20
「由紀?懐かしいでしょ?9年ぶりの生まれ故郷よ」
車から降りて懐かしい景色を眺める母は隣に佇む由紀にそう言った。
その視線の先には9年も時が経ったとは思えない代り映えしない風景が広がっている。
「これからは、ここで暮らすのよ。大丈夫!お母さんも偶に帰って来るから」
そう言って、由紀の母は彼女をぎゅっと抱きしめる。
暖かいはずの母の温もり。
きっと、普通の家族ならそうなのだろう。
だけど、腕に抱かれ母の胸に顔を収めても冬峰由紀のなかにあるのはただひたすらの空虚で。抱きしめられているはずなのに心はとっても冷たいままだった。
◯
離婚による東京からの引っ越し。
小中学校と引っ越しばかりで友達もロクにいない由紀にしてみれば生活環境が変わる。
ただそれだけのことだった。
2年という短いようで長い月日を東京で過ごせていたのは奇跡だったのだろう。
しかし、これも結果的にそうなっただけでいつ別れがくるかもわからない最中、彼女に特別親しい人を作るという選択肢は最初から存在しなかった。
(故郷……だけど私はまたひとり)
由紀の母である理子は仕事の都合で1年の大半を海外で過ごす。母と仲の悪かった父もそうだった。
一緒に暮らさない心の離れた夫婦などもう形ばかりの関係。
離婚という文字が現実味を帯びてくることを由紀は当人たちよりも理解していた。
「ごめんね。お母さんとお父さん。別れることになったの。だから、この家は売り払って私の故郷に帰るのよ」
「またな、由紀。暇なとき連絡するから」
上辺だけの仲良しごっこ。
2人を見ているのすら気持ち悪くなって由紀は頷くだけで逃げるように自分の部屋に戻った。
あれから一度も父と話すことなくこの大地に足を踏みしめている。もう父と話す機会があるのかそもそも娘として扱ってくれるのかさえ不明なままだ。
しかし、明確なことがあるとするならば家族の息苦しい概念から解き放たれ春からはあの高校に通う。今まで通ってた学校からすると数段劣るがこの県にしてはそこそこ偏差値の高い学校。もちろん、入試もきちんと受けて合格済み。
(今度こそ誰にも邪魔されない3年間……ここで頑張ればいい大学に行ける。自分で未来を切り開ける)
そんなことを思いながら、由紀はこの春から袖を通すことになる制服を見つめるのだった。
◯
「はい、ということで学級委員は三末くんと冬峰さんに決定しました〜はくしゅ〜」
そう言った先生に続いてクラスからぱちぱちぱちと疎な拍手が起こる。学級委員という1年間クラスを引っ張る人を選出する大事な時間のはずなのにクラスの空気はどこかふわふわしていて、誰もこの委員会決めを重要視していない。そんな色で溢れていた。
(なにこれ……こんなの知らない)
引っ越しばかりとはいえ、古今東西の名門中の名門校しか知らない由紀にとってはこんなにやる気のない生徒たちは初めてだった。
今まで通っていた学校の生徒たちはどんなことにも積極的でそれこそ、こういう役職には目がなかった。
だから、由紀も今まで通り学級委員の立候補で手を挙げたのだが、周りは誰も上げず競合することなくあっさり決まってしまった。
(こんなあっさり決まっちゃっていいの?学級委員なんてそれこそ内申に関わるのに)
しかし、周りを見渡してもそれを気にしている生徒はどこにも見当たらない。ただ、時間が過ぎることを待っている生徒だけだった。
「じゃあ、2人には前に出てきて挨拶してもらおっか。三末くん、冬峰さん来てもらっていい?」
このへらへらとした空気感が由紀からしてみれば耐えられなかったが指名を受けて席を立つ。同時に同じく学級委員になった三末幸成も気怠そうに立ち上がった。
黒板の前の壇上に2人が並ぶと順に自己紹介をする。
先に自己紹介をすることになった由紀は中学でやった時と同じように挨拶するのだった。
「この1年、学級委員を務めることになった冬峰由紀です。このクラスが物事を円滑に取り組めるように邁進します。よろしくお願いします」
そう言ってピシッと頭を下げる。
クラスメイトはまた疎な拍手で応えるのだった。
「じゃあ、次は三末くんね」
「あ〜、え〜と。じゃんけんチャンピオンの三末幸成です。自分なりに頑張ります」
と言ってぺこりと頭を下げたのだ。
(なんて気の抜けた挨拶なの?これじゃあ、みんなにナメられるじゃない)
彼の自己紹介を隣で聞いていた由紀はそんな感想を抱いた。ただでさえ、こんな雰囲気なのにそれを助長させるようなことを何故するのかと。
これではもっとだらしないクラスなってしまう。
そんな懸念を抱いていた由紀だったが、結果的に言えば由紀の予想は当たっていた。
自己紹介を終え彼が頭を下げるとクラスの男子から、
「頑張れよ〜!最強の敗北者〜!」
「全責任はお前だけにかかってんだからしっかりな〜」
と茶化すような発言が飛んできたのだ。
(ほら!やっぱり、言わんこっちゃない)
ふざけた挨拶をした張本人をチラリと横目で見てみると何故かやり切った感を出している。
(ど、どうしてなの?クラスに不秩序が訪れてるんだけど??)
幸成が由紀のその視線すら気付かないまま、クラスの委員会決めが執り行われることとなった。
ここでは学級委員が先頭に立ち、他の委員会を決めていく。つまり、学級委員としての初仕事。しかし、ここでも先ほどと同様のことが起こった。
クラスのだれも面倒くさい委員会をやりたがらないのだ。
残ったのは、図書委員や保健委員、風紀委員などいわゆる常時活動が盛んな委員会。拘束力もあるということで生徒からは不人気だった。
ここで楽な委員会で溢れた人たちをその委員会に配置する作業を行うのだが、ここでも問題が起こる。
一番公平性が担保できていたじゃんけんでの決定をクラスメイトが拒否したのだ。
こちらは、部活もあってちゃんとした理由もあるのにそんなの認められないと。
こんなことをクラスメイトは言うが、優先順位は部活より学校の委員会である。本来ならこのような主張罷り通るものではないはずなのだが、それを何度説明しても聞き入れてくれる状態ではない。
由紀がどうしようかと頭を悩ませている時、幸成が声を上げた。
「はいは〜い。みんなちゅうもーく。俺がいい方法思いついたから話を聞いてくれ」
幸成がそう言うと、クラスの視線が彼に注がれた。
「いい方法ってなんなんだ?」
「まあまあ、そう焦るなって桑川。ちゃんと、今から言うからさ」
そう言うと、幸成は黒板に何か書き始めた。
「おいおい、幸成……お前、何してんだ?」
唖然としたのは、由紀だけではない。
クラスメイト全員が幸成に釘付けだった。
「なにって、阿弥陀籤作ってんだよ。委員会決めのな?」
「阿弥陀籤?」
「そうそう。こんな話し合いしても埒が明かないから、これで委員会を割り振る。だから、候補者は上の欄に名前だけ書いていってくれ」
そう言うと幸成は阿弥陀籤の下の欄に番号、上の欄に候補者を書き入れるスペースを作った。
「あとさ、冬峰さん」
「な、なに?」
「今から大学ノートに1〜9までの番号を書いてその下に委員会を適当に書いてって」
そう言うと自分の机から大学ノートを一冊手に取って由紀に渡してきた。そして、「よろしく」と言って元の場所に戻っていく。
彼のやろうとしていることは、普通に阿弥陀籤をやり、下の欄に書かれていた番号とノートに記載されている番号の数字で委員会を決めてしまおうというもの。
しかし、それでは……
「お〜い、これじゃあじゃんけんと変わらないじゃんかよ〜」
クラスメイトから文句が出るのは必然だった。
「いやいや、同じじゃないだろ?よく見ろよ。阿弥陀籤だ。グーもパーもチョキもどこにもないぞ?」
「俺たちが言ってるのはそういうことじゃなくさぁ」
「そうだそうだ。これも結局運じゃん」
「そうは言っても、自分で好きなところに名前置けるだけでも良心的だと思うけどなぁ」
「認めらんないぞ。こんなの、俺たちは部活に命かけるんだ。こんな委員会で活動制限なんてされたくない」
「「そーだ!そーだ!」」と声が上がる。
もう、諌めるのは不可能、内心由紀は諦めていた。
「そうか?なら、すべてやり直すか?」
「おう、そうしよう!最初から話し合いで決めようぜ」
「そうだな。よし、学級委員からだ」
「へ?」
幸成のその発言でクラスは静まり返った。
「なに驚いてるんだ?当然だろ?俺はじゃんけんで勝ったのにやりたくもない学級委員やらされてんだぞ?俺も話し合いには大賛成だ。最初からやり直そうぜ」
「っ………」
「それは……」
「ほら、できないだろ?結局こういうのは、こうでもしなきゃ優しい奴が貧乏くじを引く羽目になるんだ。だから、一律で阿弥陀籤。選択権もあるわけだし、じゃんけんよりよっぽどマシに思えないか?」
「それは………」
「幸成に一票」
「一輝……お前」
「ずっと、静観してたけどよぉ……こんなのでここまで揉めるなんてガキすぎるぜ俺たち」
「うん、僕もそう思う。これじゃあ、幸成や冬峰さんが可哀想だ」
「亮太まで……」
「お前ら、よ〜く思い出せって。じゃんけんに勝ちまくって運使い果たしたくせに学級委員とかいう一番の貧乏くじ引かされてるアイツに比べたら、どの委員会でもマシだろ?」
「た、確かに……」
「いや、そこは同意すんなよ。てか、蔑むな俺を」
「いやぁ…」
「でもなぁ…」
「その視線やめろ。俺の傷に塩を塗るな」
いつの間にか、クラスの雰囲気は険悪なムードから穏やかものへと様変わりしていた。
「しょーがねぇな……阿弥陀籤するかぁ…どんな結果であれ最悪にはならねぇんだし」
「おい、いましれっと最悪って言ったか?」
「よぉ〜し!こんなのさっさと片付けて休み時間にしちまおうぜ〜」
クラスが結束してからの委員会決めのスピードは早かった。当初、あれほど遅れていたというのに時間をオーバーするどころか余らせて委員会決めは終了した。
(な、なんで……こんなあっさり終わったの)
最後までずっと置いてきぼりだった由紀はノートに番号と委員会名を書くだけで気付いたら全てが終わっていた。
「じゃ、こんな感じで一年やってくからみんなよろしく」
そう言って締める幸成をまだ見ぬ珍獣を見るような視線で由紀は見つめていたのだった。




