第3章① 「ツンデレ聖女、村に降臨す。 」
「我が忠誠の花冠は、かくも民草を喜ばせるか!」
朝から元気な宣言が、小さな村の広場に響き渡る。
金色の瞳を輝かせながら、黒いマントをひるがえす少女――イリナは今日も自分流の「支配」に余念がなかった。
「……魔王様、この花冠、商人さんにもかぶせていいですか?」
村の子供の一人が、新たに村を訪れた行商人を指さした。
「いいぞいいぞ! 新たな民草も我が支配下に置け!」
イリナが高らかに許可を出すと、子供たちは歓声をあげながら行商人に詰め寄っていく。
何が起きているのか戸惑う男性の頭上に、色とりどりの花で作られた冠が乗せられた。
「村長、この光景は……」
村の端にある小さな家の前で、ユーリは疲れた表情で村長に尋ねた。
村長は白髪の髭をさすりながら、どこか誇らしげに笑う。
「ほっほ、賑やかでええのう。うちの村の魔王様は人気者じゃよ」
「村長、普通の村なら、魔王なんていたら大騒ぎするはずですよ」
「何を言うておる。あんなかわいい顔して。魔王様も子供のうちは、多少のわがままは許してやらんとな」
ユーリは頭を抱えた。この村のあまりにも呑気な雰囲気が、時に不思議でならなかった。
しかし、それがこの村の魅力でもあった。
「セリスは今日も実験中ですか?」
と尋ねると、村長は不気味に笑った。
「ああ、セリスか。今朝から『禁忌の爆発魔術』とかなんとか言うて、山の小屋に篭っておる。今日は近づかん方がええぞ」
「あいつ、いつも危ないことばかり……」
そんな会話をしている傍らで、村の広場はさらに賑やかになっていた。
「魔王様、次は何して遊びましょうか?」
「次のバザーでまたクッキー焼いてくださいね!」
「お花の王冠、私のより大きいのが欲しいな~」
村人たちの声にイリナは目を輝かせて応えていく。
「よかろう! 我が民草が望むなら叶えてやろう!」
ユーリはそんな妹の姿に、小さく微笑んだ。
(人気って言うんだよ、それ)
かつて「魔王」と呼ばれる存在が、村の人々に愛される、ただの可愛い少女になっている。
これがユーリの「優しい魔王育成計画」の成果なのか、それともただの偶然なのか――。
そんな平和な日常が続くはずだった。
しかし、村の平穏は、この日、思いがけない来訪者によって揺らぐことになる。
「ひっ! そこの魔物、近づかないで!」
村外れの小道で、一人の少女が悲鳴をあげていた。
白と青を基調とした清楚な装いに、胸元で光る小さな聖印。
それは明らかに教会に所属する聖職者のものだった。
少女は後退りながら、両手を前に突き出し、防御の魔法陣を展開しようとしている。
しかし彼女を追いかけてくる相手は、決して攻撃の姿勢を見せていなかった。
「な、なんでこんなところに魔物が!? しかも花冠なんてつけて……!」
聖女は混乱した様子で叫んだ。
彼女の前には、巨大なイノシシ型の魔物が立ちはだかっていた。
その長い牙と分厚い体には誰もが恐怖を覚えるはずなのに、頭には不釣り合いな可愛らしい花冠が乗っかっている。
魔物は鼻を鳴らしながら彼女に近づき、親しげに鼻先で彼女の服を嗅ごうとする。
「ちょっ、やめてよ! 近づかないで!」
聖女が後ずさると、魔物も同じ方向へ一歩踏み出す。
彼女が左に避けると、魔物も左へ。右に動けば、魔物も右へ。
まるで踊りのように、彼女の動きを模倣して追いかけてくる。
「なにこれ、執念深すぎでしょ! 初対面なのに!」
魔物は嬉しそうに鼻を鳴らすと、突然地面に頭を擦りつけ始めた。
花冠が滑り落ちそうになると、慌てて頭を持ち上げ、再び嬉しそうな表情で聖女に近づく。
「ダメよ、これ以上近づいたら浄化魔法を……あっ!」
聖女はさらに後退り、ついには木の根っこに躓いて尻もちをついた。
「痛っ……! もう、何なのよこの状況!」
魔物はその隙に一気に距離を詰め、彼女の膝元まで寄ってきた。
そして、まるで大型犬のように聖女の側に腰を下ろし、花冠をかぶった頭を彼女の肩に擦り寄せようとする。
「ひぃっ! 何この執念!? 初対面の魔物にストーキングされてるんだけど!?」
聖女が困惑していると、小道の先から村の女性が籠を持って現れた。
「あら、そこにいたの。魔王様のお気に入りの子」
女性はまるで庭の小動物でも呼ぶかのように巨大な魔物に声をかけた。聖女は目を丸くして彼女を見つめる。
「この子、魔王様のペットよ~」
と女性は何の気なしに言った。
「はあああああ!? ペットぉ!?」
聖女の悲鳴が、村の外れに響き渡った。
一方、イリナが広場で村人たちと賑やかに過ごしていると、エリオと呼ばれる茶髪の若者が走ってきた。
「おーい、ユーリ! 大変だ! 村の外れで誰かが騒いでるぞ!」
彼の知らせに、ユーリは眉をひそめた。
「誰かって? 行商人か何か?」
「いや、教会の衣装みたいなのを着た女の子だ。何か叫んでた」
その言葉を聞いたイリナは、瞬時に立ち上がった。
「外敵か!?」
「イリナ、落ち着いて」
とユーリは諭すように言った。
「まずは様子を見に行こう」
村人たちもそれに続き、一行は村外れへと向かった。
そこで彼らが目にしたのは、巨大なイノシシ型の魔物に追いかけられて木に登ろうとしている青い服の少女の姿だった。
「お願い、近づかないで! 私、魔物は苦手なの!」
魔物は木の下でゴロゴロと唸り、花冠が傾いても気にせず、まるで犬のように尻尾を振っている。
明らかに敵意はなく、むしろ甘えたいという素振りだった。
「何をする!」
高らかな声が響き、イリナが集団の先頭に立った。
背後からマントがひるがえり、額の角が少しだけ覗いていた。
彼女は堂々と巨大な魔物の前に立ち、その姿に木の上の聖女は固まった。
「貴様、我の臣下に何をする!」
「い、いや、そっちが追ってきたの!!」
と聖女は叫び返した。
魔物はイリナを見るなり、大人しく地面に伏せた。
イリナは満足げに頷くと、魔物の頭上の花冠をまっすぐに直してやった。
「よく覚えておけ。これが我の忠誠の証なのだ」
ユーリは状況を見て、木の上の少女に声をかけた。
「大丈夫? 降りておいで」
聖女は状況が理解できないまま、恐る恐る木から降りてきた。
彼女の視線は、イリナとユーリを交互に行き来する。
「……なにこの状況……どういう教育受けてるの、この魔王……」
「初めまして。追いかけられてたけど大丈夫?」
とユーリは優しく尋ねた。
「……あ、ありがとう……って、兄!? この子の兄!? どういうこと!?」
聖女の混乱した表情に、村人たちは和やかな笑みを浮かべた。
しかしイリナの金色の瞳だけは、警戒心を宿したまま、新たな来訪者を見つめていた。
「村長、この子は?」
とユーリが尋ねると、村長は肩をすくめた。
「さあ、初めて見る顔じゃな。ほっほ、また賑やかになりそうじゃのう」
その言葉に、エリオが意味ありげに微笑んだ。
「おい、ユーリ。新しい女の子だぞ? 魔王の兄として、威厳を見せてやれよ」
「何言ってるんだよ」
とユーリは呆れた。
聖女は一同の反応に困惑しながらも、少しずつ気持ちを落ち着かせ、丁寧にお辞儀をした。
「私はマリア。王都教会からの……」
彼女は言葉を選ぶように一瞬躊躇し、それから続けた。
「……魔王候補の監視任務で参りました」
その瞬間、村全体が静まり返った。
イリナの目が鋭く光る。
「外から来た者が我輩を見張るなど、笑止千万!」
聖女――マリアは動じず、毅然とした態度で続けた。
「私は魔王候補に対する教会の代表として、その成長と行動を見守るために派遣されました。しばらくの間、この村に住み込みで監視任務を行います。どうか皆様のご理解とご協力を」
村人たちは互いに顔を見合わせ、そして――
「まあにぎやかになるわね~」
「若い子が増えるのはいいことじゃ」
「お嬢ちゃん、うちに泊まりなさいよ」
次々と温かな声がかけられた。マリアは予想外の反応に口をポカンと開けた。
「うちの村、ちょっと普通じゃないから。慣れるまで大変かもしれないけど」
ユーリが、苦笑しながらそう言った瞬間、イリナが素早く割って入った。
「待て! 聖女よ」
イリナは腕を組み、威厳たっぷりに宣言した。
「この村に住みたくば、"魔王認定試験"に合格せよ!」
「……はあ? 意味わかんない」
とマリアは呆れた表情で返した。
村人たちからは「また始まった~」という笑い声が漏れる。
イリナはさらに高らかに続けた。
「第一試験! 魔王への忠誠心確認! この紙に"魔王様万歳"と書くのだ!」
マリアの表情が固まった。
村長は白い髭をさすりながら、微笑ましげに一行を見守っていた。
「ほっほ、いつもながら元気じゃのう、うちの魔王様は。さて、聖女殿はどう出るかのう?」
そしてこれは、村の日常に新たな風が吹き始めた瞬間だった――。