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第三話 2.メル(2)

 * * *


 ぼーっと灯りの少ないリューシュの夜景を眺めながら、アスタは考え事をしていた。思いを巡らせれば巡らせる程思考の深みに嵌っていき、行き着くのは憂鬱な結果。そうして長い溜息をつく。先程からこれの繰り返しだ。


 沙樹とアスタの二人は今、レイブンの自宅を辞してこの街の宿屋にいる。メルリアナはレイブンの下に泊まることになり、後二人くらいはなんとかなると勧められたがそれを断った。ただでさえ彼には面倒事を頼んでいるのだ。それには沙樹も賛成だった。

 夕食を終え、彼女は現在宿屋に併設されている共同の風呂場へ汗を流しに行っている。その間アスタは部屋で一人留守番中なのだ。一人になるとどうしてもレイブンの言葉が甦り、窓側に置かれた椅子に座ったアスタを悩ませていた。


――彼女、ヴァンディス殿下のご友人ですよ。


 騎士として剣を捧げたユフィリル国の王族。その第二王子ヴァンディス。彼と沙樹が友人だという事実は自分を驚かせたが、レイブンの言葉を疑っているわけではない。

 アスタの親友カイルは第一王子ブレディスと深い親交がある。その縁で、ヴァンディス王子の外出時、何かと彼が同行しているのは有名な話だ。二つ名の英雄として知られているカイルが隊長や副隊長にならないのは本人の希望もあるが、自由に動き回れる身であることをブレディス王子から重宝されているからだとも聞いている。つまり、沙樹がカイルと知り合った時、同行することが多いヴァンディス王子が共に居てもなんら不思議はないのである。

 カイルとヴァンディス王子が一緒に居る時、彼女がたまたま二人と出会った。国境で出会ってしばらく世話になったと言っていたから、旅の道中を共にしたのだろう。それが、約一年前のこと。


(一年前・・・。)


 実際一国の王子と彼女が友人であることに驚きはしても悩むようなことではない。けれど、先程からアスタを悩ませているのがこの一年前というタイミングなのだ。

 既に妻帯しているブレディス王子とは違い、ヴァンディス王子は独身だ。歳は今年で二十四。王族なのだから当の昔に婚約者くらい居てもおかしくはないのだが、未だ相手が決まらない彼にはある噂があった。どこの馬の骨とも知らぬ旅の女に懸想している、と。その噂が流れたのも丁度一年前なのである。

 ヴァンディス王子は城に篭って仕事を黙々とするような性格ではなく、時折ふらりと外に出る癖がある。それを迎えに行くのがいつもカイルの役割だったりするのだが、そんな時ある女性に出会い、夢中になったのだという。相手は王族でも貴族でもない一般女性。

 アスタ自身噂を頭から信じる方ではない。噂は噂に過ぎないとも思うが、その話にはある程度の信憑性があった。当時ほぼ妃候補として決定していたユフィリルの有力貴族の娘、シルフィーナ=オルグレンとの見合いを王子が蹴ったのだ。故にその話が王城に関わる者達に一気に広まり、月に一度王城に出入りしていたアスタの耳にも届く事となった。

 見合いを破談にし、旅の女に王子が夢中になっていると噂されたのが一年前。そして沙樹がヴァンディス王子と出会ったのも一年前。偶然だろうか?

 例え本当に王子が夢中になった旅の女が彼女だとしても、過去恋仲だったとしても、今共にいるのはアスタだ。今更彼女を諦める気など毛頭無いのだから悩む必要などない。国と王族を守るべき騎士として忠誠を誓っているが、それは色恋沙汰とは関係のない話。けれど気になる。それが本音なのだ。

 女性から過去の男の話を聞きだそうなんてみっともない。格好悪い。それでも頭をチラつくヴァンディス王子の存在。


(嫉妬か、これは・・・。)


 ならば尚更格好悪いじゃないか。アスタは自分が情けなくて再び溜息をついた。

 手元に置いていたホットワインに口をつける。こんな時、酒に強い自分が嫌になる。飲んで嫌なことなど忘れられたら楽だろうに。あぁ、でも酔っ払った自分を見たら沙樹に嫌われてしまうかもしれない。そんなことが頭を掠めてアスタは自嘲した。どこまで彼女に夢中なんだ、俺は。


「アスタさん?」


 はっとして顔を上げれば、そこに自分を覗き込むように首をかしげている沙樹がいた。いつの間に部屋に戻ってきたのだろう。まだ湿った彼女の髪から、ハーブの爽やかな香りがした。


「あ、あぁ・・。おかえり。」

「お疲れですか?」

「いや、大丈夫。」

「そうですか?無理しないでくださいね。」

「あぁ、ありがとう。」


 彼女はベッドに座り、タオルで髪の水気を取り始めた。昨夜の宿とは違い、今日はシングルベッドが二つ。こうしてどうしようもない事で頭を悩ませている今はその方がありがたい。

 アスタも風呂へ移動し、帰りは二人分のホットワインを持って部屋に戻る。その頃には彼女の髪も殆ど乾いていた。手持ちの荷物を整理していたようでベッドには細々とした物が広げられている。その中に見覚えのあるものを見つけて、カップをテーブルに置いたアスタは思わずそれを手に取っていた。


「これ・・・」


 それは白い花の髪飾り。イルの街で彼女が酒場で唄う時に何度かつけているのを見たことがある。


「綺麗ですよね。知り合いの方からの貰い物なんですよ。」

「うん。君の黒髪に良く似合ってた。」

「ありがとうございます。」


 目を細めて彼女が微笑む。本当に嬉しそうな表情で。それを返そうとした時、視界の端にちらりと入ったのは刻印。それは自分が良く知っている紋章を象っている。横向きの獅子。ユフィリルの国章である獣の足元には爪が二本。

 ざわりと胸を撫でた不快な何か。


「知人って、・・・・ヴァンディス殿下?」


 思ったよりも暗い声が出て内心驚くが、なるべく胸の内を悟られないよう感情を押し殺して彼女を見下ろす。名を明かしてくれないことを怒っている訳ではない。自分以外の男性から貰ったものを大切にしていることに苛立っている訳でもない。けれど何故か上手く笑うことが出来なくて、アスタは無表情に徹するしかなかった。


「はい・・・。あの、アスタさん・・・」


 ぎしっと音を立てるベッド。気づけば、彼女は自分の下にいた。仰向けにベッドに倒れた彼女の上に自分が覆いかぶさっている。


「どうして、まださん付け?」

「あ・・、ごめんなさっ」


 唐突に彼女の言葉が途切れたのは自分がその唇を塞いだから。深く深く舌を差し込み、絡ませて呼吸ごと奪う。苦しそうな声が彼女の喉の奥から漏れるが、それにも構わず熱を求める。ベッドの上に投げ出された髪飾りが弾みで床に落ちた。


「ふっ・・ん・・・」


 彼女からの抵抗はない。いや、抵抗なんてされたら自分が何をするか分からない。

 アスタは彼女の体温を感じてやっと、自分の中に燻っていた感情の正体に気がついた。これは怒りでも嫉妬でもない。焦燥と不安だ。未来が見えない彼女との関係。せめて今だけでもと自分を納得させようとしているのに、名前の呼び方ぐらいで今の彼女の一番は本当に自分なのかと不安に思う。残された彼女との時間がどれだけか分らずに焦りを感じている。自分が知らなかった彼女の過去一つで、こうも簡単に心が揺さぶられてしまうのだ。


(情けない・・・・)


 やっと頭の中が冷静になり、アスタは唇を離した。息を乱した沙樹が自分を見上げ、涙でうっすら潤んだ黒い瞳と目線が絡む。そこにアスタを責めるような感情も恐れるような色も浮かんでいなくて、無意識のうちに安堵の息を吐いた。


「ごめん・・・・。」

「・・・いえ。」


 ベッドから降りたアスタは沙樹の手を取り、彼女の上半身を起こした。乱れてしまった彼女の黒髪に指を通し、撫で付ける。外で頭を冷やしてこよう。そう思って手を離すと、逆に彼女の細い両腕がそれを引き止めるように伸びてきて、アスタの背中に抱きついた。


「サキ?」

「・・隠そうとしていた訳じゃないんです。」


 沙樹にとってヴァンディス王子は恩人であり、互いに心を許した友人だった。しばらくの間共にいたのだ。何もなかったと言えば嘘になるが、それでもアスタを不快にさせてまで隠すようなことではない。けれど相手は一国の王子。ペラペラとその旅程や動向を話して良いものなのか、ただの一般人である沙樹には判別がつかず、その話題を自分から口にすることはなかった。所在の情報一つで危険な状況に陥ることがあるのだと、身をもって知っていたから。

 アスタは自分の胴に回った彼女の腕をそっと撫でた。


「ごめん。君が悪いんじゃない。でも、一つだけ聞かせて。」


 体の向きを変え、今度は正面から沙樹を抱きしめる。アスタは彼女の黒髪に、沙樹は彼の胸板に顔を埋める。


「俺は、誰よりも君が好きだ。・・・・君は?」


 最後の言葉がほんの少し震えていて、沙樹はやっとアスタが怒っているのではなく不安を感じていたことに気が付いた。不安になってしまう程、彼は自分を想ってくれているのだ。額を強く彼に押し付ける。


「好きです。貴方だけが・・、誰よりも。」


 互いに顔を上げ、自然と唇が重なる。先の奪うようなものではなく、温かさや柔らかさを確かめるような優しい口付け。いつまでもこうしていたいような、けれど体の奥から湧き上がる熱がそうはさせない。アスタは細い手を引き、自分のベッドへと彼女を導いた。抵抗などない。彼女もそうしたいのだと言う様に、ベッドへと倒れこみながらアスタの首に腕が回る。


「好きです。好き、好き・・・」


 口付けを交わしながら、日に焼けた肌に触れながら、沙樹は熱に浮かされて呟く。アスタに抱かれながらも好きと言えなかったあの夜に比べれば、なんて幸せな時間だろう。肌につけられた痕に悲観したこともあったけれど、今はそれが嬉しい。アスタによって自分の肌に散らされる赤い花は証なのだ。彼が自分を求めている、愛しく思ってくれているのだと。


「サキっ。」

「ぁ、アスタ・・・」


 名前を呼べばアスタは嬉しそうに表情を緩める。それを見た瞬間、沙樹の胸が高鳴る。沙樹の好きな、アスタの笑顔。


「好き・・・」


 それだけ呟いて、沙樹は自分からアスタにキスをした。もっともっと深く、熱く。そうして二人は狭いシングルベッドの中で共に一夜を明かした。


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