第三話 1.封筒(2)
ゆったりとしたリズムで体が上下に揺れる。いつもの目線よりも高い馬上からの景色は当然初めて見るものばかりだけれど、どこか懐かしさを感じさせる田舎の原風景のようだ。右手には森、左手には丘。沙樹がこの世界に来て一番初めにお世話になった町に似ている。
そんな勾配の緩やかな土地をアスタと沙樹の二人は馬に乗って道なりに進んでいく。最初は乗合馬車で移動するつもりだったのだが、生憎本日出る馬車がなく、港町で馬を借りた。けれど沙樹が一人で馬に乗れる筈がない。その為前に沙樹、後ろにアスタが乗り、当然手綱も彼が持っていた。
「雲行きが怪しいな。」
すぐ後ろで聞こえたアスタの声につられ、沙樹も顔を上げる。街を出たばかりの時は西の空が曇っていたが、今ではその殆どが厚い雲で覆われていた。陽の光を通さない重そうな雲はすぐにでも雨を落としそうだ。
「少し急ごうか。」
「はい。」
アスタが馬の横腹を軽く蹴ると、馬の歩調がぐんと早まる。アスタ一人だけならばもっと早いスピードで駆けることも出来るのだろう。雨が迫るこの状況で暢気なことに、彼が馬を駆る姿を見てみたいとも思ってしまった。騎士であるアスタならきっと颯爽と乗りこなすことだろう。
「どうした?」
「え?」
「なんか、楽しそうだけど。」
つい表情が緩んでいたらしい。ありのままを話すのは恥ずかしいので、取り繕うように沙樹は早口で別の話題を口にする。
「い、いえ。・・・前に、カイルにもこうして馬に乗せてもらったことがあったなぁ~と思って。」
「へぇ・・楽しかった?」
ほんの少しアスタの声が低くなる。けれど前を向いたままの沙樹はそんな些細な変化には気づかない。
「そうですね・・。楽しかった、と言うよりは助かりました。」
「助かった?」
「はい。ずっと一人で旅をするつもりだったので。あの時、私は女一人で知らない地を歩くには色々なことが経験不足だったから。誰かが一緒というのは、それだけで安心できました。」
「そうか・・。」
左手で手綱を握り、もう片方で沙樹の腰を抱いていた腕の拘束がぎゅっと強くなる。まるで後ろから抱きしめられているような強さ。そんな不意打ちの仕草に沙樹の胸が高鳴る。それと同時にどうしたのかと不思議に思った沙樹が声をかけようとした時、冷たいものが頬に触れた。
「アスタさん?あ・・」
言っている間にもう一度触れた冷たいもの。それは沙樹右手を濡らした。今度は受け止めるように手のひらを空中に向けて差し出せば、そこに落ちてきたのは雨の雫。
「降ってきちゃいましたね。」
「あぁ、本当だ。」
もう少し速度を上げて走っていたが、しばらくすると無視できないぐらい雨足が強くなってきた。アスタは空を見上げ、手綱を引いて左手の森へ馬を寄せた。
「強くなってきたな・・。少し雨宿りしよう。」
「はい。」
あと少しで着くのなら走りきっても良かったが、目的のリューシュまではまだ半分程しか来ていない。雨宿りする方が賢明だと判断した。
アスタが身軽に馬から降り、次に沙樹に手を貸して彼女を降ろす。地面の濡れていない大きな木の下まで来ると、馬を近くの枝に繋いで二人は太い幹の根元に腰を下ろした。
「寒くない?」
「大丈夫です。」
まだ本降りになる前に避難したお陰であまり服は濡れていない。
「良かった。」
「どのくらい降りますかね?」
「どうだろうな。急な雨だったから、止むのも早いと思うけど。」
多分通り雨だろう。半刻もすれば止む筈だ。不意に隣で濡れた髪をかき上げたアスタの仕草にドキッとした。狭い木の下。濡れないよう互いに身を寄せて座っている。外の筈なのに、ここは雨のカーテンがかかった個室みたいだ。隣のアスタをやけに意識してしまって、沙樹は体育座りの姿勢のまま視線を地面に落とした。
「サキ?本当に寒くない?」
「え、はい!」
今の姿勢が体をちぢこませているように見えたのだろう。俯く沙樹の顔を覗き込むようにしてアスタがこちらを伺っている。誤解を解こうと顔を上げれば、触れそうなぐらい近い距離にあるのは彼の顔。思わず自分を心配してくれる優しいブラウンの瞳を見つめてしまう。
「サキ・・?」
かさついた指が頬を撫でる。言葉が出ない沙樹は彼を見ていることしか出来ない。やがて互いの額がこつんとくっつき、沙樹は自然と目を閉じた。温かい彼の手が肩を抱き、唇に吐息が触れる。
「あー、まいった!」
「!?」
突然割り込んできた高い声。咄嗟に二人は体を離す。その顔は互いに真っ赤だ。いい雰囲気だった所に現れた第三者の存在に、呼び起こされたのは気恥ずかしさ。
なんとも言えない気持ちでアスタが前を見れば、こちらに向かって一頭の馬が駆けて来る所だった。馬上の人物からは先ほどの二人の様子はまだ見えていなかっただろう。その事にほっとする。いい所を邪魔されたことに対する苛立ちもあるにはあるが。
「ひゃー!危なかったぁ!!」
二人がいる木から三メートル程離れた位置で馬が止まる。ひらりと慣れた様子で馬から下りたその人物の顔は雨よけの為かフードを深く被っていて良く見えない。けれど声は女性のものだ。馬と共に落ち着ける場所を探そうと周囲を見渡した時、彼女はようやくこちらに気づいたようだった。そして訝しげに呟く。
「アスタ隊長?」
「え・・?」
名前を呼ばれたアスタが立ち上がると、彼女はフードを取ってこちらに近寄ってきた。フードの下から現れたのは白い肌に薄茶の瞳、赤茶の長い髪をみつあみで一本にまとめた沙樹と同年代ぐらいの女性だった。
「メルリアナ様!!」
「あぁ!やっぱりアスタ隊長!ひさしぶりですね~。」
にこにこと満面の笑みで彼女は二人の下に駆け寄ってくる。アスタが隊長であったことを知っているとなれば少なくともユフィリルに縁のある人の筈だ。けれど彼女に対してアスタの表情が硬いのは何故だろう。
「こんな所でお会いするとは思わなかった!あ、そう言えば転属なさったんでしたっけ?」
「はい。今は第十二騎士団に。」
「そうでした。でもまたなんでハマナ島に?旅行かしら?」
「えぇ、休暇を取って。それよりもメルリアナ様・・・」
「う・・・・、な、何・・・?」
急に声が低くなったアスタの様子に、メルリアナという女性の顔が引きつる。アスタが一歩前に出ると、彼女は同時に一歩下がった。まるで獣に追い詰められた小動物のようだ。
「まさかとは思いますが、お一人で此処に?」
すると顔に不自然な笑みを貼り付けたまま、彼女はそっぽを向いてやけに丁寧な言葉でしゃべりだす。
「あら~、突然の雨で困りましたねぇ。アスタさんはもうしばらく雨宿りしていくのでしょう?私は先を急ぎますので。じゃ、これで・・・」
先程まで親しげに近寄ってきたのに、今度は逃げるようにしてアスタの前から去ろうとする。そんな彼女をアスタの硬い声が呼び止めた。
「メルリアナ様。」
ピタッと彼女の動きが止まる。そして背を向けたまま振り返らずに返事をした。
「・・・・はい。」
「お一人で来たんですね?」
「・・・・。そう・・・・です。」
蛇に睨まれた蛙、と言った所だろうか。観念したようにがっくりと肩を落とす彼女。アスタは引きずるように彼女を木陰まで連れてくると、逃げないようにする為か、沙樹の隣に座らせた。何がなんだか分からない沙樹は取りあえず二人のやり取りを眺めるしかない。
するとそこでようやく沙樹に気づいた彼女と目が合う。隣に座っているのだから気づくのは当然だ。何と言って良いのか分からなかった沙樹が軽く会釈すると、彼女はパアッと顔を輝かせた。
「まぁまぁ!何よ、アスタさんってば!お連れの方がいるなら最初に紹介してくださいよ!!奥様?それとも恋人?」
「あ、あの・・・。」
「はじめまして。私はメルリアナ。あ、誤解しないでね?アスタさんとは仕事上の知り合いなの。」
「あ、はい。はじめまして。シンガーと申します。」
「シンガー?へぇ。あまり聞かないお名前ねぇ。あ、私のことはメルって呼んで!メルリアナって長いでしょう?自分で言っても舌噛みそうになるのよ。よろしくね。」
「よろしくお願いします・・。」
気さくに話しかけてくれるの嬉しいのだが、なにせ会話のテンポが速い。近くで見れば長いパンツにロングブーツ。皮製の上着にケープのような厚手のマント。一見男装にも見えるそれは完全な旅仕様。アスタが様付けで呼んでいるからてっきり貴族のご令嬢かと思ったが、使い古されているそれらを見ているとどうやら違うようだ。女性だし、まさか騎士団の人ではないだろう。
「それで?二人の馴れ初めは?」
「・・・・はい?」
「初めて会ったのはどこ?迫ったのはやっぱりアスタさんから?どこが好きなの?」
ウキウキと二人の話を聞きだそうとするその目はおもちゃを見つけた子供のようにキラキラと輝いている。女性が恋バナ好きなのは世界共通、いや異世界共通らしい。
「メルリアナ様!!」
真っ赤な顔したアスタが咎めるように名前を呼べば、彼女はぷくっと頬を膨らませた。
「何よ~。雨が上がるまで暇なんだもの。久しぶりに会ったんだし、二人のお話聞くぐらいいいでしょう?」
そう言われれば、アスタはぐっと黙ってしまう。なんだか二人の関係は良く分からないけれど、仲が良いのは確かな様だ。