第9話 魔法の洗濯と、聖なるハンカチ
その日の午後。
ミミはたらいと洗濯板を抱えて、近くの小川へやってきた。
ザブッ、ザブッ……。
川の水は、骨まで染みるほど冷たかった。
ミミは感覚のなくなった真っ赤な指先に息を吹きかけ、固形石鹸を洗濯板にこすりつける。
ぷんと、安物の石鹸特有の、古い獣脂のような脂っこい匂いが鼻をつく。
「うぅ……冷たい……」
それでも、冒険者は体が資本だ。清潔にしなければ病気になってしまう。
ミミは歯を食いしばり、自分の下着を揉み洗いする。
その時だった。
ヌルッ。
「あっ!?」
石鹸の泡で滑った手から、お気に入りの白いハンカチが抜け落ちた。
水を含んだ布は重く、あっという間に川の流れに飲まれ、下流へと遠ざかっていく。
「ま、待って!」
ミミは慌てて立ち上がる。
濡れた岩場に足をかけ、懸命に手を伸ばす。
――ズリッ。
足裏の苔が剥がれる、嫌な感触。
視界が大きく傾く。
(落ちるッ!)
冷たい水に顔から突っ込む恐怖。
ミミがギュッと目を瞑り、衝撃に備えた――その瞬間。
フワッ。
落下するはずの体が、見えない温かい風に包まれ、優しく岸へと押し戻された。
そして。
目の前の何もない空間に、「それ」は浮いていた。
さっき流されたはずのハンカチだ。
だが、濡れていない。
それどころか。
まるで――焼きたてのパンのように、白い湯気を立てている。
「えっ……?」
ミミが恐る恐る手を差し出すと、ハンカチは吸い込まれるように掌に収まった。
熱い。
川の冷気の中で、そこだけが異様に熱を持っていた。
ピシッとかかったアイロンのプレス跡。
そして、鼻腔を強烈に刺激する。
――高級な香油のような人工的な花の香り。
川の泥臭さも、安石鹸の脂臭さも、完全に消滅している。
あまりに完璧すぎる「清潔さ」が、薄暗い森の中で逆に不気味だった。
「……なんで?」
ミミはキョロキョロと周囲を見回すが、森には小鳥以外、誰もいない。
ただ、風が揺らす枝の擦れる音だけが、カサカサと響く。
「……そっか。きっとこの川には、綺麗好きな『精霊さん』が住んでいるんだね」
少しだけ背筋がゾワリとしたが、ミミは無理やり自分を納得させた。
ハンカチを胸に抱きしめる。
強烈なバラの香りが、ミミの嗅覚をクラクラと麻痺させていく。
「ありがとう、精霊さん……?」
ミミは川に向かって、引きつった笑顔でお礼を言った。
その「精霊」たちが今。
裏で醜い争奪戦を繰り広げているとも、知らずに。
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【裏トーク:騎士団の秘密チャットログ】
SERVER:至高のミミちゃんを見守る会(Online: 4)
@課金は酸素
回収完了。
時空間魔法『次元掌握』にて、落下するハンカチを座標転移させました。
同時に、瞬間洗浄魔法と乾燥、除菌、香り付け(最高級ローズオイル)を施して返却済みです。
@氷結の獅子
おいコラァァァァァッ!!
なんで返した!?
@課金は酸素
はい?
ミミちゃんの持ち物ですが。
@氷結の獅子
馬鹿か貴様は!!
あれは「ミミちゃんが使用し」「自らの手で懸命に洗っていた」という奇跡のアイテムだぞ!?
なぜ俺に渡さない!
俺の聖剣(国宝)と交換でもよかったんだぞ!
@新入り聖騎士
ちょっと! 抜け駆けは許さないわよ!
私が2億出すって言おうとしたのに!
ていうかゼル、あんた何勝手に「除菌」してんのよ!
ミミちゃんの成分(聖なる汚れ)を洗い落とすなんて、冒涜にも程があるわ!
あの川の泥ごと――『真空魔導パック』――するのが礼儀でしょ!?
@公式カメラマン
……まあ待て、お前ら。
ゼルは抜かりない男だ。
ただ返却したわけじゃないだろう?
@課金は酸素
当然です。
洗浄する前に、ハンカチに付着していた「水分」「汗の結晶」「皮膚片」等はすべて抽出し、保存容器(ポーション瓶)に隔離してあります。
現在、私の研究室の魔導遠心分離機にかけて成分解析中です。
@氷結の獅子
神か。
いくらだ? 言い値を言え。
@課金は酸素
非売品です。
ですが、このデータを元に調合した「ミミちゃんの香り(完全再現香水)」を、後でメンバー全員に配布しましょう。
原液は私が管理します。
@新入り聖騎士
あんた……一生ついていくわ。
(その香水、私の部屋の業務用加湿器に入れて部屋中を満たすわね)
@公式カメラマン
俺は今の「転びそうになって涙目になるミミちゃん」の動画があればそれでいい。
あの「落ちる!」って瞬間の恐怖に歪んだ顔、芸術点が高かった。
@氷結の獅子
よし。
では今夜は、その香水を振りまいた部屋で、その動画を見ながら晩餐会(オフ会)とする。
正装で集合しろ。




