3章 第38話 呪いに生かされ、終わらせて
いつのまにか魔女は消えていた。
どうやらもう一人のオレが言うように、俺たちは長話をしすぎたらしい。
魔女には聞きたいことがあったが、いまはいいか。どうせ魔女のカラーはほとんど残っていないし、アビスとはまた会える、そんな気がする。
俺は槍を元の立方体に戻してから横たわる先輩の亡骸を抱き起こした。
「先輩……本当にありがとう、ございましたっ――」
俺は先輩の体を優しく、そっと抱きしめる。この1年間で少し痩せただろうか、腕の中にある愛しい存在の亡骸は静かにまぶたを閉じていて、戦いの中で気付かなかった傷がお腹にできていた。
できれば先輩を無傷で取り戻すのが理想だったが、上手くはいかない。
先輩はこんな俺を許してくれるだろうか。
先輩のことを考える。
先輩のことを想う。
先輩……。
先輩っ…………。
先輩ッッッ………………。
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「く……うっ……ああ――ああっ、うぅ、くぅ……うあああああああああああ」
枯れていたはずの涙が堰を切ったように溢れ出し、とめどなく流れた。
俺の涙はぽたぽたと先輩の顔に落ち、その綺麗な顔をなぞる。
俺たちは2人揃って泣いていた。
お互いの顔には涙で引かれた線がくっきりと見えている。
――先輩と過ごした時間が俺の中を駆け巡る。
――先輩を失ってからの時間が俺の中を駆け巡る。
その時、腕の中の先輩が笑ったような気がした。
そして言うのだ――君には笑顔のほうが似合うんだから……と。
「先輩っ……先輩っ……」
俺は泣きながら、ぐちゃぐちゃになった顔をくしゃっとさせて、笑う。
そして僕――俺は先輩にこう返す。
「先輩、俺……笑えていますか? 俺さ、先輩に話したいことがいっぱいあったよ。でも、笑って見送ったほうがいいと思って、どこかで先輩が見てくれているような気がして、話し出したら涙が止まらなくなりそうだったから、笑えるように努力したんだ」
笑顔のほうが似合うと言ってくれた先輩の笑顔を忘れない。
「先輩に比べたらまだまだ力不足かもしれないけど。俺、強くなったよ。だから俺は――さ。笑顔で、うっ、うぅ、先輩のこと、見送るっ、よ。大好きだ、先輩。さようなら、先っ輩っ――――」
泣いて笑って空を見上げる。
泣き腫らした顔を笑顔に染めて、俺は先輩に別れを告げた。
消えゆく先輩の魂に別れを告げる。
先輩の魂と肉体のパスが途切れて多くの時間が経過していた。
世界のルールに従い、魂は世界に還る。
握りしめた先輩のソウルコアが輝きながら泡のように世界に溶けて消えた。
先輩の魂は世界に還り、肉体は機能を停止した。
今日、この瞬間。
先輩は――死亡した。
俺が先輩を殺したことで1年前の約束はここに守られる。
先輩は俺に呪いをかけることで生かし、それによって生かされた俺が、先輩の意味ある生を終わらせたのだ。
世界を覆う昏き青は、魔女が力を失ったことで消えかけていた……。
こうして御園透と凪沙黄莉香の1年間に幕が下ろされる。
今日、この日――凪沙黄莉香は魔女としての生と、人間としての生を終えた。
失踪扱いとされていた彼女は人間の世界において――死亡が確認された。
俺は先輩の亡骸を抱えて大階段を上る。
一歩、また一歩と踏み締めるように、一段ずつ階段を上っていく。
俺たちはこの場所で出会った。
だから最後はこの場所にすると1年前のあの日から決めていた。
俺は先輩と永遠の離別をした。
だが、別れることが終わりではない。
先輩はずっと俺の胸の中にいる。
先輩がくれたものは俺の中に息づいている。
俺は先輩からもらったものを、自らの中で息づくものを意識しながら、ゆっくりと一段一段を踏み締めるように大階段を上った。
大階段が俺たちに課す重圧を噛み締めながら上った。
そして俺は先輩とともに大階段を登り切り、いつかみた光景を眺める。
――世界は赤い夕暮れに染まっていた。
そこに昏い青はなく、いつも通りの平和な世界が広がっている。
誰もが当たり前に平和を享受する世界がそこにはあった。
夕暮れの美しい眺めは誰の悲しみも映さない。
この世界のどこからも悲しみは感じられない。
俺はその中で先輩の骸を抱きしめる。
凪沙黄莉香の死――それは世界にとって、ただ1人の死にすぎないのだろう。
その死が世間に知らされたところで何かが変わることはない。
しかし俺――御園透という人間を変えるには充分すぎた。
俺は先輩の死を、ただの出来事で終わらせない。
生に意味を。生きることを尊び、滅びを拒絶する。
死に意味を。死者を悼み、その人が生きたことを忘れない。
全てを胸に刻んで、どこまでも歩み続ける。
全てに向き合い、対話を続ける。
そして伝えていこう。
先輩がくれたぬくもりを。
そして目指すのだ。
先輩が求めた――世界を。
力なき者が救われ、悪意から守られる世界を目指して俺は生きる。
先輩が願い、色彩英雄譚に謳われる世界を俺が作ってみせる。
「世界が――穏やかでありますように」
新たな希望の芽吹きを、一人の少女が見守っていた。
白き少女は彼の1年間を見守り、時にできる限りの手助けをしていた。
少女の力は確実に衰え続けていた。
それでもその僅かな助力は、希望が無事に芽吹くための一助となったことは間違いない。
「ごめんね。私がもっとしっかりしていれば」
目の前の結果に少女は自罰的になる。
結局、二人が生き残ってハッピーエンドという結末にはならなかった。
その可能性は1年前の時点から存在していなかったので、これは当たり前の結果であり、なおかつ希望の芽が残ったことは少ない可能性を掴み取ったものであるため、最悪は回避されたと言っていい。
むしろ奇跡として称賛される行いをしたのだ。
それなのに彼は何を得た?
彼は失っただけではないのか?
神は人の心がわからなかった。
しかし、それが苦しみに類するものだと神は考える。
「人間の一生は短いのに、苦しませてごめん」
声は彼の元まで聞こえていない。しかし白き少女は謝らずにはいられなかった。
かつて神は傲慢だった。
命を自分が作った設計図の一部としか思っていなかった。
しかし力を失って気づいたのだ。
彼らは設計された通りに機能する生物ではないのだと。
そして同時に自分達のような存在とも違うのだと。
だから短い人間の一生を思えば、ハッピーエンドを願わずにはいられないのだ。
「でも――私は残酷な神様だから、君には過酷な人生を強いるよ。私が与えられる力は与えるし、影ながら手助けもする。だけどこの黒に染められた世界を救うために、君には人一人には重すぎる悲しみを背負わせる。その点は謝らない。君の中にいる獣と一緒に、力を合わせて世界を救ってほしい」
その時、少女は過去に出会った人間の言葉が脳裏に浮かび、自分が送るべき言葉を思い出した。
『ごめんなさいよりも、ありがとう。そう言われるほうが、私は好きだ』
白き少女はかつての男に習って言葉を紡ぐ。
「ありがとう。今はゆっくりと悲しみを癒しなさい。わたしの――ペリフェリエス」
透を見守っていた白き少女は、黒き世界に一筋の光明を見つけて、満足そうに姿を消した。
音もなく、気配すら感じさせず、自分の白き世界に帰っていく。
次に起こる悲しみを、和らげるために。




