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第二話 3.船(2)

 * * *


「隊長〜。アスタ知りませんか?」


 そう言ってノックもせずに隊長室に入ってきたのは顎ひげを生やした三十代の隊員だった。これがもし王城に詰めている第一騎士団だったりしたら、無礼な振る舞いにその場で懲罰を与えられる所だが、幸い第十二のように田舎の隊では誰も気にしない。その証拠に部屋の中に居た隊長クレイも副隊長ドレイクも互いに目を合わせただけだ。


「アスタ君に何か用でしたか?」

「薪小屋の雪かき手伝わせようかと思って。アイツ居ないんですか?」

「えぇ。休みを取ってますよ。」

「げー。年明けはずっとこっちに居るって言ってたくせに。」


 ブツブツ文句を言いながら隊員は部屋を出て行く。それを見送って、ドレイクは意地の悪い笑みを浮かべた。


「言ってやりゃあ良かったじゃねぇか。今頃女の尻追っかけてるってな。」

「おや、意地悪ですね。彼に休みの許可を出したのはドレイクじゃないですか。」

「だって面白いだろ?あんな堅物がくそ真面目な顔で惚れた女を追いかけに行きたい、なんて言うんだぜ。」


 家族がいる隊員達は大抵順番に休みを取って実家へ帰省する。だが、独り身のアスタは元々休みを申請していなかった。それなのに突然休暇を欲しいと隊長室を訪れたのはつい先日の事だ。理由を問えば、惚れた女性に会いに行きたいのだと言う。


「ホント、馬鹿正直っつーか。」


 普通上司に許しを請うのに、そんな理由を挙げる人間など居ないだろう。クツクツと喉の奥で笑うドレイクに、クレイも口元を緩めた。


「随分と真剣な様子でしたからね。あれ程彼を夢中にさせるなんて、どんな女性なんだか。」


 切羽詰った表情で頭を下げた彼は、休みの許可を出すとすぐに詰め所を出て行った。元々何もかも諦めたような所があっただけに、あれ程情熱を傾ける彼は新鮮だったし、それが嬉しいとも思ってしまった。親心に近いのかもしれない。


「どーする?俺はこっぴどくフラれて帰って来るにワイン三本。」

「おや、酷いですねぇ。じゃあ私はアスタ君の幸せを願ってヘブルスの醸造酒一本。」

「・・・お前、本気だな。」


 ヘブルスと言えば一本で若い隊員一月分の給料に相当する高い酒だ。ドレイクの言葉に、クレイは楽しそうに微笑む。


「えぇ。本気ですとも。」


 眼鏡の奥の目が優しく細められる。他人の未来で賭け事なんて頂けないが、たまにはこんな日があってもいいだろう。





 * * *


「逃げないで。」


 無意識に足が後ろへ下がる。けれど先制してそう言われ、怯んだ隙にシンガーは抱きしめられていた。逃れようとした所でここは港から離れた船の上。逃げる場所なんてどこにも無いのだけれど。


「ア・・、アスタさ・・・」

「サキ。」


 シンガーの本当の名前。それを彼の声で呼ばれると途端にぎゅっと胸が苦しくなる。海風は冷たいけれどシンガーの心臓は激しく鼓動していて、みるみる内に体温が上がっていく。


「こんな所まで来てごめん。でも、話をさせてくれないか。」


 何もかもが突然で、こうして自分を抱きしめているのがアスタだと認識していてもどこか夢のよう。けれど彼の真剣で苦しげな声に、シンガーはただ頷くしかなかった。






 二人は甲板を降りて客室へ移動した。客室は一等から三等まで分かれているが、この船にはVIPルームはないので基本どれも簡素な造りだ。一等は三から五人の家族用の大部屋、二等は個室、三等は二段ベッドだけが並んでいる最も安い部屋である。この先どの程度お金が入用になるか分からなかったシンガーは三等の部屋を取っていたが、アスタは二等の個室を予約していたらしい。シンガーは彼の部屋へと通された。個室と言っても四畳ほどの広さの部屋にあるのはベッドとテーブルだけ。船の中だけあって窓は無く、灯りは用意されているランプ一つ。狭い部屋の中にオレンジの優しい色のランプが灯される。この部屋でアスタと二人だけだと思うと落ち着かない。


「座って。」

「はい・・。」


 彼に促されて荷物を床に置き、上着を脱いだシンガーはベッドに座った。そこしか座る場所が無いのだから仕方がない。当然のようにアスタが隣に腰を下ろせば、体重が重い彼の方にベッドが沈む。そのせいでほんの少し体がそちらに傾いた気がして、シンガーは僅かに体を離した。その仕草を視界の端に映して、アスタは彼女に分からないくらい小さな息を吐く。



「驚かせてごめんね。」

「い、いえ・・・。」


 シンガーは隣をまともに見ることが出来ず、膝の上でぎゅっと両手を握り締めたまま下を向いていた。疑問は頭の中に次々と浮かぶが、どれから口にすればいいのか分からない。


「君と、話がしたかったんだ。」

「え?」

「会えなくなってしまう前に、どうしても君の本音が聞きたかった。」


 逸らしていた顔にアスタの大きな手のひらが触れる。そして彼の方を向かされた。とても優しい力加減で。


(本、音・・・・)


 ドクンッと胸が大きな音を立てる。あぁ、また。彼の目に自分の表情が映っている。とても情けない表情をした、女の顔が。


(私の、本音なんて・・・。)


 言える筈が無い。言ったらどうなる?苦しくなるだけだ。悲しくなるだけだ。アスタが、じゃない。自分自身が。


「サキ。」


 シンガーの頭の中を打ち消すように力強く呼ばれた名前。もう誰にも呼ばれることが無いと思っていた本当の名前。

 シンガーが顔を上げると同時に、彼の額がこつんと自分の額に触れた。


「俺は、君が好きだ。」


(あ・・・)


 今でもはっきりと覚えている。イルの街でアスタがシンガーに告白した時と同じ言葉。思わず至近距離で彼の目を見返してしまう。


「俺の気持ちはイルにいた頃からずっと変わらない。君が街を出てから、それなりに気持ちを整理したつもりだった。でもそんなのは思い違いだった。子爵の屋敷で君を見た時、それを思い知ったよ。」


 好いた惚れただけで何もかも上手くいくと思うほど若くはない。彼女が自分と違う道を選ぶことで得るものがあるというのなら、それも仕方がないと思っていた。けれど自分ではない他の男と並び立つその姿はアスタを激しく動揺させた。

 まるで懇願するようにアスタの瞼がぎゅっと閉じられる。


「サキ。」

「・・・・・。」

「俺は、どうしても君を離したくない。」

「っ・・・!!」


 身を捩り離れようとしても、アスタの手がしっかりとシンガーを抑えていて逃げられない。彼の吐息がシンガーの唇にかかる。


「君がこのままピノーシャ・ノイエへ渡って永住するのか、それとも旅の通過点なのか。それは知らない。でも、君と一緒に居たいんだ。」


 一緒に居たい。それはシンガーだって、沙樹だって同じだ。許されるならアスタとずっと一緒に居たかった。けれど現実はそう甘くはない。沙樹は、沙樹の心は同時に別のものを望んでいるから。この世界の人間ではない自分が、この世界のアスタと共に生きることなど出来る筈がないのだから。


「俺は、君が何者だって構わない。」


 沙樹の目が、驚きで見開かれる。

 今、彼はなんて言った?何者でも?本当に?私がどんな人間だとしても、あなたは受け入れてくれるの?

 私が嘘つきでも?卑怯者でも?


 異世界の人間だったとしても?


「アスタさ・・・」

「愛してる。サキ。」


 両腕がぎゅっと背中に回り、苦しいほど抱きしめられる。外で彼の腕に閉じ込められた時とは違い、上着がない分彼の体温と胸の鼓動が耳に届く。ドキドキと胸が高鳴るのに、彼の体温に包まれると落ち着く。イルの街で抱き合っていた頃と同じ、沙樹が安心できる唯一の場所。

 沙樹の胸の中にはこの世界に来てから頑なに鍵を掛けていた場所がある。それが扉ごと溶かされてしまうような、喪失感と安堵感。今まで我慢していた感情が決壊する。気づけば彼の背に手を回し、縋るように抱きしめ返していた。


「アスタ・・さん・・」

「サキ?」

「私、私も・・、一緒に、居たい、です。」

「サキ・・・」

「でも、私・・、まだアスタさんに黙っていることが沢山あります。」

「・・・うん。」


 本当は顔を見たかったけれど、アスタは沙樹を抱きしめたままゆっくりと頷いた。今は互いの顔を見ない方が、上手く話せる気がしたから。

 自分の腕の中で沙樹が身を硬くする。緊張しているのだろうか。彼女は額をぐっとアスタの胸に押し付けた。


「アスタさんが・・、私と一緒に居たいと言ってくれたのは、本当に、本当に嬉しいです。でもそれは、私の話を聞いてから・・・、もう一度考えてください。」

「・・分かった。」


 彼女が息を吸う音が聞こえる。あとは無遠慮にバシャバシャと船に当たる波の音だけ。アスタはじっと彼女の言葉を待った。


「・・・アスタさん。」


 自分を呼ぶ彼女の声はか細く震えていた。


「私は此処の、・・・この世界の人間じゃありません。」

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