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第二話 1.雪解け(1)

 北方の山々に囲まれたローティーではまだ雪の残る季節だが、暦の上では初春を迎えている。宿屋の庭先に咲いた桃色の小さな花、ウィンベルを見てシンガーは季節の移り変わりを実感していた。

 明日ローティーから山越えをする商隊が出発する。山を越えた先にある麓の町へ卸と仕入れをする二十人ほどの集まりで、夜盗対策に護衛も雇っていると言う。一般人が個人で山越えをするのは危険な為、大抵はこうした商隊と同行することが多い。同様にシンガーも彼らに同行を申し入れていた。アスタと会った夜から二日後のことだ。


 いつもと同じようにレイナの店に顔を出し、店の掃除を手伝う。当然レイナは明日彼女がこの街を出ることを知っている。表面上は何も見せずに普段通りに過ごす彼女に、レイナはぽつりと零した。


「シンガー。」

「はい?」


 テーブルを拭いていた手を休めてレイナの方を振り返る。冬の間お世話になっていた女店主はシンガーを見て寂しそうに笑った。


「あんたは、欲しいものを欲しいって言えない子なんだねぇ。」


 何気ない言葉だった。どうして突然彼女がそんなことを言ったのかは分からないけれど、世間話をするような、そんなトーンで零れた一言。そんな事ないですよ、と笑って返すつもりだったのに、シンガーの口からは何も言葉が出てこない。代わりに零れたのは生ぬるい涙の雫。


「っ・・・・。」


 そんな彼女見て、カウンターから出てきたレイナはシンガーの肩を抱いて背中をさすった。まるで自分の娘を愛しむ母のような仕草で。


「急に変な事言ってごめんね。でもアンタは最後まで我侭を言わないんだなぁと思ったらさ。このまま行かせていいのかって気になって。」

「・・わ、たし・・・」


 レイナは気づいていたのだろう。表向きは取り繕っていてもあの日からエドと距離が出来てしまったこと。その原因が恋愛感情であることも。


「わたし・・。エドに酷い事・・・」

「全部言っちまいなよ。今はあの子も使いでいないし。全部吐き出して、すっきりして此処を出な。」


 レイナに抱き締められたまま、嗚咽をかみ締め、たどたどしい言葉であの日のことを話した。

 ずっと忘れられない好きな人が居ること。その人とこの街で再会し、一度だけ夜を共にしたこと。その人だけを想う自分はエドと共に居られないと告げたこと。二人から逃げるようにこの街を出る決意したこと。

 レイナは我侭を言わないと言ったけれどそれは違う。本当の自分はとても欲張りで、絶対に同時には手に入らない二つのものを、諦めきれずにいつまでもひきずっている。


「ねぇ、シンガー。」


 優しく名前を呼ばれ、涙の止まらない顔のままシンガーはレイナを見返した。


「アンタの幸せはアンタだけのものだよ。それを他人がとやかく言う資格はない。それはその男共だって同じさ。あんたが決めた道ならそれが正しいんだ。それで後悔するなら仕方ないよ。だって今はその道しか選べないんだから。誰を傷つけたって、誰が泣いたって、そんなのは関係ない。自分がやったことはいつか自分に返ってくる。それを受け止める覚悟があるのなら、アンタだけの道を進めばいい。」

「レイナさ・・・」

「あーあ。こんなに泣いちゃぁ美人が台無しだよ。今夜まではウチの大事な看板娘なんだ。早くその顔洗っておいで。」

「・・はい。」


 言われた通り奥に引っ込むシンガーの背を見送りながら、レイナは溜息をついた。


(一体誰なんだろうねぇ。ウチの可愛い歌姫を泣かしやがったのは。)


 見つけたら一発殴ってやってもいいかもしれない。そんな母親のような心境の自分に苦笑しながら、レイナは再びカウンターの中へと戻っていった。






 三十人程しか人の入れない小さな酒場は今夜、全ての席を埋めていた。それ程大きくない街だから、冬の間しか滞在しなかったシンガーでも大体の顔を知っている。グラスや食器の音、客達の笑い声、店の隅にある小さな暖炉が燃える音。様々な音がシンガーの耳に届いた。

 今日は酒場サイハナでの最後の夜。特別な事をするつもりはない。いつものように給仕や後片付けに追われ、先程一息ついた所だ。丁度そのタイミングを見計らってか、女性客から声がかかった。唄って欲しい、と。シンガーは笑顔で頷き、客の前に立った。

 今朝から唄う歌は決めていた。春を迎えたこの季節にふさわしい、ユフィリル国民ならば誰もが知る歌。そしてシンガーが知っている数少ないこの国の歌。タイトルは『春の賛歌』。エドの伴奏はない。アカペラで、一人シンガーは一礼する。



“雪解けと芽吹く緑 時分告げる暖かな風

 母なる大地に捧げ歌う この春の賛歌”



 メロディーと共に客たちの顔も綻ぶ。誰もが待っていたのだ。長い長い冬を終え、暖かなこの季節の訪れを。一年の始まりを春としているユフィリルの人達にとってこの季節は新たな年の始まり。そしてシンガーにとっては別れの時。



“大空に光溢れて 人の子らが喜びに舞う

 羽を休めた鳥の囀り 共に管弦鳴り響く

 凍てつく川も流れ出し 獣はしばしまどろみの中


 花開けと蝶が舞う 緑の丘へ野の山へ

 母なる大地に抱かれ歌う この春の賛歌”



 店の一番後ろでこちらを見ているエドと目が合う。その表情からは彼が何を考えているかまでは読み取れない。怒っているわけでなく悲しんでいるわけでもなく、ただ他の客達のようにシンガーの歌に耳を澄ましている。

 開店前、エドにも明日の朝一で店を出ることは話してある。そうか、と言っただけで、それ以上の事は互いに口を噤んだ。謝るのは違う気がして、けれどふさわしい言葉など見つからなくて今に至っている。



“朝露に濡れる木々 人の子らが手を伸ばす

 愛を囁く鳥の声と 新たなる始まりの季節 

 潮と共に幸福に満ち 夜と共に安らぎに沈む


 優しく撫でる神の指先 育む我らの命と共に

 母なる大地に捧げ歌う この春の賛歌”



 シンガーが一礼すると大きな拍手が沸き起こった。そして客の一人がアンコール、と手を叩く。驚くシンガーを他所にいつの間にか誰かが春の賛歌を歌いだし、そうしていつかの夜のように皆を巻き込んでの大合唱となった。皆の笑顔に促されてシンガーも歌い出す。楽しくて嬉しくて、けれど寂しくて。

 ふとカウンターを見るとレイナが笑顔で見ていてくれた。一つ頷いたその仕草に、それでいいんだ、と背中を押された気がした。





 * * *


「本当に一人で行くのか?」


 あぁ、まるであの日の再現のようだ。目の前に立つエドを見て、シンガーはそう思った。

 一年以上前、アンバとユフィリルの国境でエド達と別れる前夜、彼は同じことをシンガーに訊ねた。そして、返す言葉も同じ。


「・・うん。」


 今夜の仕事を終え、二人は宿屋へ戻ってきていた。今居るシンガーの部屋はすっかり片付いている。元々旅の身。自分の物といえば持ち歩いているバッグ一つに納まる程度で、散らかるほどの量はない。旅支度はそう苦労するものではなかった。

 風呂に入り、準備を済ませて後は寝るだけ。そう思った時、控えめに部屋のドアがノックされた。顔を出したのは神妙な顔をしたエド。今はこうして二人だけで備え付けの椅子に座り、シンガーの淹れたお茶を飲んでいる。


「あの男は一緒じゃないんだろ?」


 シンガーの肩がビクッと揺れる。明らかに動揺した彼女に、エドは深い深い溜息を吐いた。彼女の心に居るのは自分じゃない。自分の知らない男なのだ。それに答えるシンガーの目はどこか遠い場所に向けられている。


「あの人は、一緒じゃないよ。この先一緒に居ることなんて・・ありえない。」

「それでも・・」


 それでもやっぱりその男じゃなきゃ駄目なのか?そう頭の中で問いかける。口にしなかったのはその答えをすでに知っているから。その証拠に、エドの言いたかったことが分ったのだろう。シンガーはまっすぐに彼を見て苦笑した。


「困らせてごめん。」

「そんな・・・!それは、私の台詞だよ。エドには沢山助けてもらったのに・・・。何も返せなくてごめんなさい。」


 本気でそう思っているのだろう。ぎゅっと膝の上で握られた手が震えている。泣くのを我慢している顔など見たくなかった。欲しいのは謝罪の言葉なんかじゃない。

 何も返せなくて、なんて言われたら男が何を考えるかなんて思いつきもしないのだろう。女一人で旅を続けて来たにしてはあまりに無防備だ。それともまだ自分は彼女にとって危険な異性として見られていないのだろうか。そのことに多少の苛立ちが募る。


「シンガー。」

「何?」

「そう言うことは不用意に言うな。俺が見返りを要求したらどうするつもりなんだ?」

「・・見返り?」


 目を瞬いて自分をまっすぐに見つめる黒い瞳。あぁ、やっぱり彼女は気づいていない。エドはもう紳士ぶるのは止めにした。此処まで来たらありのままを曝け出したっていいだろう。

 色素の薄い目がシンガーを見返す。そこに灯るのはどこまでも本気の熱。


「君を抱きたい。」

「!!?」

「抱いて、その男から奪ってやりたい。」

「エド・・・。」


 思いもしなかった言葉に、シンガーは唖然とするしかない。彼の想いになんと答えれば良かったのだろう。慰めの言葉なんて求めてはいない筈だ。正解など見つからず、こんな時唄うしか能のない自分が嫌になる

 思いつめた様子のシンガーを見て何を思ったのか、彼はくすりと小さく笑みを零した。


「そんな顔しないで。できっこないって自分でも分ってるんだ。愚痴みたいなもんだよ。女々しくてごめん。」


 エドにとってはちょっとした意趣返しのつもりだった。彼女をびっくりさせてやろう位のもので。けれど驚きの後に表情を暗くした彼女を見て、そう言えば芯はまじめな子だったな、と思い出す。惚れた弱みか。それ以上いじめる気にはなれなかった。

 そんなエドの言葉にシンガーは何も言わず、ただ首を横に振った。泣きそうな顔で。

 いい加減に諦めなきゃな、と腹をくくる。彼女を心から笑顔に出来るのは自分じゃない。エドは名残惜しさに見切りをつけて椅子から立ち上がった。


「店の前で見送るぐらいはいいんだろ?」

「うん。ありがとう。」

「おやすみ。また明日。」

「おやすみなさい。」


 パタン、と静かにドアが閉まる。見えなくなった仲間の背中にシンガーはそっと呟いた。


「・・ありがとう。エド。」


 あの時、旅立つ私の背中を押してくれて。こんな私を好きだと言ってくれて。我侭な私を許してくれて。

 ありがとう。そして、さようなら。

 

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