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恋愛小説

2つのバレンタインチョコ

掲載日:2026/09/30

1.

都心から電車で十駅ほど離れた、まだ自然が色濃く残る住宅街に小錦大学付属高校の新築校舎が陽光を受けて堂々とそびえている。


俺の名前は滝沢明(たきざわあきら)。その高校の3年生である。


小錦大学は上位の私立大には及ばないが、全国的な知名度は高い。


この高校からは、およそ7割が内部推薦で小錦大学へ進む。


2割はより上を目指して難関私大を受験し、1割は推薦もされず、受験して多くは小錦大学より下の私立大学に進むことになる。


俺は勉強はあまり好きじゃないが、野球部でやれるだけのことはやった。


夏の全国高校野球大会東京予選では、シード校相手の3回戦で5回を終えた時点で10点差を付けられてのコールド負けだったが悔いはない。


念願だったサードのレギュラーにはなれたし、センター前にクリーンヒットを放ち、2塁走者が生還して、その試合では唯一の我が校の打点を叩き出した。


この打点は俺の一生の勲章になるだろう。


俺は希望している小錦大学経済学部に推薦で行ける程度には、勉強もしていた。


翌年2月14日のまだ寒い日のことであった。


俺がトイレから出てくると、廊下で待っていたかのように小林由紀子(こばやしゆきこ)が俺の前に立った。


艶のある黒髪を肩のあたりで切り揃え、凛とした瞳で俺を見つめている。


「滝沢君、これ……」


差し出されたのは、小さなピンク色の紙包みであった。


由紀子は学年でも指折りの秀才で、私学の最難関・若松大学を受験すると聞いていた。


「本当に、俺に?」


「そう。ずっと、好きだったの。1年生のときから、ずっと。でも、もうすぐ大学が別々になるでしょ。今のうちに告白しておこうと思って」


「俺も君が好きだったんだ。でも、俺なんか相手にされないと思ってた。本当に付き合ってくれるの?」


「私の方から言ったんだから、当然でしょ」


だが由紀子は若松大学の受験したすべての学部に落ちた。


彼女は痛く落胆し、担任の教師も失望の色を浮かべた。


俺は由紀子に話しかけた。


「なんだ、全滅かい?それでどこの大学に行くんだい」


「小錦大学法学部政治学科に行くことにしたの」


受験すると小錦大学に推薦はされないが、彼女はしっかり滑り止めに小錦大学も受けてあったのだ。


「俺と同じか。それなら、これからも毎日会えるな」


「そうね」


「俺はもう野球はやらない。テニス同好会でもどう?」


「いいわね」


その夜、俺は由紀子に電話をした。


時間を忘れて話し続け、いつの間にか日付が変わっていた。


だが、1週間が過ぎたころ、突然、電話がつながらなくなった。


由紀子の家に行っても、会わせてもらえない。


小錦大学のテニス同好会に入っても、彼女の姿はなかった。


2.

6月のある晩、俺は自分の部屋で寝転んでテレビを見ていた。


ニュースを見ていたら、何やら国会議事堂で議員たちが万歳している。


テロップには「衆院解散」と流れている。


それから数日後のこと。


郵便受けの中に、由紀子から俺宛の封筒が入っていた。


俺は急いで部屋に戻り、封を切った。


(あのときの気持ちは嘘ではありません。

実は若松大学商学部に補欠合格していたのです。

今は都議会議員の田安亀助先生の秘書として働いています。

もしお時間があるなら、選挙運動のお手伝いをお願いします)


俺は由紀子に電話をかけてみた。


「手紙、読んだよ。若松大学にいたのか」


「そうなの、連絡が遅れてごめんなさい」


「学生が秘書になれるのか?」


「わたし、都議会議員・田安亀助(たやすかめすけ)先生の私設秘書なの。先生が総選挙に野党から打ってでるの。先生は高校時代ラグビー部にいたの」


「それで、何の仕事をすればいいんだい?」


「駅前の歩道で、ラグビーボールをパスしながら、先生の名前を連呼してほしいの」


「わかった。行くよ」


3日後の朝。


梅雨が明けきらない空の下、俺は田安亀助の選挙事務所を訪れた。


由紀子は赤い派手な色のスーツ姿である。


「滝沢君、来てくれてありがとう」


俺はラグビーのユニフォームを着て、「田安亀助」と何度も繰り返しながら、ボールを他の運動員にパスした。


夜の6時になって、ようやく終わった。


それが10日間続き、投票日が来た。


夜8時、開票速報が始まった。


事務所では皆が固唾を飲んでテレビを見守った。


「与党、過半数は微妙な情勢」


田安にもチャンスが出てきた。


30分後、田安当確のテロップが映し出された瞬間、万歳の声が事務所の中を木霊(こだま)した。


由紀子が駆け寄ってきて、俺の手を取った。


「ありがとう、滝沢君。これからも、私を支えてね」


「もちろんさ」


初めからそのつもりで協力したのだ。


3.

翌年の2月14日。


テニス同好会の練習が終わり、皆が更衣室に戻るとき、去年喧嘩して以来、口を利いていない文学部の中村民子(なかむらたみこ)が静々と近づいてきた。


俺はまだ何か文句があるのかと身構えた。


彼女は小錦大付属の出身ではなく、九州のある県から上京してきていた。


訛りが残る垢抜けない純朴な少女で、目鼻立ちがスッキリ整っている。


「去年はごめんなさい。あなたのことが好きです。わたしと付き合ってください」


民子が頭を下げながら、小さな箱を差し出した。


俺は面食らった。


由紀子は忙しいらしく、最近はあまり連絡してこなくなった。


それに一旦、連絡を絶ったのに、選挙の時になって、突然連絡してきた身勝手さにも、俺は拘(こだわ)りを持っていた。


由紀子は確かに美人で秀才だが、俺を見下し顎で使っているような気がしなくもない。


二股をかけるのは悪いことかもしれないが、俺は民子のチョコを受け取った。


「わかった。俺の方こそ悪かった。君と付き合うよ」


「滝沢君、手をつないでいい?」


「もちろんさ」


民子がそう言ったとき、俺はその手を握った。


図書館で民子と並んで本を読み、帰り道でアイスクリームを分け合う。


俺は民子の肩を抱き寄せ、静かに息を合わせるように歩いた。


民子とはよく大学近くの古本屋に行った。


彼女は文庫本の小説を手に取っている。


俺は経済学の本を漁っていた。


「古本は誰かが、他の人に読んでくださいといってるみたいね」


「古本というのは、読んだけどつまらなかったとか、金に困ったやつが売り飛ばしたのさ。第一、読んだ形跡がほとんどないじゃないか」


「わかってないわね。本の気持ちを言ってるのよ」


「ああ、なるほど」


民子に一本取られた。


俺は経済学部だから、そんなことは考えたこともなかった。


4.

久しぶりに由紀子からデートの誘いのメールが来た。


俺は由紀子とマクドでアイスコーヒーを啜りながら、向かい合って腰掛けていた。


その日は政治家秘書の服装ではなく、軽装であった。


「あなたは卒業したら、どうするの?」


「俺は体力だけが取り柄だから、運送会社にでも就職するさ」


「わたしは、政治家になりたいの」


「それで若松大にいって、政治家の秘書になったのか」


「もちろんそうよ」


そのとき、由紀子の目つきが険しくなった。


俺は嫌な予感がした。


「小錦大付属の友達に聞いたんだけど、あなたにはもうひとり付き合ってる人がいるらしいわね」


俺は沈黙した。


「中村民子さんという人でしょう?」


「誤解だよ。彼女は同じサークルにいるただの友だちだ」


「デートしてるらしいじゃない」


「まあ、いいじゃないか。彼女とはよく喧嘩になるし、いつ別れるかもしれない。君こそ、どうなんだ?」


「秘書と勉強の両立で、遊んでる暇なんてないわ」


「そうか。忙しいんだね。衆院議員の私設秘書ともなると」


「わかったわ。同じサークルじゃあ、仕方がないわね」


「大人げない喧嘩はよそう」


「じゃあ、田安先生の演説会のポスター張りの仕事があるんだけど、手伝ってくれる?」


「わかった、今度の日曜日に行く」


日曜日は、ポスターの裏に両面ガムテープを貼る仕事で潰れてしまった。


俺はキスくらいしてくれると思ったのだが、由紀子は「ありがとう」と言ったきり、すぐにその場を離れてしまった。


考えてみれば、政治家やその志望者がそうやたらと異性関係を持つはずがないのだ。


政治家にスキャンダルは禁物である。


そのことに気づいたとき、由紀子の背中が遠くなったような気がした。


5.

翌、月曜日。


夕暮れのテニスコートは、ボールが見えにくくなるので、勝敗は二の次であるが、俺は民子に負けてしまった。


「おい、滝沢。彼女だからって、わざと負けるんじゃねえよ」


「バイトで疲れてるんだ」


「嘘をつけ。お前は若松大の女とも付き合ってるんだろう」


同じ2年の山本がそう言った。


「なぜ、そんな事を知ってる?」


「俺は知らないよ。ただ言ってみただけだ」


「カマをかけたのか?」


「そうだ。これではっきりしたな」


民子が俺を睨みつけた。


練習後、俺は屠殺場に引き出される家畜のように、民子とマクドに行き、事の詳細を打ち明けた。


「つまり、その人は小錦大付属から若松大学に行って、政治家の秘書をやってるわけね」


「俺は頼まれて選挙運動の手伝いをしてだけさ」


「名前を言いなさいよ。私が話をつけてあげる」


「その必要はないさ」


「どういうことよ?」


「あの子は政治家になることしか考えていない。恐らく何年も先の話になるだろう。もう付き合わないよ。昨日も雑用を頼まれたが、もう沢山だ」


「信用していいんでしょうね?」


「心配だったら、毎日君とデートしてもいいぜ」


俺はその日、初めて民子とキスをした。


それから約束通り、毎日民子とデートした。


辛抱町の古本屋から一緒に出ていくとき、俺は民子の手を握り横にある路地に入り、電柱の陰に隠れて民子を強く抱き締めた。


路地から出てくると、道路の向こう側から若松大学の小林由紀子が俺たちを険(けん)のある目つきで睨みつけていた。


小錦大付属の誰かから、俺と民子が毎日デートしていると聞いて自分で確かめにきたのだろう。


俺は民子を抱き寄せ、由紀子を無視して歩いていった。


振り返ると、去っていく由紀子の後ろ姿がちらりと見えた。


ようやく落ち着く場所が見えた気がした。














読んでいただきありがとうございました。

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