婚約者が攻略されると実験室に売られる悪役令嬢ですが、ヒロインを先に囲いました
この作品は「乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜」第一章をもとに、短編として再構成し、ロゼッタ視点で描き直した作品です。
本編をお読みでない方でも理解できる内容となっておりますので、どうぞ安心してご覧ください。
よろしくお願いいたします。
ロゼッタは、生まれた時から前世の記憶を持っていた。
だが、それを自覚する余裕は、しばらく存在しなかった。
この世界には魔力があり、その魔力は感情に強く影響される。空腹や不安、思い通りに動かない身体への苛立ちといった些細な揺らぎでさえ、簡単に暴走へと繋がってしまうものだった。
ロゼッタはよく泣いた。
そして泣くたびに、魔力が溢れた。
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目が開き、自力で立てるようになっても、その状況は変わらなかった。むしろ感情がはっきりしてくるにつれて、魔力の暴走もまた激しさを増していった。
火が走り、風が吹き荒れ、水が溢れ、土が軋む。
四属性すべてが制御されることなく発現しているのだと理解した頃には、すでに周囲はその対処に追われていた。
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そんな中で、いつも傍にいたのは爺やだった。
魔力が暴走すれば、必ず彼が抑えてくれる。静かに、確実に、何事もなかったかのように。
爺やは四属性すべての魔法を扱うことができる、有能な執事だった。
それ以上に、ロゼッタにとっては安心できる存在だった。
「爺や、抱っこ」
「ロゼッタお嬢様は甘えん坊ですね」
そのやり取りが、日常になっていた。
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両親に愛されていることは分かっていた。
言葉でも、態度でも、それは十分に伝わってきた。それでも、魔力暴走を抑えてくれる爺やといる方が、ずっと安心できた。
だから父が家を空けがちであることも、最初は気にならなかった。
「爺や、すまない。父親として家を空けたくはないのだけど、金策のために出てくるよ」
その言葉の意味を、深く考えることはなかった。
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だが、それに気づいたのは三歳の頃だった。
壊れた壁、焼け焦げた床、修繕のために出入りする職人たち。そのすべてが、自分の魔力暴走によって生じたものだと理解した瞬間、世界の見え方が変わった。
やがて、母までもが家を空けるようになった。
「ロゼッタちゃん、愛してるわ。ごめんね。領地でお父様のお手伝いをしてくるわ」
優しく抱きしめられたあと、その腕はすぐに離れていく。
「爺や、ロゼッタのことをお願いね」
扉が閉まる音だけが、やけに強く耳に残った。
母親がいなくなってすごく悲しかった。
「爺や抱っこして」
ロゼッタは深く泣いた。
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魔力制御装置を購入するための費用。
屋敷の改修費。
そして爺やの給金。
ロゼッタにかかる金額は、決して軽いものではなかった。それを理解してしまったことで、胸の奥に落ち着かない感情が広がっていく。
自分のせいで家が負担を背負っているのではないかという不安が、徐々に形を持ち始めていた。
両親はロゼッタを愛するが故に金策に忙しい。申し訳ない気持ちになる。
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「ロゼッタお嬢様」
その様子を見抜いたように、爺やが静かに声をかける。
「お嬢様は宰相家と婚約しています。お金は宰相家からしか借りておりませんので、ご安心ください」
慰めの言葉だった。
だが、その内容はロゼッタにとって、安心とは程遠いものだった。
むしろ、その一言で思い出してしまう。
前世の記憶の、
遊んでいたゲームの設定、
そして、自分の立場。
『ライトオブクラウン』
通称、ライクラ。
ロゼッタは、その乙女ゲームの世界に転生している。
それだけではない。
自分は、その物語の中で悪役令嬢として存在する人物だった。
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ロゼッタは必死に記憶を辿った。
思い出さなければならなかった。この世界で自分に訪れる未来を。
婚約者が攻略されると、自分が実験室に売られてしまうバッドエンドが存在する。鎖で繋がれ、逃げ場もなく、心臓には機械が取り付けられ、そこから魔力を吸い上げられ続ける。死ぬことも許されず、ただ搾取されるだけの存在になる。
思い出した瞬間、背筋が冷たくなった。
目の前が暗くなった。
絶対に、絶対に、避けなければならない未来だった。
そして、その原因もはっきりしている。婚約者を攻略するヒロイン。孤児院にいる少女で、ピンク色の髪、同い年、光魔法の使い手。
ロゼッタは迷わなかった。
「爺や、お願いがあるの。孤児院にいる、ピンク色の髪で光魔法が使える女の子を引き取ってほしいの」
「……はあ?」
当然の反応だった。
それでもロゼッタは言葉を続ける。
「私、唯一、光魔法が使えないでしょ。だから必要なの。同い年で、ピンク色の髪の子がいい」
あまりにも具体的な条件に、爺やはわずかに目を細めた。
「突然ですね。何か理由があるのですか?」
ロゼッタは一瞬だけ言葉に詰まり、それから小さく言う。
「お願い。魔力制御、ちゃんと頑張るから」
それ以上は言えなかった。
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それからというもの、ロゼッタは何か欲しいものはないかと問われるたびに、その少女のことを望んだ。
繰り返し、何度でも。
そのたびに、魔力制御にも本気で取り組んだ。
四歳になる頃には魔力暴走はほとんど起きなくなり、七歳になる頃には婚約者との懇親会が開かれるようになった。
「はじめまして。僕はカイゼルだ。よろしく」
「ロゼッタです。よろしくお願いいたします」
形式的な挨拶の後、会話は続いた。
「今日は天気もよろしいですね」
「ええ、気温もちょうどよろしいかと」
「最近は魔力制御がうまくいっていると聞きました。努力の成果ですね」
「ありがとうございます」
やり取りは滞りなく進んでいく。だが、その中でロゼッタは違和感を覚えていた。
カイゼルは明らかに七歳の子供ではなかった。言葉の選び方も、会話の運び方も、すべてが整いすぎている。転生者である自分の方が有利だとどこかで思っていたが、実際には会話を引っ張っているのはカイゼルの方だった。
ロゼッタは焦りを覚える。
このままではいけない。バッドエンドを回避するためには、彼と良好な関係を築かなければならないのに、時間だけが確実に減っていく。
そして、もう一つ。
ロゼッタは気づいてしまった。
カイゼルは、自分の家の事情に詳しすぎる。
「では、本日はこれで。またお会いしましょう」
そう言ってカイゼルは去っていった。
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ロゼッタはすぐに爺やへ問いかける。
「爺やは宰相とどういう関係なの?」
問いは真っ直ぐだったが、返ってきた答えは曖昧だった。
「私はお嬢様の味方でございます」
それだけだった。
誤魔化されたのだと、すぐに分かった。
爺やは宰相家と繋がっている。そして宰相家が求めているのはロゼッタ個人ではなく、四属性で高魔力を持つ男爵令嬢という条件そのものだ。
もしヒロインに攻略されれば、婚約は破棄される。そうなれば、これまでの借りを返済しなければならない。返せなければ、その先は決まっている。
実験室に売られる。
目の前が暗くなった。
ロゼッタはその未来を思い出し、静かに息を呑んだ。
この日を境に、爺やのことを完全には信頼できなくなった。
⸻
八歳になって半年が過ぎた秋、爺やが珍しく柔らかな表情で話しかけてきた。
「ロゼッタお嬢様。孤児院にて、ピンク色の髪で光魔法を使う少女を見つけました。一度ご確認なさいますか」
その言葉に、心臓が強く鳴る。
孤児院で出会った少女は、間違いなくヒロインだった。
金貨三袋で買い取られた少女は、ロゼッタを見つめたまま、静かに口を開く。
「私も、転生者なんです」
ロゼッタは息を止めた。
少女はさらに続ける。
「しかも、『ライトオブクラウン・光の乙女は魔導学園で恋を知る』を知っている転生者です」
副題まで一致している。
その事実だけで、偶然ではないと分かる。
ロゼッタは心の底からホッとした。前世の記憶持ちなら、協力できる。
だが同時に、別の危機も理解した。
このことを爺やに知られてはならない。
転生者だと知られれば、異常と判断されるかもしれない。
そうなれば宰相家から見放される可能性がある。見放されれば借りは返せない。その先にあるのは、あの結末だ。
目の前が暗くなった。
ロゼッタは即座に判断した。
隠す。
すべてを。
「このことは、誰にも言ってはいけないわ」
セリアと名乗った少女に、静かに告げる。
その声は落ち着いていたが、そこには揺るがない意志があった。
⸻
次のカイゼルとのお茶会では、セリアの同席が指定されていた。
ロゼッタはその一文を見た瞬間、ほとんど確信に近い形で理解した。
やはり、と思った。
男爵家の情報は筒抜けになっている。
それがどこから漏れているのかを考えたとき、答えは一つしかなかった。
ロゼッタは静かに目を伏せる。
爺やを疑わなければならないことが、ひどく悲しかった。
一粒の涙がこぼれた。
⸻
お茶会当日。
いつもであれば、宰相家の護衛と爺やが控えている。
だが今回は違った。
カイゼルの指示によって、ロゼッタ、カイゼル、セリアの三人だけで話す場が設けられていた。
完全に隔離された空間だった。
逃げ場はない。
カイゼルは前置きなく切り出した。
「ピンク色の髪の光魔法使いを欲しがった理由は何だ」
ロゼッタは間を置かずに返す。
「やっぱり、爺やは宰相家に情報を流していたのね」
カイゼルは眉をひそめる。
「宰相家が一番、ロゼッタを必要としている」
「私を、ではないでしょう」
ロゼッタの声は静かだった。
「四属性で高魔力な女なら、誰でもいい」
カイゼルの表情がわずかに強張る。
「そんな言い方をするな」
そのとき、セリアが軽く手を上げた。
「まあまあ、せっかく三人だけになったんですし、もう少し建設的な話をしましょう?」
空気を変えるように、あえて軽い調子で言う。
カイゼルはそのまま視線をセリアに向けた。
「お前、歳の割に難しい言葉を知っているな、孤児院出身とは思えない」
セリアは肩をすくめる。
「あなたもね、高等教育受けたって言っても、弁が立ちすぎる、八歳に見えない」
カイゼルの目が細くなる。
「何が言いたい」
セリアは一拍置いて、さらりと言った。
「豚骨ラーメン」
⸻
沈黙が落ちる。
カイゼルは完全に固まった。
「……は?」
セリアは小さく舌打ちする。
「ちっ、違ったか」
その瞬間、カイゼルが慌てて身を乗り出す。
「待て、豚骨ラーメンの意味は分かる、お前、転生者か」
そして、すぐに首を傾げた。
「なんで豚骨ラーメン?脈絡なさすぎてびっくりしたわ」
セリアはあっさりと答える。
「私の好物なんです」
それから、少しだけ真面目な顔になる。
「ロゼッタお嬢様が私を雇ったのは、ゲームのバッドエンド回避のためです」
カイゼルは小さく息を吐いた。
「ゲーム?」
一度目を閉じ、それから頷く。
「やはりあのライクラに転生したのか」
セリアは目を丸くする。
「乙女ゲームなのに知ってるんですね」
カイゼルは露骨に顔をしかめた。
「元カノがカイゼルの大ファンだった、話を合わせるために男性キャラクターの情報を中心に集めた」
そして、吐き捨てるように言う。
「あのクソゲー」
カイゼルは机を軽く叩いた。
「俺のルートは何だ、主人公と心中したり、想いが伝わらないと毒殺したり、ならず者を雇って暗殺させたり、しかも真実の愛エンドでは家督を従兄弟に譲る」
深く息を吐く。
「何だよそれ」
その声音には、明確な苛立ちがあった。
「俺は家を継ぐために、すごい勉強をして、大変な思いをしてるのに、恋して全部捨てる?そんな馬鹿なことするわけないだろ」
セリアは素直に頷く。
「確かに、恋して全部捨てるって馬鹿みたい」
その言葉に、カイゼルはわずかに口元を歪めた。
それから、ロゼッタを見る。
視線は真っ直ぐだった。
「ロゼッタ、結婚してくれ」
ロゼッタは一度、瞬きをする。
言葉の意味を、ゆっくりと受け取る。
カイゼルは真面目だった。
「政略結婚で愛はないかもしれない」
少しだけ間を置く。
「だが、大切にはする」
ロゼッタは沈黙した。
最低だ、と思った。
これ以上なく現実的で、夢もない言葉だった。
だが同時に、それが『信用』できる言葉だとも理解していた。
ロゼッタは少しだけ息を吐く。
「嘘でもいいから、これから愛を育てていこうとか言ってほしい」
その瞬間、セリアが思わず口を挟んだ。
「それってホストの営業トークみたい」
一瞬の静寂のあと、カイゼルが吹き出した。
ロゼッタはその光景を見て、少し驚いた。
カイゼルでも、こんなふうに笑うのかと。
そして、その事実が、不思議と心を軽くした。
もう、怯えなくてもいいんだ。
ゲームのバッドエンドに。
決められた結末から解放されたのだ。
ロゼッタは、心の底から喜んだ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この作品は「乙女ゲームのバッドエンド絵師、ゲーム世界に転生する 〜バッドエンドしかない世界で、運命を捨てる〜」第一章をもとに、短編として再構成し、ロゼッタ視点で描き直した作品です。




