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3章 第30話 その程度の想いで

◇◇◇

 世界に赤黒い穴が穿たれた直後のこと。




 異変の発生源である大階段前に向かう一つの影があった。




 異変を察知した王の動きは素早く、鎖をロープのように使って高速で移動する。




 鎖を木に巻きつけ、壁に突き刺し、驚異の速さで疾駆するその姿。




 それは――よりよき未来をこの手に手繰り寄せるため。




 1年前の喪失と決意が、王を突き動かしていた。






 禁止区域境界壁付近から鎖による跳躍を繰り返すこと十分、肌が焼けるような熱さを感じ始めた。



「まだ距離があるというのにこの熱量、何が起きている」




 明らかな異変を肌で感じ取り、内心の焦りを速度に変えて、王はその異変の中心へと急ぐ。



 ポーターが使えればよかったが、使えないもののことを考えても仕方がない。



 今できる全力で状況に対処せねばならない。



 そして、辿り着く。



 赤と黒が起こした暴虐。



 その中心へと。



 ――王は大階段前へと降り立った。





 異様な光景に緑川は息を呑んだ。カラー使いカラードは様々な能力を持ち、その能力は色の数だけ、人の数だけ存在する。



 しかし目の前で起きている現象は、カラードが起こせる現象の範疇を超えていた。



 カラーが世界を塗り替える力だとしても、この光景は緑川の知るカラードの常識から逸脱していた。



 「これほどの熱を発するカラー出力……一体……大階段前でなにが起きた」



 あまりの光景に先ほどと同じ言葉が口から出る。



 それは同じ言葉でも、そこに含まれる意味は違っていた。




 目の前の光景には、この現象を起こした存在が確認できない。


 巨大CEM、極彩色のCEM、あるいは魔女。


 起こされた現象に対して説明をつけられる存在がこの戦場には欠けていた。




 大階段前は青き世界を否定するように赤と黒に染まっていた。




 空が黒く抉りとられたようにぽっかりと空いた穴の中からは、地獄の釜をひっくり返したかのように赤黒い液体が流れ落ち、大階段前を地獄の様相に染めていた。



 「地面を陥没させるほどの超高温の液体を生み出す空の穴、これが異変の正体。だがこれほどの現象を起こした存在は……っ!」



 その赤黒い液体はまるで意思を持つかのように、手の形となって自在に動き回る。



 怪物を絡めとっては発火して、焼け落ち、溶滅させていた。



 それはまるで生者を羨む亡者が自分達の棲む地獄へと引き摺り込むような光景。



 ――この世に顕現した地獄だった。



 現実を徘徊する亡者の手は次なる獲物を求め、ゆっくりとその地獄を広げていく。



 その地獄の先にある命に王は気づく。



 「――そこの2人、大丈夫か!?」



 視線の先、上空から降り注ぐ液体の先に生徒がいた。その生徒2人は重なり合うように倒れていて動く気配はない。



 だが彼らからは、まだ微かにカラーの反応が感じられた。



 ここが絶望的な状況とはいえ、彼らはまだ生きている。



 そして彼らの遥か頭上には赤黒い穴があり、高熱を発する液体を零し続けていた。周囲には亡者の手が溢れ、いつ彼らに襲いかかるかもわからない状態だった。



 CEMにも襲いかかる現象の正体がなんであれ、目の前の命が消えかかっている事実は変わらない。 




 緑川の脳裏に1年前の悪夢が蘇る――変態した委員長、雪谷の死、御園の先輩。




 一言で語るには、あまりに多くの悲しみがあった。


 人の人生を、価値観を変えるのには十分すぎるほどの悲しみがあった。




 俺は、私は誓った。


 このような悪夢は二度と起こさないと。




 世界が悪夢を望むというならば、私がそれを阻止してみせる。




 それだけの力をつけるため、この1年間を過ごしてきた。


 悪夢に立ち向かうため、この1年間を生きてきた。




 雪谷のような死を2度と起こさないと誓った。


 この誓いのためならば私はなんだってできる。




 己の全てをかけられる。


 だから頼む、どうか無事でいてくれ。




 私にチャンスをくれ――




 「おおおおおおおおおおおお、届けえええええええ!!!」



 私は二本の鎖を最高速度で飛ばした。


 一本は倒れている二人に向けて、もう一本は降り注ぐ赤黒い液体に向けて。


 私は飛ばした鎖の一本を切り離し、そこに回転を加えた。高速で回転する鎖は傘の役割を果たし、降り注ぐ液体から2人を守るために機能する。



 「ぐぅ……くっ」



 赤黒い液体に触れた鎖が高熱のせいで溶かされ、そのダメージがフィードバックとして跳ね返ってくる。それでも緑のカラーによって強化された鎖の傘は、降り注ぐ超高熱の液体から一時的に二人を守ることに成功していた。



 私はその間に2人の身体へともう一本の鎖を巻きつけ――即座に渾身の力で引っ張って手繰り寄せた。




 直後、二人が横たわっていた地面は赤く染まって陥没した。




 「はぁ……間一髪、だったな。どうやら無事のようだ。ふぅ」



 間一髪、こちらに手繰り寄せることに成功した2人は無事、負傷して気を失っているようだが、生きている。このまま保健室に運べばまだ間に合う――ん?



 この2人には見覚えがあった。


 片方は見間違えるのも難しい赤い坊主頭――片桐だろう。



 もう一人は顔と名前を知っているだけだが、まさかこの2人に交流があったとは知らなかった。



 何はともあれ大事な学友を喪わずに済んだことに感謝したい。



 「片桐と黒木、本当に無事でよか――ッ!」



 安堵も束の間、亡者の手は獲物を逃すまいとその赤黒い手をこちらに伸ばす。



 「こいつら……人も怪物も見境なしか。一体どういう原理で動いている」



 人間とカラードを見境なく襲う謎の現象に頭を抱えるが、まずは事態への対処を行うべきだと、私は思考を切り替える。



 「先輩方! 大階段前のCEMはこいつが全て喰らい尽くすでしょう。後の処理は私が担います。片桐と黒木を――頼みます」



 「了解だ。2人はこの俺、楯無が責任を持って守り抜こう」



 大きな赤い盾を持った先輩が答えた。彼は盾を背中に背負うと、片桐と黒木をひょいと持ち上げて学園内に退避していく。




 その後ろ姿は緑川を見惚れさせるほどに勇ましいものだった。




 彼は最初から最後まで大階段前で戦い、学園を守りきったのだ。人の身体を覆うほどにあったと思われる赤い盾は、半分が溶けて無くなっていた。自分の武器がそのような状態だというのに、彼は学園を守り続けた。




 その姿がとても誇らしい。




 私は理想の先輩像を目の当たりにして、意志が心の奥底から湧き出るのを感じた。




 目の前にはカラーが引き起こした正体不明の災害。




 あれを排除しなければ学園に大きな被害が出る。




 強大なカラー、禍々しいまでの意思、世界の全てを呪うような赤黒き熱を前に体が震える。強大な力を前にした私は1年前の体験を思い出していた。




 私たちの前に姿を現した、魔女。


 その圧倒的な暴力を忘れることはない。




 「ふっ」


 だが、私は笑っていた。




 この程度の状況がなんだというのだ。


 1年前の絶望に比べればどうということはない、安い絶望だ。




 私は強くなった。


 私は覚悟を決めた。



 ――それを証明するのに打ってつけの舞台じゃないか。



 現実を塗りつぶす圧倒的なカラーか。


 それならば――私がさらなる現実でもって塗りつぶしてやろう。




 私は諦めない。


 私は1年前とは違う!




 この思いを現実に、胸の中で燻る思いを世界に描き出すのだ。



 「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」



 私は覚悟を胸に行動を開始する。


 こちらへと迫る亡者の手、その数体に鎖を突き刺す。



 しかし亡者の手はその歩みを止めようとしない。


 むしろ地面を溶かすほどの熱量をもった体はこちらの鎖を溶かし、フィードバックによるダメージを受けてしまう。



 「ぐっ、鎖を突き立てるだけでは効果はない……か」



 こいつらはCEMとは違って痛みを感じていないようだ。フィードバックによるダメージを考慮すれば、鎖を巻き付けるのは最低限に留める必要がある。



 これは一筋縄ではいかんな。だが――



 私はそれならば、と次の一手を打つ。力とは単純なカラー量や身体能力だけで決まるものではない。その状況に対応した柔軟な思考――対応力こそが重要なのだ。



 「オーダー・チェーン・スパイラル」


 《グリーン・カラー――バースト》



 私は鎖を使って輪を作り出した。それを高速で回転させることによって風が生み出され、それは旋風となって相手の熱を奪う。



 私は圧倒的熱量の存在から熱を奪う戦法を選択した。



 カラーが生み出した旋風は地獄の釜の熱を奪い続ける。



 しかし。



 「私のカラーでは足りないか……」



 圧倒的な熱量を前にこちらの出力不足が否めない。私が緑のカラーで発生させた風は圧倒的な熱量に対して、その全ての熱を奪うほどの風を起こせていなかった。



 「ぐっ、が」



 そして――その程度かと亡者の手が容赦なく迫り、風を発生させる私の鎖を溶かしていく。フィードバックによるダメージが私を襲った。



 私は緑のカラーを扱うことができる。



 しかしその能力は特別科の中では並程度でしかない。自分に黄更ほどのカラーがあればと、己の力不足を実際の痛みとともに痛感する。




 ああ、そうだな。




 カラーが足りない。




 痛感する力不足。




 わかっていたことだ。




 俺が弱いことなんて私が一番理解している。




 この状況を打開するために、私には力が足りない。


 ――それが、どうした?

 



 力が足りない程度で諦めるものか。


 その程度の想いで私はこの場所に立っていない。




 私には責任がある。


 私には覚悟がある。





 だから必ずやり遂げる。


 ――あの日、誓った言葉は嘘ではないと証明するために。


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