1章 第5,5話 大和の闇
「今日は朝から散々だ……あむっ」
俺はそんな呟きを漏らしつつ、大きなバナナを齧った。
これは黄更に押しつけられたオーストラリア産のバナナだ。通常のサイズよりも倍近くあるせいで、先ほどバッグから取り出した際には周りの人から怪訝な視線を向けられてしまった。
ともあれ大事なのは味。オーストラリア産のバナナについては黄更が熱弁するほどに説明してくれたが――――――なんだこれ、めちゃおいしい。
果肉を噛むたびに新たな甘さが生み出されて口の中を甘味の波が襲う。
さながら口の中に甘味のビッグバンが起こったと形容しても不足ない表現だ。これだけ多彩な甘みを有しているということは、豊富な栄養を含んでいるに違いない。
俺は通常の倍近くも大きなバナナを、ものの数秒で平らげてしまっていた。
それほどに美味だった。
体がこのバナナを欲しているようだった。
そればかりか体中にエネルギーが満ち、使用したカラーまで回復していくような錯覚を覚える。
いくらカラー大国のオーストラリアが作ったアジア防衛機構産だからといって、食べるだけでカラーを回復させるなんてことは……はは。
「悔しいがとても美味しかった。黄更には感謝しないとな。しかしあいつはいいものを食べている……くぅ」
俺はバナナの余韻と謎の敗北感に浸りながら黄更のことを思い浮かべる。
当の黄更は急に武器のメンテナンスをしてから学園に行くと言い出し、研究区画の駅でそのまま別れたのだった。
今から寄り道をしていては始業に遅れることは確定だ。それでも授業より愛刀の整備を優先するほうが戦闘狂のあいつらしいと、ここは納得しておくべきだろうか。
俺は口の中に残った甘みを水筒のお茶で整えてから、残ったバナナの皮を清掃ボットに向けて放った。すると清掃ボットのAIがゴミを感知して多脚の身体を器用に傾かせ、その体の中心の穴へと吸い込む。
吸い込まれたゴミは音もなく静かに分解されて、清掃ボットのエネルギーとなったことだろう。
清掃ボットは役割を終えたのか、大和の地下に張り巡らされるライフラインに併設されたメンテナンス用地下通路に引き上げていった。
「ん?」
駅の敷地から出るのと同時、大和ポイントが10ポイント消費されました、という通知が空中にポップアップして消える。
どうやら紫電を利用した際の移動費が俺の口座から自動的に引き落とされたらしい。
かつての世界には改札なるものが存在して清算を行っていたらしいが、大和では駅の敷地から離れたタイミングで自動的にポイントの引き落としが実行される仕組みになっている。
これは大和全国民がポイントを利用して生活しているからこそ成り立つシステムだろう。
大和にはこのシステムを使用していない者はいない。
いや、正しくは――使用せずには生きられない。
「一応、ポイントの残高の確認をしておくか」
大和に暮らす国民全ての腕に埋められているナノチップデバイス『カラータグ』に意識を向けると、半透明なウィンドウが自動的に立ち上がってホーム画面が網膜に投影される。
そこにはカラータグ御園透と表記されていて、通話チャンネル、バイタルマップといった自身の多用する機能が優先して表示されていた。
俺は口座の項目を開いてポイントの残高を確認する――やはり心許ない。これからは叔父さんからの仕送りに頼るだけではなく、アルバイトも視野に入れるべきか。
俺は短期のアルバイトなら訓練も兼ねて働いた経験がある。
しかし主目的がポイントを稼ぐことではないため、長期のアルバイトは働いた経験がない。
それはいま自分が、御園透という存在が今日という日に向かって生きてきたからだろう。
だからこれを考えるのは今日という日を乗り越えた先でいい。
――いまは、今日のことを最優先に考えよう。
今日のことを。
俺は学園の駅近くにあるジャンクショップに足を向けていた。一刻も早く学園に向かわなくてはならない時間だが、俺は今日という日のために大事な用事があったのだ。
華やかなアパレルショップなどが並ぶ店の只中に、その店はあった。あまりに飾り気がなく、視覚的に購買欲を誘うものがまるでないその店構えは明らかに周囲から浮いていた。
むしろ周囲から浮いていることが逆に宣伝の効果を発揮しているのかもしれない。
俺はいつも通りの感想を抱きながら、簡素な木製の扉をくぐった。
「おっちゃーん。いる〜?」
カランコロンという小気味のいい音に迎えられて店内に入った俺は、紙の本を立ち読みする老人に睨まれながら店の奥へと進む。
俺は何か悪いことしたのかと自分の粗相を疑うが、思い当たる節はない。
それにしても目つきの鋭い爺さんだな。その顔から伸びる真っ白な髭は綺麗に整えられていて、絹糸のような繊細さを感じさせるほどだ。案外いいとこの爺さんなのかもしれない。むしろどこかで見たことがあるような?
「おう。御園の坊主じゃねぇか。あれだろ、ちゃんと入荷してるぜ」
俺の思考を断ち切ったのは最初に俺が会いたかった人物、このジャンク屋の店主である桃瀬のおっちゃんだ。店の奥からのっそりと現れたこの人も相当な歳のはずだが、本人は年齢のことをかなり気にしているらしく、俺はおっちゃんと呼ぶことを強制されているのだった。
おっちゃんは小柄な体躯ながら若者には負けないと、己の肉体を鍛え上げてきた。
それはその筋肉を見れば明らかで、この1年間トレーニングを日課としている俺から見ても、その鍛えぶりはかなりのものだった。
「ありがとう。おっちゃんの腕を信じてたよ」
「当たり前だろ。なにせ俺様だからな。九州戦役の遺産をサルベージするなんて他のひよっこ共にはできねぇ」
俺とおっちゃんはニカっと笑い、お互いの拳をぶつけてさらにガハハと笑った。
おっちゃんはこういう男同士の熱いノリが大好きなのだ。
今はサルベージ屋として生計を立てているが、かつては筋骨隆々の同僚たちと戦場で戦う軍人だったという。軍隊という職場は熱いノリが大好きな場所らしかった。
「さっすがぁ! じゃあありがとおっちゃん! お代は言い値で請求しといてくれ、絶対払うから!」
俺はそう言って購入したブツをしまい込み、急いで店を出ようとする。
「そりゃいいけどよ坊主、そんなに急ぎなのか?」
「そうなんだよ。授業に遅刻しそうでさ。そいじゃ!」
俺は今日という日のため、早々に店を後にするのだった、
店主と明るくやり取りをしていた青年が店を出た後、入れ替わるように黒いスーツの二人組がジャンク屋の扉を叩いた。
彼らは青年とは真逆のピリピリとした雰囲気を纏っていた。彼らは自分達の持つ通信端末がコール音を鳴らしていることすら気にせず、店主に詰め寄っていく。
「失礼する。百瀬泰造、あなたは大和基準に適さないと判断された。よって大和法にのっとり身柄を連行する」
「はぁ? 俺様が何をしたって言うんだい。そもそもあんたら何もんだ?」
店主は心当たりがないといった様子で首を傾げるが、黒スーツの二人は強硬な態度を崩さない。
「我々は大和管理センターの職員だ。あなたの違法行為が記録されたテープがある。あなたが大和の法を犯した証拠だ。よって身柄を連行する」
その店中に響く大きな声に、漫画へと視線を落としていた老人は顔を上げ、ため息をついた。
「俺様全く身に覚えがない。まずは証拠のテープを聴かせてくれよ」
「だめだ。それはこちらで判断さうる。まずはあなたの身柄を拘束し、管理センターに連行する。抗弁があるならそこですることだ。ここで我々に反抗することはオススメしないぞ」
黒スーツの二人組は手錠を取り出し、百瀬に近づく。二人の顔には隠そうとしても溢れる下卑た笑みが広がっていた。両の手を強力に拘束できる大和製の拘束具が鈍色に光る。
「やめとけ。こいつの身分は儂が保証する」
少年誌を棚に戻した老人が声を発した。老人は漫画を棚に戻しただけで、その場からは一歩も動いていないのだが、その声は威厳に満ちてはっきりとこの場の全員に聞こえていた。
「なんだお前は。我々は大和管理センターの重要な任務を遂行中――」
「お、おい。この人――このお方は」
強く自分達の行動の正当性を主張する男とは対照的に、震えた声の相棒が止めに入った。
「おう。儂のことを知っているのか。だったら相棒に教えてやったらどうだ」
「なんだよ。この爺さんがなっだってんだ。年齢なんか関係ない。あと一人二人を管理センターに送れば、俺たちは昇進できるんだぞ。俺たちが這い上がるためには」
「こ、このお方は大和十華――黄更黎元様だ」
「――は?」
男は一瞬だけポカンとして、がたがたと体を震えさせていた。
黒スーツの男は相棒が発した言葉の意味を理解したのだ。
そして――すぐにその身を地面にこすりつけた。
「申し訳ありませんでした!!! 数々の無礼、もはや許されることではありません。どのような罰でもお受けします!!!」
まさかこのような街のジャンク屋に大和コロニーを統治する大和十華の一人がいるとは夢にも思わなかったのだろう。男は平伏して自分の未来を受け入れる。
「これからも大和のために励め。それでこの件はチャラにしてやる。あとはそうだな、周りを出し抜こうとするやる気は買ってやるが、上司との連絡は綿密にしておけ」
「「はっ。ははー! 寛大な処置、ありがとうございます!」」
黒スーツの二人組は、黄更に何度も礼をしながら去っていった。
「結局あいつらは何がやりたかったんだ、黄更よぉ」
大和コロニーの権力者に対して物怖じせず話すのは店主の百瀬だ。その気軽さは知り合いというよりも長年の付き合いを感じさせた。
「大和ではコロニーに対する貢献度が低い人間は価値がないと判断されている。それを再利用するために実験材料にしていたわけだ。ひどい時は強引な理由で連行していた時期もあった」
「ひでえな大和」
百瀬は自分が感じた率直な感想を、大和の権力者たる人間にぶつける。
「そうじゃな。そんな制度を作ったバカ共を駆除することも他人の手を借りなければ成し得なかった。不甲斐なさすぎて、儂からは何も言えん」
あまりにも直球で直接的な批判だったが、老人はその言葉に怒るどころかあっさりと自分の非を認めた。
「んーでも、制度自体はなくなったんだよな。だったらなぜ、あいつらは俺様を連行しようとしたんだ?」
「朝の報道でも流したが、人事は一新したよ。制度もなくなった。しかし、上から末端まで命令が行き渡るには時間がかかる。連行した人数によって評価されるシステムに問題があったせいで、ああいう若者のやる気が悪い方向に向いたって話よ」
「かぁ〜最悪じゃねぇか。ありゃ完全にフィクションの悪徳警官だろ」
「ふん。全く、さっきガキみたいに人生を真っ直ぐ生きてりゃ――」
老人は言葉を途中で飲み込み、大きなため息を吐いた。
「そう言ってこの件を終わらせたいところだが、そもそも今回は上が腐っていたわけだし、儂には返す言葉もない。やれやれだ」
サルベージされた紙製の週刊漫画を再び棚から取り出した老人が呟く。
「はっ、御園の坊主ほど生き急いでるやつもいないと思うけどな。まぁ漫画を立ち読みしている老人には言われたくないか。はっはっは」
「だからこれは娯楽じゃなくて柔軟な思考をするためにだな」
「へいへい。漫画からは堅物の書いた本からは得られないものがある、だろ?」
「そうだ。基本を疎かにすることは問題だが、いかに応用するかという話をするときに必要なのは型に嵌めて考えすぎないことだ。お前にわかるか、桃瀬よ」
「ああ、わかるぜ。俺様の筋肉も同意してる」
ジャンク屋の店主はボディビルダーがそうするように己の筋肉を老人に見せつけた。筋肉はピクピクと反応しており、その体からは桃色のオーラが溢れ出ている。
「毎度言っておるがそのピンクを引っ込めろ! 気色悪い!」
「毎回言ってるがこれはピンクじゃねぇ! 桃色なんだよ! この脳内ピンクジジイ! 少年誌のエロいやつばっか読みやがって!」
「なんじゃと年齢は関係ないじゃろが! さっきから言わせておけば!」
二人は若かりし頃からそうしていたように、その時から変わらぬ会話を繰り返す。
それはお互いに孫娘の成長を見守る年齢になっても変わることはなかった。
「「あの頃から全く成長してないなお前!!!」」