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終章 第2話 求めたもの

 「???」



 ヒトは首を傾げた。何かが体に纏わりつくような、そんな感触がしたからだ。



 それから纏わりつく何かの核に対しておもむろに手を伸ばし、アビスを掴んだ。肉体を喪失したアビスのソウルコアを掴んだのだ。



 掴めそうな場所がその部分だっただけで、掴んだことにも、掴めたことにもヒトにとって意味はなかった。



 それはただ結果として、事実としてそうなっただけで、掴もうとした行為自体には、特に目的や意味があったわけではない。



 これはあくまで自分に触れた存在を確認しようとした、生物としての反射的な行動だといえた。



 だがその手がアビスのソウルコアを掴んだ時、虚無なヒトの心にビリリと電流が走った。



 大きな欲求が虚無の内側から溢れ出したのだ。




 これを食べたい――これを食べたかったのだと。


 そんな思いが溢れ出した。




 溢れ出した欲求はとても強く、大きくヒトを突き動かす。




 ヒトは思い出した。




 溢れる欲求とともに、自分に欠落したモノを。




 そしてその欠落したモノは目の前にあった。


 欲しかったものは自分の手の中にあったのだ。



 目的も意味もなかった掴むという行為を、独占欲と支配欲が上書きし、肯定する。


 肉体は主人の願いを叶えるように、素早くその欲求を満たすために駆動した。




 「お前はなんだ? 一体何を――」




 アビスが言葉を終える前にソウルコアがヒトの口の中に吸い込まれた。核が吸い込まれたことで、アビスの朧げな体も後を追って引っ張られるように口の中に収まる。



 ヒトはゴクリ、と音を立ててアビスのソウルコアを嚥下する。



 それは虚無なヒトにとって好みの味で、よく自分の中に染み渡り、それは色がじんわりと身体中に広がっていくようで心地よかった。



 「???」



 そこでヒトは意図しない現象を体験する。



 好みの色が自分の中に広がると同時に、映像がヒトの中に広がったのだ。



 それはアビスが人間と魂を共有していた際に、人間からアビスに流れ込んだ記憶の残滓。






 これは忘れ去られるはずだった――の過去である。







 目の前に広がったのはどこかの教室だった。



 見覚えのある教室、そこはカラー基礎の授業が行われた場所に似ていた。



 教室なんてどこも同じ内装なのだから断定はできなかったが、似ていると、そう感じていた。



 教室の中には一人の男子生徒がいるだけで他の人影は見当たらない。



 その彼も机に突っ伏して眠っており、特別なことは何もないように思われた。



 この映像を見ることにどんな意味があるのかわからない。



 私が首を傾げていると映像に変化が起こった。



 眠っていた彼が目を覚まして、席を立ったのだ。



 そこには苛立ちのような表情が浮かんでいる。



 その男子の顔は知り合いの顔と似ているのだが、その人とは醸し出す雰囲気から表情の使い方の何もかもが違うため断言はできなかった。



 思えば体格も少し違う。


 その人よりも細身な気がした。



 彼はぶつぶつと何かを呟いているが、その内容は聞き取れない。ただその表情からあまりポジティブな内容ではないだろうという予想はできた。



 そこに、開いていた教室の扉から私が中に入ってくる。



 いや、私ではない。私に似ている誰かだろう。



 なぜなら私にこのような経験をした覚えは――



 いや、今日。


 教室で、先輩と。




 でも、彼は。


 私の知る御園先輩には、見えない。




 戸惑う私をよそに映像は進行する。


 テレビの外にいる私の事情は関係ないとでもいうように。







 そして私に似ている誰かと、私の知っている人に似た誰かの――視線が交差する。







 私は忘れ物をしてカラー基礎の授業教室まで戻ってきた。



 教室の扉は開かれていて、中には既知の人物がいることに気づく。誰もいないはずの教室にいるのは、私が間違うはずのない彼は――透くんだった。



 透くんは机に突っ伏して眠っていた。


 それから体を起こして表情を曇らせる。



 その表情があまりにも私の中の透くんとかけ離れていることに、私は驚いた。



 ぶつぶつと何かを呟くその姿は怒りに満ちていて、声をかけるか躊躇われる。



 彼が怒りとともに纏うのは、私を拒絶したカラーだった。



 「透……くん?」



 しかしそのカラーに屋上でのやり取りを思い出した私は、息を飲みつつ声をかけることを選んだ。



 「……」


 透くんは返事をしない。何かあったのだろうか。



 いや、屋上で私が彼の記憶を操作したことで副次的な作用が発生してしまったということもありえる。だとしたら様子がおかしいのは私のせいだ。



 「透くん……私のこと、わかる?」



 俯き何かを呟く彼に近づいてから、再び声をかける。私は恐る恐るといった感じで声をかけたのだが……その時、彼の歪なカラーが増大するのを感じた。



 それは屋上で透くんの中から一瞬だけ感じたものと同じだと――私は確信する。



 「――っ」



 カラードとしての戦闘経験、その本能から私は反射的に距離をとろうとする。



 しかし――彼の腕がそれを許さない。



 胸ぐらを掴んだその腕は、こちらの反射速度を上回るスピードで私を拘束していた。



 私を掴む力は人間のそれとは思えないほどに強く、私は逃げるという選択肢を失っていた。



 「俺の記憶を消した女か。なぜ戻ってきた。もうこいつのことは捨てたんだろ?」



 その見た目は透くんのはずなのに、纏うカラーは歴戦の戦士を思わせる。


 その重く低い声音には相手を凍らせるような冷たさがあった。



 「あなたは誰、なの。捨てたなんて、そんなこと、ない」



 目の前にいる存在は透くんではない。


 それは間違いなかった。



 透くんの中にはもう一人の存在がいる……?


 彼は二重人格ということなのか。




 それにしても、この尋常ではないカラーは一体……。




 「オレは御園透の本体、今はあっちの俺が多く活動しているがな。魂そのものとしての主人格はオレの方だ。屋上でお前の洗脳を拒絶したものオレだ。こいつの記憶を消すくらいは好きにすればいい。それでも、いいように操られるのは気に食わない」



 私が屋上で透くんを洗脳しようとしたことも彼には見透かされていた。



 しかしアレは防ごうと思って防げるものではないはずだ。あれは黒き神の力の一端であり、神父様は人間を導く力だとおっしゃっていた。



 だがその行為を洗脳ととられても仕方がない。



 でも、私は自分の本心から透くんを救いたいと思っていた。


 そこに下心があったことは否定できないが、純粋な悪意で透くんを害しようとしたわけではないと……言いたかった。



 「私が透くんを洗脳しようとしたことは謝ります。でも、それが彼のためになると思ったから――私は透くんを、私と同じ境遇の彼を救いたかった」



 私は相手の力が格上だと確信していた。



 だからこそ、嘘偽りない本音をぶつける。



 それで私がどうかされてしまうのであれば、これは私の自業自得で終わりだ。



 私の選択が、私の人生が、虚構に上塗りされて築かれたもので、間違っていたということなのだろう。



 でも、この恋心だけは本物だと、それを信じてほしい。




 たとえそれが怪物のようなカラーを持つ相手だとしても。




 透くんの中にいる存在ならば、信じて欲しかった。




 私の虚構の上に築かれた――本物の想いを。


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