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「えっと……コーヒーふたつ」
待ち合わせ場所は、いつもの公園だった。
中心街にあるということで暗くなってからも人がいるためそこまで不気味ではない。
「先輩、コーヒー買ってきましたよ」
「ああ、ありがとう」
「ホットとコールドどっちがいいですか?」
「も、もちろん。ホットで」
両手でコーヒー缶を持ち先輩に差し出すと未開先輩は素早くあったか〜いコーヒーを手に取った。
残りの冷たい方は俺がいただく。
「ごちそうさまです」
自販機に買いに走ったのは俺だったがお金を出してくれたのは先輩だった。パシられて、奢らされでもしたら最悪だったがここは先輩の懐の大きさを再確認することができたと言えばいいのか。
いや、待てよ?
パシられてる時点でそんなことないのか?
まあ、いいか。
そんな雑事、今は考えることない。
おそらく、これからもっと大事な話が先輩の口から飛び出すであろうから。
カチッと爪で缶コーヒーを開けて、じっくりなかのカフェインを味わう。
やはり、真冬は冷たいブラックコーヒーに限る。
外の気温に刺激されるからこそ、よりコーヒーの奥深さを実感できるというもの。
これがわからないやつはコーヒーがなんたるかというものをまるでわかってない素人だ。
しみじみとしながら、白い息をは〜っと吐いた。
別に寒くなってるわけじゃない。
「前から思ってたが、三末ってやっぱりどこかおかしいよな」
そんな俺の様子を隣で見ていた先輩からそんな言葉が飛び出した。
「おかしいってなんすか。普通でしょ」
「いや、どう考えてもおかしいだろ」
と言いながら俺の缶コーヒーを指さしてくる。
「別に変じゃないです。世界に認められてる通の楽しみ方ですよ」
「いや、違うと思うぞ」
冷静なツッコミをもらう。
辺りが暗くなって先輩の表情もわかりにくくなっているが間違いなく怪訝な表情で俺を見つめているのだけはなんとなく想像つく。ま、これが価値観の違いってやつか。
「あ〜、冷たくておいしぃ」
「俺には震えているように見えるがな?」
「普通に武者震いです」
「お前は何に敵を見出してるんだ…」
そろそろ苦しくなってきた。
ちっ……まだ半分もあるのかよ……う、うれしいな〜!
「もうそろそろ本題に入りたいんだがいいか?」
「あ、どうぞ。お構いなく」
別にこっちは至って真剣だ。
なんか、重苦しくなりそうな雰囲気を察してネタをやろうとかそんな意図なんかない。
しかし、それすらも先輩は見透かしてるように小さくため息を零しながら話し始める。
「さっきは、冬峰にああやって言われてしまったが、やはり諦めきれなくてな」
実に比喩的な表現だが、なんの話題のことか口に出さずともわかる。
「なるほど。結構、先輩もしぶといんですね」
「自分でもびっくりしてる。確かに、冬峰の言ってることは反論する余地もないほどに的を得ていた。だから、あの時なにも言い出せず黙りこくってしまったわけだが…」
「そうであってもなお、諦めきれないと」
「ああ、これがよくないことなんて自分でもわかってるさ。だけど、自分の心に問いかけてみるとそう言ってるんだ。直接伝えないときっと後悔するって」
「ずっと、気になってたんですけど、なにがそこまで先輩をそうさせるんですか?先輩って欲望と理性なら葛藤しつつも理性を選ぶだろうって思ってました」
「2年間毎日欠かさず連絡を取っているという話は夕方にも言ったな」
「はい、聞きました」
「ふと、考えるんだ。お互い大学生になったとき、同じようなことが続けられるかと。きっと、勉強やサークル活動で生活習慣はガラリと変わる。新たな趣味だって見つかるかもしれない。その時、このアプリを触らなくなったらどうなる?無論、続けられていれば問題ない。だけど、チャットが途切れた時、俺は彼女にこの気持ちを伝えられなかったことをずっと悔やむと思う」
「確かにそうすっね…」
好きにならならなければきっと深く考える必要もない。
だけど、好きになってしまったら色々と考えてしまう。勇気を振り絞ってこの思いを伝えるべきか、それともこの関係を優先して胸の奥底にしまっておくべきか。
きっと、人によって判断はそれぞれだ。
そこに正解も不正解もない。
しかし、先輩は想いを伝えることを選んだ。
この先、後悔しないために。ただそれだけのこと。
「でも、それって直接伝える必要あるんですか?別にチャットだってできますけど」
規定に告白してはいけないという文言はなかったはず。
「文字と言葉。三末ならどちらが本気度が伝わると思う?」
「そりゃあ、言葉ですね」
「だろ?つまり、そういうことだ」
「でも、その相手を探すなんて途方もないですよ?」
日本全国、もしかしたら海外かもしれない。
情報の専門家でもない俺たちがその身元を特定するのは言うまでもなく至難の業だ。
「安心してくれ。すでに大まかな場所はわかっている」
「え?そんなこと……どうやってやったんですか?」
MTYLは個人情報もそれに通ずる特定の地域名も入力できない仕様となっている。
それなのに、大まかな場所を特定するなんていったいどんな手段を駆使したんだ?
「三末は、見ず知らずの相手とチャットをするときどんなことを心がける?」
「心がけること?」
「そうだ」
「そうですねぇ…なるべく伝わりやすい文章を心がけたりするとか?」
流行語とかもかなり気にはしている。
だって、その個人によって伝わったり伝わらなかったりするわけだから。
個人によって、伝わったり伝わらなかったり……?
あ……!
「思いついたか?」
「もしかして、方言ですか?」
「正解だ」
そう言って先輩は手で小さく丸を作った。
なるほど、確かに言われてみればそうだ。
関東など比較的方言のない地域の場合なら、判別つかないが地方の方言なら地域の場所を入力せずとも大体の位置が掴める。
「それで、先輩は相手の住んでる地域を特定したってことですよね?」
「ああ、そうだ」
サラッと言って見せるが実際にはだいぶ凄いことなんじゃないか?
だって、方言なんて同県だとしても場所によってところどころニュアンスが違ったりする。
その小さな違いまでも見抜き場所を特定するとは。
受験勉強だって大詰めを迎えているはずなのに、随分と無茶苦茶なことをする。
「ははは……やっぱりすごいっすね……先輩は」
ここまでくると乾いた笑い声しか出なかった。
いやぁ……尊敬を超えてもはや怖いまである。
「別に俺はどこの方言かなんていっさい調べたりしてないぞ?」
「え?そうなんですか?」
「ああ、なんなら三末だってわかるさ」
「俺でも……まさか」
俺はある可能性に辿り着く。
「そうだ。俺のチャットアプリでマッチングした子はこの街にいるんだよ」
「マジっすか……」
予想通り……いや、全然予想外だった。
「どうだ?これなら、探すことだってできるだろ?」
その先輩の声は、どこか期待に満ちているようでどこか悲壮感に溢れていた。
おそらく、彼はこのあと俺がどんな言葉を投げかけるのかもわかっている。
素晴らしい力説だった。心が揺れ動いてしまいそうなぐらい。
だけど、結論は最初から決まっている。
それを俺も――そして、未開先輩も最初からわかっている。
しかし、最後の足掻きでそれを俺に言ってきたんだ。
俺が流されずに引導を渡してくれると信じて。
だからこそ、先輩の望み通りに俺はちゃんと言ってあげなければならない。
「先輩」
「ん?なんだ?」
「それは、できません」
「そうか……そうだよな」
その言葉を皮切りに空からは粉雪が舞ってくる。
それからしばらくなにも言わずにその場に佇んでいた。
気紛らわしにコーヒーを呷る。
残っていたコーヒーはさっきよりもずっと苦い味がした。




