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第二話 2.髪飾り(2)

 

 * * *


 無事に山を降り、ヌーベルの街に着いたのはすでに日が暮れる直前だった。商隊は得意先の倉庫へ移動するらしい。同行していた一般の人達はそれぞれの目的地へ向かう為、山越えの集団も自然と解散となる。


(つ、疲れた・・・・)


 山を歩き続けて十時間以上。流石に疲れた。きっと明日には全身筋肉痛だ。パラパラと移動する人達が視界を掠め、一人集団の隅でぐったりとしていたシンガーは顔を上げた。ウォルトやコニー達と挨拶をしようと思ったのだ。彼らはそれぞれ家族や知人の下へ向かう。すぐにでも港へ行きたい自分とはここでお別れだから。

 人ごみの中から彼らを探そうと周囲を見渡した時、唐突に腕を掴まれた。


「え・・」


 ぐいっと無理矢理体が方向転換される。視界に入ったのは節くれだった手に掴まれた自分の腕。そしてカーキ色のブルゾンを着た三十代の知らない男。


「何・・」

「客探してるんだろ?」


 ぞっとした。自分の顔から血の気が引くのが分かる。無精ひげを生やした男の口元がやけに気持ち悪く見えた。男が言っている『客』が何を示しているかなんて、考えなくても明らかだ。


「や・・」

「こっちに来い。」


 力では敵わない。いくら体を引いても腕が痛むばかりで、皆から離れて行ってしまう。

 やだやだやだ。欲を丸出しにした目の前の男も。こんな時に声が出ない自分も。


 私、こんなに弱かった?


 男はどんどん人気のない建物の隙間へと早足で進んでいく。このまま行けばいくら叫んでもウォルト達に気づいて貰えなくなる。震えそうになる唇を一度強くかみ締め、シンガーは踏ん張る足に力を込めた。そして男の手を振り切ろうと、掴まれた腕を思いっきり横に振る。


「っ離して!!」


 その瞬間、片方の肩に背負っていたバッグが同時に振られ、絞りになっている口から荷物が飛び出した。慌ててそれを拾おうとかがめば、シンガーより前に男が髪飾りを拾い上げる。花の形をした白い髪飾りだ。男は腕を振り払らわれたことで苛立ちを顕に顔をしかめたが、それを見るなり顔色を変えた。


「お前・・これをどこで手に入れた。」

「え・・?」

「さては盗んだな?」


 言っている意味が分からない。何もかも不躾な男にシンガーは先程までの恐怖も忘れて食いかかっていた。


「違うわ!それは貰いものよ!」


 けれどそんな反論を男は鼻で笑い飛ばす。


「はっ。これはなぁ、お前のような女が持てるようなもんじゃないんだ。見ろ。王家の紋章が刻まれている。」


 男がシンガーに見えるように花弁の裏側を見せる。小さいが、そこには確かに獅子ペディカが刻まれていた。だが、シンガーが見たことのあるユフィリルの国章とは獅子の形が違う。


「これは王室が認めた商品にだけつけられる証だ。分かるか?王家から直々に譲られるような貴族や他国の王族しか手に出来ない品なんだよ。」

「それは・・」


 彼の言う通り、シンガーが時折つけていた白い髪飾りに彫られているのは王家の印なのかもしれない。けれど王族から直接譲り受けた物だと言った所でこの男は信じないだろう。酒場で金を稼ぐ旅人がまさか王家に知人がいるとは思わない筈だ。

 言葉に詰まるシンガーを見て、男の顔が邪に歪んだ。


「盗人だと役人に突き出されたくなけりゃあ大人しく言う事を聞くんだな。」


 髪飾りを持つ手とは逆の腕がシンガーに伸ばされる。けれど大切な髪飾りを奪われるのも、それを楯に男の言いなりになるのもごめんだ。シンガーはがむらしゃらに髪飾りを取り返そうと男の右手にしがみついた。


「返して!!」

「てめ・・!」


 その時見えたのは自分に向かって振りかぶった男の左拳。だが喧嘩の経験など皆無のシンガーが避けられる筈がない。咄嗟に両目をつぶってしまい、黒くなる視界。

 痛みはすぐに襲ってくる筈だった。だが――


「・・・・騎士。」

「え・・?」


 自分の腰に回った太い腕に後ろへと引き寄せられる。背中に当たる温かい温もり。思わず目を開けたシンガーの視界には顔を引きつらせ両手を上げた無精ひげの男と彼の喉下に突きつけられた剣。鍔元の刀身に刻まれた獅子ペディカの国章。


(えっ――・・)


 鼓動が一つ、大きく鳴った。


「・・お前、騎士だったのか。」

「あぁ。第十二騎士団だ。お前こそこのままとっ捕まりたくなきゃ、とっとと移動するんだな。」


 流石に騎士相手に分が悪いと悟ったのか、男は髪飾りを地面に置き、そのまま去っていった。肩の力が一気に抜ける。自分から離れた騎士の男に、シンガーは頭を下げた。


「助かりました。ありがとうございます。ビルさん。」


 助けてくれたのはコニーの夫、ビルだった。彼が騎士だったとは知らなかったが、突然姿が見えなくなったシンガーに気づき、探しに来てくれたらしい。

 彼は白い花の髪飾りを拾い上げて、マジマジとそれを眺める。そしてシンガーを見た。


「いや、いいさ。でも俺も気になるな。あんたを疑ってるわけじゃないけど、これどうした?」

「え?これはヴァンに・・、あ、いえ、知り合いから譲り受けました。」


 ヴァン、と聞いてビルの片眉が上がる。疑っていはいないと言ってくれたけれど、彼がそれをどう思ったのかまでは分からない表情だ。騎士である彼がもし同様にシンガーが嘘をついていると判断したら、一直線に牢屋行きだろう。


「あの・・」

「へぇ。驚いた。ほんとに殿下の知り合いなのか。」

「え?」

「ヴァンって、ヴァンディス殿下だろ?」


 王族に仕えている騎士相手に隠す必要はないだろう。シンガーは素直に頷いた。

 アンバから旅をしていたシンガーは無事ユフィリルへの入国を果たし、城下まで旅をした。その時自分を助けてくれたのがこの国の第二王子ヴァンディスとその護衛の騎士だったのだ。王子と言えばイギリスのロイヤルファミリーか御伽話の白馬の王子様くらいしか知らなかったシンガーにとってヴァンの存在は思ったよりも普通で身近な人だった。力のない自分に悩み、不機嫌だったかと思えば意外に世話焼きで不器用な人。

 そして別れの時、ヴァンディス王子が渡してくれのが、この白い花の形をした髪飾り。大きな五枚の花弁。貝殻のような光沢のある白い石から削りだされた美しい曲線。一目で高価だと分かる一品だが、王家御用達の印が刻まれているとなればその価値は更に上がるのだろう。


「ここ、見てみな。」

「?」


 ビルは持っていた髪飾りを裏返し、花びらの裏側、留め具の近くに彫られた獅子ペディカを見せた。

 王家御用達の印には模倣防止の為にいくつかの仕掛けがある。一つは獅子が国章とは真逆の右向きであること。二つ目は獅子の尾の毛の先が三つに分かれていること。そして二つ目が前足の爪である。


「爪を見れば王族の誰の物か分かるようになってるんだ。爪が三本なら陛下の、爪無しなら王妃の、そして一本なら第一王子ブレディス殿下、二本なら第二王子ヴァンディス殿下っていう具合にね。」


 そしてこの髪飾りに彫られた獅子の爪は二本。本物の第二王子のものである印とヴァンの名前の一致。そこからビルはシンガーが嘘をついていないと判断したのだ。


「これは返すよ。」

「・・ありがとうございます。」

「さ、皆の所へ戻ろう。」

「はい。」


 肩を軽く叩かれ、シンガーはビルの背中を追って皆のいる場所へ歩き出す。


(・・騎士、か。)


 山を登っている間、ビルは剣を腰に差していなかった。大きな荷物を背中に背負っていたから、その中にしまっていたのかもしれない。

 彼が第十二騎士団の人間ならばきっとアスタのことも知っているだろう。アスタと抱き合った夜から彼がどうしているか気にならないと言えば嘘になる。けれど聞けない。聞くことに意味なんてない。


(馬鹿ね・・・)


 目を開き、最初に騎士の剣が見えた瞬間自分は何を考えた?何を期待した?

 あの時アスタが来てくれたのではないかと、確かにシンガーはそう思ったのだ。


(馬鹿・・)


 誰にも見えないよう顔を下に向け、シンガーは唇を噛んだ。そしてもう一度あの疑問が心に浮かぶ。


――私、こんなに弱かった?





 * * *


「はい。あーん。」

「・・・。」


 フォークを握る小さな手。そしてその先に刺さったソーセージ。それが自分の前に差し出されてシンガーは目を丸くした。


「あ、ありがとう。」


 フォークごと受け取ろうと手を添えれば、その手の主、五歳の少女が首を横に振る。そして再度ずいっとソーセージが口元に突きつけられた。どうやらこのまま食べろという事らしい。幼い子供相手に恥ずかしがっても仕方がないので口を開け、フォークから直接ソーセージを口に入れる。するとその少女、シルヴィエはニコニコと満面の笑顔を見せた。


「おいしい?」

「う、うん。美味しかった。ありがとう。」


 釣られて控えめな笑みを返せば、シルヴィエの顔が輝く。そしてきょろきょろとテーブルの上に目を走らせた。どうやら次の料理を探しているらしい。


「付き合わせてごめんなさいねぇ、シンガーさん。うちの子、最近なんでかコレにハマっちゃって。」

「いえ。可愛いですね。」


 シンガーが座っている大きな木製テーブルには沢山の家庭料理が並べられている。そして隣には先ほどの少女、シルヴィエが座高の高い椅子に座っていた。彼女は最近誰かの面倒を見るのがブームのようで、誰彼かまわず世話を焼きたがるらしい。おままごとの延長のようなものだろう。シルヴィエの母であるテレザはそんな我が子を見て申し訳なさそうに苦笑した。

 同じテーブルについているのは何もテレザ親子だけではない。テレザの夫や彼女の両親、そしてビル夫妻とテスもいる。


 シンガーがいるこの家は山登りの時にお世話になったコニーの実家だ。ビルに助けられた後、皆に別れの挨拶をした際、あんなことがあった後に女性一人で宿に泊まるなんて!とコニーに叱られ、半ば強制的に此処に連れてこられたのである。

 驚いた事に、急な来客にも関わらずこの家の人達は歓迎してくれた。五十代だという彼女の両親に挨拶した時には孫がいるとは思えないほど若々しくて驚いた。両親と同居している長男ヤロの妻が先ほどのテレザ。そして二人の娘がシルヴィエだ。

 元々今日コニー達が来る連絡を受けていたので、夕食はいつもよりも多めに作っていたらしい。好意で一晩泊めて貰うのだ。流石に食事まで世話になるわけには、と辞退しようと思っていたのだが、この家の皆にどうせ山ほど料理はあるのだからと同じテーブルに着かされたのだった。


「あーん。」

「・・いただきます。」


 シルヴィエに袖を引かれ振り向けば、子供用の小さなフォークに刺さっていたのは酢漬けの野菜。どうやら彼女はかいがいしく世話をしてくれるつもりのようだ。


「やー。」

「テス。好き嫌いしないの。」


 その向かいではテスが取り分けられた芋のサラダを前に首を横に振っている。隣で母親のコニーがそれをスプーンに取り、テスの口元に近づけていた。どうやらシルヴィエはアレの真似をしているようだ。小さい子供はなんでも大人の真似をしたがるものだから仕方がない。


「シンガーさん、酒はどう?飲めるのかい?」


 こげ茶色の酒瓶を持って笑いかけてくれたのはコニーの父親ヤクル。ピノーシャ・ノイエの列島の一つ、ハマナ島出身というのは本当のようで、白髪のほとんどない彼の髪は黒い。瞳は今手にしている酒瓶のような深いブラウン。彫りの深い顔立ちをしているのでアジア人とは違うが、シンガーにとっては親しみやすい容姿をしている。


「すいません。お酒はあまり。」

「そうか?残念だな。こいつはハマナ島の酒なんだが。」


 この家でシンガーを一番歓迎してくれたのが実はこのヤクルだった。シンガーの髪や目の色を見て同郷の人間だと喜んでくれたのだ。


「ちょっと父さん。若い女の子が来たからって浮かれないでよ。」

「なんだ。ちょっとくらい良いじゃないか。男は誰でも綺麗な女性には弱いもんだ。なぁ、ビルくん。」

「あはははっ。そうですね。」


 どうやら婿と舅との関係は良好らしい。こういう賑やかな家庭を見ていると、結婚や家族っていいなぁと素直に思える。素敵な家族だ。


「あの、コニーさんからヤクルさんはハマナ島の出身だと伺ったのですが・・」


 何か話が聞けるかも知れない。そう思って口にすると、ヤクルは酒で赤い顔をしながら上機嫌に頷いた。


「あぁ。そうさ。元々あっちで漁師をしていたんだ。獲った魚をヌーベルに卸す仕事もしていてね。それが切欠で母さんと知り合った。」

「へぇ。今でも故郷に帰る事はあるんですか?」

「子供が出来てからは滅多に行かなくなったな。年に一・二度くらいか。ここがハマナ島に一番近い港であることには変わりないが、船で三日はかかる。」

「三日・・・。」


(そんなにかかるんだ・・・。)


 てっきり四・五時間くらいで行けると思っていた自分が甘かった。地球のように科学が発展していないこの世界では、船と言っても帆船だろう。エンジンをつけて航行するわけではないのだ。当然海が凪げば船は進まないし、天候に大きく左右される。船旅も楽なものではない筈だ。


「なんだ。ここから船に乗ったことがないのかい?」

「えぇ。」

「この時期一般客は少ないから定期船も五日ごとにしか出てないよ。今だと、丁度明後日だな。出立の準備やら出国審査やらで忙しくなるだろうが。」

「そうでしたか。しばらくローティーにいたんですが、そこまでは調べられなくて。」

「山道が閉鎖している間は情報も行き届かないからな。仕方がないさ。」


(明後日、か・・・)


 二日後には長い間旅をしていたこの国から離れる。少しずつだが着実に自分が進んできたことを改めて実感できた。当然旅をするなんて人生で初めてのことだ。それを思うと感慨深い。


(行こう。)


 迷いは禁物。自分が求めるものは地球への帰還。それだけなのだから。

 温かい思い出も悲しい思い出も、思い出に出来ない痛みも。全て背負って前に進もう。それが今の自分の原動力。 

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