表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/29

第1章⑤「妹が魔王っぽくなってきた件」

ある日の帰り道、村はずれの小さな空き地で、一匹の子猫が座っているのを見つけた。


「猫…!」


イリナは目を輝かせた。ピーターを助けてくれた村長の猫ではなく、見知らぬ野良猫だ。灰色の毛並みで、少し警戒した目をしている。


「我が眷属にしてやろう!」


イリナは猫に近づこうとした。


「我輩は魔王だ。恐れることはない」


しかし猫はさっと身をかわして、茂みに隠れてしまった。


「あっ…」


イリナは手を伸ばしたまま立ち尽くした。


「逃げられたか…」


どこか寂しそうな声だった。


「やっぱり我輩は、怖がられる存在なのか……」


ユーリはイリナの肩に手を置いた。


「そんなことないよ。猫は誰に対しても最初は警戒するものなんだ」


「でも…逃げた…」


「それは魔王だからじゃなくて、近づき方の問題さ。動物は優しく時間をかけて接することが大事なんだよ」


「近づき方…か」


イリナは何かを悟ったように目を見開いた。


「強さだけじゃなく……接し方が大事なのか?」


「そうだね。どんなに力があっても、使い方が大切なんだよ」




また別の日の帰り道、小さな茂みから悲鳴のような鳴き声が聞こえてきた。


「なんだ?」


近づいてみると、魔物が暴れていた。この辺りではよく見かける無害な種類だが、今は何かに怯えたように激しく跳ね回っている。


そして茂みの奥—魔物が向かっている方向には、あの灰色の子猫が身を縮めていた。


「あっ!猫だ!」


イリナは目を見開いた。


「魔物が猫を襲おうとしている!」


イリナは身構えた。


「我が雷撃で粛清してやる!」


その手から小さな電光が走った。魔力の兆しだ。


「待って!」


ユーリは急いで止めた。


「違う、暴れてるのは怪我してるからだ」


「怪我…?」


イリナは魔物をよく見た。確かに後ろ足から血が出ている。痛みで正気を失い、猫に当たり散らしているようだった。


「これは…助けるべきか?でも猫が危険だ」


「イリナはどうしたい?」


「我輩は…」


イリナは迷った後、決意を固めた。


「我輩は…魔王だ。この程度の魔物ぐらい、制御できなければ…」


言うが早いか、イリナは駆け出し、両手を広げて魔物と猫の間に立ちはだかった。


「止まれ! 我は魔王なり。汝を支配する者なり!」


魔物は一瞬怯んだ。


だが、痛みと恐怖に正気を失っているのか、再びイリナへ向かって突進してくる。


「くっ!」


イリナは咄嗟に防御の魔法を唱えた。


薄い青い光のバリアが現れ、魔物の突進を受け止める。


「兄上、鎮静の魔法を!」


イリナの突然の行動に呆気を取られていた俺だったが、イリナの命令で正気に戻る。


バリアを維持しているイリナのもとへ駆け寄りながら、俺は鎮静の呪文を唱えた。


魔物の動きが、ゆっくりと静まっていく。


イリナをじっと見つめながら、魔物は小さく首を傾げた。


「……何が、起きている?」


俺は、イリナの起こした奇跡をただ呆然と見守っていた。


暴れていた魔物は、徐々におとなしくなっていく。


イリナは慎重に歩み寄り、魔物の傷をそっと確かめた。


「兄上…治癒の魔法を」


「うん」


ユーリはイリナと一緒に簡単な治癒魔法を唱えた。ユーリの知識とイリナの魔力が合わさると、不思議と強力な魔法になる。


魔物の足の傷が少しずつ塞がっていった。


「これで…よし」


イリナは満足げに頷いた。魔物はしばらくじっとしていたが、やがて恐る恐る立ち上がり、足を試すように少し歩いた。


「治ったな!」


イリナは嬉しそうに言った。


魔物はイリナを見上げ、小さく鳴いた。それから…驚いたことに、イリナの足元にすり寄ってきた。


「なんだ…? 我輩に…懐いたのか?」


「みたいだね」


魔物はイリナの周りをくるくると回り始めた。


「……おまえ…我が眷属にしてやってもよいぞ?」


魔物は嬉しそうに鳴いた。




その夜、イリナの部屋に入ると、小さなベッドの上でイリナが眠っていた。そして驚いたことに、その枕元には灰色の子猫が丸くなっていた。


「あれ…?」


昼間、逃げた猫だ。どうやって家に入ってきたのか。窓が少し開いていたから、そこからだろうか。


「我の領土に勝手に……」


イリナが寝言で呟いた。猫はピクリとも動かず、イリナの髪に顔をうずめている。


「つ、強すぎる……この小さき魔獣、ただ者ではない……」


さらに寝言が続く。可愛らしい光景だ。


「村長の飼い猫か?いや、野良猫か…」


ユーリがそっと近づくと、猫はひと目でユーリを見たが、すぐにまた目を閉じた。イリナの傍がよほど気に入ったらしい。


「我の膝で眠るとは.....こやつ......危機から救ったゆえか?」


イリナは寝たまま猫を腕で抱き寄せた。猫も気持ち良さそうに喉を鳴らしている。


なんだかんだ言って、イリナは生き物に好かれる素質があるようだ。


ユーリはそっと部屋を出た。




廊下の窓から見える夜空には、満月が輝いていた。月明かりが村全体を優しく照らしている。

この村で、魔王の少女が育っている。


世界を滅ぼすはずの存在が、村人たちを守ろうとしている。


運命を覆し、新しい歴史を作り出そうとしている。


「魔王って、結局何なんだろうな」


ユーリはふと呟いた。


「私の研究によれば、破壊と創造の力の象徴」


後ろから声がした。振り返ると、セリスが立っていた。


「こんな時間に何してるの?」


「データ収集。月の満ち欠けとイリナの魔力の関係を調べているの」


「相変わらずだな」


「ところで…イリナは成長してるわね」


「そうだな」


「でも覚醒はまだ起きていない。本当の魔王の力が開放される時が来たら…」


「その時は、その時だよ」


「楽観的ね」


「楽観的じゃないと、魔王を育てられないさ」


セリスは珍しく微笑んだ。


「まあ、私も見守りたいわ。『優しい魔王』という矛盾した存在が、世界をどう変えていくのか」


「矛盾してないさ。優しさこそが、最強の力かもしれないんだから」


「哲学的ね」


「いや、単なる兄の直感だよ」




――ふたりが話しているとき、イリナの部屋では小さな魔王が猫を抱きしめて夢を見ていた。


世界一優しい魔王の夢を。




これが、魔王育成物語の第一歩。まだ始まったばかりの物語。


村で、畑で、森で。


魔王の少女は今日も育っている。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ