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3章 第3話 先輩と後輩

 「っ――」



 机から顔を上げると目の前に先輩――ではなく、新開がいた。



 どう見ても瓜二つの容姿は、生き別れの姉妹としか思えない。



 それでも。



 先輩はここにはいないことを知る俺の理性は否定する。



 目の前にいるのが瓜二つの存在であれ、彼女は違う。



 俺は先輩を間違えない。



 「せーん、ぱい?」



 新開は覗き込むように俺の顔をまじまじと見ていた。



 やたらと顔が近い、近いって。



 「え、何、なんだ?」



 突然、先輩似の顔が間近に迫ってきたことで声が上擦ってしまった。



 たとえ1年という時間が経過しても、人間には簡単に変えられない部分があるということだろう。身構えていれば多少は違うものの、取り繕って補強した部分というのは不意打ちに弱いものだ。



 思えば俺は先輩からの不意打ちに心を揺さぶられてばかりだった。



 それは先輩似の後輩にも適用されるらしいと俺は実体験で思い知る。



 現在の時刻は授業が終わってから数分といった時間で、周りを見ると他の生徒はすでに誰もいなかった。



 2人きりの教室で新開が口を開く。



 「あっ、えっと、勘違いかもしれないですけど。授業中に先輩がこちらを見ていたような気がして。流石に自意識過剰ですよね……ははは」



 どうやら女性という生き物は視線に敏感らしい。1年前にも同じことを言われた。



 「バレていたなら仕方ない。きみがあまりにも……知り合いと似ていたから、ついね」



 「顔が似ていたくらいで見てしまうものですか……だとしたら、それはきっと先輩の大事な人なんですね」



 「大事……まぁ、な……」



 新開の無邪気で純朴な笑顔は、ちょうど先輩から悪戯っぽさを引いた感じに見える。

 


 この子は先輩ではないのに俺は何を考えているんだろう。



 他人の空似で相手に迷惑をかけるのは新開に失礼だし、先輩にも失礼だ。



 「すいません。私に似たその人の写真とかってありますか? どんな人なのか気になってしまって。よかったら見せてもらえたりしませんか」



 先輩の顔をした後輩があどけない笑顔でそんなことを言う。



 「写真…………いや、ないな」



 俺は先輩の写真を持っていない。



 「えー大事な人なのに写真の1枚もないんですか!?」



 驚いた声を上げる新開。



 写真は生憎と1枚も持ってない。



 「あーその……写真を撮られるのが苦手な人なんだ」



 撮りたくても撮れない。



 その理由は人に言えることではないので、俺は咄嗟についた嘘を貫くことにする。



 「あーまぁ、そういう人もいますよね。でも残念、私とどれくらい似ているのか知りたかったな……」



 自分に似ているという人物の写真を確認できず、神妙な面持ちで残念がる新開。



 新開には悪いが俺に先輩の写真は必要ない。先輩のことは写真に焼き付ける必要がないほどに、言葉、感触、匂いすらも俺の心に焼きついて色褪せないからだ。



 だがそんな重い理由は人に話すべきでないことくらい俺だってわかる。



 「写真はない。だが……授業中に俺が新開を見ていたことは事実だ。気分を害したなら謝る」



 俺は純粋な瞳で尋ねる新開に謝罪の姿勢をとろうとする。



 「ああっ、御園先輩に声をかけたのはそんな理由じゃなくて……。えっと……だって入学そうそう先輩の男子から見られるなんて、普通はないと思うんですよ――こんな空っぽの私のことを見てくれるなんて。だから、もしも……こんな私のことを見ていたなら……その理由が知りたかった……」



 自信なさげに俯きながらも新開は少し頬を赤らめて話した。



 ここでナンパ紛いの行為と疑わないところが彼女の純粋さを窺わせる。これが先輩なら確実にいじられていたところだ。



 しかし彼女はそう言って笑いながらも、その言葉にはどこか切実な思いが込められているような気がした。



 だから俺はその思いに応えようと精一杯の言葉を伝えることにする。



 それが彼女に対しての誠意になると信じて。



 「いや……その、きみは自分が卑下するよりも。ええと、可愛いと思うぞ。新開に一目惚れするやつもいるかもしれない。俺はそう思う……」



 この言葉は彼女に対してのフォローのつもりだったが、結果として自分に対する最大の皮肉になってしまった。先輩に一目惚れした俺が何を言っているんだ。



 いや、まぁそこは一旦置いておこう。



 「ええっ!? いやいやいや、そんなそんなそんな。わたわたわたしに一目惚れだなんて〜――――――ああっもうこんな時間!」



 俺の言葉が予想外だったのか新開の頭から勢いよく蒸気が吹き出した。両手で真っ赤になった顔をサンドイッチしてブンブンと横に振る。



 それから新開は赤くなった顔のまま経過した時間に気づき、さらにわたわたし始めた。



 「もう次の授業が始まる時間だな。悪い」



 すでに時刻は次の始業1分前を指している。



 「いっ、いえいえ、声をかけたのは私ですし、だから自業自得といいますか……」



 「俺は気にしてないから構わず先に行ってくれ」



 「わわ、わかりました。そっそれじゃあ、また。御園先輩!」



 慌てた様子でも丁寧にお辞儀をしながら教室を出て行く新開。走り去っていくその背中は先輩に似ているなと、俺は新開を1年前の先輩に重ねそうになって否定する。



 新開は先輩ではない。



 俺はかぶりを振る。



 「水凪お待たせしましたデス」



 そして――彼女を待っていたのだろうか、扉の先には小さなメイドが佇んでいた。



 この距離では彼女が友人、従者、コスプレイヤー、そもそも学生なのかすら判断できないが、その小さなメイドに向ける新開の横顔は先輩が俺に向けていた表情に似ていて、俺の心をざわつかせた。



 「じゃあな……後輩」



 自然に口からでた後輩という言葉は事実として間違っていない。



 俺たちの関係は在校生と新入生――先輩と後輩なのだから。



 だが俺はその事実とは関係なく、先輩と新開を切り分けるために無意識で後輩という呼び方を使ったのかもしれない。



 しかしその呼称はもやもやしていた自分の中でストンと落ちたような、空いた穴にすっぽりと収まるような、ある種の気持ちよささえ感じる呼称だった。



 それにしても『また』、か……。



 果たして俺と新開が再び出会う機会はくるのだろうか。



 それは次のカラー基礎の授業に出ることができれば会える。



 言葉にすれば簡単なことだ。



 つまり、俺次第。



 今日という日が無事に終われば――ということだろう。



 俺は先ほどまで新開が座っていた席――先輩の席を見つめながら、誓う。



 世界が俺たちに残酷な現実を突きつけて、例えそれが定められた運命だとしても。



 俺はやり遂げる。


 そのために1年間を生きてきた。



 だからどれだけ難しい無理難題を並べられようとも、俺はそれを成し遂げる。



 その覚悟はできていた。



 己の覚悟を言葉にした俺は先輩の机を優しく指でなぞって――教室を後にする。



 「急がないと時間がなくなってしまうか……」



 これが、最後……1年前の決着だから。



 やれることはやっておく、悔いのないように。


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