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第二話 4.手

「二ヶ月!?」


 アスタから聞かされた話に驚いた沙樹は思わず大きな声を出していた。

 朝食を終え、部屋に戻ってきた二人は今後の予定を話し合ってる所だ。船が港に着くのは明日の夕方。沙樹はそこで入国審査を受け、いよいよピノーシャ・ノイエへ足を踏み入れる。一方共にこの船に乗船しているアスタはてっきり港に着けば折り返してユフィリルへ帰るものだとばかり思っていた。けれど彼は言ったのだ。騎士団なら二ヶ月休みを取っている、と。


「あれ?言ってなかった?」

「聞いてません!そんなに長くお休みして大丈夫なんですか?」


 さらりと二ヶ月も長期の休みを取ることが出来るなんて、日本のOLだった沙樹からすれば信じられないことだ。


「騎士団に入隊してから一度も休みなんて取ってなかったし、第十二騎士団はそれほど忙しくないから大丈夫。隊長の許可も取ってるよ。」


 そう言ってアスタは穏やかに微笑む。そうまでして、彼は自分を追いかけて来てくれたのだ。少しでも長く傍に居たいと思ってくれたのだ。


(許される限り、か。)


 アスタの仕事のタイムリミットは二ヶ月。もしそれよりも前に沙樹が元の世界への帰還方法を見つければ、当然共に居られる時間はもっと少なくなる。逆に二ヶ月の間に見つけられなければ、二人はユフィリルとピノーシャ・ノイエに別れ、バラバラの時間を過ごすことになる。どちらが良いのか、なんて考えてみても仕方のない事。

 ちらりと床に置かれたアスタの荷物を見れば、旅支度はばっちりのようだった。今まで一人だった旅が二人になる。そんな場合じゃないと分かっていても、その事実は沙樹の心を弾ませた。


「サキはハマナ島についてからの“当て”はあるの?」

「あ、いえ。これと言って特には。出来ればマライヌ島へ行ってみたいんですが。」

「マライヌ島へ?どうして?」

「・・過去の領主の事を調べたくて。」


 マライヌ島、第三十五代目領主。今から百二十年近くも前の領主になる。それまで誰も手をつけていなかった区画整理と治水工事を行い、マライヌ島のインフラを整えた彼の名はシンイチ=ソマ=マライヌ。マライヌ島歴代の領主の中でも優秀で勤勉な為政者としてとして知られている人物だ。


「シィンイチ?」

「“しんいち”です。発音しにくいでしょう?」

「あぁ。」

「私が育った国ではよく聞く、ありふれた名前なんですけどね。」


 その一言でアスタの顔色が変わった。驚愕へと。


「じゃあ、その人は・・」

「恐らく、私と同じ世界から来た人だったんだと思います。」


 彼がこの世界にいたのは歴史になってしまった遥か昔のこと。当人に会う事は当然叶わないが、アンバでは歴史書で名前しか伝わっていない彼のことも、現地まで行けばもっと詳しいことが分かるかもしれない。彼はどこから来たのか。そして彼はマライヌ島で亡くなっているのか、それとも・・・。


(サキと同じ世界の人間・・・。)


 それが他にも居たという事実が急激に実感を沸かせる。アスタがいるこの世界以外にも別の世界があるという事。そしてそこから彼女が来たのだという事。昨日の沙樹の話を信じていなかったわけではない。けれど非現実的過ぎて実感を伴っていなかった。


 沙樹が育った国。この世界にはない名前。


 領主ともなれば当然跡継ぎを残すだろう。ならばマライヌ島で家族を持った筈。彼の血を引く人間がいるのだ。シンイチの情報を集めたい沙樹は当然会いに行くだろう。そしてもし、シンイチが元の世界に帰っていたら?その方法を知ってしまったら?彼女は永遠に手の届かない所へ行ってしまうのだ。


(・・・彼女の、望みを応援しようと決めた筈だ。)


 それなのに、具体的な話が出てくると躊躇してしまう。せっかく追いかけて捕まえた彼女の手を離したくなくなってしまう。


「アスタさん?」


 いつの間にか目を逸らし、険しい顔をしていたアスタを心配そうに沙樹が覗き込む。我に返って息を呑んだアスタは、ぎこちない笑みを浮かべた。


「ごめん。考え込んでた。」


 きっと考えていた内容は良いことではないだろう。アスタは嘘をつくのがヘタだ。硬い表情を見ればそれは一目瞭然。沙樹はこんな状況を作り出しているのも、彼を悩ませているのも全て自分だと自覚している。手前勝手な考えだけれど、それでもあんな顔はして欲しくなくて、自然とアスタに向かって手を伸ばしていた。


「・・サキ?」


 そして彼の左手を自分の右手で握る。そっと互いの指を絡めて。


「・・・・私がいた所では、恋人同士はこうやって手を繋ぐんです。」


 その手が解けてしまわないようにしっかりと。そうすれば不安は薄れていく。互いの体温が冷えた心を暖めてくれる。


「そう・・か。」


 かすれた声でそう言って、アスタはぎゅっとその手を握り返した。

 彼女の口から元の世界の事を聞くと胸が苦しくなる。けれど同時に今まで多くを語らなかった彼女の事を知ることが出来て嬉しくもなる。苦しくて切なくて、けれど嬉しくて。複雑な気分だ。それでも今彼女が選んだのは自分の隣。いつかは離れ離れになってしまうかもしれないけれど、今確かに彼女は此処にいる。


「サキ。」


 名を呼ばれた沙樹が顔を上げれば、同時に優しい唇が降ってくる。額に。鼻に。頬に。そして唇に。


「アスタ・・・?」


 不思議そうに目を丸くする彼女に、アスタはそっと微笑む。ぎこちなさなど微塵も感じさせない、柔和な笑みで。


「ならこれは、君が俺を恋人だと認めてくれた証だな。」


 その言葉に沙樹の顔は見る見るうちに赤くなる。手を繋いだまま彼女の指先にキスを落として、そして再び唇同士で優しく触れた。


「共に行くよ、マライヌ島へ。」


 例え君と別れることになったとしても。これが俺の選んだ道なんだ。





 * * *


 甲板に置かれた木箱を椅子代わりにして、沙樹は船の上で働く船員達を眺めていた。掃除をしていたり、荷物を運んだり、果ては釣りをしていたりと様々だ。ふと声がしてそちらを向けば、そこには船員達と共に帆縄を引いているアスタの姿があった。

 狭い船の中では正直することが無い。食事をするか、甲板を散歩するか、寝るか。それだけ。毎日欠かさず警備や鍛錬に励んでいたアスタは一日ゴロゴロしていることが出来ないようで、体を動かすという名目の下船の仕事を手伝っていた。普段船の仕事などやったことのない彼にとっては中々新鮮なようで、笑いながら船員達と話をしているのが見える。


(楽しそう。)


 アスタが楽しそうにしている姿を見れば、沙樹の表情も自然と緩む。時折目が合うと微笑んでくれるので、眺めているだけの沙樹もそれほど暇を持て余しているわけではなかった。こんな風に穏やかな気持ちでゆったりとした時間を過ごすのは随分と久しぶりな気がする。



“君が傍にいてくれた事 誰にも言わずにいようと誓う

 女の子のまじないのように そっと想いを秘めて守る

 根拠なんかないくせに そうすれば届く気がして”



 音楽が好きな沙樹の機嫌が良ければ自然と鼻歌が出てしまうのも当然で、自分でも気づかない内に口から小さな歌声が漏れていた。



“興味のないフリをして 無関心に外なんか見てる

 ホントは耳が君の声を拾い 心臓がひっくり返りそう


 小さな笑い声を見つけては そっとそっと振り返る

 いつもの友と君は一緒で 僕はいつもの仲間と一緒で

 この距離もいつもと一緒で”



 なんの曲だったっけ?と思い出そうとしてもすぐには出てこないぐらい古い曲だ。高校生の恋愛を描いた青春ドラマのエンディング曲だった気もする。いや、やっぱり炭酸飲料とかのCMだったかもしれない。学生の等身大の恋愛を表現したポップスで、中学生の時に繰り返し聴いたものだ。



“無関心じゃなくて 足が進まないだけなんだ

 どうでもいいんじゃなくて 手が動かないだけなんだ

 嫌いなんかじゃなくて 勇気が出ないだけなんだ


 そうやって違う自分が出てきて 本当の自分が隠れてく

 見つかる筈がないと思った それでもいいと思ってた

 違う自分がそう思ってた その事に気がついた”



 潮風に乗って耳に届いた歌声にアスタは顔を上げた。額を流れる汗を無造作に袖でぬぐう。目線の先に居たのは船尾に置かれた木箱の上に座り、海を眺めている沙樹だ。小さな声で歌っているのではっきりと歌詞が聞こえてこないのが残念だが、緩やかなメロディーは小さな幸せを感じさせるような明るいものだ。口元に笑みを乗せながら歌を唄う彼女を見ていると、本当に歌が好きなんだな、と思う。自分の存在も、それくらい彼女にとって大切なものになっているだろうか。



“君を知る度心が動く 君を見る度顔が上向く

 進みたくなる自分に気付く 振り返ることも忘れてる


 君の温度に近づきたくて 手を伸ばしてみるけれど

 触れることなんて出来ずに 結局目で追うだけの僕


 君の周りにあふれる空気に 憧れてはドアを開ける

 一人で君を待つその部屋が 初めての故郷かもしれない


 子供のような欲望に 思わず目を伏せる僕に

 手を伸ばしてくれた君を 体温を預けてくれた君を

 今でもずっと覚えている これからも想っていくから


 ここに――”



 唐突に途切れたメロディー。歌詞を忘れた訳じゃない。けれどその先を沙樹は唄うことが出来なかった。続く言葉を覚えていたからこそ、唄えなかったのだ。


(私・・・・)


 気が付けば甲板にいた船員や乗客達の視線が沙樹に集まっていた。皆歌声が聞こえていたのだ。突然途切れた歌声に気づき、こちらを見ているらしい。


「あ・・・。」


 すっかり自分の世界に入っていたのに気づかぬ内に注目を集め、どうしたらいいのか分からず沙樹は曖昧な表情で頭を下げた。


(は、恥ずかしい・・・。)


 ようやく皆の視線が外れてほっとする。そうして顔を上げればアスタがこちらに駆けて来る所だった。彼にどうかした?と問われ、皆がこっちを見ていることに気づいて恥ずかしかったと素直に答える。それだけなら良かった、と微笑んだアスタに沙樹も控えめな笑みを返すのだった。

 

【第二話 登場人物紹介】


・シンガー(25):本名沙樹。異世界に迷い込んだ日本人の元OL。歌い手として生計を立てている。

・アスタ(28):ユフィリル第十二騎士団の騎士。<大地の獅子>の二つ名を持つかつての英雄。

・エド(27):アンバ出身の旅芸人。亜麻色の髪と目を持つ二枚目


〈街の人々〉

・レイナ:酒場サイハナの女店主

・ウォルト:ローティーの街で活動している楽団員

・コニー:面倒見の良いビルの妻。

・テス:ビルとコニーの幼い息子。

・シルヴィエ:テレザの一人娘。

・テレザ:コニーの姉。

・ヤクル:コニーとテレザの父親。ハマナ島出身。


〈騎士団〉

・クレイ=ハーマン:智将として名を馳せた第十二騎士団隊長

・ドレイク:無遠慮で粗暴な振る舞いの第十二騎士団副隊長

・ビル(27):第十二騎士団の同僚

・カイル(32):<黄金の鷹>の二つ名で有名な金髪美形の騎士。シンガーの恩人でアスタの旧友。


【地名】

〈ユフィリル〉

・ユフィリル:大陸北西部に位置し、数年前の戦争の跡を残す、農業とガラス工芸が盛んな小国。

・シブネル:第十二騎士団駐屯地がある北方の町。

・ローティー:タイトン山を挟んだシブネルの隣街。

・ヌーベル:最北端の港街。


〈周辺諸国〉

・アンバ:ユフィリルと同盟を結ぶ、大陸南部の商業主義の大国。

・ピノーシャ・ノイエ:大陸北東にある列島

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