりで屋敷から出られないと聞くよ。子爵がよく芸人を招くのも自由に街を歩けないお嬢さんを喜ばせるためだろう。この街の人間はそれを良く知っているから、子爵の招待を断る奴なんていないのさ。」
「そうなんですか・・・。」
聞けばまだ子爵のご令嬢は十七歳だという。自分の歌が少しでも誰かの力になれるのなら、それは何より嬉しいことだ。
シンガーはエドと顔を見合わせ頷いた。そして満足げなレイナを交えて、当日どんな歌を披露しようか早速話し合うのだった。
双月中天当日の午後。二人は馬車に揺られていた。わざわざ子爵家から店の前まで迎えが来たのだ。驚いた二人だったが、レイナに見送られてその場を後にした。
「うー。緊張するなぁ。」
大勢の前で歌を披露してきたシンガーだったが、こうして歌の為に改まって偉い人に招待されるのは初めての経験だ。おまけに久々に乗った上等な馬車が緊張を更に高めていた。一方エドはいつもと様子に変わりはない。彼は笑いながらポンポンとシンガーの頭を撫でた。
「大丈夫だって。なんなら俺がおまじないのキスしてやろうか?」
「いりません!!」
顔を赤くして怒る彼女にエドは声を上げて笑う。もう、と口を尖らせるシンガーだが、不意に思い出した言葉があって心臓が跳ねた。
――でも君なら大丈夫。
――思うよ。君の歌は皆の心に響く。
「・・・・。」
思わず唇を噛む。ずっと考えないようにしていたのに、どうしてこんな時に思い出してしまうのだろう。それ程今の自分は気弱になっているのだろうか。
ちらつく影を振り払おうと馬車の外の風景に目を向ける。普段徒歩で移動している街を馬車の中から眺めるのは不思議な気分だった。
「どうした?そんなに緊張しているのか?」
急に黙ってしまったシンガーの態度を不思議に思ったのだろう。そう声をかけられるが、シンガーは薄く笑って顔を上げた。
「うん、まぁ。」
「相手が誰だろうと俺の伴奏が始まればやることはいつもと同じだ。そうだろ?」
「うん。それ、ビビがよく言ってたよね。」
「バレたか。」
ぺろっと舌を出しておどけるエド。頭に張り付いた面影を残したまま、シンガーはそれでもなんとか笑みを浮かべた。
そうこうしている内に馬車は目的地に到着し、先に降りたエドにエスコートされてシンガーも馬車を降りる。すると目の前に建っていたのはレンガ造りの大きなお屋敷だった。前庭も十分な広さがあり、中央の噴水には水が流れていないものの雪がどけられていて緑も見える。門の前では執事らしき黒い上着を羽織った男性が出迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。シンガー様、エド様。我が主がお待ちです。どうぞ、屋敷の中へご案内いたします。」
恭しく迎えられ、二人は彼の後について前庭、そして屋敷の中へと足を踏み入れる。屋敷は驚くほど広いのに玄関まで十分に暖められていて、それだけで裕福なのが分かる。通された客室には自分達の他にも芸を披露する為に呼ばれた人々がソファに腰を下ろしていた。
二人も空いた席に腰を下ろし、温かいお茶を振舞われる。楽団と思しき人々はエドが持っている小型の楽器ケースの中身が気になるようで、口ひげを生やした壮年の男性が声をかけてきた。
「こんにちは。君ら、『サイハナ』の人達だろ?」
「はい。ご存知なんですか?」
「あぁ。店主のレイナが自慢げに周りに話していたからね。」
二人のお陰で店が繁盛している事も、その評判が立って子爵家に招かれた事も誇らしげに周囲に話しているのだと言う。それを初めて聞かされた二人は顔を見合わせて笑った。自分の事のように自慢に思ってくれているのが、シンガーにとってまるで本当の家族のようで嬉しかった。
「一度君らの演奏を聞きたいと思っていたんだ。領主様には招いてもらえるし、君らにも会えたし、今日は得した気分だよ。」
彼が話しかけてくれたのをきっかけに他の招待客達とも話が弾む。どうやら劇団員の若い女性達は部屋に入って来てからエドのことが気になっていたようで、彼が笑いかければ黄色い声が上がる。そこですかざず「今度店にも来てね」と言う当たり、エドは本当に営業に慣れているなとシンガーは思った。
小一時間程経った頃、案内役の執事が再び客室に顔を出した。どうやら今からホールに案内してくれるらしい。各々準備を整え、シンガーもコートや余計な荷物はその場に預けて席を立つ。
「じゃ、行きますか。」
景気付けだと一つウインクするエドに、シンガーは緊張をほぐされ共に客室を後にした。
案内されたホールは執事に小さなものとは言われていたが、それでも十分な広さがあった。ワインレッドの絨毯に天井には大きなシャンデリアが一つ下がっている。ガラス工芸で有名なユフィリルならではの装飾だ。ガラスの流通が少ないアンバでは滅多にお目にかかれない代物に、エドは思わず「すげぇ」と言葉を漏らしていた。
それぞれが用意された席につく。テーブルの上には香り豊かな花茶と軽くつまめる菓子が並べられている。上座はまだ空席だ。招かれているとはいえ、あくまで領主が上に当たる。主賓が最後に入室するのがこの国のマナーなのを思い出して、シンガーはそっと息を吐いた。
全員が席に着くと、執事が主を呼びに一度ホールを出る。そして数分後、再び両開きの扉が開いた。まず姿を現したのは狐色の髪を後ろに撫で付けた細身で壮年の男性と深緑のドレスを纏った奥方と思しき女性。そしてその後ろから二人の若い男女が姿を見せた。薄いピンク色のドレスを纏っているのは白金の巻き髪が美しい少女。恐らく彼女が子爵の一人娘だろう。体が弱いというのは本当のようだ。肌は透き通るように白く、隣の男性の腕に添えた手は同年代の女性に比べれば随分細い。そして彼女をエスコートしているのは彼女と一回りは離れた二十代後半ごろの男性だった。大柄ではないものの、かっちりとした礼服に包んだその身は鍛えられ、綺麗に伸びた背筋が彼を逞しく見せている。一方で短いブラウンの髪と目、そして柔和な表情が彼の印象を和らげていた。
二人を見たシンガーの呼吸が止まる。それでも何とか他の招待客と共に立ち上がり、主賓を出迎えた。
まずはブレスタ子爵が話し慣れた穏やかな声で彼らに挨拶した。
「良くぞ我が屋敷へお越しくださいました。皆様が快く招待へ応じてくれた事に深く感謝いたします。今日は皆様の磨き上げられた素晴らしき技と芸をご披露いただく為の場ではありますが、どうか共に楽しんでいただければこれ以上嬉しいことはございません。」
子爵の人柄が表れる言葉に皆緊張を緩め、拍手を送る。そして最後に子爵が共に現れた三人を順に紹介した。
「妻のオーディルです。そして隣が娘のフラン。」
ドレスで着飾ったブレスタ婦人と令嬢フランが順に膝を折り、礼をする。最後にフランをエスコートしていた男性が頭を下げた。
「皆様はお初にお目にかかるかもしれませんが、彼は第十二騎士団に所属しているアスタ。娘の婚約者でもあります。」
一人娘の吉事に招待客達が再び拍手を送る。ぎこちない動きでシンガーもそれに倣った。目の奥が熱くなりそうで、周囲に気付かれないよう奥歯を噛み締める。目の前に立っているブレスタ嬢の婚約者は迎えの馬車の中からずっとシンガーの頭の隅から離れなかった、かつての恋人の顔と何一つ変わらない。
シンガーは再び、人の縁というものを嫌と言うほど実感させられたのだった。