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花蜜と蝶

作者: 辻直

マツバギクの蝶


「やる気が出ないなぁ」

 机の上にある、開いてすらいない課題のワークや教科書を見てつぶやいた。スマホを手に取り、時間を確認する。時間は夜の0時をまわっていた。

「明日にまとめてやるか」

ジジは机から離れて、ベッドに横になった。手元にあるリモコンで部屋の電気を常夜灯に変更する。そして、スマホを充電器につなぎ、動画を見始めた。ぼんやりと画面を眺めているうちにジジはそのまま寝てしまった。

朝になり目が覚めた。アラームの代わりのようにスマホから動画の音声が聞こえてくる。

「もう朝か……」

 気だるげにベッドから体を起こし、クローゼットへ向かう。それの中から制服を取り出し、ベッドの上をめがけて放った。それから、ジジはベッドに座り込み、再生されている動画を別の動画に切り替えてからゆっくりと着替え始めた。一通りの準備を終えて、学校に間に合うギリギリの時間に家を出た。

 ジジは外に出るその一瞬だけ、不快感を覚える。不快感の正体は日によって様々であり、太陽の眩しさであったり、冷たい風が鼻先をなぞるときであったり、何かしらの要素が不快感を与えた。

 学校に着いてからは、何かがあるわけでもなく、いつも通りの時間が過ぎていった。昼休みになった頃、英語の担当の教師が教室まで訪ねてきた。

「おい、今から呼ぶやつ来い」

 ぶっきらぼうな口調でジジを含めた数人が呼び出された。その理由は課題の未提出についてであった。

 ジジは慣れっこだと言わんばかりに、英語教師の説教を聞き流していた。

「ジジはちょっと残れ。」

 説教が終わったころ、集められた人が解散していく中でジジだけが呼び止められた。

「お前、前回もその前の課題も出してないよね?」

「あれ、そうでしたっけ」

 ジジはとぼけて答えた。

「誤魔化そうとするんじゃないよ。 こっちは記録とってんだから、出してないのバレてるからね」

 英語教師がジジに対する態度が他の人よりも冷たくなっていることは普段この教師と関わっている人ならばわかることだろう。当然、ジジ本人もそれには気づいていた。

「明日には必ず出します。」

 いつもはあっけらかんとしているジジもこの時ばかりは真剣に回答した。

「当然だよ。 大体なんで課題やってこないの。 めんどくさいから?」

「いやいつも、やろうとは思うんですけどねぇ。 いざやり始めるとやる気が無くなっちゃって……」

 さっきの真剣な態度が嘘のようにジジはいつもの軽い口調で答えた。

「はっ、言葉変えただけで要は面倒くさいってことじゃん。 そんなんじゃいつまでも終わりはしないよ」

そう言って、英語教師はどこかへ行ってしまった。

「…………」

 ジジは自分の席に戻り、バックの中から錠剤を一錠取り出した。そしてそれを、自身の内に湧き上がってきた何かを抑えるために飲み込んだ。

少しの間をおいて、ジジはいつもの楽観さを取り戻していた。ごみ箱に放り投げた錠剤の抜け殻にはマツバギクが描かれていた。

「流石に今日はやらないとなぁ」

 放課後になりジジは家に帰った。玄関のドアを開け、慣れ親しんだ空気に包まれ、ある種の安堵を感じて中へ入る。

 荷物を自分の部屋に置き、制服のまま床に敷かれたカーペットに倒れこんだ。倒れた先にあったクッションが衝撃を受けて、僅かに反発する。ジジはそのクッションを抱くようにしてうずまり、そのまま眠ってしまった。




ロベリアの蝶


 私より優れてる人なんていない。物心ついた時から今に至るまで、価値観や考え方は変わってもそこだけは一貫していた。

 これは、仕方のないことなのだ。実際、周りにいる連中よりも頭は良いし、顔だって綺麗、友達も多い。それに、社交的だし謙虚さだって持ち合わせている。これ以上の人間がいるのなら、是非とも教えてほしいものだ。

 「隣のクラスにいる子凄い可愛いんだって。 ちょっと見に行こうよ」

 高校生となった日、同じ中学校から一緒に進学してきた子からそんなことを言われた。私は興味本位で噂の子を見に行くことにした。

 可愛いと噂の子は、確かに可愛くはあった。ただ、私の思った可愛いは愛玩動物に向ける感情のそれと同じ種類のものであり、決して美人だとかそういった感情は湧かなかった。

「あれより可愛い人類なんているのかな?」

 私の横で「きゃ~」だとか、「ヤバい」などと騒いでた友達がふいにそんなことを呟いた。

 その言葉に私は一瞬驚いた。そしてそれを私は冗談と受け取った。

「もぉ、冗談やめてよ。私がいるでしょ」

「いやいや、あんたよりも可愛いって」

「えっ……さすがに嘘だよね?」

 私は困惑しつつも、その言葉が嘘である可能性を信じて疑わなかった。

「なんでここで嘘つく必要があるのよ」

 私は自身の顔が徐々に歪んでいっているのが分かった。それは相手もわかったようで、

「ごめんごめん。 言い過ぎた。 あのほら、この世にはかわいい人なんてたくさんいるからさ。 ねっ」

 私は、友達の言葉に腹が立った。そして、私が不機嫌になっていることを分かったうえで、こちらに理解を要求してくるその態度にもっと腹が立った。

「ありえな。 全世界含めても一番は私だから」

 私は友達に軽蔑の眼差しを向けた。

あいつが私より可愛いなんてこと例え世界がひっくり返ってもない。そんなことを考えていると、先ほどの怒りの矛先が友達から別の対象へと移っていた。

 そしてイラつく私の頭に突然ある考えが湧いて出てきた。私は覗いていた教室の中に入った。

「ちょっと、どこ行くのよ」

後ろから聞こえてくる友達の声を無視して、目的の場所まで一直線で足を運ぶ、そしてあの子の席の前に来た。噂の子は突然目の前に来た私の顔を見てキョトンとしていた。

私はしっかりと目の前の子の顔を見つめて言った。

「初めまして、私チセって言うの。 あなたは?」

 一陣の風が私の髪を揺らすと共に、教室の中に、私がつけていたロベリアの香水の香がほのかに広がった。

 私は不気味すぎるほどの笑みを浮かべていた。




ユリの蝶


「今回のテストどうだった?」

「う~ん、悪くはなかったよ」

 落ち着いた調子で話す裏でデンの胸が早鐘を打っていた。そして、無意識にデンは答案を誰にも見られることがないように机の中に押し込んだ。

「なるほどね。 点数はどのくらい?」

「点数は、えっと……点数だよねぇ……」

「んだよ、さっさと教えろよ。 そんな悪くはなかったんだろ」

 なかなか答えようとしないデンに友達が催促する。

「えっとね、五十……じゃない。 六十五くらいだよ」

 デンは友達の反応を伺いながら数字を「選んだ」。

「なんだよ、いい点数じゃん。 そんな隠そうとしなくてもいいのに」

 その言葉にデンは安心した。先ほどまでかいていた冷や汗が引っ込んでいく。「隠し事」はどうやらばれなかったようだ。

「別に隠そうってつもりはないんだけどね」

 デンはいつも通りにそう答える。

「にしても腹立つなぁ。 俺よりも点数たけぇんだからよ。 ちょっと期待して損したぜ」

「たまたま運が良かっただけだよ。 それに全体的に見れば負けてるほうが多いし」

「そうだよな! 次は絶対に勝つ」

 そう言って友達はデンの机から離れていった。

 デンはため息を一つこぼす。そして、机の中に押し込んだ答案を少し広げて見る。広げられた答案には四十と赤い字で書かれていた。

「たまたま運が〝悪かった〟だけだよな」

 デンは再び解答用紙を机の奥へと押し込んだ。


 学校が終わり、玄関の扉を開くと、廊下をドタドタと音を立てて走る音が聞こえて、小さいお出迎えがやってきた。

「おかえり! お兄ちゃん」

「ただいま」

 お出迎えの正体はデンの弟であるアキであった。デンは靴を脱ぎ、リビングへと向かう。アキもデンを追ってリビングに行った。

「今日、学校どうっだったの」

デンが聞く。

「今日はね、たくさん嬉しかったことがあったよ」

「嬉しかったこと?」

「うん! 友達といっぱい遊べたし、テストで九十点とれた。 それにね、給食で大好きなカレーが出たんだ」

 アキは目を輝かせながら元気な声で答える。

「そしたら今日は最高の一日だったんだね」

「もちろん!」

 アキは「それからね」と今日のことをどんどん話してくれた。デンはそれを聞きながらバイトの準備を進めていた。

「でも、カレーはお母さんのやつがいいな」

 急にアキがそんなことを言った。デンの体は無意識に一瞬強張った。

「ねぇ、兄ちゃん。 お母さんはいつ帰るってくるの?」

 アキの幼さが故のこの残酷な質問にどう答えたらよいのかデンはわからなかった。

 花瓶に活けられた百合の花の綺麗な純白がかすかにくすんだように見えた。




酔生夢死


「ただいまぁ~」

 母の緩い声でジジは目を覚ます。どうやら、あのまま眠ってしまっていたらしい。

手の感触だけを頼りにスマホを探し画面を点灯させ時間を確認する。スマホの画面の眩い光に思わず目をつぶる。時間はちょうど午後六時を過ぎたくらいであった。

寝ぼけた目で立ち上がり、部屋の電気を点ける。ティッシュを箱から一枚抜きとり、口の端についたよだれをふき取る。寝てしまったことでしわが増えた制服を慣れた手つきでハンガーにかける。

生活の一部となり、体に染みついた動きを今日もまた繰り返す。ふと、机の上に広げられっぱなしの課題を見る。

 それに対して何かしらの感情が湧くことはなかった。ただ机を胡乱な目で見つめるだけであった。

 自分の部屋から出て、リビングへと降りて行った。キッチンで夕飯の支度をしている母に「お帰り」とだけ言い、

ソファに横になる。

 なんとなくリモコンを取り、テレビをつける。映像が流れたことを確認したうえで、ジジはスマホで動画を見始めた。見ている動画の音と裏で垂れ流されているテレビの音が重なり、聞き取りにくくなっていた。

 そんなことなど気にも留めずジジはただ小さな画面が映し出す映像を見ているが、そこに心があるようには思えなかった。

「ただいま」

 玄関のドアが開き、次は父が帰宅を宣言する。父はチラッとこちらに目を向けたが、何も言わずにダイニングの方へと足を運んだ。

 父は荷物を椅子の上に置き、母と会話をする。ぼそぼそと何かを話しているのはジジの耳にもはいってきたが、そこに興味を向けることはなかった。

「夕飯できたよ」

 母にそう言われて、ソファからジジは立ち上がった。ソファにはジジが長い間横になっていたせいか、跡がくっきりと残っていた。

 重い足取りで、ジジは夕飯が並べられた卓についた。並べられた料理の香りが混ざって香ってきた。ジジはその匂いに重たさを感じながら、「いただきます」とぽつりと呟き、料理に箸を入れる。

「ジジ、お前勉強の方はどうなんだ」

 沈黙が広がっていた食卓に、突然声が響いた。ジジは持っていた箸に重たさを感じた。

「……可もなく不可もなくって感じかな」

「そうか……」

 これ以上会話が続くことはなかった。向こうがどう思っているかは知らないが、ジジにとってはこの会話を続けたいなど微塵も思わなかった。

 食卓には再び沈黙が訪れた。この場で音を出しているのは、小さく響く食器の音とテレビだけであった。ジジは特段この状況に居心地の悪さは感じなかった。

 「いつも通り」食事を終えて、特に目的はなかったが、ジジは自分の部屋へ行った。本棚から無作為に一冊の本を手に取り、クッションに座る。そして、適当なページを開き、ただ文字を目で追う。ストーリーが頭に入ってくることはなかった。

「ジジ、さっさと風呂入って」

 どのくらいかの時間が過ぎて、下から母の催促が聞こえてきた。

 ジジは手に持っていた本をベッドの上に放り投げ、着替えをクローゼットから取り出した。部屋から出るとき、ベッドに放り投げた本があるページを広げていた。

「……やかましい」

 開かれたページには一言「酔生夢死」という文字が書かれていた。




高慢ちき


「え、私?」

 目の前の女性は急なこともあってか、唖然としていた。

「そうよ、あなたよ。 あなたと仲良くなりたいの」

「えーと、私はミユだよ。 チセ……ちゃんは同じクラスじゃないよね?」

 ミユはおっとりとした口調で話す。

「あ、チセでいいよ。 確かに同じクラスではないけど、入学した時から気になっててさ……。 ねっいいでしょ」

 ミユは少し、戸惑いを見せながらも「いいよ」と了承をしてくれた。

 私がお願いしてあげてるのに即答しなかったことは気に食わなかった。見るからに鈍臭そうで、中身も静かでつまらない。

 私はこんなのに負けたのかと腹が立った。どいつもこいつも見る目というものがない。

「まぁいい」

 私は良いおもちゃを手に入れたのだから。

「明日からよしくね」

 精々、私が高校を卒業するまでの暇つぶしとして頑張ってね。


 次の日から、私の暇つぶしが始まった。

 はじめは単純なものであった。物を隠したりだとか嘘の情報を与えて遅刻させたりした。

 ミユと関わるようになって、わかったこととしては超が付くほどのお人好しであること。自分に起きた不幸について誰かに不満を持つことはなかった。

 最初のころは、それでもよかったが物足りなくなってしまった。

 だからやってやった。


 いつものように、私はミユに会いに行った。クラスに入ると、なにやら揉めているようであった。

 揉め事の中心にいるのはミユであった。

「これ、あんたがやったんでしょ」

「ち、ちがうよ。 私そんなことしない」

「じゃあこれは何なのよ」

 そう言って女子生徒が取り出したのはミユがいつも使っているペンであった。

「これ、あんたがいつも使ってるやつでしょ」

 周りをよく見ると、ミユと揉めている女子生徒の後ろで、泣いている人と、その子を慰めている子がいた。

「あんたがこれ書いたんでしょ」

 おそらく泣いている子の机であろうものにはびっしりと暴言が書かれていた。

「ほ、本当にやってないよ」

 ミユが必死に弁明する。当然彼女は暴言など書いていない。なぜなら、

 私がやったことなのだから。

 今にも泣きだしそうなミユの顔は滑稽そのものであり、私が見たかったものであった。私はそれに一種の愉悦を感じるほどであった。

「まあまあ、やめなよ。 こんな言い争い結局は堂々巡りで終わらないんだから」

 私はタイミングを見計らって仲裁に入り、何とかして、私はこの揉め事をやめさせた。

 またやってやろうそう思った。


 そんなある日、珍しくミユから話があると言われた。

「珍しいね。 ミユから話があるなんて」

「そうなんだよね。 実は……」

 ミユはそこで黙ってしまった。言うことは決まっているが、それを切り出す勇気がない。そんなところだろうか。

「黙ってちゃわからないよ。 ほら言ってみて」

 私が催促すると、ミユはようやく話し始めた。

「あのね、この前私とあの子との間で大きな騒ぎになったでしょ。 ほらチセが仲裁にきてくれたやつ」

「そのことがどうしたの」

「実は、その犯人がチセちゃんだって言われたの」

「は?」

 私はとっさに言葉が出てしまった。

「それで? ミユは私が助けたことも忘れて私がやったことだって言いたいの?」

 私がそう言うと、ミユは少し怯えて、

「そういうわけじゃないよ。 ただ」

「ただ何? 結局は私がやったことだって言いたいんでしょう。 ふーんそうなんだ。 ミユは友達の私よりも、どこの誰かもわからないような人の言うことを信じるんだ」

「ち、違うって、私は確信が欲しかっただけで」

 私とミユの言い争っている声が周りの子達にも聞こえていたようで、教室内がざわつき始めていた。

 ちょうどいい、ここでこの女を最悪な奴だっていう印象を皆に植え付けてやる。そう思った矢先、

「やめなよ、本当のことでしょ。 ミユちゃんがかわいそう」

 私の後ろから、声が聞こえてきた。

「はぁ? 何言っちゃってんの。 ていうかあんたは誰よ」

 そう言って、私は後ろを見る。するとそこには同じ中学であった友達だった。

「久しぶり。 チセ。 どう? いじめは楽しい?」

 「いじめ」この単語が出てきた途端、ざわつきはさらに大きくなった。

「私がいじめたなんて証拠、一体どこにあるっていうのよ」

 私が聞くと、彼女は一本の動画を見せた。その動画には私が、ミユのペンを使って机に落書きをしている姿がはっきりと映っていた。

 周りからは「やばい奴」だの「陰湿な奴」だのと私を揶揄する言葉が聞こえてきた。

「やっぱり、チセがやってたんだ」

 ミユが言った。

 私は無意識にミユに手を挙げてしまった。周りの人が私のことを見つめる。

「あ、ちがうの。 これはその」

 私は弁明の言葉を探したが、遂にそれが出てくることはなかった。

 周りの声が一段と大きくなる。

「これで確実だね」

「あーあ、やってるわ」

 中学からの友達がにやりと笑った。

「この野郎! 私のことはめやがったな」

「名前」

「は?」

「私のこと名前で呼んでくれないんだね。 チセはいつもそう。 自分以外のことには興味がないくせして、自分より優れている人がいれば貶して否定する。 他人を認められないんだね。 かわいそうな人」

「そりゃそうよ。 だって私がこの世で一番なんだもの、それなのに他人に興味が湧くと思う? 明らか私の方がすごいのに、なんで自分より下の人間が……」

 ポコッ。

 話している途中で、後頭部に何かが当たった。そして、

「うるせえな。 飯がまずくなんだろ」

 誰かがそう言った。それに続くようにして、

「やっば。 人って見かけによらないんだね」

「ここまで開き直れるのは、逆にすごいよ」

「お前が一番なんてあるわけねぇだろブス」

 私に対する罵声が後を絶たなかった。

「ミ、ミユ」

 私がミユの方を見るとミユは軽蔑の目で私を見ていた。

「あ、ああ。 やめてよ。 やめてってば! 助けてよ。 誰か助けてよ!」

 その声は罵声の波に呑まれて誰にも届くことはなかった。




虚栄心


 デンは、言葉の代わりにアキを抱きしめた。これがアキにどんなニュアンスで伝わったかは分からなかったが、アキは何も言わなかった。

 デンは、アキの顔を見ることができなかった。

「お兄ちゃん、バイト行ってくるね。 夜ごはんは冷蔵庫に入ってるやつチンして食べてね」

 アキからの返事はなった。家の外から、公園で遊んでいるのであろう家族の声が聞こえてくる。デンは空気が重くなるのを感じた。

「兄ちゃんは、お母さんがいなくても寂しくないの?」

 空気の重たさに耐えられず、逃げるように家を出ようとした矢先にアキが言葉を発した。

「……アキがいるから」

 そう言って、アキに微笑んで「行ってきます」と言い、家を後にした。

 デンはアキが悲しそうな顔をしていたのを、一瞬だったが確かに見た。

「ごめんね」

 閉じた扉の向こうにいる人に向けて発した謝罪の言葉は届くことはなかった。

 デンは、何か考える隙ができないように走ってバイト先まで向かった。今日の木枯らしは一段と冷たく感じた。


 バイトは特に問題なく終わった。

「デン君、待って」

 バイト先から数十歩歩いたところで、誰かに呼び止められた。

「今日、途中までだけど一緒に帰らない?」

 デンを呼び止めたのは、同じバイト先の人であった。彼女とは仕事のことでたまに話す程度の関係であった。

「いいですよ」

 とはいえ、断るのも申し訳ないと思ったので、それを了承した。

 二人で夜道を歩いた。冷たい風が二人のそばを吹き抜けていく。

歳の差のせいもあり、なかなか話題が思いつかず、しばらくの間は沈黙が続いた。そして、その沈黙に居心地の悪さを覚えた。

「今日も冷えますね」

 この沈黙を破ったのは、彼女からだった。

「そうですね、これからもっと寒くなると思うときついですね」

「デン君、今月かなりバイト入れてるけど大丈夫? きつかったりしない?」

「なんてことないですよ。 自分まだ高校生ですよ? それを乗り越えられるくらいの体力はありますよ」

「いや、ほらあんなことがあったばかりじゃない……。 少しは休んでもいいのよ」

「全然大丈夫ですよ。 それに休みは十分もらいましたし、弟のために少しでも稼がなきゃなので」

「無理はしないでね」

 あまり接点のない彼女が「一緒に帰ろう」と言ったのは、これを伝えるためだということをデンは理解した。

「もちろんですよ。 無理して、体壊しちゃったら意味ないですから」

 彼女は何とも言えない表情をしていたが、それ以上何も言わなかった。別れ際に彼女は「いつでも相談にのるよ」と言っていた。

 風は依然冷たいままである。


 家の中は暗く静まり返っていた。

「アキはもう寝ちゃったか」

 時計は二十二時を過ぎていた。アキと同じ年齢の子ならば既に寝ている時間だ。そして、それはアキも同じこと。

 リビングに行くと、ソファで寝ているアキがいた。アキのことを起こさぬように、デンは慎重に行動した。テーブルの上には、幼い字で「バイトおつかれさま」と書かれた紙と半分だけ残った夜ご飯が置いてあった。

 デンは小さく微笑んだ。そして、寝ているアキに近づいて、頭を撫でた。

「大丈夫、お母さんがいなくても、お兄ちゃんが何とかするよ。 お前のお兄ちゃんはその気になればなんだってできるんだからな」

 そうしてデンはまた「虚栄を張る」。

 残してくれたおかずにデンが手を付けることはなかった。




招待券


 お風呂を済ませ、部屋に戻ったジジは少し前までベッドの上にあった本が無くなっていることに気が付いた。そして、本の代わりにベッドの上には一枚の封筒が置かれていた。

「なんだこれ」

 封筒には何も書かれておらず、封蝋がされているだけであった。

 ジジは封蝋を剥がし、封筒の中身を確認する。中には一枚の紙と少し硬めのカードのようなものが入っていた。

 カードには、「胡蝶の夢」という文字と蝶の絵が描かれていた。

 また、紙の方には次のようなことが書かれていた。


  この封筒を受け取った方へ、ごきげんよう私はコレクターを自称する者です。これが届いてるということは、貴方様が素晴らしい「蜜」を持っていることに他なりません。それと同時に残念な性質を持ち合わせているということにもなりますが……。

  話を戻しましょう。私があなた様にこの封筒を送ったのは、貴方様が持っている「蜜」が欲しいからでございます。安心してください。取って食っちまおうという話ではございません。簡単に言うのならば、貴方様の「記録」をいただくだけでございます。あなた様になんの害も生じないことは保障いたします。こちらは、「蜜」をいただく対価として、もう二度と起きないような神秘を見せることを約束しましょう。

  細かいことは、「胡蝶の夢」に来ていただいてから、お話いたします。その気になりましたら、カードをお使い下さい。それが道標となりますので。

  それでは、貴方様と会えることを楽しみにしております。


 この手紙が一体何を言いたいのかまるで分らなかった。

ジジは、未だに湿っている髪を雑に乱した。

 最初は送る相手を間違えているのかと思ったが、外は風の一つ吹いていない。そもそもジジは部屋の窓を開けていなかった。母に聞いてもみたが、知らないと言われてしまった。

 だとするなら、チェーンメールの一種かとも疑ってみ

たが、結局この封筒の出所に説明が付かなかった。

 どうあがいてもこの封筒は私に宛てられたものとしか考えられず、ジジは手紙に書かれていたことを改めて確認してみた。

「要は神秘的な体験をさせてあげるから、俺の中にあるその蜜ってやつを差し出せってことだよねな」

 なんとも胡散臭い話だと思った。しかし、興味がないわけではなかった。

 ジジにとって、日常は退屈なものでしかなかった。特に好きなことがあるわけでもなく、のめりこめるような趣味もない。日々を惰眠に貪っているだけであった。

 故にジジには何かをすることに対してやる気が湧かない。そうして怠惰な生活を送るだけ。しかし、目の前にはそうしたいつもの日常とは違う非日常を体験できるチケットがあった。

「別に蜜を取られても死んじまうわけじゃないんだよな……」

 ならば、行ってみようと決意を抱きジジは、カードを手に取る。

 刹那、ジジの体を無数の蝶が取り囲んだ。


 時を同じくして、デンとチセもこのカードを使用していた。




「胡蝶の夢」にて


「……ここは?」

 突然蝶に囲まれたと思ったら、次には原っぱのような場所にいた。

 辺りを見渡すと、西洋風の庭園が備わった小さな小屋があり、その周りを大量の木が取り囲んでいる。おそらくどこかの森の中にあるのだろう。空は曇っていて薄暗く、木の向こう側は樹海のような不気味さを孕んでいた。

 とりあえずで、小屋の方へと足を進める。近づいてみて気が付いたことと言えば、たくさんの蝶が舞っていることくらいだろうか。

 ここは日本ではないのか、見たことのない蝶ばかりであった。

 小屋の扉の前に立ち、誰かいないかを確かめるためノックをする。

「はいは~い。 すぐに開けますよ。」

 小屋の中から、青年を思わせる声で返事があった。

「いらっしゃい。 ようこそ胡蝶の夢へ。 親愛なるお客様」

 扉が開き、小屋の主……いや「胡蝶の夢」の店主が姿を現す。ぱっと見、その店主はすらっとしていて、蝶を思わせるような儚さを持っていた。身長は175センチ程度で、庭師のような服装をしていた。

「どうかなさいましたか」

 店主の姿を見てぼーっとしていた私は、その声でハッと我に返る。

「なんでもないですよ」

「そうですか。 それでは中にお入りください。きっと満足してくれることでしょう」

 店主はそう言ってニコッと微笑む。私は店主に導かれて店の中へと入った。


「まず自己紹介をしましょうか。 私のことは手紙に書かれていたようにコレクターとお呼びください。 どうぞこちらにお掛けになって」

 そう言って、コレクターに促されるままに私は椅子に座った。私も自分の名前を言おうとすると、

「貴方様のことは知っていますので名乗らなくても結構です。 紅茶とコーヒーがありますがどちらがよろしいですか」

「……じゃあ、コーヒーをお願いします。」

 小屋の中は、ログハウスのようになっていて、外見の通りであった。床には大量の本が積み重なっていて、壁には蝶の標本が飾ってあった。そのどれもが私が見たことのないものであったが、どれも美しかった。

「蝶はお好きですか」

 うっかり、蝶の標本に見惚れていると、コレクターが声をかけてきた。

「あ、いえ別にそういうわけではないのですが……。 ただ綺麗だなと思って」

「ここに飾っているものは、特に珍しい子たちですからね。 貴方様がよろしければ、後で庭園にお連れしましょう。ここにいる子たちほどではないですが、どの子も綺麗ですよ」

「では、そうさせてもらいます」

 そう言うと、コレクターは少しうれしそうな顔をした。そして、私と対面するように座った。いつの間にか私の目の前には、コーヒーが注がれたカップが置いてあった。

「冷めないうちにどうぞ」

 コレクターはそう言って、自分用に淹れていた紅茶を一口飲んだ。

「いただきます」

 私もコーヒーを一口飲んだ。蜜のような甘さを少し感じた。


「それでは、本題にはいりましょう。 これから、貴方様の蜜をいただくわけですが」

「ちょ、ちょっと待って、そもそも蜜ってなんなのさ。 出来れば説明があると嬉しいんだけど……」

 私はコレクターの話を遮った。すると、コレクターは素っ頓狂な顔をした。そして、すぐにああと言って、

「そういえば説明しておりませんでしたね。 今日は来客が多くてつい説明した気になっていました」

「来客?」

「ええ。 貴方様を含めて今日は三人目……。 いつもは一人くれば良い方なのではしゃいでしましましたかね」

 コレクターはあははと笑って、頭に手をついた。

「では、蜜について話をしましょう」

 コレクターは紅茶を一口飲んで、一息ついてから話始めた。

「まず、貴方様は花言葉をご存じですか」

「もちろん。 その植物につけられた意味のことですよね」

「その通りです。 植物はその種類ごとに、花言葉に沿った性質を持ちます。 そして、人はそれを間接的にでも摂取することで、同じような性質を得ることができるのです。 貴方様にも何か心当たりがあるのではないですか?」

 私には当たる節が確かにあった。

「どんな人であれ、多少なりともそれを摂取しているのです。そしてそれは日常生活にも影響を及ぼします。 例えば、怠惰になってしまったり、高慢な態度をとってしまったり、虚勢を張ってみたり……」

「それなら、誰からでも蜜はとれるのですか」

 私は少し気持ちが落ち込んだ。

「そうですけど、私が集めているのは最も濃度の高いものです。 それこそ日常に支障が出てしまうほどの……ね。 とはいえ、貴方様を非難するつもりではありません。 私からすれば、それは価値のあるものなのですから」

「はぁ、そうですか」

 少し貶されたような気もするが、コレクターから悪意は感じ取れなかったので、この感情は置いておくことにした。

「大体話は分かりましたけど、一体どうやって私から蜜を取り出すんですか」

「それは簡単ですよ。 これを使うんです」

 そう言って、コレクターは立ち上がり、蝶の標本のある壁にかかった棚から小さな木箱を取り出した。それからその小箱を私に向かって開いて見せた。

「これは……、芋虫ですか」

 小箱の中にいたのは一匹の小さな芋虫であった。それも異様なほど真っ白な色をしていた。

「えぇ、これに貴方様の蜜を吸わせるんです」

「え、蜜を吸うのは芋虫じゃなくて蝶の方では?」

 蝶という生き物を知っている人ならばわかるだろうが、芋虫は植物の葉を食べるのであって、蜜は基本吸わないはずで、

「普通ならね。 この種の蝶は不思議なもので、吸った蜜に対応して姿を変えるんです。 納得がいきませんか? まぁそういうものだとお思い下さい」

 私は今更何の疑問も抱かなかった。

「蜜の採取自体はすぐに終わりますから次のことを話しておきましょう」

 コレクターは芋虫が入った小箱をテーブルに置いた。

「手紙に神秘を見せるとお書きしたのは見ましたか?」

 私は確かにあの手紙にそのようなことが書いてあったことを思い出して「はい」と返事をした。

「それなら大丈夫です。 そしてその神秘というのは、先ほどお見せした芋虫が成虫になるまで……つまりさなぎの状態の時にしか起きません。 そして芋虫が吸う蜜が濃ければ濃いほど、さなぎでいる時間は短くなります。 それを理解していてください」

 私は、自身の持つ蜜の性質がどれほど日常に影響を及ぼしていたのかを考えた。まぁ一定以上ないとここに呼ばれることはないのだが。

「大体の時間とかはわかるものなんですか」

 私が聞くと、「そうだなぁ」とコレクターは人差し指を自身の顎にあてて考える素振りをした。

「貴方様のものだと五分とちょっとと言ったところでしょうね。 そもそもこの蝶は成長が早いのですよ」

「そうですか」

 少し馬鹿にされたような気がした。この青年は見た目の割に毒を吐くタイプなのかもしれない。ちょうど成虫となれば消えてしまう毒をもつ芋虫がいるように。

 これを口に出すほどの勇気は私にはない。


「では、そろそろ始めましょうか。 準備の方はよろしいですか」

 コレクターは私に確認を取る。

「はい。 大丈夫ですよ」

「それなら、こちらへどうぞ」

 私はコレクターに案内されて、ドーム状で一面ガラス張りの部屋へ連れられた。

 ドームの中は、色々な植物が生い茂っていて、中央には見事な噴水が置いてあった。その周りをカラフルな蝶が舞う。

「ここは?」

「ここは……そうですね。 温室に近いものですね。さなぎから羽化するのならここが一番なんです」

 コレクターは指を止まり木のように差し出し、一匹の蝶がそこへやってきた。その蝶を少し見つめて放した。

 私がその一連の動作を見ていたことに気づいて、「どうぞ」と私にもやってみるように促す。私は試しに指を差し出してみた。しかし、蝶が寄ってくる気配はしなかった。

「あはは、今回はダメみたいですね」

 コレクターに笑われてしまった。私は寄り付かなかった蝶を恨みがましく見る。場所のせいもあるだろうか、煌びやか色をした蝶がさながら貴婦人のように感じられた。ただ、不思議と嫌な気はしなかった。

「良い場所でしょう。 私がこれを作り上げるのにどれだけの日々を費やしたことか……。 いやこんな話をするために来たんじゃないんでしたね。 では始めましょうか」

「そうしましょう。 それで私はどうすれば?」

「貴方様は何もしなくていいですよ。 後はこの芋虫が何とかしてくれますから。 心の準備だけしてもらえれば大丈夫です」

 コレクターは手に持った小箱から芋虫を取り出し、掌に載せ、私の胸元に近づいた。

「さぁ、始まりますよ。」

 そう言うと、芋虫は私のことを見ると突然光を放った。そして私は光の中、いやさなぎの中へと誘われた。




ある日のコレクター


「一日で、これえだけの蝶を羽化させることができるなんて最高だね」

 胡蝶の夢の店主であるコレクターは、羽化させた蝶たちのうち何匹かを標本にする作業をしていた。慣れた手つきで標本を作り上げていく。完成した標本は台に固定し、ガラス戸の中に飾る。

 コレクターは一仕事を終え、温室へと足を運んだ。コレクターにとっての楽しみは、蝶の観察や標本づくりなどであるが、一つとっておきのものがあった。

「うーん、どこにあるかな……。あ、あった」

 コレクターの手の中には、ビー玉サイズのガラス玉があった。そのガラス玉は完全に透明ではなく少しだけ濁りが混じっている。

 これは、蝶が羽化する直前に排出されるもので、これを光にかざすことで、その中身を見ることができる。それは蜜の提供者しか入ることのできない、さなぎの中身である。

 早速、コレクターはガラス玉を光にかざす。するとガラス玉の中の風景が映った。


「これが神秘のことなのかな」

 ジジはあたりを見渡す。しかし見渡す限り何にもなく、地面を薄い緑の色をした煙が漂っているだけであった。

「何にもないんじゃ、いつもと変わらないじゃん。」

「何にもない? 僕がいるじゃないか」

「え?」

 ジジは、声のする方へと顔を向けた。するとそこには自分と瓜二つの人物が、つまりジジが二人いるのだ。

「君は誰なの」

 突然現れた、もう一人の自分に問いかける。

「あれ、コレクターから話は聞かなかったの? まぁいいか。 僕は君からもらった蜜を基に生まれた君だよ」

「ごめん。 意味が分からない」

 ジジは頭を抱えた。

「うーん、君の中にあった蜜の擬人化とでも思ってくれればいいよ。」

「わかったような、わからないようなぁ」

「細かいことはおいときな、こうやって話せる時間は短いんだから」

 ジジは、目の前の複製体を見る。容姿は全くと言っていいほど同じで、寸分の狂いもない。それに細かい所作までもが同じであった。

「君から、話すことはないのかな。 なら君の蜜として一つ忠告をあげる」

「忠告?」

「そう忠告。 ジジこのままでいいと本当に思ってる?」

 彼がそう言った時、空気が少しピりついたのを感じた。

「なんの話?」

「はぁ、せっかく自分自身と話せるんだからさ、隠すことないじゃない」

「やめてよ、自分にまで非難されちゃったら、耐えられないんだけど」

 ジジは、無意識に片方の手で、もう一方の腕を抱き寄せる。

「いい加減逃げるのはやめなよ。 逃げ続けた先に何があるの? 何かと理由をつけてはあきらめて、自分の人生に悲観的になるのは結構。でもね毎日が退屈なのはあんたが何もしようとしないからだよ」

 ジジは、反論することができなかった。いつものごとく面倒ごとをかわすための言葉は、片っ端から引っ込んでいってしまった。

 それでも何か言おうと、ジジはゆっくりとだが口を開いた。


 コレクターは、そこで観るのをやめた。

「この先は私が見ていいものではないね」

 コレクターはジジのガラス玉を懐にしまった。

「この子は、自分と向き合うときは素直になれるんだね。この子はきっと大丈夫かな。 この先うまくやれるさ」

 コレクターは、次のガラス玉を手にした。


「ねぇ、チセあなたがどうしてこうなったか教えてあげようか」

「なによ、私の分身のくせして偉そうな口きかないでよ」

 チセは、目の前のもう一人を睨みつけた。

「わかってないね、どうしてそう威圧的になるのさ。 チセ、あんたは自分のことしか見えてないのよ。そして、自分を至上の者として見るから、他者を受け入れられない」

 もう一人の私は、激昂している私と対照的に淡々と言葉を紡いでいった。

「そうよ! 私が一番なのよ。 だから他人は私と同等にはなれない。 当然のことでしょう」

 もう一人の私が、憐れむような眼で私を見る。

「チセ、誰が一番かだなんて決めるのは、いつも自分以外の誰かなのよ。 だからチセがいくら一番を主張したって、見向きもされないむしろ非難を向けられるだけよ」

「なら、どうすればよかったのよ。 私はこの生き方しか知らないのに、今更どう変えろっていうのよ」


「彼女は未だに答えを探すのに苦労しているのかな」

 コレクターはチセのガラス玉を懐にしまった。

「我の強い人や、信念を持っている人が良い方向に軌道を修正するのは難しい。 果たして彼女は変われるかな」

 コレクターは、最後のガラス玉を覗き込んだ。


「デンは優しすぎるよ。 君はもう少し人に頼ることを覚えるべきだ。 このままじゃパンクして、おかしな方に行ってしまうよ」

 デンはどこか悲しさを孕んだ目でもう一人のことを見た。

「君もデンならわかるだろう。 そういうわけにはいかないんだ。 弟には無理をさせたくないし、身内以外の人を糧の事情で巻き込むのは、その人にとっては迷惑だろう」

「デン……。 だとしても、一人で何でもできるだなんて、それは思い上がりが過ぎるよ。 それに人を助けることを迷惑に感じる人の方が少ないはずなんだ」

 もう一人の自分が発する言葉に段々と焦りがみられた。

「君の言う人助けは、短い期間でのことだろう。 すくなくとも僕は弟を高校、あわよくば大学にも入れてあげたいんだ。 それまで何年も付き合わせてたらどこかのタイミングで嫌気がさすものだよ」

「……ならせめて、自分にまで虚勢を張るのだけはやめなよ」

 デンの心は冷えたままである。


「彼の場合は遅すぎたかもしれないね」

 コレクターはデンのガラス玉を懐にしまった。

「自分自身でさえ、彼の心を溶かすことはできないか。 このままでは彼が変わることはないだろうね。 彼の執着が彼に働きかければあるいは……。 まぁ、これ以上は僕が立ち入るべき場所ではないからね。 私は見守るとしよう」

 今日得ることのできた、ガラス玉を全て見終わったコレクターは、温室を出て自分の部屋へと戻っていった。

「次は、どんなものが見れるのかな」




飛び立ち


 さなぎの中から出てきた私は、先ほどと同じ温室の中で目が覚めた。

「おかえりなさい」

 私が目覚めたのに気が付いて、コレクターが言葉を発した。ガラス張りのせいで眩しく、ちょっとの間、目を開けることができなかった。

「どうだった、自分との対話は。 なかなか神秘的な体験だったでしょう」

「あぁ、そうだね」

「それで? 変わることはできそうかな」

「……それは、これからの自分に示してもらうことにするよ」

「ふーん、まぁ答えの先送りも一つの選択肢だからね。 変わろうと思えるのなら、チャンスはそこら中に転がっているからね。 それに見てみなよ、貴方が育てた蝶はこんなにも綺麗になったよ」

 私は、コレクターが掌に載せている蝶を見た。

「確かにきれいだな」

 私はかすかに微笑んだ。コレクターもつられて笑顔になった。

「それじゃあ、約束通り庭園を見せてあげるよ。 ついてきて」

 コレクターはそう言って私の前を歩きだす。私は本当に変われたのだろうか。そもそも性質を孕む蜜なんて本当に私にあったのだろうか。過去のことになってしまえばもう確認する方法は残されていない。

 もしかしたら、今目の前にあるものは、私の脳が見せている白昼夢のようなもので、実際には存在しないのかもしれない。

「おーい、早く来なよ」

コレクターが私を呼ぶ。

 あれこれ考えても仕方がない。もし変われたのなら、誰でもない私がそれを証明してくれる。今はただ自分の進むべき道を進めばいいのだ。

 私はコレクターのことを、走って追いかける。中庭に出たとき、風が私の背後から吹いていった。私はその風を受けて飛び立つように足を踏み出した。

 蝶は止まることなく羽を広げている。自由に飛び交う蝶には空の青さがよく似合っていた。

初めまして、辻直です。

小説家になろうでの初投稿となりますので、なにか変なところがあるかもしれないですが、お許しください。


今回の作品では、各章の主人公たちを花言葉に沿ってその性質を持たせています。例えば、

ジジ→「ヤマルギク」→「怠惰」

チセ→「ロベリア」→「傲慢」

デン→「ユリ」→「虚栄心」

 と言った感じですね。そして、「「胡蝶の夢」にて」、「飛び立ち」の章では、敢えて、一人称を私に固定してジジやデンなどは登場させませんでした。そのため、ジジたちがそのどうなったかなどは、皆さんの中で保管してください。

私としては、四人目の登場人物は読者の皆さんを想定して書いております。そのため、さなぎの中の描写はしませんでした。是非、自分自身を投影してみてください。


 それでは、これであとがきを終わりにさせていただきます。また、次回作で会いましょう。さよなら。


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