3章 第12話 世界からの逃避
外から聞こえる怪物の咆哮と剣戟の金属音――齎される破壊と悲しみ、戦いの音、ここまで漂ってくる――血の臭い。
そんな中で、あたし、黒木由依は保健室付近の廊下で自分の体を抱き抱えるようにして蹲っていた。
本物の戦場を肌で感じたあたしの体はガタガタと震えて動かない。
この戦いが始まる前、CEDスーツを身に纏うまではよかった。
しかしいざ戦場に立って覗いたスコープ越しの光景――土煙を上げて学園に迫りくるCEMの群れの姿を見た途端に体の震えが止まらなくなった。
あたしが見たのは目の前の人間を殺し、捕食しようとする異形の軍団だった。
あんな化け物と戦えって? 訓練でやっただろう?
――そんなの無理に決まっている。
勇気を出して立ち向かえ? おまえならできる?
――強者の根性論も大概にしてほしい。
この地球という星の歴史において、人類という生物は知恵を働かせ、集団で行動することによって自分より大きな生き物に勝ってきた。鍛錬の方法を体系化し、数的有利の状況を作り、武器を改良し、罠を仕掛け、様々な方法を生み出すことで地球の覇者として君臨したのだ。
しかし同時に災害のような――あまりに大きなものに対してはいくら知恵を働かせようとも敵わないことだって歴史が証明している。
象は象として生まれた瞬間から蟻に勝つことが定められ、蟻は蟻として生まれた瞬間から象に負けることが運命として定められる。
運が悪くて死ぬこともある。
タイミングが悪くて死ぬこともある。
しかしそれ以前に、種には超えられない壁が、定められた勝敗が存在するのだ。
あたしはCEMに勝てない。
それは人間という種に生まれたときから、あらかじめ定められていたこと。
「あたしは弱い……弱すぎるちっぽけな人間だ」
ぽつりと漏れる私の呟き。
弱者の弱音。
人間は弱いから怪物が怖いし、足はすくんで手が震える。
朝、大階段で御園に啖呵を切っておきながらこのザマだ。
あたしはもうこんな世界は嫌だ逃げ出したいと、それが平凡な人間には当たり前なのだと、自分で自分を慰める行為を続けていた。
あたし程度がどれだけ強気になってみせたところで笑い者にさえならない滑稽な存在でしかない。
結局、子供の頃に憧れた英雄のように、色めき輝く存在にはなれないのだ。
醜いあたしが憧れた英雄になどなれるはずもない。あたしは惨めな自分を慰めるように、見たくない残酷な現実から自分を守るように両手で顔を覆った。
「――ッ」
金属の音が廊下に響く。
どうやらホルスターに納めていた武器が廊下に落ちたらしい。
――あたしはそれを拾い上げる。
冷たい金属の感触がよく手に馴染んだ。
黒く重たい鉄の塊があたしのCEDウェポン。人類が作り出した、非力な人間にも殺傷能力を与える武器――それが銃。その中の拳銃にカテゴライズされる武器、片手で持てるサイズの銃があたしのCEDウェポンだった。
強がりで意気地なしのあたしにはぴったりな武器だと、自分でも思う。
カチリ――金属の音、撃鉄を起こした音。
私は意味もなく銃を見つめて感慨に耽る。
この銃があればあたしも戦える、そう思っていた。
飛び道具だからCEMに近づくことも最低限で済む、そう思っていた。
それにバーチャルシミュレーション訓練では上手くいっていたのだ。
だからそれが仮想空間であれ現実であれ、私は優秀なのだから上手くやれるのだと弱い自分を誤魔化してきた。
――しかし現実は甘くなかった。
怪物を前にした途端、あたしの頭は真っ白になった。
体は震えて動かなくなり、訓練で出来ていたことが現実になると出来なくなった。
シミュレーションではできていたのに、なぜ。
決して学園のシミュレーション訓練の精度が低かったわけではなかったと思う。
むしろ戦場のデータを元に再現された怪物の強さは本物だったと思うし、こちらの攻撃の狙いが甘ければ溶滅判定にはならない。それにこちらの負傷も当たりどころが悪ければ一撃で死亡の判定が出されるほどの難易度だった。
では、現実の戦場はどうだろうか。
確かに迫り来る怪物の姿はシミュレーションで見飽きるほどに見た姿形をしている。
色の違いはあれど、その姿形は変わらないように思えた。
しかし、それでも。
違うのだ。
これが現実で、あたしが戦っていたのはシミュレーションに過ぎないのだと。
あたしは肌で感じ取る。
その怪物が纏うものを。
こちらを殺そうと、食おうとする生の欲求(感情)を。
生々しい感情に当てられたせいであたしは動けなくなったのだ。
あたしは知った、気づいてしまった。
どう足掻いても食われる側で、差し出される餌にしかなれない存在には。
この戦場に居場所はないのだと。
「――――――――――あぁ……そうだ」
最低な思考の中で、ふと頭によぎる――最悪の考え。
この銃があれば。
この銃があれば。
この銃があれば。
引き金ひとつで死ぬことだってできる。
そう……思った。
弱者ならば誰でも一度は考えることだ。
それはこの世界からの逃走。
つまり――死。
だってこの世界はあたしに厳しくて、あまりにも眩しすぎる。
あたしは小さい頃から運動神経がよかった。勉強だって少し考えればわかるものばかりだったから、すごく生きやすい世界だなと当時のあたしは思っていた。
あたしに立ちはだかる壁はあまりにも薄くて、低くて、脆かった。
黒木の家は名家でもなんでもない普通の家だったが、お金に困った記憶がないので貧困層ではないのだろう。かといって高級志向だと思ったこともないので、特筆していうこともないような普通の家なのだと思う。
それなのに……いや、普通すぎる家だからこそ、周りはあたしが壁を破るたびに文武両道少女だともてはやした。
だから子供のあたしは子供ながらの傲慢さを増長させながら育った。
そして1年前のこと、CEMと戦うカラードの養成校――その筆頭たる鬼庭学園に入学したときも、あたしの成績は上位の10%に入っていて、当時はかの有名な鬼庭学園もこんなものかと内心では思っていた。
入学試験の成績は特別科新入生の中で1番ではなかったものの、上には上がいると上位に入ったことで自分の射倖心を満足させていた。
そもそもあたしの中に絶対に1位を取ってやる、みたいな熱い気持ちはなかったし、本気になりすぎているやつはダサい――そんな考え方をしていた。
しかし、蓋を開けてみればどうだろう。
御園透はこの1年間で劇的な成長を遂げた。
1年前――彼は確かに弱者だった。
強者に傅いて生きる人間の目をしていた。
弱い人間に生まれ、そのままの人生を送るのだろうと思っていた。
だが、あたしの予想は外れる。
あの1年前の出来事の後、彼は変わった。その覚悟を表したかのように難関と噂される転科試験を一度で合格して、普通科から特別科への転科を果たした。自身の能力を研ぎ澄ませて昇華し、より高みへと羽ばたいていったのだ。
あたしは御園に追い抜かれた気がして焦った。
だって抜かれたと気づいたときには、すでに周回遅れにされていたのだから。
彼は周りが3日かかるのを1日で、1週間かかるのを3日で、1ヶ月かかるのを1週間で学び吸収していく。
――化け物。
私は自然とそう口にしていた。彼は努力の天才だったのだ。
いや違う。
またあたしは相手を天才だから、自分より上の存在だからと言い訳をしようとしている。
それでも。
そう考えなければ苦しいだけだ。
自分にできないことを平然とやれる人間がいるのはおかしい。
あいつらは同じ人間でありながら別の生き物だと区別しなければ、増長して育ったあたしの心は壊れてしまう。
あたしは敗北の理由を、弱い自分を、増長していた自分を慰めなければ自分という存在を保てない。
そういう人間なのだ。
そして地面にへたり込んだあたしは成長した御園を見て気づいた。
気づいて――しまった。
ダサいのは――あたしなんだって。
「もう無理だ。死のう」
あたしは眩しすぎる光から逃げるように、トリガーへと指をかけるのだった。




