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第三話 2.メル(3)

 

 * * *


 例え戦時中でなくともいち早く動向を知り、自国に有利な外交を進める為周辺諸国に間者を潜りませておくのは定石だ。王命で動く黒の契約者(アムベガルド)のレイブン=イディアもそんな役割を持った影の一人だった。


「まさか君が<大地の獅子ペディカ・ム・ダイアン>と呼ばれるまでになるとは感慨深いものです。私が君を初めて見た時、まだグランの下で獅子の後継者(ペディカ・グラシオ)と噂される若者に過ぎなかったのに。」


 レイブンが懐かしげに目を細めて目の前の青年を眺める。ダイニングテーブルには葉茶の入ったカップが二つ。レイブンとアスタの分だ。お茶を淹れてくれた沙樹は今、メルリアナと共にレイブンの家のキッチンで昼食の準備に取り掛かっている。時折楽しそうな若い女性の声が聞こえてくるのは、なんとも華やかな光景だ。

 メルリアナの強い希望もあって翌日も二人はレイブンの自宅を訪れていた。


「グラン隊長をご存知でしたか。」

「えぇ。立場は違えど、同じ志を持った同胞でした。」


 バハールとの戦時中、彼は諜報部隊として両国を行き来していたらしい。当然各騎士団とも共に戦うことがあり、その内情には詳しいようだ。今騎士団に残っている上層部の殆どと面識があると言う。中でもグランとは懇意にしていたようで、まるで自分のことの様に彼の話をしてくれた。


「若い頃は血気盛んでね。上官の言うことを聞かない問題児でしたよ。」

「え!グラン隊長がですか!?」

「ははっ。君ら若い世代からするとそういう反応が妥当なんでしょうね。」


 アスタが見習いとして騎士団に入隊した時既にグランは第八騎士団の隊長で、<赤獅子シリム・ペディカ>として名を馳せていた。威厳も貫禄もあり、けれどどの隊員に対しても壁を作らない懐の大きな人物。そんなグランしか見たことのないアスタには、尊敬すべき隊長の未熟な頃など想像もつかない。


「聞いたことはないですか?ニコライとグランがよく衝突していたと。」

「あ・・、それはあります。」


 第八騎士団に所属していた頃、同隊のアーロンから聞かされたことがある。現第二騎士団隊長ニコライと今は亡き第八騎士団元隊長グランが互いに意見を譲らず、部隊長会議が長引く事がよくあったと。


「でしょう?それは彼らが隊長になってからではなく、平隊員の時からしょっちゅうだったんですよ。戦争が終わって当時の事を知る人間も少なくなりましたからね。アスタ君が知らないのも無理はない。」


 あの戦争で沢山のものが失われた。アスタの恩師も、レイブンの同胞も。だからこそ、こうして今まで接点の無かった二人が出会い、それぞれの思い出を共有できる時間は貴重で大切なものだ。


「君は知らないでしょうが、私は一度第八と行動を共にしたことがあったのですよ。」

「え・・・、そうだったんですか。」

「あの頃は人の入れ替わりが激しい時期でしたからね。多少知らない顔が居ても誰も気にならなかったでしょう。あの時私は前線の状況報告を命じられていた為一時紛れていたのです。その時に君を見ました。」


 丁度戦争締結の為に第一王子と第二王子が試行錯誤していた頃だ。各隊の前線の状況を正確に報告せよとの命がアムベガルドに下った。その中の一人、レイブンはグランと懇意にしていた事もあり、彼の下に一時身を寄せる事になった。その時グラン本人に聞いたのだ。以前からグランの後継者候補として噂のあったアスタについて。


「グランは君の実力と人柄を買っていたし、同時に案じてもいました。その理由は君を見ればすぐに分かりましたよ。」


 若いながらに剣の腕前は申し分なく、仲間達に信頼もされていた。単身特攻をかける度胸も状況判断にも優れていた。けれど同時に綱渡りをしているような危うさがあった。いつ奈落の底に落ちても良いと思っているような、命を削って剣を握っているような。


「“未来が見えていない者に他人を導くことは出来ない。”」


 聞き覚えのある言葉。アスタはゆっくりと頷いた。


「グラン隊長の言葉ですね。」

「えぇ。当時の君に対するグランの評価です。私も同じことを思いましたよ。君の度胸と思い切りの良さは死への覚悟でもあったから。」


 それからレイブンは任務を終え、第八騎士団から離れた。その後、戦闘中にグランが命を落としたと報告が入り、同時に遺言の事も知らされた。後任はアスタを指名したと。


「同胞の死は辛いものでしたが、同時に救いもありました。グランが君を隊長に推したということは、君が生への諦めから解放されたという事でもあったから。」

「・・・・全部、仲間とグラン隊長のお陰です。」


 全てを投げ出して、いつ死んでもいいと思っていた未熟な自分を叱咤し、励まし、引き上げてくれたのはいつだって仲間達だった。アスタよりもアスタの事を信じてくれたのはグランだった。

 そして、今は沙樹がいる。こんな自分を愛してくれる。隣で笑っていてくれる。共に生きたいと思わせてくれる、唯一無二の存在が。


「いい顔をするようになったね。」

「あ・・・。」


 それは昨日言われた言葉。そうか、そう言う意味だったのか。ようやくアスタはレイブンの心の内を理解した。昔の自分を知っている彼は安堵したのだ。確かにアスタはグランの期待の通りに未来を見ることが出来るようになったのだと。


「ありがとうございます。」


 まるで恩師にも認めてもらえたような気がして、アスタはゆっくりと頭を下げた。昼食が出来たと明るい声がキッチンから聞こえたのは丁度そのすぐ後の事。






「あまり召し上がっていないようでしたけど、お口に合いませんでした?」


 四人で昼食を取った後、沙樹はメルリアナと共に食器の片付けをしていた。女性だから元々小食なのかもしれないが、それにしては食べる量が少なかった。無理に食べさせるようなことは勿論しないけれど、レイブンも随分気にかけていた。


「ごめんなさいね。そんな事無いんだけど、なんか最近食が進まなくって。」

「体調が・・?」

「ううん。そうじゃないわ。それ以外はいつもと同じだし。ただ肉はあまり食べる気しないのよね。歳かしら?」


 まだ二十代の彼女に限ってそんなことは無いと思うのだが、原因はメルリアナにも分っていないようで首を傾げている。


「季節の変わり目ですし、不調が続くようでしたらお医者さんへ行った方がいいですよ。」

「あははっ、大丈夫よ。こう見えても健康なのが取り柄なんだから。」


 彼女らしい、快活な笑顔。その表情を見ていると大丈夫そうに思える。不調も吹き飛ばしてしまいそうな明るい性格は沙樹が羨ましくなる程の彼女の魅力だ。だが、突然その表情が歪んだ。


「っ・・」

「メルさん?」


 シンクに手を置き、痛みに耐えるかのように背を曲げる。洗おうと手にしていたフライパンが床に落ち、ガラガラと金属音がキッチンに響いた。


「メルさん!?どうしました?」


 ゴホゴホと喉の奥から酷い咳のような息を吐いている。胃の中のものを吐こうとして、けれど無意識にそれを避けようと耐えているように沙樹には見えた。


「吐きそうなんですか?我慢せずに出してしまった方がいいですよ。」


 声が聞こえたのだろう。レイブンとアスタもキッチンに顔を出した。


「メルリアナ様?どうしました?」


 レイブンが彼女の体を支える為に肩に手を置く。するとその表情が厳しいものに変わった。


「熱が・・」

「え?」


 沙樹も彼女の額に手を伸ばす。確かに微熱程度の熱があるようだ。洗い物をしていたので沙樹の手が冷えているのもあるだろうが、それにしては熱い。

 メルリアナの吐き気が収まった所で手近なソファへ移動する。クッションを枕にして横になると、彼女は苦笑した。


「ごめんなさい。びっくりさせちゃって。」

「いえ。大丈夫ですか?」

「うん。平気。風邪かしら?自分でも驚いたわ。」

「寒くないですか?」

「ううん。寒気はないの。」


 それでもとレイブンが毛布をかける。コート掛けにあった黒の外套を羽織ると再び彼女の下へ寄り膝を付いた。


「医者を呼びますのでもう少し待っていてください。」

「あら、大げさよ。ちょっと熱があるくらいで。」

「メルリアナ様。」

「ほんとだって。さっきの吐き気ももう収まったし。」

「何かあってからでは遅いのですよ。」


 メルリアナが無理をしているようには見えないが、早めに医者にかかるのは沙樹も賛成だ。旅先で体調不良になっては置いてきたという旦那も不安に思うだろう。


(・・・・?)


 その時何かが引っかかった。そう言えば、先程の昼食で彼女は野菜やフルーツばかり選んで食べていなかっただろうか。食べ物を口にしていたのだからメルリアナ本人が言う通り、肉類に関して食欲は減退していても他のものは口に出来るのだ。夏バテに似た症状。寒気を伴わない微熱と吐き気。


(もしかして・・・)


 まだ押し問答しているメルリアナとレイブン。二人の間に入り、そっと彼女に耳打ちした。


「すいません。ちょっと良いですか?」

「ん?何?」

「あの・・・」


 沙樹の質問に対し、一度思い出すような仕草をした後、メルリアナは大きく頷いた。


「あぁ。そう言えば、確かにそうね。」


(やっぱり・・)


 女性二人だけの内緒話。互いに頷きあっている姿にレイブンが首を傾げる。


「どういう事ですか?」

「多分、なんですけど・・」


 メルリアナの症状には覚えがあった。高校生の時、友人のお姉さんが同様に吐き気をもよおし、両親が不在だった為に沙樹と友人でタクシーに乗って共に病院へ行ったことがあるのだ。その時の症状は――


「ご懐妊だと思います。」


 一瞬、空気が止まった。誰も口を開かない。あれ?と沙樹は首を傾げた。そんなにおかしなことを言っただろうか。どれも妊娠初期の症状に当てはまるのだ。決定的なのは先程こっそり確認した事項。彼女は月のものが遅れていたのだ。

 メルリアナは結婚しているし、不自然な状況ではない筈・・・。


「今すぐ医者を呼んできます!」


 慌ててレイブンが立ち上がる。初めて彼が取り乱した姿を見て沙樹はぎょっとした。驚いたのはメルリアナも同じだった様で、上半身を起こして彼を止める。


「ちょ、ちょっと待って!!大人しく医者も迎えも待つからまだ向こうに連絡はしないで!」

「?」


 向こう、とはどこの事だろう。だが沙樹以外は皆承知しているようだ。今度はアスタがメルリアナを止めた。


「何を仰ってるんですか!そんな訳には行かないでしょう。」

「だ、だって・・、もし妊娠したなんて言ったら・・・」


 メルリアナの顔が引きつる。妊娠した事ではなく、問題は“お迎え”にあるようだ。そんな彼女に冷静さを取り戻したレイブンがきっぱりと継げた。


「メルリアナ様。諦めてください。」


 あ、涙目になっている。何がそんなに嫌なのだろう?奥さんが妊娠したと聞いたらきっと旦那様も喜ぶだろうに。

 レイブンがメルリアナの馬に乗って駆けて行く。彼女はクッションに顔を埋め、言葉にならない声を発してしばらく唸っていたのだった。


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