第22話(番外編) 闇の住人は、アリの残飯(愛)に涙する
その日の午後。森の地面は、昨夜の雨を含んで冷たく湿っていた。
暗殺ギルドの長、シャドウは、泥にまみれて這いつくばっていた。
鼻先をかすめるのは、腐葉土のカビ臭さと、湿った苔の青臭い匂い。
頬には冷たい泥がへばりつき、服の中を不快な湿気が這い回る。
(……俺は、影だ。誰にも認識されない、世界の染みだ)
彼は自嘲気味に独りごちた。
宮廷魔導師ゼルからの指令は、「騎士団長を骨抜きにした『魔女』の監視」。
対象は、花摘みをしている猫耳の少女だ。
シャドウは固有スキル『隠密EX』を発動していた。
心拍数を極限まで落とし、体温を周囲の気温と同化させ、存在感を「石ころ以下」に消す。
たとえ熟練の騎士が横を通っても、彼がそこにいることに気づかないだろう。
ズリ、ズリ……。
彼は無音の匍匐前進で、少女の背後へと忍び寄る。
距離、あと2メートル。
暗殺者の間合いだ。
その時。
ピタッ。
少女の足が止まった。
くるりと振り返り、あろうことかシャドウが潜んでいる地面を、まっすぐに見下ろしたのだ。
(……ッ!? 気づかれたか!?)
シャドウの背筋が凍りついた。
バカな。俺の隠密は完璧なはずだ。
呼吸も、殺気も、魔力も完全に遮断している。
それなのに、なぜ目が合う?
少女がゆっくりとしゃがみ込む。
琥珀色の大きな瞳が、シャドウの顔の目の前――鼻先わずか数センチの距離まで迫った。
近い。
日向のような甘い香りが、腐葉土の臭いを塗り替えていく。
シャドウは心臓が口から飛び出しそうなのを必死で堪え、硬直した。
殺されるか?
それとも、正体を暴かれ、嘲笑されるのか?
緊張が限界に達した、その瞬間。
少女はふわりと微笑んだ。
「お仕事、おつかれさまです」
鈴を転がすような、優しい声だった。
「重いのに、えらいねぇ。ふふっ、がんばり屋さんだね」
(……なっ……?)
シャドウの思考が停止した。
労われた?
この俺を?
ドロドロの泥にまみれ、地を這う薄汚い暗殺者を、「えらい」と褒めたのか?
「これ、どうぞ。元気だしてね」
コトン。
少女はポケットから、包み紙に入った小さな「焼き菓子」を取り出し、シャドウの目の前の地面に置いた。
そしてニコニコと手を振ると、再び花摘みへと戻っていった。
残されたのは、呆然とするシャドウと、甘い匂いを放つ焼き菓子だけ。
「……あ……あぁ……」
シャドウの震える手が、泥だらけの指でその菓子を拾い上げた。
ただの安っぽいクッキーだ。
だが、今の彼には、王侯貴族のどんな褒章よりも輝いて見えた。
(見えていたんだ……。俺の『隠密』を見破った上で……俺という存在を認めてくれたのか……)
これまで「道具」として扱われ、誰からも人間扱いされなかった孤独な人生。
その闇に、初めて光が差した気がした。
「……いただきます」
彼は泥のついたまま、クッキーを口に運んだ。
サクッ。
口の中に広がる、砂糖とバターの素朴な甘さ。
そして、しょっぱい涙の味。
「うっ……うぅ……甘い……」
シャドウは地面に顔を埋め、声を押し殺して男泣きした。
冷たい暗殺者の仮面は、砂糖菓子のように砕け散っていた。
――彼が知る由もない真実。
ミミが見ていたのは、シャドウではない。
シャドウの顔の真横を歩いていた、「大きな虫の死骸を運ぶアリの行列」だった。
「重いのにえらいねぇ」も、「これどうぞ(エサの足しにしてね)」も。
すべては、働き者のアリさんに向けられた言葉だったのだ。
シャドウは今、アリの餌を奪って号泣している。
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【極秘通信ログ:暗号化回線(Level 5)】
送信者:シャドウ(暗殺ギルド長)
受信者:ゼル(宮廷魔導師)
ゼル:
報告しなさい、シャドウ。
対象の「魔女」の監視状況はどうですか?
レオン団長のように、精神汚染を受けてはいませんね?
シャドウ:
……ゼル。
俺は、今まで世界を灰色だと思っていた。
ゼル:
は?
何ポエムを言っているんですか。
状況報告を。
シャドウ:
彼女は魔女ではない。
「聖母」だ。
俺の『隠密EX』を完全に見破った上で、敵意ではなく慈愛を向けてきた。
俺のようなドブネズミに、「お仕事お疲れ様」と声をかけ、施し(クッキー)をくれたんだ。
ゼル:
……おい。
正気か?
お前の隠密を見破るなど、ドラゴン種でも不可能ですよ。
それに「施し」とは? 毒入りの餌では?
シャドウ:
毒など入っていない!!
入っていたのは「愛」だけだ!!
俺は食べた。泥と一緒に飲み込んだ。
五臓六腑に染み渡る、太陽の味がした……。
ゼル:
(……汚い)
シャドウ:
俺は決めたぞ、ゼル。
俺の持つ技術のすべてを、彼女のために使う。
このナイフは捨てた。
これからは「レンズ」を通して、彼女の尊い姿を後世に残す。
それが、光を与えられた影の……唯一の恩返しだ。
ゼル:
……シャドウ。
貴方、アリの行列の横にいましたね?
さっき使い魔から送られてきた映像を確認しましたが。
彼女の視線、貴方ではなく「アリ」に向いていませんでしたか?
シャドウ:
黙れェェェッ!!!
アリなどいない!
あそこにいたのは俺だけだ!
あのクッキーは俺への愛だ!
否定する奴は、たとえ依頼主でも抹殺する!!
ゼル:
……ああ、もうダメですね。
脳の処理野が完全に焼き切れています。
やれやれ……。最強の二人がこうも簡単に落ちるとは。
やはり、私が直接行って確かめるしかありませんか。
全てを「数値」でしか判断しないこの私が、感情論に流されるはずがありませんからね
[System Alert] -----------------------------
Mission Update:
Agent Shadow: COMPROMISED (Converted to Fanboy)
Next Agent: Zel (Royal Magician)
Objective: Direct Confrontation & Appraisal








