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第三話 2.メル(4)

 * * *


「え〜〜。もう行っちゃうの?」

「はい。お体冷やさないように。元気な赤ちゃん産んでくださいね。」


 不満顔のメルリアナに沙樹がそう挨拶すれば、彼女は少し照れたように笑った。


「えぇ。ありがとう。」


 昨日レイブンが連れてきた医者の診断はやはり沙樹の予想と同じもので、妊娠四週目に入っているとの事だった。お得意の乗馬が出来なくなるのを嘆いてはいたが、やはり子を授かった事は素直に嬉しかったのだろう。彼女は優しい顔で自分のお腹を撫でていた。

 今日の午前中にレイブンへ依頼していた渡航の書類が全て揃い、アスタと沙樹はそれを受け取ってマライヌ島へ向かって発つことが決まった。その為、メルリアナとこうして別れの挨拶をしている所だ。


「旦那さんと仲直りしてくださいね。」

「‥‥‥分ってるわ。」


 ふいっと顔を背けてしまうが、多分照れているのだろう。そんな彼女の様子に沙樹はくすくすと笑う。


 すっかり仲良くなっている女性二人の姿を眺めながら、アスタも玄関先でレイブンと言葉を交わしていた。


「色々とありがとうございました。」

「いえ、私もお陰さまで楽しい時間を過ごす事が出来ましたよ。こんな所で君と出会えたのも、グランの導きなのかもしれませんね。」


 人と人の出会いは突然で、時に偶然とも必然とも言えるものがある。沙樹と出会うことがなければ、アスタがピノーシャ・ノイエに足を踏み入れる事もなかっただろう。そしてレイブンと出会う事もなかった筈だ。彼女はいつだって特別な存在で、こうしてアスタに幸運を運んで来てくれる。レイブンとの出会いも、メルリアナとの再会も。


「メルリアナ様のお迎えはいつ?」

「今日の夕方には着くと連絡が入っています。早ければもうすぐかもしれませんが。」

「そうですか。なんだかすごい瞬間に立ち会った気分です。」


 そう言って、アスタはハーッと息を吐いた。沙樹は当然気づいていないが、メルリアナの懐妊を誰よりも先に知った事はアスタとレイブンにとって生涯忘れえぬ出来事となるだろう。


「それは私も同じですよ。・・・待たなくて良いのですか?」


 皆まで言わぬレイブンの言葉に、アスタは神妙な表情で頷いた。


「確かに以前は隊長職に就いていましたが、今は一介の騎士に過ぎません。お忙しい方ですから、俺なんかの為に割く時間はないでしょう。」

「まぁ、あなたがそう仰るのなら。」


 自分から隊長職を辞するというのは外聞の良いものではない。アスタにとっては顔を合わせ辛い部分もあるだろう。


「シンガー。そろそろ行こうか。」

「はい。」


 二人並んでもう一度メルリアナとレイブンにお礼と別れを告げる。そうしてレイブンの自宅を出た。玄関先に繋がれていた馬に乗り、此処から東南の港へ向かう。そしていよいよ、マライヌ島への入島だ。

 前に沙樹が乗り、後ろからアスタが手綱を引く形で馬は走り出した。玄関先まで見送りに出てきてくれた二人に手を振りながら、沙樹達は馬を走らせた。






「行っちゃったわねぇ。つまんないの。」


 リビングに戻ったメルリアナはソファの肘掛にもたれながら溜息をついた。その向かいに座ったレイブンがお茶を淹れている。お茶請けは餞別にとアスタ達から貰った焼き菓子だ。


「そう言わないでください。私のような老獪では話し相手に不足でしょうが。」

「そんな事無いわ。でも、久々に気兼ねなく若い女の子とおしゃべりできて楽しかったのよ。」

「そうでしたか。」


 当然だろう。市井の出身であるメルリアナも今ではこうして一人出が簡単に許される立場ではない。そんな事も気にせず飛び出してしまうのが、彼女らしいと言えばらしいのだが。

 コンコンコンッと窓をつつく音に気づき、レイブンはそちらを振り向いた。半分開けた窓辺に留まっていたのは小鳩だ。しかも野生の小鳩ではない。アムベガルドが連絡用にと訓練しているものだった。窓の傍に寄れば、小鳩が腕に留まる。チェストの中に入れている乾燥させたエサを与えて労をねぎらい、細い足に括りつけられた小さな筒を取り外した。

 その一部始終を見ていたメルリアナが顔を引きつらせる。


「ねぇ、まさかもう着いたりしないわよね。」


 残念ながら筒から取り出した手紙の内容を見る限り、彼女の願いは叶えられそうに無い。


「後半刻もすれば着くそうですよ。」

「げーっ!!」


 絶望的な顔をする彼女についつい笑いが漏れる。だが、そこで蹄の音が聞こえてきたレイブンは表情を硬くした。


「何?どうしたの?」


 距離が遠いのでまだメルリアナには聞こえないのだろう。アムベガルドとして耳を鍛えているレイブンだからこそ、こちらに向かってくる蹄と車輪の音が聞こえたのだ。


「メルリアナ様・・。」

「・・・何?ちょっとその怖い顔やめてよ。」

「どうやら随分と、張り切っていらっしゃるようですよ。」

「え?え?」


 そこでようやく彼女の耳にも聞こえてきたのは馬車がこちらに向かって走ってくる音。メルリアナは顔を青くした。


「嘘でしょ!!半刻って言ったじゃない!!」

「鳩を放った時には半刻で着く予定だったのでしょうが。」


 そうこうしている内に一台の馬車がレイブンの自宅前で留まった。となれば、レイブンは出迎えに行くだけだ。いやいやとメルリアナが首を横に振っている。ドアを開けるな、と言っているのだろう。


「覚悟を決めてください。メルリアナ様。」


 にっこりと微笑んでそう言うと、レイブンは玄関ドアを開けた。そして馬車を降りた若い男性に向けて恭しく頭を下げる。


「ようこそおいでくださいました。ブレディス殿下。」


 ブレディス=モラ=ユフィリル。地味な装いに身を包んでいるが、彼はアムベガルドが仕えるべきユフィリル国の第一王子。出迎えた臣下を捉えると、キャメル色の髪の下の碧の目がゆっくりと細められる。


「久しいね、レイブン。この度は僕の妻が世話になった。」

「いえ。この身に余る光栄にございます。」


 続いて姿を現したのは彼の傍付きである青年だ。この島出身であることを買われて同行したのだろう。見慣れた黒髪が頭を下げる。


「やぁ、ロード君。長旅ご苦労様。」

「いえ、とんでもない。たまには故郷に戻るのも良いものですね。」


 お忍びとあって、あとは変装した騎士二人と侍女が一人ついているだけだった。レイブンは先の二人と侍女を自宅の中に通して、リビングまで案内する。するとソファに座ったメルリアナが自分の身を守るようにクッションをぎゅっと抱きしめていた。


「やぁ、メル。しばらく君と会えずに寂しかったよ。体調はどうだい?」

「・・ごきげんよう、ブレード。体調は悪く無いわ。」

「それは良かった。」


 せっかくの夫婦の再会だというのにメルリアナの表情は硬い。それも気にせず、ブレードは彼女の隣に腰掛けた。


「ちょっと狭いんだけど。」

「それで?」

「へ?」

「他に、僕に言うことがあるんじゃないのかい?」

「・・・レイブンから報告聞いてるんでしょう。」

「君の口からは聞かせてくれないのかな?」


 ブレードが甘ったるい視線を投げかける。それに耐え切れず、メルリアナは目逸らして言った。


「・・・・・・。身ごもりました。」

「うん。」

「あなたの子よ。」

「うん。ありがとう、メル。愛しい君との間に子を授かる事が出来るなんて、僕はとても幸せ者だね。」

「~~~!!ブレードっ、あんたねぇ!あたしがそういう歯の浮くような台詞が嫌いって知ってて言うの止めなさいよね!!!」

「嫌だなぁ。僕は素直に思ったことを口にしただけだよ。」

「うっさい!バカ!!」


 投げつけたクッションを軽々キャッチされ、満面の笑みを向けられる。その笑みに薄ら寒いものを感じて逃げようとするが一歩遅かった。背中から抱きしめられ、気づけばブレードの膝の上だ。


「メル。」

「・・・・。」

「メル。僕のメルリアナ。」

「・・何よ。」

「こっちを向いてくれないのかい?」

「・・・・・。」

「仕方が無いね。」

「えっ、ちょと・・・・」


 顎を捉えられ、上を向かされたと思った瞬間唇が塞がれる。くすぐるように啄ばみ、舌で唇を舐められ、最後には咥内中を蹂躙された。臣下達が居るにも関わらず、だ。腰も顎もがっちり掴まれ、逃げる事は叶わない。


(やっぱり怒ってたか・・・・)


 段々と酸素が足りなくなる中、メルリアナはそんなことをチラリと思う。子供を授かった騒ぎでうやむやになれば良いと思ってはいたが、そもそもメルリアナが無断で国から出て来なければワザワザ此処までブレードが迎えに来ることもなかったのだ。


(っていうか、王子自ら来ないでよ、バカ。)


 彼は一国の王子。気軽に他国へ来ることが出来るような立場ではなのだ。逃亡地にピノーシャ・ノイエを選んだのも、実はそういう狙いがあったのに。妊娠なんて事がなければいつも通り護衛の騎士と侍女が迎えに来ただけだったろう。けれど今回ばかりはもしかして、との思いもあった。だからこうして迎えに来てくれたことは喜びと同時にそれを上回る恐怖を予感させる。彼の“おしおき”が、これだけで済めば良いのだけれど。


「相変わらずですねぇ。」

「そのようですね。」


 仲が良いのか悪いのか、一見判断付かない夫婦のやり取りにレイブンとロードはやれやれと息を吐いた。その隣では侍女が真っ赤な顔で二人から視線を逸らしている。


 王太子妃であるメルリアナは商家の出で、女だてらに積極的に家業をバリバリとこなす娘だった。実父もまだ現役で、家業は兄夫婦が継ぐ事が決まっている。その分メルリアナは立場に縛られずに立ち回り、彼女の自由で奇抜な発想はこの国の商業連盟にも一目置かれている程だ。

 彼女の実家は主にガラス製品の卸業を生業としており、いくつもの工房と職人を抱えている。ユフィリルの質の高いガラスは他国に人気の商品で、輸出業でもかなりの利益を上げる自国の特産品とも言える。だが、それらの値が急激に下がる危機が一度訪れた。原因は戦争終結時に結ばれたアンバとの同盟だ。

 当然職人や商家は王族を責めた。だが、デモを起こそうとする人々に向かってメルリアナは反対の意を唱えた。あの同盟がこの国と国民を生かすために必要だったのだと彼女は理解していたから。国に反発するだけなんて時間の無駄だ。今やるべき事はこれからどうやってガラス産業を守り発展させていくのかを考える事。苦情を言うだけならば子供でも出来る、と。

 そこでメルリアナは商業連盟の仲間で何度も話し合いを行い、単身王城へ乗り込んだ。陳情と提案を持って。そこでブレディスと出会った。王城でも堂々と一人で発言をする彼女の姿に、そして王家の苦しみを理解し国民を導いた姿にブレディス王子は惹かれたのだと、国民達の間では語り継がれている。メルリアナが市井の出である事も手伝い、実はこの夫婦、国民に絶大な人気を誇っているのだ。

 今、ユフィリルに国王と王妃の子供は二人だけ。第一王子ブレディスと第二王子ヴァンディス。ヴァンディス王子は未だ独身の為、もしメルリアナのお腹の中に居る子供が男児ならば、未来の国王になるかもしれない。


――なんだかすごい瞬間に立ち会った気分です。


(本当に。)


 アスタが残した言葉に、レイブンはもう一度心の中で同意した。未来の国王の懐妊という歴史的瞬間に自分達は立ち会ったのかもしれないのだから。


「そろそろメルリアナ様をお助けした方がいいですかね。」


 ロードがそう呟いて二人の傍へ歩いていく。なんだかんだ言って仲睦まじい二人の様子に頬を緩め、レイブンは生まれてくる小さな命の幸せな未来を願うのだった。

 



 以前「ブレードが好き」とコメントくださった方、イメージ壊してしまったら申し訳ございません。 通常運転のブレードはこんな人です。

 わざと怒らせて好きな人を追いかけるのが好きという、捻くれたS。

 標的にされた方はたまったもんじゃない・・・(特に弟王子がね!)


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